株価と為替相場と原油安以外カラッポだった安倍晋三のアベノミクス

2016-11-16 08:20:00 | 政治


 ※お断り

 2016年11月12日土曜日に投稿したはずの記事が自身のPC内に保存されているものの、ネット上に配信されていませんでした。自身の手違いか、goo側の手違いか、問い合わせ中ですが、ネット上に載せておくために改めて本日、私自身からしたら再投稿することにしました。

 「NHK NEWS WEB」が、《上場企業の中間決算 4年ぶりに減益の見通し》と題した記事を昨日(2016年11月11日)ネット上に載せていた。  

 これまでに発表し終えた東京証券取引所1部に上場している3月期決算の企業(170社余り)の今年4月から9月までの経常利益の中間決算の合計は円高等の影響で去年を13%下回り、、全ての企業では4年振りの減益となる見通しだと伝えている。

 一方、証券大手のSMBC日興証券が11月9日までに発表を終えた全体の76%にあたる1097社の業績を纏めたところ、経常利益の合計は16兆2490億円で、去年の同じ時期を13.2%下回っているという。

 業種別に見ると、海外事業の割合が大きく、円高の影響を受けた「電気機器」が28.4%の減益。

 自動車などの「輸送用機器」が21.3%の減益。

 中国の過剰生産の影響で輸出の低迷が続く「鉄鋼」が63.3%の大幅な減益。

 「小売」が外国人旅行者による高額品の購入が落ち込み、4%の減益。

 さらに来年3月までの1年間の業績も、経常利益の合計は4.7%の減益になると予想している。

 記事は伊藤桂一SMBC日興証券チーフアナリストの声を伝えている。

 「アメリカ大統領選挙でトランプ氏が勝利したことで、当面は円高の傾向が続くのではないかという懸念は根強い。厳しい経営環境を乗り切るための、再編や事業統合などの動きが加速するのではないか」――

 為替相場が円安から円高に振れる前までは大企業は軒並み過去最高益を上げていた。特に輸出企業は輸出量・輸出高そのものは殆んど伸びなかったものの円安を受けた為替差益でそれぞれの利益を押し上げた。

 このような円安構造が株価上昇を誘う要因となって企業の利益を積み増し、更に2015年8月以降続いていた原油安が企業経費を押し下げてることになって、軒並み過去最高益という現象を生み出したはずだ。

 原油安は円安を受けた輸入生活物資の値上げや輸入原材料の値上げによる製品価格への転化を一定程度吸収する役目をも果たした。

 要するに円安と株高と原油安が安倍晋三のアベノミクスの経済政策を維持する援護射撃となって、一見成功しているかのような外観を見せていた。

 第2次安倍政権になってからのこの4年間で少しずつ賃金が上がっていったのも、春闘のたびに安倍晋三が先頭に立って経団連に賃上げを陳情したからだが、各企業が応じることができたのは円安と株高と原油安を要因とした利益に余裕があったからに他ならない。

 アベノミクスによって実体経済が活発に動き、企業が売上を伸ばして、いわば本業で利益を積みましていったからではなかった。

 こういったことの指摘はネット上で多く見受けることができるが、改めて1年前の記事だが、2015年5月28日付の「ロイター」記事、《日本企業「最高益」の裏側、四半世紀伸びない売上高》を挙げてみる。

 題名を読んだだけで、言っていることの内容が理解できる。

 あらましを見てみる。

 みずほ証券リサーチ&コンサルティングが集計した東証1部上場企業の純利益は1989年度10.1兆円から2014年度30.5兆円に3倍化し、過去最高益を更新した

 但し利益の源泉である東証1部企業全体の売上高は1989年度の419.8兆円から2014年度702.2兆円と67%の増加で、純利益の3倍に程遠い。

 この売上高67%の増加は1160社から1882社へと増えている上場企業数の増加率62%とさして変わりはないから、一社当たりの売上高はそれ程変化はないことになる。

 具体的には1社当たりの売上高は3615億円から3731億円へと25年間で3.1%の増加に過ぎないと指摘している。

 しかし最高益を記録しているということは、記事も書いているが、ネット上で多くが指摘しているように円安と株高、更に原油安の影響以外にないことになる。

 記事は末尾で次のように解説している。

 〈個別企業はともかく、マクロ的にみて、日本の製品がどんどん売れたり、内需が拡大することによって、利益が伸びているという構図とは異なる。すべてをひっくるめて「稼ぐ力」がついたと評価することもできるが、楽観は禁物だ。〉・・・・・

 〈「稼ぐ力」がついた〉と言っても、全面的に評価しているのではなく、国内外の事業への投資にしても国内外の企業の買収にしても、会社全体をひっくるめた経常利益にしても、株高と円安で労せずして得た利益を主たる源泉としていることから、「も」という助詞をつけて、〈評価することもできる〉と、その部分的評価を言っているに過ぎない。


 記事が伝えているニッセイ基礎研究所・チーフ株式ストラテジストの井出真吾氏の発言も紹介しておく。

 「企業業績が今、伸びているのは円安による効果が大きい。円安が止まってしまっては増益ペースが鈍るおそれもある」――

 要するに安倍晋三のアベノミクスは実体経済を動かす程の“実体”を備えていなかった。中身はカラッポで、日銀の異次元の金融緩和がもたらした株高と円安、さらに幸運にも海外要因である原油安がアベノミクスの人工心臓の役目を果たしていた。

 結果、円安とは逆の円高の力が働いただけで世界のトヨタですら、その中間決算は5年ぶりの減収減益、日産の中間決算は7年ぶりの減収減益、その他の企業も右へ倣えで、最初の「NHK NEWS WEB」記事が紹介している有様となっている。

 円安になれば、株価も上がり、再び企業は好調な決算を弾き出すことになるだろう。だが、そこにはアベノミクスはプラスの力として何ら介在していないことになる。アベノミクスとは名ばかりで、実体を持たず、カラッポだからということになる。

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自衛隊PKO駆け付け警護は最善の事態ではなく、最悪の事態である死者が出ることを前提に付与すべき

2016-11-15 05:09:23 | Weblog


 ※お断り

  2016年11月12日土曜日に投稿した記事がエントリーされていないことに気づいて調べているうちに間違って昨日(11月14日)の記事を削除してしまい、改めて今日(11月14日)投稿することにします。悪しからず。

  11月12日に投稿したつもりの記事は11月15日に再投稿します。

 2016年11月13日、NHK「日曜討論」の第2部で南スーダンPKO派遣自衛隊部隊に付与する予定の駆け付け警護についての議論が行われていた。

 出演者は政治家は、その資格があるのか、防衛相の稲田朋美一人のみが政治家で、あとは学者と国際協力NGO職員となっている。

 山口昇は「Wikipedia」によると、防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊航空科部隊に配属、統合幕僚会議事務局軍備管理・軍縮班長や第11師団司令部第3部長(作戦担当)、陸上幕僚監部防衛調整官等を経て、2009年4月から2015年3月まで防衛大学校教授、現在軍事評論家で国際大学国際関係学研究科教授だそうだ。

 こういった経歴を背景に稲田朋美の横に同じテーブルに就くことになっていたのだろう、同じ「Wikipedia」に、〈制服組を代表する論客として知られた。〉との解説が載っているから、安倍政権寄りの立場からの出席と言うことなのだろう。

 このことは発言からも窺うことができる。

 国際政治学者の川上高司に関しては「Wikipedia」は〈集団的自衛権の行使を容認し、日本国憲法の改正を必要と主張している。一方で、安倍晋三首相が閣議決定という形で集団的自衛権を容認した方法については、反対の立場を採っている。〉と解説している。

 また、《日本がアブナイ!》なるブログに、〈安全保障が専門で拓殖大学海外事情研究所長の川上高司さんは「日本は、軍事費を削減しているアメリカに、有事の際、本当に守ってもらえるのかという問題に直面している。アメリカを巻き込み抑止力を高めるためにも、集団的自衛権の行使は必要で、相手に守ってもらうためにはこちらも血を流して相手を守る必要がある。ただ、そのためには国民の合意を得て憲法を改正するべきだ」と指摘しました。(NHK14年5月24日〉と、その姿勢を伝えている。  

 谷山博史は日本国際ボランティアセンター(JVC)東京事務所事務局長。南スーダーンの治安は地方のみならず、首都ジュバでも安倍晋三や稲田朋美が説明するように比較的平穏ではなく、かなり危険な状況にあると警告を発していた。

 柳澤協二は東京大学法学部卒業後、防衛庁に入庁、防衛庁運用局長等を経て、 NPO法人国際地政学研究所理事長。かなりリベラルな立場の人物のようで、「Wikipedia」には、〈第2次安倍内閣に対しては批判的なスタンスで、2014年(平成26年)2月28日、「集団的自衛権を考える超党派の議員と市民の勉強会」に講師として出席し、集団的自衛権をめぐる米国、アジアの動きを解説し、安倍内閣が閣議決定で集団的自衛権の行使を容認できるよう憲法解釈を変更しようとしていることを批判した。〉と紹介されている。

 このブログでは自衛隊PKO派遣部隊に対する駆け付け警護付与に関しての稲田朋美のいくつかの発言を取り上げて、その妥当性を指摘したいと思うが、《NHK「日曜討論」》のサイトに載っている番組の解説を紹介しておく。  

 〈政府は、国連のPKO=平和維持活動にあたるため今月20日から南スーダンに派遣される自衛隊の部隊に「駆け付け警護」などの新たな任務を付与することを今週、閣議決定する方針です。
「駆け付け警護」とは、国連の関係者などが武装集団に襲われた場合、 自衛隊が駆け付けて救援する任務です。

 政府は、ほかに対応できる国連部隊が存在しないなど極めて限定的な場面で、応急的かつ一時的な措置として行うとしています。

 また、他国の軍人を「駆け付け警護」することは想定されないとしています。

 自衛隊が活動する南スーダンについて見ていきます。

 南スーダンは、2011年にスーダンから独立した、世界で最も新しい国です。

 国連は国作りを支援するためPKOを開始。

 日本も2012年から自衛隊を派遣し、首都ジュバを拠点に道路整備などの活動にあたってきました。

 しかし、その後、石油の利権配分などをめぐってキール大統領とマシャール副大統領の対立が深まり、2013年12月、マシャール氏が副大統領を解任されたことをきっかけに、 政府軍と、マシャール氏を支持する反政府勢力との間で激しい戦闘が起きました。

 去年8月、周辺国などの仲介で和平協定が結ばれますが、 今年7月、首都ジュバで大規模な銃撃戦が再び起きました。

 安倍総理大臣は、7月に発生した銃撃戦について、政府軍と反政府勢力との衝突はあったものの、戦闘行為にはあたらないという認識を示しました。〉――

 島田敏男キャスター「なぜ、今駆け付け警護という新たな任務を自衛隊PKO派遣部隊に付与する必要があるのか、この点は如何ですか」

 稲田朋美「先ずですね、南スーダンにあります我が国自衛隊は施設部隊なんですね。要するに治安維持ではなくて、道路を造ったり、それから施設を造ったりすることによって国造りに貢献をしております。

 そしてなぜ今駆け付け警護なのかということになりますと、それは施設部隊、そして道路を造ったりする、その自衛隊が自分の安全を確保しつつも、例えば近くで活動を(している)関係者から助けを求められたときに、その助けられるにも関わらず助けないということではなく、自分ができる範囲で保護をする。

 そういった新しい任務を与えるかどうか、これも今までのPKOの中でも、コンゴ、ザイールでもですね、そういったことがあったときに今までも法的根拠がなくて、そんな中、訓練をしていなくて、保護をしたという事例があります。

 そういった場合のことを考え、法的な根拠を与える。更には訓練もする。

 そこで助けられる人は助けていくという、保護をするということを進めていくということで――」

 稲田朋美が「今までのPKOの中でも、コンゴ、ザイールでもですね」と言っていることは1994年9月から同年の12月28日まで、ルワンダ内戦によって西隣に国境を接するザイール(現コンゴ民主共和国)に大量に流入したルワンダ難民を救援するために国連部隊としてではなく、国際平和協力法に基いて日本独自にザイールとケニアに自衛隊PKO部隊を派遣したそうだが、派遣時に日本人の医療NGO(AMDA)構成員が武装集団の襲撃に遭ったさい、自衛隊の難民救援隊現地指揮官の判断によってNGO構成員の輸送を行ったが、それが法的根拠のないままの救援だったために日本国内の一部マスコミから批判を受けたという。

 だから、法的根拠の必要性を感じて今回その措置を講ずることになったと言うことなのだろうが、どうも舌っ足らずで困る。番組で討論していることも国会で議論を戦わせていることも、国民に対する説明責任を同時併行に果たしていることになるのだから、もう少し具体的に説明すべきだろう。

 先ず稲田朋美は駆け付け警護とは救援の要請を受けたとき、「自分ができる範囲で保護をする」ことだと規定している。

 だから、「助けられる人は助けていく」というケースバイケースの性格を持たせることになる。いわば助けられない人は助けないことになる。

 では、「自分ができる範囲」とは何か判断基準を設けているのだろうか。

 また「自分ができる範囲」はいつ判断するのだろうか。あるいはいつ判断できるのだろうか。

 そしてその判断は常に的確な結論足り得るのだろうか。

 この問題は一時置いておき、他の発言を見てみる。

 稲田朋美「本来業務(道路建設等)を遣りながら、近くで助け出る人が出たときに、そして緊急要請を受けたときに人道的な見地から対応できる人を見殺しにしないっていうのが今回の駆け付け警護でありますので、そういった趣旨をしっかりと説明していく必要がありますし、そのための訓練もしっかりと遣っていくことも申し上げたいと思います」

 駆け付け警護の趣旨を説明しているのみで、駆け付け警護を可能とする判断基準や判断時期についての具体的な説明は一切ない。その説明がないままに、「近くで活動を(している)関係者から助けを求められたときに、その助けられるにも関わらず助けない」ことはしないとか、「近くで助け出る人が出たときに、そして緊急要請を受けたときに人道的な見地から対応できる人を見殺しにしない」と駆け付け警護の眼目のみを述べている。

 島田敏男キャスターが南スーダンでの自衛隊のPKO派遣部隊は国連平和維持活動(PKO)下の活動でありながら、日本国内のPKO協力法等の法律に基づいて行動する、その特殊性の可能性と限界について尋ねた。

 稲田朋美「仮に今後駆け付け警護と言うものを付与したとしても、施設部隊として対応できる範囲、国連に歩兵部隊もいるわけであったり、南スーダン政府であったり、治安を専門に遣っている組織があって、それが先ず優先をして、日本としては施設部隊が対応できる安全性を確保した上で、しかしできるものをしっかり遣っていくというその立場はこれからもしっかりと説明していく必要がございます」

 前の発言と何ら変わらない繰返しとなっている。

 国連や南スーダン政府が「治安を専門に遣っている組織」として歩兵部隊を展開させていたとしても、それで治安の確保が保障されているわけではないから、駆け付け警護を想定しなければならないということであるはずだ。

 だとしたら、「対応できる安全性を確保した上で」と言っている「対応できる安全性」の判断基準や判断時期は警護する上での必要条件となるはずだが、その説明がない。

 ただ単に駆け付け警護とはこういう活動ですという説明の言葉のみが進行しているに過ぎない。

 稲田朋美「今回の駆け付け警護に於いて正当防衛、緊急避難以外では相手を危害射撃(相手を危害射撃相手に危害を及ぼすことを意図して行われる射撃)ですることはできないですね。

 そして武器使用って言った場合でも危害射撃だけではなく、相手を威嚇射撃すること、色んなことがあります。(正当防衛、緊急避難のケース以外に)威嚇射撃した場合、個人として責任を負うと言うことですけれど、これは正当防衛、緊急避難の場合はですね、刑法35条で違法性は阻却されているわけですよ。

 そして現地では指揮官の指揮に従うことになっていますし、そのために色んな場合を想定した訓練をしています」

 正当防衛、あるいは緊急避難のケースでは許されている危害射撃と威嚇射撃を行った場合の刑法の除外規定であって、そのようなケース以外に両射撃を行うことないという絶対前提に立っている。

 「そのために色んな場合を想定した訓練をしている」と。自衛官にしても、その集まりである自衛隊にしても、それ程にも絶対的存在としていいのだろうか。

 自衛隊機を操縦誤認でコースに入っていない山にぶつけたり、ヘリコプターを墜落させたり、「Wikipedia」によると、1995年11月22日に石川県能登半島沖で航空自衛隊戦闘機の訓練中、実弾射撃は訓練予定に含まれていなかったにも関わらず、F-15J戦闘機が誤ってミサイルを発射、僚機を撃墜している。

 撃墜された戦闘機の操縦士は緊急脱出して海面に着水し、無事だった。

 稲田朋美「武器使用と言った場合に何かこう、バンバンと撃って撃ち殺すようなイメージがありますが、それは本当に正当防衛と緊急避難のとき以外はできないんですね。

 武器を向けるというときで威嚇射撃をすることも武器使用の中に入っています。そしてまた武力の衝突が起きているところに駆け付けて救出するというのは、それは本来の施設部隊がやることではなくて、歩兵部隊がやったりすることです」

 近くに歩兵部隊がいなくて、近くにいた自衛隊のPKO部隊に救出の緊急要請をするケースは決して否定できないはずだ。如何なるケースであっても常に歩兵部隊が近くに存在していたら、駆け付け警護は必要ではなくなる。

 だとすると、最初の問題点、自衛隊PKO部隊が駆け付け警護に於いて「自分ができる範囲」を判断する基準とするルールの問題に戻らなければならないことになる。

 その判断をいつするのか、判断時期も問題としなければならない。

 駆け付け警護は他国の軍隊は適用外で、当面は国連職員やNGO(非政府組織)の職員等が襲撃を受けた場合を救出対象としているそうだが、国連職員やNGO(非政府組織)の職員等は武器を携行していないはずである。

 武器を携行せずに襲撃を受けている集団に対して駆け付ける判断を無線等で救出の緊急要請を受けた時点で襲撃人数と使用武器の種類の大体の説明を聞いた上で行うのだろうか。あるいは襲撃現場に駆け付けてから、その状況を確認した上で、「自分ができる範囲」か否かを判断するのだろうか。

 前者の場合、できないと判断したなら、その場で断る。

 後者の場合、駆け付けたものの、「自分ができる範囲」ではないと判断したなら、そのまま撤収することになる。

 どちらであっても、判断するための大まかな基準は必要となるはずである。例え指揮官一人の臨機応変の判断に任されていたとしても、判断する統一的な基準自体は大まかなものであっても必要となる。でなければ、ケースバイケースで対応に違いが出てくる。

 出た場合は問題となるはずだ。

 また判断時期が前者であったとしても後者であったとしても、「自分ができる範囲」ではないと断った場合、襲撃された集団の被害の状況によっては、例えばあとで結果的に知ることになる死者が何人も出たといった場合、武器を携行している自衛隊PKO部隊と武器を携行していない集団との比較で見殺しの批判を受けることはないだろうか。

 稲田朋美は駆け付け警護の趣旨を「人道的な見地から対応できる人を見殺しにしない」ことだと言っているが、対応できない場合は、いわば「自分ができる範囲」ではないと判断して駆けつけ警護を行わなかった場合は「人道的な見地」を捨ててかかることができるとしていることになる。

 つまり「人道的な見地」は駆け付け警護ができるかできないかの都合に応じて決まる自己利益を主体とした価値観となる。

 そのようなご都合主義は許されるだろうか。

 更に言うと、自衛隊側の犠牲を前以て一切排除することを前提とした「人道的な見地」に立った行動は可能だろうか。

 このような前提はある程度の犠牲が想定された場合でも、その想定を回避しなければ成り立たないことになる。

 回避せずに駆け付け警護に応じた場合、ある程度の犠牲の想定が相当な犠牲という結果を生むケースは否定できないからだ。いくら訓練を重ねても、相手がある場合、こちら側の想定内で動くとは限らない。

 危機管理とは最悪の事態を想定して、その事態を避ける可能な備えをすることを言う。だが、安倍晋三の駆け付け警護にしても、稲田朋美の駆け付け警護にしても、最善の事態を想定して、その想定に備えた類いの駆け付け警護に関わる危機管理となっている。

 稲田朋美は言っている。「武器使用と言った場合に何かこう、バンバンと撃って撃ち殺すようなイメージがありますが、それは本当に正当防衛と緊急避難のとき以外はできないんですね」

 「正当防衛と緊急避難のとき」は「バンバンと撃」ち合うことはあることになる。最悪の場合、負傷者や死者が出ることを想定内としなければならない。

 にも関わらず、安倍晋三にしても稲田朋美にしても、自衛隊のリスクは高まらないを持論としている。

 安倍晋三や稲田朋美が言っているような最善の事態を想定したようなことで駆け付け警護を可能とすること自体が土台無理なのである。

 自衛隊に駆け付け警護を付与する以上、最悪、死者が出ることを想定した危機管理に立つべきだろう。 

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米国新大統領トランプの金持ち優遇経済はアベノミクスといいとこ勝負 そして民進党の人への投資政策とは

2016-11-11 10:14:34 | 政治

 2016年アメリカ大統領選は共和党候補トランプが勝利した。「Wikipedia」が次のようにトランプを紹介している。

 〈1970年代からオフィスビル開発やホテル、カジノ経営などに乗り出し、1980年代には、ロナルド・レーガン政権下における景況感の回復を背景に大成功を収め、アメリカの不動産王と呼ばれることになる。

 自己顕示欲が旺盛であると言われ、各種メディアに積極的に露出するだけでなく、自らが開発・運営する不動産に「トランプ・タワー」、「トランプ・プラザ」、「トランプ・マリーナ」、「トランプ・タージマハル」など、自分の名前を冠している。〉

 最後の「トランプ・タージマハル」はネットで調べたところ米ニュージャージー州アトランティックシティーのカジノだそうで、1990年にトランプがオープン、1年後に破産を申請、所有権の半分を手放し、経営者が交代、トランプよりも経営手腕が優れていたのだろう、15年持って2016年10月11日に閉鎖している。

 「タージマハル」とは、これも「Wikipedia」からの情報だが、〈インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設したインド・イスラーム文化の代表的建築である総大理石の墓廟。〉との解説。

 イスラム嫌いのトランプがイスラムに関係する名前をつけた。その当時はイスラム嫌いではなかったのか、イスラム嫌いだったが、自己顕示欲から自身をムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンに擬えると共に亡くなった妃のために贅を尽くした建築物ということで、そこに女性性を見て、トランプが女好きであるゆえに女性の艶やかさと建物の豪華華麗さを表現している名前としてカジノに付けることになったのか。

 ホテルの客室数2248室、レストラン20店舗、カジノの面積だけで15,544㎡と、東京ドーム(46,755㎡)の3分の1もある豪華さである。

 トランプは義務ではないものの大統領候補が公表するのが慣例となっている納税申告書の公開を拒否し、最後まで公開に応じなかった。2012年に民主党大統領候補オバマと争った共和党候補ロムニーが納税申告書を公開、アメリカでは所得税率が10、15、25、28、33、35、39%と段階づけられているそうだが、低い方の14%だったことから、オバマ陣営から裕福で庶民の気持が理解できないと攻撃を受けた二の舞いを避けるための非公開だったはずだ。

 収入に応じた所得税率で所得税を納めていたなら、堂々と公開しただろう。「庶民の気持は理解できますよ」と。

 アメリカでは一般所得者よりも高額所得者の方が所得税率は低く見積もられているということだから、ロムニーのような現象が起きるのだろう。

 だが、この一事を以てしてもアメリカはトリクルダウン型の利益再配分社会だと理解できる。

 ブログに何度も書いてきたが、トリクルダウン(trickle down)とは「(水滴が)したたる, ぽたぽた落ちる」という意味で、上を税制やその他の優遇政策で富ませることによって、その富の恩恵が下層に向かって滴り落ちていく利益再配分の形を取るが、上が富の恩恵をすべて吐き出すわけではないし、より下の階層も同じで、受けた恩恵を自らのところに少しでも多く滞留させようとする結果、各階層毎に先細りする形で順次滴り落ちていくことになり、最下層にとっては雀の涙程の富の恩恵――利益再配分ということもある。

 いわば上を最初に富ませて、その富のお裾分けを順次下に回していく経済政策だが、成功しているのは上を富ませることだけで、下への循環は成功していない。アメリカの富裕層の1%が国全体の富の50%を独占していると言われている。

 アメリカの人口を3億人と見ると、300万人のアメリカ人が国全体の富の50%を手にしていて、残る2億9千700万のアメリカ人が50%の富を異なる金額で分け合っていることになる。

 トリクルダウンが満足に機能していない不完全な経済国家は大企業や富裕層の所得等、上が富む分、国力や経済規模が大きく見えるが、内実は格差や貧困を抱えた矛盾大き社会となる。

 アメリカがその第一の証拠となる。

 日本の安倍晋三も自身はそうではないと否定しているが、円安と株高で富裕層と大企業を富ませたものの、その利益を自らの懐にとどまらせて下層に循環させない経済構造のまま放置し、結果的に格差を拡大させているのは国民の側よりも企業や富裕層側に立ったトリクルダウンの経済を押し進めているからである。

 トランプは実業家である。幾つもの企業を経営している経営者の立場に立っている。国民寄りではなく、企業寄りの姿勢を見せることになるだろう。

 このことはトランプがオバマケアの撤廃を掲げているところにも現れている。

 アメリカでは中・低所得層の6人に1人が医療保険に未加入で、治療遅れが病気の進行を招き、結果として国の医療支出を増大させている弊害の解決策としてオバマが将来的に国民の9割以上の加入を目指す民間より安価な公的医療保険への加入を義務付ける医療保険制度改革を2010年に成立させたが、共和党自体がこの改革に反対していて、これまで下院で多数派を占める共和党が予算案執行に抵抗し、政府機関の一部が閉鎖となる混乱が生じている。

 オバマケアにしても様々な矛盾を抱えているようだが、趣旨自体は国民、それもより収入の低い国民の側に立った医療保険改革となっている。今回の連邦議会選挙で上院も共和党が多数派を占めることになり、行方は予断を許さないが、トランプ共々制度に反対なら、自己責任に立った自助努力を求める、結果的に国民の側から離れた、いわば従来どおりに民間の保険会社に任せる企業寄りの方向に進む可能性も捨てきれない。

 またトランプが自身が被告の裁判で判事の1人がメキシコ系アメリカ人だから公正な判断を下すことができないとその能力そのものを非難したことは白人を上に置き、有色人種を下に置いた白人優越主義からの有色人種に対する存在否定から発した意思表明であるはずだ。

 この白人優越主義からの対有色人種存在否定は黒人が銃を持たず、また両手を挙げているにも関わらず銃を何発も発射して殺害してしまう、少なくない人数の白人警察によって過激な形で表現されている。

 メキシコからの不法移民を防ぐためにアメリカとメキシコの国境に壁を築くという移民対策にもこの存在否定の思想が混じっている。

 トランプはまた2016年3月に原則67万5千人の枠が設けられている移民受け入れ制限を強化するとの声明を発表している。トランプは心の奥底ではアメリカを白人だけの世界にしたいと思っているのではないだろうか。

 少なくとも安倍晋三同様に多人種共存の考えはないようだ。ここにも対有色人種存在否定の片鱗を窺うことができる。

 トリクルダウンにしても自民族優越主義にしても国民の権利や豊かさよりも国家の利益を優先させ、国家を大きくする国家主義を原点としている。

 国民それぞれの権利や豊かさを優先させた場合、富の配分は細分化され、国そのものを大きく見せることはできない。

 安倍晋三の「日本を再び世界の中心で輝く国としていく」にしても、トランプの「アメリカを第一にする。アメリカを再び偉大な国にする」にしても、国家主義を原点とした国家第一の思想であって、国民第一の国民主義の考えに基づいていない。

 安倍晋三も国家第一の思想から法人税を下げて、大企業がなお一層富むように力を貸したが、トランプにしても 現行の連邦法人税率35%から15%への引き下げを訴えている。

 引き下げが成功した場合、アメリカの富裕層の1%が独占している国全体の富は50%からそれ以上に膨らむに違いない。逆に一般国民はその富を減らしていく。機能しないトリクルダウンの、あるいは国家主義の当然の成り行きである。

 日本の民進党の人への投資政策はこれから成長して社会に巣立っていく子どもの生育や貧しい学生の教育資金や大学の研究者の研究資金等々に投資するというもので、国の富が細分化されることによって国そのものを大きく見せる派手さはないが、アベノミクスの格差拡大とは違って国民の幸せをより平等に持っていこうという思想によって成り立っている。

 トランプの政治が個人よりも国家優先の国家主義に基づいていながら、今回当選の原動力が規制政治やグローバル化から取り残され、中流層からの落ちこぼれの不安を抱えた白人たちだとマスコミは解説しているが、トランプの政治姿勢が取り立てて恩恵付与の対象としていない白人たちであることは皮肉な現象である。

 トランプが白人優越主者であったとしても、国家主義を纏っている以上、トランプ自身がそうであるようにカネを大量に稼ぐ能力のある白人たちが優先されることになるに違いない。

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鶴保庸介如き人権意識欠如の人物が事務局長を長く務めていたことから分かる自民党・人権問題等調査会の程度

2016-11-10 10:20:27 | 政治

 2016年10月18日、沖縄県の米軍北部訓練場(沖縄県東村、国頭村)のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)建設工事の警備に当たる大阪府警20代男性機動隊員が建設反対デモ隊がフェンスを掴んで抗議しているとき、「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が」と罵ったことが沖縄県民に対する差別発言だと問題視された。

 この問題視に対して沖縄北方担当相の鶴保庸介(49歳、東大法学部卒・和歌山県選挙区)が一概には差別と断定できないといった趣旨の発言をして、更に問題視されることになり、2016年11月8日の参院内閣委員会で共産党議員の田村智子がこの事を取り上げた。

 田村智子「法案への質問の前に鶴保大臣にお聞きしなければならない問題があります。沖縄県東村高江でヘリパッド建設に反対する市民に対して大阪府警から派遣された機動隊員が『土人、支那人』と発言されたことが大きな問題となっています。

 鶴保大臣は1月21日の記者会見で、『大変残念な発言』としつつ、『殊更それを人権問題と騒ぐでのではなく、県民感情を損ねているかどうか虚心坦懐に見ていきたい』と述べられ、更に31日には沖縄県内で『本当に差別かどうかということになるのかと言うと、色んな問題が出てくると思う』と述べられております。

 言論の自由と言うものに触れた発言ですが、一般に国民というものが使ったと言うのとは違います。公務員が、しかも逮捕権を持つ警察官がこの公務の行為として『土人、支那人』という言葉を使って市民を侮辱した。

 これが人権問題ではないということでしょうか」

 鶴保庸介「えー、人権問題、調査会(自民党・人権問題等調査会)というものが自民党内にありまして、私はそこの事務局を長らく務めさせて頂きました。人権問題に関しての議論を大変深く、そして広範に亘ってですね、えー、えー、これまで議論してきた経験上ですね、えー、人権で、人権問題であるかどうかの問題について、えー、第三者がですね、一方的に決めつけるというのは非常に危険なことであります。

 えー、言論の自由は、勿論、どなたにもあると見ておりますし、そして状況的判断やっぱりあるものだと思います。えー、その人権問題の、やっぱり一番のポイントは被害者、差別発言を受けた方の感情に寄り添うことは論を俟たないわけでありますけれども、その感情に対してどうして、誰が、理由を述べて、どういう理由でそれが差別であると判断するかについては、大変ケンケンガクガクの議論があるところでございます。

 そうした重い判断を私個人が大臣という立場でですね、これは差別であると、断じることは到底できないことでありまして、また、今も、その議論は続いていると私は認識しておるからこそ、こういう発言をさせて頂きました」

 田村智子「『土人、支那人』という言葉は自分よりも劣る民族・人種という意味で差別的侮蔑用語として使われてきた。それ以外に使われた例は聞いたことが無いですよ。

 沖縄県では選挙で何回と米軍基地を拒否する意思が示されてきたにも関わらず、沖縄担当大臣だった島尻安伊子参議院が選挙で落選した翌日から大量の警察官・機動隊員を動員して高江のヘリパッド建設が強行された。

 沖縄には民主主義がないのかという猛烈な怒りの声が起こってる中で沖縄県民に対する軽蔑とも言える発言が飛び出たわけです。これは官房長官も公安委員長も遺憾であり、謝罪という言葉しか述べていない中で鶴保大臣が『人権問題かどうか』と、これはですね、事の重大性を薄めるような発言をすると、私はこれは如何なものかと思うのですが、もう一言頂きたいですが」

 鶴保庸介「今委員が奇しくもご発言なさった土人という発言が差別以外の何ものないとおっしゃったけど、それこそが申し訳ないけれども、私は判断できるものではないというふうに思っています。

 えー、過去にその土人という言葉の経緯でありますとかですね、その言葉が出てきた歴史的経緯でありますとか様々な考え方があります。また今現在、差別用語とされるようなものであったとしても、過去には流布しておったものも歴史にはたくさんございます。そのうちたくさんございます。

 そういう意味に於きましてもそれを土人であるということが差別であるというふうに私は個人的に自分は差別であると断定できませんということを強調しております」

 田村智子「現在に於いて逮捕権を持つ警察が使った言葉だという、この事の重大性を私は理解していないじゃないかと。

 今日は法案の審議ですので、この問題は別の機会で追及したいと思いますが、現状の鶴保大臣に今の発言に対して抗議をして法案に対する質問に移りたいと思います」

 鶴保庸介が言わんとしていることは機動隊員がデモ隊に向かって「どこつかんどるんじゃ、ぼけ、土人が」と罵った言葉が差別用語かどうかは「どういう理由でそれが差別であると判断するかについては様々に議論がある」から、「第三者が一方的に決めつけることは非常に危険なこと」で、「そうした重い判断を私個人が大臣という立場でですね、これは差別であると、断じることは到底できない」との言い回しで意見が分かれる問題だとしようとしているところにある。

 だから田村智子議員が「『土人、支那人』という言葉は自分よりも劣る民族・人種という意味で差別的侮蔑用語として使われてきた」と発言したことに対して「今委員が奇しくもご発言なさった土人という発言が差別以外の何ものないとおっしゃったけど、それこそが申し訳ないけれども、私は判断できるものではないというふうに思っています」と言葉を返すことになった。

 そして差別用語だと「第三者が一方的に決めつけること」ができない具体的理由として「過去の土人という言葉の経緯」、あるいは「その言葉が出てきた歴史的経緯」を考えたとき、「今現在、差別用語とされるようなものであったとしても、過去には流布しておったものも歴史にはたくさんございます」からと、過去の流布を根拠とした歴史的正当性を持ち出して、「今現在、差別用語とされるようなものであったとしても」「様々な考え方がある」との理由付けで、土人という言葉が差別に当たるか否かは個人的には判断できないとした。

 だが、過去の流布を根拠とした歴史的正当性を持ち出して土人という言葉が差別用語か否かは「様々な考え方がある」とする論理には時代の変化、あるいは時代的価値観の変化、具体的には人権意識の時代的な進歩が一切省かれたままとなっている。

 このことは許されることではあるまい。

 確かに海外の未開の土地の人間を土人、土人と呼んでいただろうし、琉球土着の住民や東北以北に土着していたアイヌ人を倭人たる日本人は「土人、土人」と呼びつけ、呼称としていた歴史的経緯はあるが、そのこと自体が田村智子が指摘しているように日本人を上に置いて「劣る民族・人種」との意味を持たせて発した言葉であって、過去に於いてそう呼び習わしていたことに部分的にであったとしても歴史的正当性を当てること自体に人権意識の欠如を見ないわけにはいかない。

 また鶴保庸介の歴史論は土人という発言が飛び出た状況を一切無視している。沖縄の土地で主として沖縄県民が国家権力に対してノーを突きつけている今の時代という場面で国家権力側に立っている機動隊員から逆の立場に立つ住民に向かってその言葉を投げつけたのである。「ぼけ、土人が」と。

 もし歴史的経緯が関係するとしたら、日本人の琉球人、あるいは沖縄住民に対する差別が持っている今始まったことではない歴史性であろう。

 記憶の奥底に眠らせていたその歴史性を突然目覚めさせて「ぼけ、土人が」と口から発することになった。

 そのような歴史性に如何なる正当性も与えることはできない。

 何よりも問題なのはこのように人権意識が欠如した鶴保庸介なる東大法学部卒の政治家が自民党・人権問題等調査会の事務局長を長い間務めていたということであり、そのような人物を事務局長に据えていたということ自体、自民党・人権問題等調査会の質の程度が分かろうというものである。

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蓮舫の山本有二に対する「大臣の放言や暴言に対して、対案や提案があるだろうか」の大いなる見当違い

2016-11-08 10:19:37 | 政治

 民進党代表の蓮舫が2016年11月6日、〈大津市で開かれた党の会合で、TPP(環太平洋パートナーシップ)協定の国会承認を求める議案などの審議に関連して、「暴言をした山本農林水産大臣の責任を明らかにすることなく、前に進めることは絶対にありえない」と述べ、山本大臣は辞任すべきだという考えを重ねて示し〉たと11月6日付、「NHK NEWS WEB」が伝えている。

 蓮舫「国会はもめていて、私たちは『審議拒否ではないか、批判ばかりではないか』と必ず言われる。しかし、大臣の放言や暴言に対して、対案や提案があるだろうか。

 与野党が採決日程の合意に向けて努力をしてきた日に、山本農林水産大臣が暴言をした。合意していた日程を飛ばした大臣の責任を明らかにすることなく、前に進めることは絶対にありえない。正すのは政府・与党の役目だ」――

 確かにこの場合、政策的には「大臣の放言や暴言に対して、対案や提案」はない。

 だが、それが「放言」であり、「暴言」だと非難する以上、ただ単に放言だ、暴言だと言うだけではなく、そのような発言がなぜ「放言」に当たるのか、なぜ「暴言」に当たるのか、的確に言い当てて、それゆえに役目としている大臣の立場上、あるいは大臣まで務めている一個の人間としての人格上非常に不適切で、その任に値しないことになる、辞任すべきだと他者をして納得させしめる説明責任が蓮舫にはあるはずである。

 その説明が政策上の対案や提案に相当することになる。

 その説明責任を果たしさえすれば、官房長官の菅義偉が「軽率な発言をしたことを本人は深く反省していて、辞任するようなことではない」(NHK NEWS WEB)といくら山本有二を庇おうとも、その言葉自体に国民は正当性を見ないことになる。

 ところが蓮舫は「大臣の放言や暴言に対して、対案や提案があるだろうか」と、本人としては注目を集める気の利いた言葉を口にしたといい気分になっているかもしれないが、“なぜ”の説明責任を果たさなければならないところを果たさないないままに自身が新代表になって「民進党は反対ばかりではない、対案もするし、提案もする」と示した民進党の新しい姿勢にただ単に引っ掛けただけに過ぎないから、菅義偉の山本有二を擁護する言葉に逆に正当性を与えることになっている。

 結果、この言葉を正当性の楯として辞任させる気はさらさらない。

 何もかも蓮舫が“なぜ”なのかの理由を的確な言葉で言い当てずにただ単に「放言だ、暴言」と言うことでそれが放言であること、暴言であることを国民に示し得ていると思い込んでいる見当違いから発しているはずだ。

 それが気の利いた言葉だと思ったとしても、論理に適っていなかったり、前後の脈絡の整合性という点で外れていたなら、却って小賢しいだけの言葉になりかねない。

 確かに蓮舫は気の利いた言葉が得意で、そういった言葉を頻繁に口にする。一見、頭の回転が早そうな印象を与え、それが素早い行動力につながっているかのように思わせる。

 そういったところが人気の源点となっているのだろうが、発言は前以て頭の中で想定問答して論理的に的確な言葉の発信を心がけるべきで、そうせずに気の利いた言葉だけに注力していたのでは、いつかは自身の発言をキッカケとして自分から墓穴を掘らない保証はない。

 代表代行時代の蓮舫が代表選立候補に向けて2016年8月23日に日本外国特派員協会で記者会見したとき、代表の岡田克也を評して「私は岡田克也代表を大好きです。ただ、1年半一緒にいて、本当につまらない男だと思いました」と発言したのは自身では人が注目する気の利いた言葉だと思ってのことなのだろう。

 だが、気の利いた言葉どころか、蓮舫らしい小賢しさだけを感じさせた発言となっていた。

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熊の市街出没がドングリの実の不作が原因なら、ドングリ味のベアフードをつくって、山に撒く考えの妥当性

2016-11-07 09:58:58 | Weblog

 人間の生活圏である人里、もしくは街中への熊の出没が幾度となく繰返され、死亡や怪我を伝える報道が相次いでいる。

 「Wikipedia」が伝えているが、2016年5月下旬から6月下旬にかけて秋田県鹿角(かづの)市十和田の竹林へのタケノコ狩りの入山者の何人かがツキノワグマに襲われて、死亡者や受傷者を出している。

 〈5月20日、鹿角市十和田大湯字熊取平の竹林にネマガリダケを採りに行っていた地元の男性 (79) が行方不明になり、翌21日7時頃に捜索していた秋田県警鹿角署員が周辺で遺体を発見する。また同じ日には、60歳代の女性が夫とタケノコ採りをしていたところ、熊が突然現れ腕に爪傷を負う重傷を負った。夫が熊の頭を殴ると逃走した。そのため警察は出没地点に注意を呼びかける看板を設置した。〉

 〈5月22日7時30分頃、最初に襲撃された男性が発見された場所から北西に800メートルの場所で、秋田市の男性 (78) が妻 (77) と共にタケノコ採りをしていたところ熊に襲われる。その際男性は妻に「逃げろ」と告げたために妻は無事だったが、約6時間後の13時20分頃、500メートル南の場所で捜索中の鹿角署員や消防によって男性の遺体を発見する。遺体には側頭部や腹部に爪傷や咬み傷があった。〉

 〈5月26日には田代平で58歳の男性がクマに襲撃されているが、無傷で生還している。〉

 〈5月29日8時50分頃、2人の遺体発見現場から北東に約3キロメートルの十和田大湯字田代平の竹林で息子 (50歳代) と共にタケノコ採りをしていた青森県新郷村の女性 (78) が背後から熊に襲われ、とっさに頭を殴ったが尻を噛まれ全治1週間の重傷を負う。〉

 〈5月30日11時05分頃、田代平でタケノコ採りをしており25日から行方不明になっていた青森県十和田市の男性 (65) の遺体を鹿角署員が遺体で発見する。遺体は熊にかじられたと見られ激しく損傷しており、死後数日が経っていると思われる。〉

 〈6月10日10時40分頃、3日前の6月7日から行方不明になっていた十和田市の女性 (74) の遺体を発見、食べられていた痕跡があった。その後同日14時頃、女性の遺体発見現場から10メートルほどの場所で鹿角連合猟友会が体長1.3メートルのメスのツキノワグマ1頭を射殺した。〉

 その後もへタケノコ採りの入山者が絶えないため、警察は18日から周辺の国道104号や県道7カ所に検問所を設置したと書いてある。

 10月中旬頃、青梅市二俣尾の飲食店で食材が荒らされる被害が発生。店の関係者が設置した携帯電話のカメラに10月21日頃、調理場で冷蔵庫の食材を漁るクマを写したという。

 通報を受けた市や猟友会が10月22日早朝から捜索、店から約250メートル離れた国道脇の茂みでクマを発見、射殺。

 カネがなくて何日も食べていない人間が空腹に耐えかねて家人が寝静まった深夜の台所に忍び込み、冷蔵庫を漁る。それを熊が演じる。演じる熊としたら、空腹の人間がそうであったように何か口に入れる物はないか、何でもいいと必死だったのだろう。

 2016年10月17日午前6時10分頃、兵庫県宍粟(しそう)市一宮町能倉の路上で60歳の男性が体長約170センチのクマに襲われて手首に怪我をしている。

 10月31日未明に京都府福知山市でトイレに行こうと家の外に出た40代の男性がクマに襲われ、太腿を噛まれる大怪我をしている。

 11月5日午後、新潟県糸魚川市の北陸自動車道の下り線に体長約1メートル50センチのクマが1頭現れ、道路脇のスペースに入り込んでその場にとどまり続けたあと、夜になってスペースから出たところを猟友会に射殺されている。

 熊にとっては人間は天敵であるはず。にも関わらず、人間の生息場所に出没する。その理由は熊が冬眠に備えて栄養源とするブナ科類の実(堅果類・けんかるい=ドングリ類)が今年は不作なため、いわば熊にとって食糧不足が原因で自身の生活圏から出て人間の生活圏にまで侵入することになっているということらしい。

 そこで思いついたのが、ドッグフードやキャットフードならぬ熊に食べさせるドングリの実を少し混ぜて人工的にドングリ味にしたベアフードを生産して農薬散布の無人ヘリコプターかドローンを使って山に撒いたらどうかというアイデアである。

 その妥当性をネット上で探したら、2011年5月13日付だが、《専門家コメント 「ドングリを収集し熊に与える行為」について》Science Media Centre of Japan)なる記事がドングリ散布は山の生態系に悪影響を及ぼすと批判する記事に出会った。    

 ドングリを散布しても、そのすべてが食べ尽くされたら、次世代の木が育たない。ドングリが不作だと、動物たちの餌が減り、動物の数を減らすことができる。動物たちが減った翌年に一斉に実をつければ、生き残ることのできるドングリも増え、次世代の木は育っていく。

 また、ドングリはネズミの餌にもなり、散布されたドングリがネズミの餌となって繁殖を増やすと、樹木の成長を阻害する要因となるから、あくまでも自然の摂理を守るべきであり、また熊の生息地近くの中山間地域の高齢化・人口減少による農作物の管理不足から柿や桃等の果樹の実を成熟したまま放置し、それが熊の格好の餌となってドングリの不作の年の熊の人間の生活圏への出没のキッカケとなっている人間の側の責任もあると訴えている。

 だが、中山間地域だけではなく、人家にまで現れて冷蔵庫の食べ物まで漁るとなると、何らかの方法で餌を与えて、熊をその生息地にとどまらせる方法を考えなければならない。

 その方法とは樹木の成長に悪影響もなく、自然の摂理を壊さない範囲のドングリ味のベアフードの散布ということになる。

 植物生態学的方法によってだと思うが、各地域の山間のブナ科の樹木のドングリ類の実の豊作の基準、不作の基準は何段階かに分けて既に数値化されているはずだ。

 その基準に従って数本の樹木を検体としてその年のそれぞれの山間地のドングリ類の実の付き具合を計算し、それぞれの豊作の程度や不作の程度を割引き出して、不作の場合は豊作の程度から不作の程度を引いて、その答よりも少なめの量のベアフードを散布することにし、さらに不作に応じた動物の繁殖数に抑えるために一定程度のベアフードに避妊薬を混ぜれば、ネズミも含めて自然の摂理に近い個体数に近づけることは不可能ではないと思うが、どうだろうか。

 勿論、鳥もベアフードを口にする可能性は否定できない。だが、散布しなければ口にすることができない食べ物であり、口にできないことによって影響を受ける繁殖数と、口にすることはできるものの避妊薬によって影響を受ける繁殖数は熊の被害から人間を守ることを優先させて無視する以外にないはずである。

 少なくとも以上の方法を用いたなら、あくまでも成功したらの話だが、熊と人間の共存を図る方法となる。

 もしダメなら、ドングリの実の不作の年は各地域駐屯の陸上自衛隊を使って熊が生息する山に自衛隊員を一列横隊で隙きなく展開させて殲滅作戦の要領で熊の絶滅を謀れば、人間の被害はなくなる。

 勿論、人間と熊の共存を謀らない方法となる。

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電通:女性社員過労死から見える権威主義をムチとした封建時代さながらの自律性なき上下社会

2016-11-05 10:29:18 | 事件

 電通で思い出すのは小泉政権時代に行った各政策に関して住民の意見を聞き、それに閣僚が答える対話集会のタウンミーティングであるが、小泉内閣は「国民対話」と銘打っていた。

 その集会開催は一般競争入札ではあったが、当初は電通一社のみが契約会社となっていて、空港又は駅で閣僚を迎える係の報酬経費が1万5千円、会場入り口で閣僚を出迎えて、エレベーターまで案内する係の経費が4万円、エレベーターを動かして目的の階にまで案内する係の経費が1万5千円、エレベーターから控え室まで誘導する係の経費が5千円といったふうに一連の役目を一人が行って一人分の報酬経費とするのではなく、役目を一つ一つに小分けして、小分けしたそれぞれの役目に要した時間から計算すると常識外の経費をつけて、まるで随意契約の体を成していたカラクリとなっていたことである。

 要するに表向きは競争入札であったとしても、談合という手続きを経なければ、こういった常識外の法外な値をつけることはできない。談合が随意契約の形式を許すことになる。

 しかも2003年12月に岐阜県で開催したタウンミーティングでは会場入り口で閣僚を出迎えてエレベーターまで案内する係は一人ではなく、8人の人間を雇って行い、一人頭4万円✕8人=32万円の報酬としていたという。8人の人間に出迎えられた大臣は大名のような気分になったのではないだろうか。

 タウンミーティングの集会開催は内閣府が主催した。内閣府の役人が無知だったから常識外れの経費に気づかなかったのか、天下りとかの何らかのキックバックがあったから、気づかぬ振りをしていたのか、いずれかであろうが、少なくとも電通という広告会社はデタラメな金儲けをするインチキ会社だなという印象を持った。

 その電通が今度は2015年に入社9カ月の24歳女性社員の過労自殺を出して労災認定され、マスコミと世間を賑わすことになった。しかも今回が初めてではなく、1991年にも入社2年目の社員が過労自殺している。

 この件について「Wikipedia」が次のように記述している。

 〈遺族は、会社に強いられた長時間労働により鬱病を発生したことが原因であるとして、会社に損害賠償請求を起こした。これは、過労に対する安全配慮義務を求めた最初の事例とされ、この訴訟をきっかけとして過労死を理由にした企業への損害賠償請求が繰り返されるようになったといわれる。2000年、この裁判は同社が遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審した。〉

 皮肉な言い方とすると、電通は企業一般に対して過労に対する安全配慮を義務づける先駆けの会社となった。にも関わらず、先駆けにふさわしくなく労働環境を改善できずに同じ過ちを繰返すことになった。

 労働環境の改善に何ら努力していなかったことが2016年11月3日付「NHK NEWS WEB」記事、《電通社員過労自殺 残業時間を過少申告し削減か》を読むと十分に理解できる。   

 入社9カ月の24歳女性社員の2015年10月の所定外残業時間は69.9時間、11月は69.5時間で、労働組合との協定の上限となる70時間内に収まっていたが、本社ビルのゲートを通った入退館の時間を基に計算した残業時間は月100時間を超えていて、この過酷な残業時間が労災認定の決め手となったという。

 いわば彼女は実際の残業時間よりも申告する残業時間を協定内の残業時間に収めることができるように減らしていた。

 電通は一人ごとに長時間労働を課すという搾取と労働時間を削るという搾取、二重の搾取を行っていた。

 しかもこの搾取は彼女一人に対してではなく、一般的に常態化していた。

 先ず限られた時間内に多くの仕事をやることが評価に繋がるという空気があった。と言うことは、評価を餌に、あるいは評価を鞭として、会社側がそういう空気をつくっていたことになる。

 それが行き過ぎた効率至上主義に姿を変えていた。

 だから、残業時間をあまりつけないよう上から指導する部署も現れることになった。

 社員の1人は次のように証言している。

 「残業時間を協定で決められた時間内に抑えろということはたびたび言われていたが、残業が多い人だと確実にそれ以上働いているし、私自身、上限を超えたことがある。限られた時間で多くの仕事をやることが評価につながるので、残業時間を減らすことは往々にして行われていた」

 結果、社員の方から働いた時間の一部を「自己啓発」に充てたといった理由で申告し、残業時間を意図的に減らすケースが生じることになった。

 このような電通内に於ける上司と部下の人間関係は明らかに上が下を言いなりに従わせ、下が上に言いなりに従う支配と従属の権威主義を力学として、その関係性によって仕事を動かしていることになる。

 いわば上司・部下共に自律性を欠いた関係を築いていた。

 具体的に言うと、上司は部下が自ら学んで自ら成長していくことも、あるいは逆に何も学ばず、成長していかなかろうと自身の問題として任せることができなかった。

 部下の方も自らの学びと自らの成長に任せることができなかった。

 このような自律性の欠如は上記記事が伝えている電通の中興の祖と言われている4代目社長の吉田秀雄が65年前の昭和26年に考案した10項からなる「鬼十則」に現れている。

 1.仕事は自ら「創る」べきで、与えられるべきでない。
 2.仕事とは、先手先手と「働き掛け」ていくことで、受け身でやるものではない。
 3.「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
 4.「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
 5.取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは……。
 6.周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
 7.「計画」を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
 8.「自信」を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
 9.頭は常に「全回転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
 10.「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 こういったことは上から教えられることではなく、向上心を糧に自分から考え、学んでいくことであろう。電通という難関を突破している以上、誰もが向上心を持って入社しているはずだ。向上心が積極性という姿を取り、難題への挑戦や計画性や仕事への執念を生み出していく。

 だが、会社は社員の自分から考え、学んでいく向上心に任せることができずに手取り足取りするように社員はこうあるべきだと上が指示しなければならない。社員は上の指示に従う。

 例えそこに向上心が存在したとしとも、自分から考え、学んでいく自律性を持たせた性格のものではなく、上司に尻を叩かれて、その指示する目標を達成する非自律的な向上心に姿を変えていることになる。

 そういった向上心だから、いわば自分から考え、学んでいく性格を持たせた向上心ではないから、一つの仕事に長時間の労働が必要になり、会社は効率を求めるために自発的という形を取らせて残業時間を削らせることになる。

 「鬼十則」は65年前の昭和26年に考案したと言うが、戦後間もなくの頃で、封建時代の家父長制に代表される権威主義の人間関係がまだまだ強かった時代である。その頃につくった権威主義性を色濃く滲ませた規則を現在も使っている。

 封建時代さながらに人をこき使うに便利であっても、社員それぞれが自律して相互に自由に力を発揮しなければならない時代の規則としては時代錯誤も甚だしい。

 頭に「鬼」という字を当てていること自体が如何にも象徴的である。何でも言いなりに聞けという権威主義性を含意している。

 いわば電通は上下社会を構造とした古臭い権威主義性を現在も引きずっていて、現代化することができなかった。

 自殺した女性社員は入社9カ月でその犠牲となった。

 多分会社側は、自殺するのは負け犬のすることだぐらいに思っているに違いない。

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安倍晋三の新安保法制世論調査を無視し、対自衛隊好印象世論調査9割超のみを挙げる自己都合

2016-11-04 09:28:02 | 政治

 安倍晋三が2016年9月26日の臨時国会所信表明演説で日本の安全保障・日本の国家防衛の観点からの発言だから、主として自衛隊を頭に置いて壇上から議席を見渡し、「彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけると、自民党席の殆どの議員が起立して拍手で呼応、安倍晋三も拍手して、自衛隊という日本の軍隊を議員共々称揚、明らかにその瞬間安倍晋三は自衛隊の最高指揮官としてその場に立っていたはずで、その異様な光景を演じた安倍晋三が2016年11月1日、都内で開催された2016年度自衛隊記念日レセプションに出席、スピーチした。

 そのスピーチの中で自衛隊に対する国民の支持の高さを誇っている発言を11月1日付「asahi.com」記事が伝えている。  

 安倍晋三「自衛隊は1954年に創設された。私が生まれた年だ。自衛隊と私は同じ歳月を刻み、ともに山あり谷ありの歳月だった。半世紀前、自衛隊に良い印象を持っている国民は6割前後だった。しかし、本日では9割を超えている。安倍政権の支持率をはるかに超えているわけで、国民に最も信頼されている公的な機関は自衛隊だ。国民の揺るぎない信頼を勝ち得ていることを、本当に誇りに思う」

 安倍晋三の9月26日の臨時国会での自衛隊という日本の軍隊に対する大々的な称揚は、その背景に国民の自衛隊に対する「9割超」という支持・信頼を一つの要素として置いていたに違いない。

 だから、「国民に最も信頼されている公的な機関は自衛隊だ」と安倍晋三をして言わさしめた。そしてその高い支持・信頼を「本日では」と現時点の状況としている。

 問題は自衛隊に対する「9割超」の支持・信頼が安倍政権が平和安全法制と称し、社民党や共産党が戦争法と称している2015年9月19日に成立させ、2016年3月29日に施行させた集団的自衛権や自衛隊の海外派兵を含む新安全保障関連法に対する国民の支持・信頼とイコールさせていいかどうかである。

 但し安倍晋三はイコールさせた趣旨でスピーチしていたはずだ。

 その根拠は2014年年12月2日公示・12月14日投開票の総選挙で大勝した翌日の自民党本部での記者会見の発言にある。

 安倍晋三(冒頭発言)「今回の総選挙は、アベノミクスを成功させるため、来年の消費税2%さらなる引き上げを1年半延期するという税制上の大きな変更について国民に信を問う解散でありました。いわば『アベノミクス解散』であったと思います」

 質疑

 記者「今回の選挙ではアベノミクスのほか、集団的自衛権の行使容認や憲法改正、原発再稼働も争点になりました。選挙結果を受け、来年の通常国会に提出する安全保障法制整備の関連法案はどのように審議を進める考えですか。憲法改正にどう取り組むか、原発再稼働についてのお考えは」

 安倍晋三「先ず安全保障法制についてですが、今回の選挙はアベノミクス解散でもありましたが、7月1日の閣議決定を踏まえた選挙でもありました。そのことも我々、しっかりと公約に明記しています。

 また街頭演説においても、あるいは数多くのテレビの討論会でもその必要性、日本の国土、そして領空、領海を守っていく、国民の命と安全な国民の幸せな暮らしを守っていくための法整備の必要性、閣議決定をもとにした法整備の必要性ですね、集団的自衛権の一部容認を含めた閣議決定に基づく法整備、これを来年の通常国会で行っていく、これを訴えて来たわけです。

 このことにおいてもご支持を頂いた。当然、約束したことを実行していく。これは当然、政党、政権としての使命だと思う。来年の通常国会のしかるべき時に法案を提出していきたい。そして成立を果たしていきたいと考えています」――

 安倍晋三はアベノミクスの是非を争点の前面に押し立て、安全保障法制は争点隠しと批判を受けていた。このことは、つまり表立って争点に掲げたわけではないことは上記発言に現れている。

 だが、選挙に大勝したから、安全保障法制も「ご支持を頂いた」としている。

 当然、その「ご支持」とイコールさせた国民の自衛隊に対する「9割超」という支持・信頼と見ているはずだ。

 2016年7月の参院選挙でも安倍晋三は既に国会発議に必要な3分の2の議席を獲得している衆議院に引き続いて参議院でも3分の2を獲得すべく選挙戦を戦ったが、2014年衆院選と同じ手を使って「最大の争点は経済政策だ」とアベノミクスの是非を争点の前面に押し立て、改憲については争点化を避け、その争点隠しのもと、憲法改正に前向きなおおさか維新の会等を加えた3分の2を超える改憲勢力を築くことに成功し、さも参院選の勝利によって憲法改正の姿勢が「ご支持を頂いた」かのように以後、憲法改正への動きを活発化させている。

 このことからも、いくらご都合主義と誰がどう批判しようが、自衛隊に対する「9割超」という国民の支持・信頼を安全保障法制に対する国民の支持とイコールさせているはずだ。

 実際には参院選の勝利によって憲法改正の姿勢が「ご支持を頂い」ていないことは2016年10月29日付「共同通信47NEWS」」が伝える共同通信社の10月28日公表の世論調査が証明してくれる。  

 憲法公布70年に当たり郵送方式で実施した世論調査の結果である。

 「安倍晋三首相の下での改憲について」

 賛成42%
 反対55%

 「7月の参院選で改憲が争点だったかどうか」

 「そう思う」は27%
 「そう思わない」は71%

 「改憲の是非」

 「必要」+「どちらかといえば必要」とする改憲派計58%

 「9条改正の必要性」

 「必要ない」49%
 「必要」45%

 憲法改正は必要でも、安全保障関連の改正の必要性は必要が必要ないを若干上回あり、このことに合わせるように安倍晋三の手による改憲に反対が13%も上回っている。

 また、どのマスコミの世論調査も新安保法制に対する賛否は反対が賛成を上回っている。いわば平和安全法制にしても憲法改正にしても安倍晋三の意思と国民の意思は一定程度の乖離を見ないわけにはいかない。

 争点隠しという手を使った点からも、選挙によって「ご支持を頂いた」とする安倍晋三の解釈をあっさりと認めるわけにはいかない

 先ず安倍晋三が「9割を超えている」と言っている世論調査をネット上から探し出して、その「9割超」がどのような内容の割合なのか、その実態を見てみることにする。

 その世論調査は《「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」の概要》内閣府政府広報室/2015年・平成27年3月)という名称で公表されている。   

調査対象 全国20歳以上の日本国籍を有する者 3,000人
有効回収数 1,680人(回収率56.0%)
調査時期 平成27年1月8日~1月18日(調査員による個別面接聴取) 

 以下調査の主なところを拾ってみる。

(1)自衛隊に対する印象

問2 全般的に見てあなたは自衛隊に対して良い印象を持っていますか,それとも悪い印象を持っていますか。この中から1つだけお答えください。

                      平成24年1月  平成27年1月
・良い印象を持っている(小計)        91.7%   →  92.2%

・良い印象を持っている             37.5%   →  41.4%(増)
・どちらかといえば良い印象を持っている    54.2%   →  50.8%(減)

・悪い印象を持っている(小計)        5.3%    →  4.8%

・どちらかといえば悪い印象を持っている    4.5%    →  4.1%
・悪い印象を持っている           0.8%    →  0.7%

(1)自衛隊や防衛問題に対する関心

問1 あなたは自衛隊や防衛問題に関心がありますか。この中から1つだけお答えください。

           平成24年1月   平成27年1月
・関心がある(小計)  69.8%   →  71.5%

・非常に関心がある   16.0%   →  19.4%(増)
・ある程度関心がある  53.8%   →  52.1%

自衛隊や防衛問題に関心がある理由

更問1 (問1で「非常に関心がある」,「ある程度関心がある」と答えた方(1,202人)に)その理由は何ですか。この中から1つだけお答えください。

                    平成24年1月   平成27年1月
・日本の平和と独立に係わる問題だから   39.4%   →  46.1%(増)
・国際社会の安定に係わる問題だから    19.1%    →  19.8%
・大規模災害など各種事態への対応などで国民生活に密接な係わりを持つから 34.0% → 26.5%(減)
・マスコミなどで話題になることが多いから 2.5% → 2.4%
・国民の税金を使っているから 3.6% → 3.3%
・自衛隊は必要ないから 0.6% → 0.7%

(1)自衛隊の防衛力
問3 全般的に見て日本の自衛隊は増強した方がよいと思いますか,今の程度でよいと思いますか,それとも縮小した方がよいと思いますか。この中から1つだけお答えください。
           平成24年1月  平成27年1月
・増強した方がよい   24.8%   →  29.9%(増)
・今の程度でよい    60.0%   →  59.2%
・縮小した方がよい   6.2%    →  4.6%(減)(以上)

 安倍晋三が「半世紀前、自衛隊に良い印象を持っている国民は6割前後だった。しかし、本日では9割を超えている」と言っている通りに自衛隊に「良い印象を持っている」は「どちらかといえば良い印象を持っている」と合わせて92.2%、「9割を超えている」。

 さらに「自衛隊や防衛問題に関心がある理由」として、「日本の平和と独立に係わる問題だから」と「国際社会の安定に係わる問題だから」の安全保障を理由とした関心が上位を占めている。

 但し調査時期平成27年1月8日~1月18日は平和安全法制関連2法案が衆議院で審議を開始した2015年5月19日を4カ月を遡ることを考慮しなければならない。そして2法案が国会で成立したのは調査時期よりも8カ月遅れの2015年9月19日で、2016年3月29日の施行となっている。

 調査時期の頃には既に安倍晋三の憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に向けた動きは話題となっていたが、審議が開始される前と後とでは自衛隊に対する世論調査の支持・信頼が「9割超」に変わりはなくても、自衛隊を見る思いに微妙に変化を与えていないことはない。

 なぜなら安倍政権の新安保法制に基づいた集団的自衛権行使や海外派兵の手足となるのは自衛隊そのものだからである。

 結論を言うと、選挙によって新安保法制に対する「ご支持を頂いた」と解釈するのは安倍晋三の自己都合に過ぎないし、そうである以上、安倍晋三がいくら望んでも、国民の自衛隊に対する「9割超」という支持・信頼を新安保法制に対する支持・信頼とイコールとさせることはできないということである。

 国民はこのことをきっちりと認識していなければならない。

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山本有二が10月18日「強行採決」発言を11月1日に冗談でチャラにしようとした言葉の軽さ=人間の軽さ

2016-11-03 10:47:04 | 政治

 先月中旬、2016年10月18日夜、農水相の山本有二が衆議院議院運営委員長佐藤勉の政治資金パーティに出席し、「強行採決するかどうかは、この佐藤氏が決める。だから、きょう、馳せ参じた」と発言、野党の反発を招き、辞任要求が出たばかりか、与党の自民党や公明党からも批判の声が上がった。

 要は発言が与野党の審議時間の決定も強行採決も議院運営委員長の自由裁量、もしくは専権事項であるかのような意味となっていたからだろう。

 衆議院のTPP特別委員会でTPP承認案と関連法案についての審議が開始されたのは2016年10月14日である。そしてその4日後の10月18日夜に山本有二がそのような発言をした。
 
 審議打ち切りにしても強行採決にしても、与党側の(野党側のではない)審議が十分に尽くされたという認識を前提に決めることで、その前提抜きに佐藤勉がいくら衆議院議院運営委員長であろうと、そのような権限は一切ない。

 にも関わらず、そのような意味で言わせたのは山本有二が審議打ち切りと強行採決を望んでいたからで、現時点ではその権限のない議院運営委員長の佐藤勉に対して越権行為の教唆を行ったことになるばかりか、このような教唆自体が山本有二の農水大臣としての権限を超えていることになる。

 当然、大臣としての資質を失うことになる。

 TPP審議の過程で山本有二は野党の辞任要求の追及を受けたが、山本有二自身の謝罪と官房長官の菅義偉の厳重注意で山本有二は無事首を繋げることができた。

 そこへ持ってきて、山本有二は11月1日夜都内で開かれた自民党の衆議院議員のパーティーで再び問題発言を

 山本有二「森喜朗先生から電話があって、『人のパーティーに行って、お前、冗談言うなよ』と。この間、冗談を言ったらクビになりそうになりましたよ。これ以上、要らんことは言っちゃいけません」(テレビ朝日) 

 この後の発言を「NHK NEWS WEB」が伝えている。 

 山本有二「JAの方々が大勢いるが、あすでも、この衆議院議員の紹介で農林水産省に来てくれれば、何かいいことがあるかもしれません」

 人間は自身の失態を冗談にしたり、冗談で笑わせて体裁を繕い、あわよくばチャラにしようとする傾向がある。

 この傾向は冗談なら許されるだろうとの暗黙の了解を求める形で、「なーに、あれは冗談だった」と自分から失態の免罪を図る構図となっている。

 但し冗談でチャラにできる発言ではないにも関わらず、冗談でチャラにしようとするのは、自分でそうすることができるかどうか満足に判断できない合理的な認識能力を備えていないからに他ならない。

 合理的な認識能力を欠如させまま冗談で済ませようとするから、言葉はただただ軽くなる。

 言葉の軽さは人間の軽さの証明でしかない。人間が軽いから、言葉が軽くなる。

 このような点からも大臣の資質を欠いていることになる。

 また、「JAの方々が大勢いるが、あすでも、この衆議院議員の紹介で農林水産省に来てくれれば、何かいいことがあるかもしれません」との発言は農水大臣の立場からJAに対して特別に便宜を図りましょうという意図を含んでいる。

 その特別な便宜は「衆議院議員の紹介」を条件としているから、紹介を介して特別な便宜を得ることになるJAは紹介者としての衆議院議員に対して特別な便宜の中から何がしかの謝礼を支払わなければ、義理や礼を失うことになるだけではなく、二度目、三度目の紹介がなくなるのは目に見えているから、否でも何らかの形で謝礼を支払うことになるはずだ。

 いわば山本有二は上記の発言をすることで、JAに対して特別な便宜を図ろうとしただけではなく、パーティの主の衆議院議員に対してもJAを通して間接的に何らかの利益を供与させようと図ったことになる。

 これは農水大臣の立場からのJAに対してと衆議院議員に対しての二重の利益供与の画策に相当する。

 この点からも山本有二は大臣の資質を欠いていて、一点たりとも資質があるとは言えない。

 官房長官の菅義偉は「山本大臣も軽率な発言をされたと、このことを深く反省しており、辞任されるような話ではない」(ロイター)と言って、辞任しなければならない程の発言ではないとしているが、辞任が安倍政権にとって一つの汚点となることを避けるための政権側に立った自己都合に過ぎない。

 山本有二は大臣の資質がないだけではなく、このような言葉の軽い=人間の軽い人物を閣僚に任命した安倍晋三の任命責任も問われて然るべきだろう。

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安倍政権のTPP採決要求と交渉結果のみを無条件に受け入れろの態度は政府を無誤謬な存在に祭り上げるもの

2016-11-01 11:50:40 | 政治

 2016年10月30日のNHK「日曜討論」で冒頭、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)の国会承認を求める議案と関連法案の衆議院での採決を巡って交わされた議論を10月30日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。 

 自民党政務調査会長代理の田村憲久と民進党政務調査会長の大串博志の発言のみを取り上げてみる

 田村憲久「審議時間は50時間になり、議論も煮詰まってきている。アメリカが揺れているが、日本が先に承認してアメリカを引っ張り、仮にアメリカで承認されないという不測の事態が起きても、日本が承認していることが、外交上、いかに有利になるか。どちらにしても早く承認することに大きな意味がある。そろそろタイムリミットが近づいていることは確かで、なるべく早く理解を頂き、採決してもらいたい」

 大串博志「アメリカの大統領候補が不同意を示している中で、日本だけが国会で議論するのには無理がある。ましてや、『何十時間議論すればいい』という時間ありきの問題ではない。特に農業問題や自動車問題に加えて、食の安全のような国民生活に大きく影響のある論点も出てきた。今、時間ありきで採決に向かうのはありえない」

 田村憲久は「日本が先に承認してアメリカを引っ張る」といった日本の優先的承認に於ける外交上の有利性の観点から早期の採決を求めている。

 日本でも妥結に至ったTPP協定のテキスト全文が仮訳の形で公表されているから、民進党の大串博志は農業問題や自動車問題、食の安全等、妥結に至る結果の妥当性に問題点を置いていることになる。

 妥結に至る結果の妥当性を知るために野党は交渉経緯の記録開示を求めた。対して政府は黒塗りの資料を開示、安倍晋三が2016年4月7日午後の衆院環太平洋連携協定(TPP)特別委員会で「交渉は妥結した結果が全てで、結果に至る過程の協議がすぐ表に出るようなら、外交交渉はそもそも成立しない」と黒塗りの資料の開示を正当化し、結果の妥当性を俎上に上げるのを拒否した。

 但し安倍晋三のこの発言は交渉過程を国民の目に隠す形としているから、国民には結果の妥当性を知る由もないにも関わらず、あるいは判断する手がかりが何もないにも関わらず、結果を全て正しいとしてしていることになる。

 正しいから交渉の結果を無条件に受け入れて、無条件に早急に採決に応じろと迫ることになっているのだろうし、田村憲久の発言はその趣旨から出ていることになる。

 2016年10月31日の衆議院の特別委員会TPP集中審議での安倍晋三の答弁も同じ趣旨に則っている。10月31日付「NHK NEWS WEB」記事から見てみる。  

 中川康洋公明党議員「日本が、アメリカ大統領選挙の動向によって、承認手続きの歩みを緩めたり、躊躇したりすれば、ほかの参加国との信頼を大きく損ねる。日本こそが主導すべきだ」

 安倍晋三「日本がTPP協定を承認することは、貿易、投資のルール作りを主導していくという意思を世界に示すことになる。(さらに)国会でTPP協定が承認され法案が成立すれば、『再交渉はしない』との、立法府も含めたわが国の意思が明確に示されることになる。

 このまま無為に時を過ごせば、むしろ再交渉を求められる事態を引き寄せることにもなりかねないと憂慮している。日本は受け身で他国の動きを待つのではなく、国益に合致する道を自ら進んでいくべきだ。

 (TPP協定によって、遺伝子組み換え食品への規制が緩むのではないかとの指摘に対して)TPP協定は、必要と考える制度の変更に新たな制約を加えるものではなく、安全性において必要な措置を求めることに変更を求めるものではない。安全ではないものが一般家庭に届けられることは絶対にない。

 中川康洋公明党議員「アメリカが、日本の薬剤価格に介入するおそれがあるのではないか」

 安倍晋三「薬価を極めて合理的に決めており、アメリカから要求されたとしても、今の仕組みを変える考えはない」――

 「日本がTPP協定を承認することは、貿易、投資のルール作りを主導していくという意思を世界に示すことになる」という答弁にしても、「国会でTPP協定が承認され法案が成立すれば、『再交渉はしない』との、立法府も含めたわが国の意思が明確に示されることになる」という答弁にしても、「無為に時を過ごせば、むしろ再交渉を求められる事態を引き寄せることにもなりかねないと憂慮している」という答弁にしても、「日本は受け身で他国の動きを待つのではなく、国益に合致する道を自ら進んでいくべきだ」という答弁にしても、その発言の殆どが外交上の有利性のみに視点を置いている。

 こういった答弁にしても交渉結果を全て正しいとする前提に立っているからできることで、この前提は黒塗りの資料が示すことになっている交渉過程の非開示と、非開示によって強いられることになっている結果の妥当性の判断不可能性に裏打ちされていることは断るまでもない。

 つまり安倍晋三を筆頭に安倍政権は国民に対しても野党に対しても交渉の経緯や交渉結果の妥当性は問題とせずに交渉結果のみを無条件に受け入れろという態度で迫っていることになる。

 このような態度は、少なくともTPP交渉に関しては政府は絶対正しいと、政府を無誤謬な存在に祭り上げていることになる。

 間違ったことはしていない、全てイエスと言え。まるで独裁である。

 オバマ大統領は来年1月までの自身の任期中のTPP国会承認目指しているが、議会多数派の野党共和党が審議入りに反対、承認の見通し立たっていない上に11月のアメリカ大統領選の立候補者クリントン、トランプ共にTPPに反対している。
 
 クリントンは国務長官時代はTPP推進派だったが、大統領選立候補以降反対に回ったのは米世論の反対に合わせた転向だと言われている。

 2016年8月25日付「日経ビジネス」にTPPと関連付けた大統領選に於ける投票行動を尋ねた2016年2月23日~3月3日調査のアメリカの世論調査が載っている。     

 「TPP協定から撤退し、米国内の雇用を優先すると公約した大統領候補に投票するか」

  「投票する」          24%
 「どちらかと言えば投票する」  30%
 「どちらかと言えば投票しない」 12%
 「投票しない」          6%
  「わからない」         29%

 「投票する」+「どちらかと言えば投票する」で54%、半数以上を占めている。

 いわば大統領選はTPPに関わる世論を無視できない状況下にある。

 こういった世論調査に答えるためにはTPPの妥結内容を知らなければならない。記事は、〈米国でも交渉過程については外交上の約束事(基本的未公開)もあり、全容は米国民に明らかにされていません。ただリークを基にメディアが断片的に報道はしています。〉と解説している。

 要するにリークに基づいた報道内容を手がかりにアメリカ国民はTPPを判断、世論調査にも答えていることになる。

 但しクリントンの場合は国務長官をしていたから、その交渉経緯についてはある程度精通しているのだろう、記事が〈クリントンは「TPP反対」ではなく、「TPP協定反対」だ〉と書いていて、クリントンが2016年7月13日以降繰返している、交渉経緯についてはある程度精通した立場からの自らのTPPに対する姿勢を示す発言を伝えている。

 クリントン「私たちは高いハードルを設置する必要がある。(協定内容が)雇用を創出し、賃金を上げ、安全保障を増進する協定でなければならない」

 つまりTPPはアメリカにとって「雇用を創出し、賃金を上げ、安全保障を増進する協定」とはなっていないと見ていることになる。

 と言うことは、交渉結果の妥当性に一部異議を唱えたTPP反対ということになる。

 アメリカの議会多数派を占める共和党にしてもTPPそのものに反対ではなく、内容の修正を求める立場から議会の早期審議入りに反対しているという。

 クリントンは世論を背景とした大統領候補という立場からの態度であり、共和党は議会多数派を占めている力関係からできる態度であるが、いずれにしても両者共に無条件に結果を受け入れることはできないという態度を示していることに変わりはない。

 日本の安倍政権の交渉結果のみを無条件に受け入れろという政府無誤謬の独裁的な態度とは大違いである。

 自公与党の審議に時間を尽くしたとか、野党のまだ審議に時間を尽くしていないとかの問題で終わらせてはいけない。

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