櫻井よしこの天皇をその権威の絶対化を通して絶対的存在としたい天皇退位等検討有識者ヒアリング

2016-11-26 12:42:06 | 政治

 天皇が自身の高齢を理由に退位を望んだビデオメッセージを使った、いわゆる「お言葉」を受けて政府は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設け、議論を重ねている。

 11月14日、その第4回会合を首相官邸で開き、歴史の専門家等6人を招き、2回目のヒアリングを実施している。

 その6人とは上智大学名誉教授渡部昇一、ジャーナリストの岩井克己、慶應義塾大学教授の笠原英彦、ジャーナリスト櫻井よしこ、元内閣官房副長官石原信雄、帝京大学特任教授の今谷明である。

 それぞれの意見は「第4回 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議 議事次第」のページでPDF記事で紹介しているが、なぜか退位反対・摂政代行の渡部昇一の記事だけが載っていない。  

 保守派ジャーナリストの櫻井よしこも退位反対・摂政代行の立場を取っている。古臭い頭の彼女が望んだからだろう、PDF記事は縦書きで、しかも縦書きが横書き式に表記してあるから、首を左右どちらかに捻らなければ読むことができない。コピー&ペーストもできない。なかなか親切な記事に仕上がっている。

 マスコミ記事によると、6人のうち4人が退位に反対、もしくは慎重、2人が退位に賛成を示したと言う。

 ここでは櫻井よしこがどのような理由で退位反対・摂政代行の立場を取っているのか、そのことが何を意味しているのか自分なりの解釈を施してみたいと思う。


 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」ヒアリング 櫻井よしこ
 
 今上天皇のお言葉があり、ご方向の負担軽減等に関する有識者会議が設置され、改めて私たち国民は皇室と日本国の在り方について、根本から考える機会を得ました。この重要な問題について、私見を述べる機会をいただいたことに感謝します。

 私の考えを、天皇と皇室の役割、譲位についての二点に絞って申し上げます。その中で自ずと、ここに問われている質問の多くに答えることになると思います。

 (1)天皇と皇室の役割

 長い歴史の中で、皇室の役割は、国家の安寧と国民の幸福を守るために祈るという形で定着してきました。歴代天皇は先ず何よりも祭祀を最重要事と位置づけ、国家・国民のために神事を行い、その後にはじめて、他の諸々のことを行われました。穏やかな文明を育んできた日本の中心に大祭主としての天皇がおられました。

 しかし、戦後作られた現行憲法とその価値観の下で、祭祀は皇室の私的行為とされました。皇室本来の最も重要な役割であり、日本文明の粋である祭祀をこのように過小評価し続けて今日に至ったことは、戦後日本の大いなる間違いであると、ここで強調したいと思います。

 他方で、政府も国民も本来の皇室の役割から考えれば、重要度の低い多くの事案で両陛下にご苦労をかけてきました。国事行為に加えて多くの機会に地方への行幸啓をお願いし、過重なご公務となっています。  

 ご負担を軽減するために、祭祀、次に国事行為、その他のご公務にそれぞれ優先順位をつけて、天皇様でなければ果たせないお役割を明確にし、その他のことは皇太子様や秋篠宮様に分担していただくような仕組みの構築が大事だと考えます。また、ご公務の多くが、各省庁を通じて宮内庁に申請される国民の要望から産まれている現状を見れば、ご高齢の両陛下のご負担を、政府、政治家、国民の側の自制によって減らしていく努力も欠かせません。

 陛下のなされるお仕事を整理し直す際には、日本の深い歴史と文明の中心軸をなしてきた天皇のお役割は国家国民のために祭祀を執り行って下さることであり、それが原点であることを再認識したいものです。

 権力から離れた次元で、国民の尊厳やあたたかい気持ちの軸となる存在であり続けてきたのが皇室です。天皇は何をなさらずとも、いて下さるだけで有り難い存在であることを強調したいと思います。その余のことを、天皇であるための要件とする必要性も理由も本来ありません。

 (二)譲位について

 誠に申し上げにくいことではありますが、賛成いたしかねます。

 長い鎖国が破られ、弱肉強食の厳しい国際環境の中に日本が立たされたとき、皇室は何百年か何十年かに一度のお役割を果たしました。政治が機能せず、国家の命運が危うくなったとき、天皇が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、見事に国民の心を統合しました。それが明治維新でした。

 その折、先人達は皇室と日本国の将来の安定のために、従来比較的頻繁に行われていた譲位の制度をやめました。日本国内の事情を見ていれば、事は収まった時代は去り、広く国際社会を見渡し、国民を守り続けることのできる堅固な国家基盤を築かなければならない時代では、皇室の在り様についても異なる対応が必要だったことは明白です。国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基盤である皇室には、何よりも安定が必要です。そのような考えで先人達は譲位の道を閉ざしたのではないでしょうか。

 また歴史を振りかえれば譲位は度々政治利用されてきました。そのようなことは現時点に日本では考えらなくとも、100年、200年後にはどうでしょうか。国の在り方については、長い先までの安定を念頭に置き、あらゆる可能性を考慮して、万全を期すことが大事です。眼前の状況支店に過度な影響を受けることは回避しなければなりません。

 天皇は終身、天皇でいらっしゃます。その役割は、すでに申し上げたように深い日本文明の歴史に基づいて国家国民のために祈ってくださることです。今上天皇がそうした思いを抱かれ祭祀を大切になさっておられることは、国民の一人として感謝するばかりです。加えて陛下は御自身なりの象徴天皇のあり方を模索なさる中で、常に国民と共のありたいと願われ、日本各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅を大切なこととして実践してこられました。自然災害に苦しむ地域、戦争の傷跡が残る内外の戦跡、病む人々の収容されていた施設など分け隔てなく訪れて下さいました。これらすべて行幸啓、そこに込められた誠実な御心と国民全般に広く注がれる愛もまた、国民の一人として深く心に刻み感謝しています。

 このような理想的な天皇としての在り方が、ご高齢となって難しくなり、従って譲位なさると仮定して、同様の天皇像を次の世代に期待することは果たして妥当でしょうか。はたまた可能でしょうか。おひとりおひとりの天皇はこれまでも、これからも、自らの思いと使命感で自らの天皇像を創り上げていかれるはずです。そのときに求められる最重要のことは祭祀を大切にして下さるという御心の一点に尽きるのであり、その余の要件ではないという気がしてなりません。

 昭和天皇のお姿を思い出します。特別なお立場ゆえの責任は比類なく重く、孤独でもおられたことでしょう。わが国敗戦の折には、昭和天皇は命をかけて国民と国家を守る気概を示されました。戦後は国民を励まし続けられました。そして病を得て、ご病状が国事行為やご公務のお務めを許さないときでも昭和天皇は御世の最後まで譲位なさいませんでした。天皇は終身、天皇でいらっしゃる。ただお一人にしか果たせないその責任を完うなさった。

 今上天皇もかつて仰いました。
 「日本国憲法には、行為は世襲のものでありまた天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。私はこの運命を受け入れ、象徴としての望ましいあり方を常に求めていくよう務めています。したがって皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」。

 このように強烈な使命感と責任感によって理想の天皇像を作られてきた今上陛下が直接国民に語りかけられました。憲法に抵触しかねないお言葉の背景には、余程の思いがあったと感じます。国民として、如何に陛下の御心に応え得るのかを真剣に考えました。すべての理屈を抜きにして、逡巡、懸念、疑問をも横に置いて、ご希望を叶えて差し上げたいと切望するのは、両陛下のお幸せを願う一国民としての純粋かつ素朴な感情です。圧倒的多数の国民がご希望を叶えて差し上げたいと考えているのも同様の思いからでしょう。

 しかし、ここは慎重の上にも慎重でありたいと思います。全身全霊で祭祀やご公務打ちこまれるご高齢の陛下への配慮は当然ですが、そのことと国家の在り方の問題は別であることを、指摘したいと思います。両陛下に対する国民の圧倒的な親愛の情と尊敬の思いを基盤にしてご譲位を実現する場合、憲法に抵触する恐れのある決定に踏み込む可能性はないのか。今回のお言葉の持つ重い意味に心を残すばかりです。

 従って、多くのことを考えれば、ご譲位ではなく摂政を置かれるべきだと申し上げざるを得ません。皇室典範第十六条二項に「又はご高齢」という五文字を加えることで、可能になるお思います。

 ここでも昭和天皇のご下問を思い出します。四方目の内親王、厚子さまがお生まれになった直後の昭和六年三月二十六日、昭和天皇は元老西園寺公望に、皇室典範を改正して「養子の制度を認める可否」をご下問なさいました。ご自分は四方のお子さまがいらしても、内親王に皇位を継承されるのではなく、あくまでも男系男子による継承を願われてのご下問でした。ご自分の都合で皇室の本質を変えてはならない、二七○○年近く続く、長い伝統を守ろうと、心を砕かれた証ではないでしょうか。

 もう一つ考えさせられる事例があります。昭和天皇は、昭和三年の張作霖爆殺事件に関して田中義一首相に怒りをぶつけて辞任を求めました。独白録ではそのことを「若気の至りである」と振かえられ、その後は立憲君主として発言を慎まれたと語っておられます。天皇として矩(のり=則)を守ることを心砕かれたのです。

 こう申し上げながら、私の心の中に憂いと申しわけなさがつもります。両陛下の御心の安かれと願いながらも、ご譲位に賛成できないがゆえの思いです。

 皇室の存在意義が日本と国民のために祈り続けることにあると、私は繰り返し述べました。そのお務めも、ご体調によっては代理を立ててこられました。国事行為や公務の一部を摂政にお任せになるのに、支障がないではないかと思うのはひとえに、私の利害が足りないためです。

 皇室と日本国の安定のために、終身天皇でいらっしゃることが肝要でありますが、摂政制度の活用を軸に多くの工夫を重ね、でき得る限り陛下のお気持ちに沿う方向での制度の改訂を急ぐことが大事だと再度申し上げ、私の意見陳述を終わります。

 平成二十八年十一月十四日

 櫻井よしこが言わんとしていることは、先ず天皇は歴史上政治的権力であった試しはなく、神事を執り行う大祭主であって、「戦後作られた現行憲法とその価値観の下で、祭祀は皇室の私的行為とされ」たが、このことは「戦後の日本大いなる間違い」であって、元々の「皇室の役割は、国家の安寧と国民の幸福を守るために祈る」ことにある、あるいは「皇室の存在意義」は「日本と国民のために祈り続けることにある」と、天皇を祭祀の役目に置き、その祈りによって皇室は「国民統合の求心力であり、国民の幸福と国家安寧の基盤」となっていると言うことであろう。

 祭祀が「皇室の私的行為」とされたことは「戦後日本の大いなる間違い」としている以上、櫻井よしこは天皇制度を戦前に戻したい願望を抱えていることになる。

 天皇という存在が「国家の安寧と国民の幸福を守るために祈る」ことにある、あるいは「日本と国民のために祈り続けることにある」と、それ程にも価値あることとしていることは、その「祈り」は実際に「国家の安寧と国民の幸福」を創り出す力を有していなければならない。

 まさか役に立たない「祈り」と見ていながら、天皇の役割を「国家の安寧と国民の幸福を守るために祈る」ことにある、あるいは「日本と国民のために祈り続けることにある」としているわけではあるまい。

 いわば「国家の安寧と国民の幸福」は天皇の「祈り」によって成り立っている。

 このことを裏返すと、日本という国は「安寧を守るために」、日本国民は「幸福を守るために」天皇に祈られる存在となっていて、「安寧」と「幸福」は天皇の「祈り」によって与えられているということになる。

 この関係構造は天皇の権威の絶対化に他ならない。天皇の権威を絶対化することによって、このような考えが生まれてくる。

 櫻井よしこがこうだと見ている祭祀としての天皇と日本国家・国民の関係は櫻井よしこがヒアリング後記者団に語った言葉が端的に説明してくれる。「産経ニュース」が伝えている。文飾は当方。 
 櫻井よしこ「譲位は過去に何十回も行われてきました。明治以降はなくなったわけですけど、それは日本国がそれ以前、国内の問題だけで事足りていたのが、非常に激しい国際情勢の中に投げ込まれて、国としての安定性を保たなければ国が続かないという状況のとき、国家の安定の根底は、やはり皇室の安定だと考えます。そのための制度として、譲位というよりは、終身天皇であらせられるほうが安定度が高いのではないかと思います」――

 「国家の安定の根底は、やはり皇室の安定だと考えます」

 「皇室の安定」があって、「国家の安定」があるという天皇対国家・国民の関係を描き出している。

 その関係をつくり出している種子が「祈り」と言うことであろう。

 それ程にも日本国家と日本国民は非主体的存在なのだろうか。祈られて安定的に存在し得る受動的存在なのだろうか。

 「国家の安定の根底」は国民生活の安定、あるいは国民の存在的安定でなければならないはずである。

 国民に関わるそのような安定は国民自らの社会活動・経済活動、及び国民が選挙を通して政治を委託する国と地方の政治家が政治の力によってつくり出していくものであって、そうであってこそ国民は責任ある主体的存在となり得る。
 
 だが、櫻井よしこのような天皇主義者は「天皇の祈り」が「国家の安寧と国民の幸福を守る」とすることによって国家と国民を天皇に対して非主体的存在とし、天皇を主体的存在とした、その影響下に置こうとしている。

 ここにも櫻井よしこの天皇の権威の絶対化願望が潜んでいる。

 その権威を絶対化したいからこそ、「天皇は終身、天皇でいらっしゃます」という発想となる。天皇となって一旦身に纏った権威を終身守らせることによってその権威を増幅させ、絶対化できる。

 天皇が高齢となり、男系の子、あるいは男系の孫に天皇の地位と権威を譲って退位し、天皇で無くなった高齢者として生存し続けることは天皇であった間の権威を自ら剥ぎ取った、権威も何もないタダの老人に見える恐れも出ることから、許し難いのだろう。

 死ぬまで天皇であることによって、天皇としての権威と存在はその威厳を保ち得る。

 要するに退位に反対し、摂政を置くことで終身に亘って天皇の地位に置こうという天皇論は天皇の権威を絶対化し、その絶対化を終身に亘って維持したいからで、そのような権威の絶対化を通して天皇の存在そのものを絶対化したいからであろう。

 このような絶対化が、「政治が機能せず、国家の命運が危うくなったとき、天皇が政治、軍事、経済という世俗の権力の上位に立ち、見事に国民の心を統合しました。それが明治維新でした」といった歴史上の事実誤認を生み出す。

 王政復古と称したものの薩長勢力が徳川家打倒の正統性、その大義名分の旗印として天皇を担ぎ出したに過ぎない。明治天皇が武家から権力を取り戻すために薩長勢力を糾合したわけではない。決して「世俗の権力の上位に立」っていたわけではない。

 上位は形式に過ぎず、明治政権の正統性と国民統治の装置としての役割を与えられていたのみである。その役割は大正、戦前昭和と続いた。

 戦前回帰と天皇の絶対化願望満載の櫻井よしこの意見陳述となっている。

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