今日は京都女子大学(京女)の音楽教育専攻卒業生の同窓会が大学に程近い東山7条のハイアットリージェンシー京都ホテル(旧パークホテル)でありました。
会場は熟年の美しき奥様方で華やかな雰囲気です。
同期は昨年の暮れに名古屋で会っているので、そんなに違和感がありませんでしたが、回生が前後する学年の方々とは何十年ぶりの再会となりました。
京女の音楽専攻は人数が少ないので、学年が違っても意外にも仲がよかったり、ずっと音楽を通じてお付き合いがあったりするのです。
なつかしい先生方との再会も胸が熱くなるほど感慨無量でした。
ピアノの教授だったS教授。
私たちが学生の頃はS教授の存在感はすごい威力がありました。
当然、ピアノの試験のときは真ん中で鋭い眼光で演奏を聞いていらっしゃる姿は鮮明に覚えています。
もっとも、私の場合は下手すぎて論外でしたが、、、(笑)
当時はぼろぼろの木造校舎の廊下を歩かれるだけで、ドキッとしたものです。
あれから30年以上の月日が経った今もその存在感は健在でした。
80歳はとうに過ぎていらっしゃるのに、ユーモアたっぷりの関西弁でのお話は
会場の笑いを独り占めしていました。
もう怖くはないはずなのに、私にとってはやはりすごい威力のある先生には変わりありませんでした。
S先生がいつも言われてきたことは「どこの大学をでても、音楽活動は演奏活動は
続けないと意味がないの。」
劣等性の私でしたが、音楽活動を細々でも続けられたことだけはS先生の前で胸を張れるなあと思いました。
ほかにも西洋音楽史のN先生もバッハの4声帯5声帯のフーガを人の生き方に例えてお話してくださいました。
難解な先生の講義も今なら自分の半生を振り返って理解できるようになりました。
(そう言えば、ザピーナツが恋のフーガって歌っていましたよね、
あの歌詞、「追いかけて追いかけてすがりつきたいの、、、」あの歌詞はバッハのフーガの旋律の動きをうまく歌詞に表現しているなあ、、、と勝手にドタママは解釈しましたが)
私たちのお母さん的な存在だったT先生も病気をおして途中から来てくださいました。。
幾分、ちいさくなったT先生ですが、やはり声楽の教授だったご主人のみつお先生の闘病中でもユーモアを忘れないお話に会場中が光男先生のお顔を思い出しながら
聞き入っていました。
それにしても先生方はお年を召してもユーモアのセンスと感性豊かな表現力は
関西の音楽家だからでしょうか?
吉本喜劇顔負け、そして品のいい、音楽の話を交えてのお話は
人として、音楽一筋に勉強されてきた所以からくるものなのでしょうね。
音楽大学のように華やかでもなく、目立たない京女の音楽専攻生でしたが、
人数が少なかったおかげで、私のような劣等性でも音楽を嫌いになることなく、
ずっと歌を続けていられることは京女の先生方のおかげだと思っています。
京女の音楽専攻全員の合言葉は「音楽をやっていてよかった」
その一言に尽きます!
会場は熟年の美しき奥様方で華やかな雰囲気です。
同期は昨年の暮れに名古屋で会っているので、そんなに違和感がありませんでしたが、回生が前後する学年の方々とは何十年ぶりの再会となりました。
京女の音楽専攻は人数が少ないので、学年が違っても意外にも仲がよかったり、ずっと音楽を通じてお付き合いがあったりするのです。
なつかしい先生方との再会も胸が熱くなるほど感慨無量でした。
ピアノの教授だったS教授。
私たちが学生の頃はS教授の存在感はすごい威力がありました。
当然、ピアノの試験のときは真ん中で鋭い眼光で演奏を聞いていらっしゃる姿は鮮明に覚えています。
もっとも、私の場合は下手すぎて論外でしたが、、、(笑)
当時はぼろぼろの木造校舎の廊下を歩かれるだけで、ドキッとしたものです。
あれから30年以上の月日が経った今もその存在感は健在でした。
80歳はとうに過ぎていらっしゃるのに、ユーモアたっぷりの関西弁でのお話は
会場の笑いを独り占めしていました。
もう怖くはないはずなのに、私にとってはやはりすごい威力のある先生には変わりありませんでした。
S先生がいつも言われてきたことは「どこの大学をでても、音楽活動は演奏活動は
続けないと意味がないの。」
劣等性の私でしたが、音楽活動を細々でも続けられたことだけはS先生の前で胸を張れるなあと思いました。
ほかにも西洋音楽史のN先生もバッハの4声帯5声帯のフーガを人の生き方に例えてお話してくださいました。
難解な先生の講義も今なら自分の半生を振り返って理解できるようになりました。
(そう言えば、ザピーナツが恋のフーガって歌っていましたよね、
あの歌詞、「追いかけて追いかけてすがりつきたいの、、、」あの歌詞はバッハのフーガの旋律の動きをうまく歌詞に表現しているなあ、、、と勝手にドタママは解釈しましたが)
私たちのお母さん的な存在だったT先生も病気をおして途中から来てくださいました。。
幾分、ちいさくなったT先生ですが、やはり声楽の教授だったご主人のみつお先生の闘病中でもユーモアを忘れないお話に会場中が光男先生のお顔を思い出しながら
聞き入っていました。
それにしても先生方はお年を召してもユーモアのセンスと感性豊かな表現力は
関西の音楽家だからでしょうか?
吉本喜劇顔負け、そして品のいい、音楽の話を交えてのお話は
人として、音楽一筋に勉強されてきた所以からくるものなのでしょうね。
音楽大学のように華やかでもなく、目立たない京女の音楽専攻生でしたが、
人数が少なかったおかげで、私のような劣等性でも音楽を嫌いになることなく、
ずっと歌を続けていられることは京女の先生方のおかげだと思っています。
京女の音楽専攻全員の合言葉は「音楽をやっていてよかった」
その一言に尽きます!
京都へ行かれたのですね?!
お疲れ様でした。
関西の先生はユーモアセンスがおありなんですね!
大学を卒業してもずっと音楽を続けていけるのは幸せな事ですよね~!
6月の演奏会楽しみにしています!
音楽は心を豊かにしてくれます。
音楽は心を優しくしてくれます。
どんなテクニックのいい演奏しても、思いやりのない人の演奏は心が響きませんね。
音楽ってテクニック、教養、思いやりのある心全てを養ういい勉強ですね。
やよいさんの思いやりのある美しい心はいつも感心しています。
夏には高校の同窓会も初めて出席する予定だし、懐かしいと友との再会も楽しみです。
京都も高いビルが多くなって、お寺のある昔ながらの風情もなくなりつつありますね。
京都駅の建物は最悪です。
私の好きだった京都とは違う!なんて言うのはおばさんになった証拠かな?