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「吉祥寺 横丁の逆襲(桑原才介)」という本はとてもオススメ!

2013年02月08日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 「吉祥寺 横丁の逆襲」という本は、外食産業のコンサルタントが吉祥寺の歴史やお店を紹介したものです。

 吉祥寺で青春を過ごした方にとっては、老若男女を問わず当時を懐かしく感じる記述がたくさんあることから、とても楽しめる本だと思います。

 吉祥寺は、1923年(大正12年)の関東大震災と東京の人口急増という二つの要因によって郊外住宅化が進んだ地域で、1922年(大正11年)には5200人だった武蔵野村(町)の人口が1932年(昭和7年)には2万人に増加したようです。

 そして、第二次世界大戦時にはゼロ戦を作っていた中島飛行機武蔵野製作所を中核とした軍需工場地帯化のため1941年(昭和16年)には、武蔵野町の人口は5万人を超えたようです。そして1958年(昭和33年)には武蔵野市は10.4万人、1964年(昭和39年)には13万人にもなったようです。

 そして、1970年代に入って吉祥寺中心市街地は行政、商店街が一体となって再開発が遂行され、百貨店を商店街周辺部に分散配置することによって、来街者の回遊性を造るというプランが大成功を収め、買い物しやすいおしゃれな街として人気を博したようです。

 確かに私も商店街をぐるりと1周して楽しんでしまいますね^_^;)

この本では、ハモニカ横町の戦後の歴史、各商店街・社交飲食業・近鉄裏・ジャズシティ・フォーク・ロック・シャンソン・映画館・喫茶店の歴史等に興味を持ち、楽しく読めましたね。

 また、その中で吉祥寺の有名店の紹介があり、私もこの本を参考に、吉祥寺のいろんな美味しいお店にぜひ行ってみたいと思います。

 この本を読んで特に以下のお店は気になりましたね。

・みんみん(ハモニカ横丁、名物の餃子とあさりチャーハン)
・小ざさ(ようかん)朝3時から並ぶ?
・さとう(メンチカツだけでなくステーキもお値打ち感)
・塚田水産食品(10個450円の揚げボール)
・スパ吉(ハモニカ横丁、生パスタ)
・レモンドロップ(チーズケーキ)
・金の猿(会席など)
・トニーズ(コーンピザ、納豆ピザ)
・カッパ(もつ焼き)
・ひょうたんなべ(居酒屋)
・汁べえ(炙り〆鯖、とろける角煮・福多玉(ブッタマ))
・まめ蔵(3日間煮込んだカレー)
・ダ・メオ・パタカ(南欧料理店)
・懐鮮食堂(フランス料理をお箸と和食器で)
・わらべ(自然派バイキング)
・ヴィレッジヴァンガードダイナー(本格ハンバーガー)
・そーす屋のケンズさんど(こだわりウスターソースのサンドイッチ)
・竹爐山房(中国料理)

「吉祥寺 横丁の逆襲」という本は、吉祥寺に興味がある方にとってはとてもオススメな本です!

以下はこの本のポイント等です。

・「みんみん」はいつ来ても満席状態が続く繁盛店だ。客のお目当ては名物の餃子とあさりチャーハン。1972(昭和47)年、吉祥寺周辺が再開発によって大きな変貌をとげた時、ハモニカ横丁に店を構えた。そこは1950年代には中華そば屋があった場所だ。地の利が良かったせいか、初めからよく繁盛した。この「みんみん」はスペインバルのようなこじゃれた感じからは縁遠いが、いかにも古くから愛されてきた”横丁の中華屋”という風情があって、人間くささを感じさせてくれる。また、よく店に行列ができていて、赤い大きなちょうちんとともにこの通りを活気づけている。餃子は大ぶりで中のあんもたっぷり。5個で400円だが、これだけでもかなりのボリュームだ。年輩の常連客などはビールを飲みながらこの餃子で腹を満たしていく。ザーサイが脇に乗せられて出てくるあさりチャーハンも、あさりの味がチャーハンにうまく馴染んでいて絶品だ。

・終戦直後、生きるために闇物質を求めて人々が殺到した時代には、種々雑多な業種業態のお店があったとはいえ、生鮮食料品や生活必需品が中心で、それに多数の飲み屋が加わった。小売業の中には「OSS」という名の輸入雑貨の店もいくつも見られた。いうまでもなく米軍兵士から流れた闇物資を扱った店であった。食料品店の中にはシジミ屋、ワサビ屋、豆腐などあまりにも特化しすぎたお店もあったが、実はこれらのお店では統制品だった闇米が密かに売られていたようだ。「中華マーケット」といわれていた(現在の朝日通り商店街)筋にはパチンコ屋が多く、中国人らが支配していた様子がうかがえる。1950年代となると、朝鮮戦争による軍需景気もあって生活物資も豊かに流通し始め、闇市はその雰囲気は残したが、本質は過去のものになった。しかし1950年代の路面図を見ると闇市の内部空間はそのまま残ったということができる。1960年代、日本は高度成長経済を迎え、ハモニカ横丁も景気が良かった。ハモニカのように小さく並んだ東端の飲み屋群は、どんどん統合が進んでいったようだ。飲み屋が激減している。ハモニカ横丁全体では生鮮食料品の景気が良かった。仕入れてきた品物が飛ぶように売れた時期である。既存商店街も元気を取り戻してきたのだが、生鮮食料品が集中したこの横丁の勢いはすごかったようだ。また玩具、釣り具、ボタンなどの小間物を商う店も多くあった。ということは、人々の生活に少しゆとりができてきた証と言えるだろう。この横丁の商売にかげりが見えはじめるのあ1980年頃から。周辺の市街地再開発が進み、大型小売店も導入されることになって常連客たちも徐々に減少していった。営業力のない所は店じまいし、テナントに営業権を渡すようになっていった。1990年、バブルが崩壊したあたりからそれまで業績が良かった食料品店にも影響が出始め、かなりの店が撤退していった。二代目たちが「このままではシャッター通りになってしまう」と危機感を持ちはじめるのはこの頃である。2000年に入って先に登場した手塚一郎氏が現れ、前後して二代目、三代目たちが新しい業態を提案しながら、このハモニカ横丁の新しい時代をつくり出していった。

・「小ざさ」の羊羹は吉祥寺を象徴する食品である。というよりも作り手の本物へのこだわりとそれを執念を持って買い求める客とが作り出す、食を通した吉祥寺文化そのものと言える。1本580円の羊羹は妥協のない手作りものなので、1日150本しか製造できない。一人5本まで、というお客側から提案された決まりごとが昔から続いていて、この羊羹を買えるのは1日30人が限度。だから行列ができる。昭和44年頃から始まった現象なのだ。先を競う客は店が開店する前に並ぶ。やがて30人を超えるようになると並んでいても買えない人が出てくる。そこで、羊羹引換券を出してもれなく渡せるようにしたが、並ぶ順番を競いあう客はどんどん時間を早めていった。深夜から並ぶようになると、開店まで待たせるわけにはいかないと考えた。店側も引換券を渡す時間を早めていかざるをえなくなった。今でもお客は深夜の3時頃には並んでいる。引換券を渡すのは8時半頃である。昼間この街にやって来た人にはこの光景は見えない。しかし、吉祥寺に来街する人の多くはその事実を知っている。だからたとえ羊羹を手にできなくても、しつこくないマイルドな甘さにこだわったもなか(1個54円)を”「小ざさ」の旨さ”としてお客は買っていく。あんは大納言小豆と白豆の2種類あるが、普通の日で1日1万個も売れる。もなかの豆は大きな釜で炊くのと、練りの工程も少し違うので、羊羹よりも大量に生産できる。

・精肉店「さとう」のメンチカツは、普通は挽き肉と玉ねぎによって作られたものを上下からたたき、平らにし、小判状に成形していくものだ。何を思ったのかこの叔父は、成形せずに丸いままフライヤーの中に落としていった。横着を決め込もうとしたのかもしれない。それをそのまま商品として出してしまったということが不思議なのだが、この叔父を周囲が信頼していたのか、逆に怖がっていたのかはわからない。この商品にはすぐにクレームが殺到した。中まで火が通っていない。味にムラがあるというものだった。しかしそのやり方をすぐ取りやめなかったことが、この店のおもしろいところだ。従業員達がそのボール状のメンチカツに興味を抱いて研究を重ねていった。どうしたら均一に火が通るか、味のムラをどうするか、日夜試行錯誤を重ね、それが今のメンチカツ誕生につながっているのである。こんな発想は”フーテンの寅さん”のような自由人からしか出てこない。従業員もそんな叔父の生き方を愛していたのかもしれない。

・精肉店「さとう」の路地を挟んだ隣にある「塚田水産食品」は、大きくダイヤ街に向かって掲げられた黄色の看板が目印。陳列台の中には練り物、おでん種などが35種類ほど山積みされている。揚げたてのものが目の前に山盛りおかれると、つい手を出したくなるのがお客の心理だろう。だから主婦達が陳列台の前に群がって品定めをしている。おでん種の需要が減る夏場の対策なのだろうか、浜名湖産のうなぎの蒲焼きまでも売られている。また、昔は置かれていなかった総菜も、お客のニーズに合わせて積極的に売るようになった。練り物の中で一番人気は10個450円の揚げボール。黒胡椒や細わかめを使ったりして工夫したもので、冬だと1日で3000個以上も売れるようだ。武蔵境に工場を持っているが、大体のものは店の奥で調理する。ガラス越しに作業している状況が見えるので、お客は安心してその作りたての商品を手にしていく。

・ハモニカ横丁の中に8年前に開業した生パスタの店「スパ吉」は、いつも若い女性客のウエイティングができていて活気がある。13坪という規模もハモニカ横丁の中では大きい。路地に面して生パスタを作っている状態が見える。湯気が立ち上がった丸いそば釜の中に、作りたての生麺がバサッと投げ入れられる。若い従業員達が威勢良くそれを繰り返している。エキサイティングな光景だ。料理もチェーン店にない手作り感のあるレベルの高いものばかりだ。その中でもミートソースが抜群に旨い。

・脱鑑賞店の流れは75年の「サムタイム」の開店で決定的になっていく。この店もサンロード商店街から伊勢丹に抜ける路地の一角に造られた。地下のこの店は現在でも燦然と輝いている伊織氏の代表作であり、吉祥寺が誇るジャズスポットである。ここは初のジャズ専門のライブハウス。30坪とやや大きめの空間に、ニューヨークやシカゴの裏通りにあるジャズスポットのイメージを持ち込もうとした。コンクリート打ちっ放しの空間、そこに鉄骨と本物のレンガを組み合わせる。そこから生まれる冷たさをアンティークな材料で中和させるという彼のデザインイメージは、実施設計の中で行き詰まり、内装業者が推す設計家、福井英晴氏を導入せざるをえなかった。この二人の組み合わせは思わぬ効果を生むことになった。自分のイメージを頑固なまでに押し進める依頼主と、それを全て受け入れるかのような態度をとりながらいつの間にか自分のイメージで修正を加えてくる設計家との出会いは、依頼主の期待以上の結果を生むことになった。グランドピアノを部屋の真ん中に配置したピアノホール「サムタイム」はそうやってでき上がっていった。飲んだり食べたりしながら会話を楽しみ、ライブを楽しむこの店は、35、6年を経た今でもその姿を変えていないし、人気も衰えない。

・「レモンドロップ」本店は、ハモニカ横町の西側、行政的には190号線、通称「武蔵通り」に移転して、お洒落な店を構えるようになったが、吉祥寺を訪れる女性達にとっては今や老舗のひとつとなっている。しつこくない甘さとまろやかな食感が売りのチーズケーキの人気がすごい。白とレモンイエローを基調としたこの店の外観や内装は明るく清潔。26席の客席で道行く人を眺めながらゆったりした時間を過ごす。そんな時空間を愛する女性ファンが多い。

・今でも超人気店となっている「金の猿」が97年にできている。井の頭公園の入口。以前旅館だった場所がビル化された折にその二階に入居した。公園を借景に採り入れた絶好のロケーションであった。この時初めて世界的に名の知れた杉本貴志氏を店舗デザイナーに使った。杉本貴志氏も野口氏に前から注目していて、指名された時は「やっと彼から指名されたか」と大変喜んだようだ。重厚な中に柔らかさを保ち、公園の四季が移り変わる様子を店内いっぱいに採りこんでいく内装は、お客に贅沢な時間を与えてくれる。料理も一品料理を7~800円でそろえ、酒と共に楽しめるメニューが用意されている。コース料理も昼には3500円のミニ会席が、夜には5000円と7000円の会席があって、この店の雰囲気からしたら驚くほお安い。だから予約をとるのも大変だ。

・「豊後」の井の頭通りを挟んだ斜め前方にジャパンレンタカーが見える。その横丁を井の頭線のガードに向かって曲がるとぽつんと「トニーズ」はある。ニューヨークピッツァとサンドイッチと書いてある。ニューヨークの所々にあるファーストフード風のピッツァの店かと想像して店の前に立つとそれは一見レストラン風。入口左手で店主がドウをこねたりピッツァを釜に入れたり忙しそうにしている。ハンサムだが険しい顔をした店主が神経を集中して仕事をしている。その姿を見ていると簡単には取材のドアは開けられない。ためらいながらも「豊後」の常連客たちに背中を押された私は、おそるおそる入店した。満席状態だったが、入口手前の席がちょうど空いていて案内された。「特にコーンピザと納豆ピザが旨い」と教わっていたので迷わずコーンピザ(850円)を注文。アメリカンピザを想像していた私にはその味は衝撃だった。ドウの味もいいがチーズが抜群に旨かった。しかもそのチーズはボリュームたっぷり。アメリカには絶対ない味だし、本場イタリアでもあったかどうか。

・マルイの斜め前にあるもつ焼きの「カッパ」は12坪のカウンターだけの店だが、いつ行っても満席でなかなか席が取れない店としても有名である。駅南口から井の頭通りに抜ける路地と井の頭通りの角にある店だが、この店は井の頭通りからでは意外に見落としがちだ。このもつ焼き屋の顔は、路地側にあって横丁の持つ風情で客を迎えるという感じである。店内はものすごい熱気だ。カウンターの向こうに山積みされたもつの串はどんどん焼き場のほうに移されていく。1本100円程度のやきとりは全て新鮮。塩味でその新鮮な味を楽しむ客が多いが、秘伝のタレを好む常連客も多く、昔から変わらぬ味を堪能していく。

・「いせや総本店」も「カッパ」同様、夕方のオープン直後に行かないとんかなか席がとれない。この店は、マルイの西横から井の頭公園に向かう七井橋通りの公園近くにも支店を構えているが、商品が変わらないのは無論だが、雰囲気も似ている。こちらも本店同様いつも超満員で活気に溢れている。この支店は間口二間ぐらいの小規模な店から始めたが、拡張を重ねて今では98坪350席の大型店。学生の団体などにもよく使われている。串1本が80円。ボリュームもあるので、そのお値打ち感に客は感激。もともと「いせや」は精肉店で卸と小売をやっていた。地元の肉屋にも卸していて随分世話になった人も多かったようだ。鶏も埼玉から仕入れてきて飲食店に卸していた。やきとり店にんったのは戦後かなり経ってから。

・「ひょうたんなべ」は南口を出てすぐ斜め前に本屋があり、その二階奥にある居酒屋である。今はなきシャンソニエ「ラ・ベル・エポック」があった店の奥で横丁的な雰囲気のたたずまい。しかし店内は広く85人収容。半個室の空間が多く、落ち着いた雰囲気だ。入口左側がオープンキッチンになっていて、店長の米内山勇氏が調理場の指揮を執っている。開業して20年だが、今ではすっかり吉祥寺の名店の一つになっている。料理は魚料理とおでんが中心。魚料理は7~800円台のメニューが多く、品質の割にお値打ち品ばかりである。酒の種類も豊富で、日本酒にもかなりこだわっている。6~700円の純米酒もかなりレベルの高い銘柄がそろっている。

・メニューには日常感覚から離れたものはおかない。家庭で食べられるもの、子どもの頃から食べてきたもの、さらには酔ったときに食べたくなる定番のものを彼は重視する。それを楽しくおいしく食べてもらうメニューに仕立て上げていく。それが「汁べえ」のコンセプトである。たとえば人気メニューのひとつ、炙り〆鯖。目の前でガスバーナーを使って炙るだけだがお客はなぜかそのパフォーマンスによって楽しくなってしまう。「とろける角煮・福多玉(ブッタマ)」、「プリプリエビマヨ」、「キムチと豚肉のサクサクチヂミ」など、どれをとっても馴染みやすい食材ばかりだが、この店らしい調理提案がなされていておもしろい。従業員の接客もフレンドリーで、お客を楽しませることに徹している。じつはここの従業員は独立意識が強い者ばかり。宇野氏が面接の時に「店長になって2年ぐらいで店を持つこと」を言い渡してあるからだ。貯金をさせて独立させる。もう宇野学校から巣立った生徒は200人ぐらいになる。夢を持てる会社だからと人づてに聞いて応募してくる。だから今まで募集広告は出したことがないという。

・中道通りを西に向かって4本目の横丁を右折すると、左側に「まめ蔵」が見えてくる。お洒落な喫茶店かレストランのような外観、絵本作家の原画がいくつも飾ってある落ち着いた室内空間。あまり自己主張を表に出さず、控えめな品の良さが店主のセンスと人柄を感じさせる。昼も夜も大盛況で、今では吉祥寺のグルメ名店のひとつに数えられている。創業の時から変えていないというカレーの味は3日間しっかり煮込んだ風味豊かな味で、ファンを増やし続けている。創業は78年10月。33年のキャリアを積んできた。

・井の頭通りを三鷹方面に向かい、「紀ノ国屋」を越えていくとやきとりの「月夜」など数点の飲食店が建ち並ぶ一角にぶつかる。南欧料理店「ダ・メオ・パタカ」はさらにその先を右折した横丁の一角にある。これがギリギリかといった感じのはずれである。オープンキッチンになっていて、オーナーシェフの北原洋平氏はお客の様子を見ながら調理に精を出している。「ル・ボン・ヴィボン」で5年間、高橋氏にがっちり鍛えられた。その成果もあって北原氏も高橋氏同様、お客との距離が近い。お客と対話しながらお客の欲するものをつかみ、提供する。だから常連が多い。23歳の時にこの店を開き27年間、こんなはずれた立地で盛況を続けられているのも、お客に接する視線がブレていないからだ。口コミと「ル・ボン・ヴィボン」の高橋氏の紹介などでお客を増やしてきたが、「文芸春秋」の「朝、昼、晩めし」のコラムで作家の宮本みち子さん(故人)にこの店を紹介してもらったことが大きかったと北原氏は振り返る。出版関係の人や病院関係の人が多いが、地元客6割で、わざわざ遠くから訪ねてくれる客が4割だという。おまかせ料理が3500円からで、ア・ラ・カルトも800円前後。客単価も5000円程度なのでリーズナブル。大人の隠れ家的な存在で、ここに大切なお客を連れて来て、つい自分のセンスの良さを自慢したくなってしまう店だ。

・「懐鮮食堂」だ。この店も中心部からかなりはずれのところに位置している。JR線北側線路沿いに西荻窪に向かい、水門通りとぶつかった角、セブンイレブンの二階にある。外部から二階を見上げるとそこは一見和食店の雰囲気だ。アール状に広くとられたガラス窓には障子が裏から張られていて、視線をやわらげてくれる。そこでは本格的フランス料理をお箸と和食器で提供してくれる。「懐鮮食堂」の懐は懐石の懐。鮮はいうまでもなく素材の鮮度の鮮だ。食堂はフランス料理を気軽に楽しんでもらおう、というメッセージ。場所が中心部からはずれ、しかも二階というハンディを背負っている。だからまず地元客に気軽に立ち寄ってもらうことが先決、と店主の関根和彦氏は考えた。お客との距離をいかに縮めるか、その課題を追って生み出された店名なのだろう。開業して15年。すっかり地元客に知れ渡るようになった。奥さんが昼に立ち寄ってこの店の価値を知り、夜にご主人を連れてくる例はざらにある。大人っぽい人達が記念日をここでやることも多い。今では口コミやインターネットでわざわざ遠くから訪れるお客も増えた。いったん来店した客を最大限喜ばす。それをモットーにやって来たので、他の経費を切り詰めながら原価率を40%近くかけて料理の満足度を高めている。先述したように二人のオーナーシェフの仲間と自ら築地に買い出しに行って、新鮮な魚介を仕入れている。年に2、3回は奥さんの実家まで行って芋類、ねぎ、ズッキーニなどを大量に仕入れたりもしている。お客はここのフレンチに出会ってびっくりしてしまう。ボリュームたっぷりで、しかも盛りつけが懐石風。繊細で美しい。値段もその割には安い。昼の客単価が3000円、夜が5500円から6000円。ワインも3200円位から揃えてあるので手が届く範囲。客層は30代後半から40代が中心。ご夫婦でやってくる大人のお客も多い。ここもコストパフォーマンスを重視する人達ばかりである。

・伊勢丹の後にできたコピスの地下にある自然派バイキング「わらべ」は、いつも女性客や家族連れで賑わっている。”自然派”をうたっているだけあって新鮮な野菜を使った料理が大皿に盛られて並べられてい。大皿もセンスある和食器が用いられていて、盛り付けにも品がある。汁ものもキノコのおから汁や豚バラと白菜の豆乳スープなど、健康重視のメニューが充実している。デザートもモロヘイヤ杏仁豆腐や黒胡麻プリンなどが用意してあって体重を気にする女性も安心して食べられる。ランチが1600円、ディナーが1680円という値段設定もリーズナブルで、リピーターが多いのも頷ける。

・中心部から離れたはずれにハンバーガーカフェが育ち始めていて元気がいい。井の頭通りを中央線のガードを越え、三鷹方面に向かうと右側に、ニューヨークのダイナースタイルレストラン(列車食堂をデザインテーマとしたハンバーガー中心の大衆食堂)のような賑やかなハンバーガーの店に出会う。「ヴィレッジヴァンガードダイナー」がそれである。周りは店らしい店が1、2軒あるだけの場所だ。しかしこの店は明るく輝きお客で混み合っている。従業員も元気いっぱいで楽しそうだ。店内はニューヨークの裏通りのダイナーのように、ごちゃごちゃした感じがするが、それがかえって手作りの旨いハンバーガーを食べさせてくれる店、という雰囲気を醸し出していて愉快になってくる。ハンバーガーは760円。チーズバーガーが900円。人気のあるアボガドを使ったペッパー&チューダーメルトバーガーになると1050円もする。世界のビールも売りのひとつで、ビールを飲みながらボリュームたっぷりのこれら手作りハンバーガーを食べている姿はアメリカそのもの。

・中道通りを西に歩いて行くと、「そーす屋のケンズさんど」の看板に一瞬目が奪われてしまう。マヨネーズやケチャップがすぐイメージされるサンドイッチだが、カツサンドやメンチカツサンドになったらやはりウスターソースだ。「私のこの店はソースにこだわっている」というメッセージがにくい。店内はイートインスペースがあって、できたてを食べることができるが、テイクアウトが多い。店の奥には「ボールスタア」の各種ソースが陳列されていて、それを目当てに来店する客も多い。サンドイッチはメンチカツサンドとヒレカツサンドの二種類。メンチカツはフルサイズが900円でハーフが500円、ヒレカツのほうはフルサイズが1200円でハーフが650円。ボリュームたっぷりなのでハーフのお客も多いようだ。「ポールスタア」のウスターソースは無添加で野菜や果物をたっぷり使い、10種類以上のスパイスで味に深みを作りだしているので、味にこだわる主婦にファンが多い。もともとこの”ソース屋”さんは1850年創業の歴史のある醤油醸造元だった。しかし大手のメーカーに押されて地場の小さな醤油メーカーはこれ以上発展しないと判断した4代目は、思い切って焼肉のタレとソースのメーカーに方向転換を図った。1977年のことだ。

・井の頭通りを三鷹方面に向かい、中央線のガードをくぐると、商店街の賑わいはなくなり、急に静かな住宅街になっていく。そんな住宅街の入口にさしかかるあたりで、舌の肥えた吉祥寺のグルメ達を夢中にさせている中国料理店がある。かつてNHKの料理番組に登場してその名を知られる山本豊氏が経営する「竹爐山房」がそれである。62席ある店内はカウンター席、テーブル席、個室がバランスよく配置されていて、一人客の場合でも、家族客や小団体客の場合でも受け入れやすいようになっている。木材を基調とした落ち着きのある、品位をもった店舗デザイン。客単価は昼が1000円から2000円、夜が6000円から8000円である。

<目次>

はじめに
吉祥寺略図と本書に登場する主な店
第1章 横丁への旅
 1 ハモニカ横丁に激震が走った~手塚一郎氏の挑戦
 2 ハモニカ横丁 二代目、三代目の挑戦
 3 そこは独特な闇市だった
 4 大通りと横丁の結び目で行列ができる
第2章 中心市街地は横丁をつくりだした
 1 それは吉祥寺の再開発から始まった
 2 街に湿り気をもたらす社交飲食業
 3 ”近鉄裏”で新しい居酒屋文化をつくる
第3章 吉祥寺文化が熱をおびていた
 1 ジャズシティ吉祥寺の時代
 2 フォークやロック、シャンソンも元気だった
 3 映画と写真の街
第4章 吉祥寺のいたるところに横丁はある
 1 南口界隈の横丁物語
 2 吉祥寺には喫茶店文化があった
 3 ”東急百貨店裏”でも横丁が元気だ
 4 中心街を少し離れて
第5章 吉祥寺”再活性化”はなるか
あとがき

面白かった本まとめ(2012年下半期)

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