安倍晋三は経済格差が教育格差に始まり経験格差と対人関係格差増殖装置だと気づいていないらしい。
7月13日、安倍晋三が都内ホテルで開催の第30回全日本私立幼稚園PTA連合会全国大会に出席した。
安倍晋三「家庭の経済状態に左右されることなく、全ての子供たちに質の高い幼児教育を保障できるよう、幼児教育の段階的な無償化へ向けた取組み。段階的にしっかりとお約束を果たしていきたい、そう思っております。
幼児教育の振興について、政府与党一体となって取り組んでまいります」(首相官邸)
安倍晋三が公立幼稚園の会合ではなく、私立幼稚園の会合で「幼児教育の段階的な無償化へ向けた取組み」を公表するとは格差社会促進者であることからすると、非常に象徴的だ。
私立幼稚園に通っている場合でも生活保護受給世帯の子どもでも公的機関から年額で30万円前後、低所得の世帯にはそれ以下の補助金(私立幼稚園就園奨励費補助金)を受ける仕組みがあるが、一般的には私立幼稚園は生活余裕世帯以上の家庭の子どもが通うのが通り相場となっている。
このことは厚労相調査、《平成24年度子供の学習費調査・結果の概要》が証拠立ててくれる。
「年齢及び学年別の学習費総額」
幼稚園 3歳 公立190,185円 私立483,278円
4歳 公立209,090円 私立451,718円
5歳 公立260,088円 私立526,568円
生活保護受給世帯の子どもが私立幼稚園に通う場合、年額30万円を公的機関から補助金を受けたとしても、差額として残る20万円前後を月割としたとしても、月々1万円以上の自己負担に耐えることのできる生活保護受給世帯がどれ程存在するのだろうか。
この問題を幼児教育無償化が解決するようには見える。
確かに幼稚園に通う経費に関しては全てが無料で親の収入に関係なく平等となるが、収入の低い家庭の子どもが相互の家庭で行うお誕生会で家の造りや間取り、調度品の違いに肩身の狭い思いをしなければならない経験を強いられたとしたら、無償化だけでは片付かないことになる。
あるいは夏休みや春休み等、長期の休みのあと、幼稚園で子どもたちがどこへ遊びに行ったと話し合うとき、ディズニーランドに3日間行ったという子と日帰りで行ったという子と、これと言って自慢できる場所には行かなかった子と、どこへも行かなかったという子の間に肩身にも関係する親の収入に応じた経験の格差は無償化だけの問題ではないだろう。
いわば収入格差が教育格差へと継承され、教育格差が収入格差へと世代間で継承される負のスパイラルの一つの解決方法としての幼児教育無償化であったとしても、教育もある年齢に於ける教育に関わる一連の経験として存在するが、収入格差は経験格差へと否応もなしに継承されていき、経験の過程で形成していくことになる対人関係に於いても同じ生活程度の子どもが総じて友人関係を築いていく傾向があるように経験格差が対人関係格差に直結していく現実は無償化では解決できない、その埒外にあるということである。
親が裕福なために幼い頃から外国旅行に頻繁にいく経験に恵まれて成長していった子と旅客機に一度も乗ることなく成長した子では、それぞれが知る世界の違いがもたらす経験の差・質は自ずと違い、対人関係に於いても、自ずと格差が生じることになる。
と言うことは、教育格差や経験格差、対人関係格差を決定づけている出発点は収入格差であり、それが厳然として存在し、しかも拡大方向に向かっている以上、一番の元――大本となっている収入格差を改善しない限り、根本的解決とはならず、幼児教育無償化は単に一時的、その場限りの対処療法の役にしか立たないことになる。
幼児教育無償化が実現したとしても、収入格差そのものが変わらなければ、あるいは現在以上に拡大していくようなら、子どもそれぞれが成長の過程で影響を受ける経験格を差生み出す土壌・対人関係格差を生み出す土壌は変わらないばかりか、格差自体は更に拡大していくことになるということである。
当然、そういった土壌、各格差を平均化するためには収入格差自体を縮小する政策を取らなければならないことになるが、安倍晋三は一方で格差を拡大する政策を取り、一方で対処療法でしかない無償化を言う矛盾に気づいていない。
経験格差生み出す土壌・対人関係格差を生み出す土壌に決定的に変化を与えるわけでもない幼児教育の段階的無償化を学費が公立よりも2倍以上高い私立で言う。
最初に非常に象徴的だと書いたのは、このことである。