民進党幹事長野田佳彦(59歳・早大政経学部卒)の次の衆院選に向けた共産党との選挙協力についての発言を11月27日付「asahi.com」記事が伝えている。
発言は11月27日地元・千葉県船橋市での支持者向けの会合でだそうだ。
野田佳彦「握手くらいは、やらないといけない。魂を売るわけではないが、どういう協力をするかは真剣に考えていく。
野党がバラバラで一つの選挙区で自民党、公明党の候補者と戦うにはまだまだ力不足。ビジネスでは握手だけでなく、カラオケに行って一緒にマイクを握ることもある。だが、魂を売るわけではないし、一緒に住む話でもない」
後段の「野党がバラバラで一つの選挙区で自民党、公明党の候補者と戦うにはまだまだ力不足」は野党連携の必要性を訴えたもので、「ビジネスでは握手だけでなく」以下の発言は幹事長就任前の6月に民進党を血液型のA型、共産党をB型に譬えて、「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」と両党の共闘を批判した発言を振り返ったものだと記事は解説している。
要するに輸血を受けても、「魂を売るわけではない」と言うことなのだろう。
「握手くらいは、やらないといけない」と言っている。つまり握手するだけにとどめておくということなのだろう。だが、「どういう協力をするかは真剣に考えていく」と矛盾したことを平気で言っている。
野田佳彦は感心するくらいに非常に譬え・比喩に長けている。素晴らしいと拍手を送りたい。これ程長けている政治家は他にはいないのではないか。
だが、考えが浅いことに自分自身は気づいていないようだ。考えが浅いままにやたらと譬え・比喩を口にする。
一般的に“魂を売る”は弱い立場にある人間が強い立場にある人間に対して行う自分を売る行動様式であって、強い立場にある人間はそうする必要性はどこにもない。逆に弱い立場の人間に魂を売らせる側に立っている。
例えば2012年の大統領選共和党候補のロムニーは今回の大統領選でトランプを「ペテン師で大統領になる資質も判断力もない」とコキ下ろしていながら、トランプから国務長官候補として会談を求められると、コキ下ろしたことをケロッと投げ捨てて、「大統領になる資質も判断力もない」トランプに国務長官として雇われるべくいそいそとシッポを振って会いに行き、和気藹々の会談の末に笑顔で握手して別れている。
ロムニーがトランプから国務長官に採用すると言われて引き受けたとしたら、批判してきたトランプの軍門に下ったことになる。
これなどはロムニーがトランプに節操もなく魂を売った例であろう。トランプは次期大統領という強い立場に立っていて、魂を売る必要性はどこにもない。
トランプはもしかしたらトランプを批判してきた人間たちの、その政治方面の才能は認めていたとしても、批判というものが如何に当てにならないか、世間に知らそうとしている可能性は否定できない。
みながみな魂を売れば、批判はウソっぱちだとすることができる。例えそれぞれの人間の節操の無さが浮き彫りになったとしても、無節操から出た批判に過ぎないと片付けられる可能性も生じる。
野田佳彦は「魂を売るわけではない」と譬えることによって気づかないままに民進党を共産党よりも弱い立場の政党に置き換えたのである。
大体が連携を求められている側が連携を求めている側に「魂を売る」などと言うことはあり得ない話でありながら、あり得ない話で連携というものを解釈している。
この程度の頭の政治家が民進党の幹事長を務めている。
また、「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」と発言していたそうだが、この場合の輸血とは一般的には健康な身体の人間がその血液を病気の身体の人間に注入して健康体に戻す種類の治療行為であって、その逆はあり得ない。
勿論、適合しない血液を輸血されたなら、死ぬ危険性が生じない保証はないが、あくまでも輸血は健康体から非健康体に向けた血液の移動である。
要するに野田佳彦は民進党を非健康体に擬え、健康体に擬えた共産党から輸血を受ける両者の関係とした上で、政策的に非適合ゆえに「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」と警戒心を見せた。
「魂を売る」の譬えにしても、「輸血して貰う」の譬えにしても、野党連携の必要性を言いながら、全て民進党を受け身に置いた野田佳彦の発言となっている。
曲がりなりにも野党第一党の幹事長でありながら、第一党なりの積極性、闘争心をどこからも窺うことができない。
巨大与党に如何に対抗して、その勢力を殺ぎ、自らの勢力を伸ばすためにはどうしたらいいか、譬え話にのみエネルギを注いでいるせいか、その迫力がどこにも見えない。
野党第一党である民進党の政策を如何に優先させて、野合批判を招かない連携とするか、長期的・全体的展望に立った戦略次元の課題として主体的に立ち向かって行動しなければならない話を野党連携を魂を売るとか売らないといった次元の低い話とすること自体が間違っている。輸血次元の話とすること自体が見当違いを犯している。
野田佳彦は一度は総理大臣を務めた人間でありながら、降格した形で幹事長を務めることで魂を売り、それ以前にも民主党が政権を取る前は「マニフェストに書いてない消費税増税はしない」と言いながら、民主党が政権を獲って自分に首相のお鉢が回ってくると、消費税増税法案の国会通過を図って成功させて、一度ならず魂を売っている。
このようにも魂を簡単に売る政治家が「魂を売るわけではない」といった譬えを用いる。滑稽な限りである。
結局のところ、共産党を交えた野党連携を行わなければ巨大与党に一定程度対抗させる形で民進党を立ち行かせることができないことを承知しているからこそ、あるいは蓮舫を新代表に迎えたものの、党を取り巻く状況が変わらないからこそ、野党連携の必要性を訴えているはずである。
いわば現状を脱するためには野党連携は実際のところは共産党よりも民進党の方がその必要性は高いはずである。
にも関わらず、「魂を売るわけではない」とか、「一緒に住む話でもない」とか、「輸血して貰ったら、死んじゃうかもしれない」とか勿体ぶっている。
その勿体ぶりが民進党を共産党に対して受け身の形に置いた関係性を実態としていることに気づかなければ、民進党がリーダーシップを握った野党連携はできないだろうか。
支持者向けの上記発言自体がどのようなリーダーシップも窺うことのできない言葉で成り立っている。