レッスンの生徒アキ君が所属している和太鼓の発表会を聞きに駒場エミナースまで行ってきました。
若い衆が、まだ未熟な子供が 少し中年にさしかかった女性が、障がいのある衆が皆が、それぞれの思いを
太鼓のリズムにぶつけ、音と魂が一体となってホール一杯に鳴り響く和太鼓の響き。圧巻でした。
これは聞きに行っている観客より、太鼓を叩いている奏者自身が感激を味わっていたように思います。
太古の昔、人は喜びの時、感謝のとき、人々が一体となって太鼓を叩いてリズムを習得してきました。
太鼓のリズムをオスティナート(基本の一定のリズム)として、それに合わせて歌い 踊ることで、
自分自身を奮い立たせ、又、お互いを思いやる協調性を養ってきたのでしょう。
現代の世の中は、複雑になりすぎて、人は動物的な原始的な感性を忘れているように思います。
楽譜にとらわれない自由な感性で叩き踊り、その中でお互いのリズムを聞き、調和していく楽しさ、
現代の日本人が今、必要な教育ではないだろうか?
そんな思いを今日のタオリズムの発表会で強く感じました。
若い衆が、まだ未熟な子供が 少し中年にさしかかった女性が、障がいのある衆が皆が、それぞれの思いを
太鼓のリズムにぶつけ、音と魂が一体となってホール一杯に鳴り響く和太鼓の響き。圧巻でした。
これは聞きに行っている観客より、太鼓を叩いている奏者自身が感激を味わっていたように思います。
太古の昔、人は喜びの時、感謝のとき、人々が一体となって太鼓を叩いてリズムを習得してきました。
太鼓のリズムをオスティナート(基本の一定のリズム)として、それに合わせて歌い 踊ることで、
自分自身を奮い立たせ、又、お互いを思いやる協調性を養ってきたのでしょう。
現代の世の中は、複雑になりすぎて、人は動物的な原始的な感性を忘れているように思います。
楽譜にとらわれない自由な感性で叩き踊り、その中でお互いのリズムを聞き、調和していく楽しさ、
現代の日本人が今、必要な教育ではないだろうか?
そんな思いを今日のタオリズムの発表会で強く感じました。
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