前原若造自著言及の2009年民主党マニフェストに関わる小沢一郎氏への薄汚い責任転嫁

2012-11-08 10:51:24 | Weblog

 国家戦略担当大臣だか何だか知らないが、前原誠司が今頃になって、近く出版予定の自身の著書の中で民主党2009年マニフェストの高速道路無料化やガソリン暫定税率廃止政策は「当初から納得できなかった」ポピュリズムだと言い出しているらしい。

 記事は「告白」扱いしているが、薄汚く責任転嫁することで逆に自己を正当化する詭弁としか言いようがない。

 《09年公約はポピュリズム=前原国家戦略担当相が著書で告白》時事ドットコム/2012/11/07-17:54)

 著書名は『政権交代の試練 ポピュリズム政治を超えて』(新潮社)

 前原誠司「違和感を拭えなかったのは『国民の生活が第一』とのキャッチフレーズ。単なるポピュリズムで政権を取っても自民党以上のバラマキになるのではないか」

 記事は解説で、〈小沢一郎元代表(現在は新党「国民の生活が第一」代表)を中心に作成された民主党の2009年衆院選マニフェスト(政権公約)に当時から不信感を募らせていたことを明らかにした〉としている。

 前原誠司(小沢氏に関して)「見え隠れするのは政権を取れば後はどうにでもなるとの考えで、自民党の最も古い体質を引きずった政治家かもしれない」

 何を言う若造め!

 前原誠司(民主党の政権運営に関して)「国民の信頼感を揺るがせたのは統治能力の問題だ。『非自民』の側面が矛盾となった。将来的には今と違う政党の枠組みを模索することもある。『保守の再編』を実現したい」――

 「『非自民』の側面が矛盾となった」と言っていることが具体的に何を指摘しているのか理解し難い。

 次の記事がより具体的な発言となっている。

 《前原大臣“民主の統治能力に問題”》NHK NEWS WEB/2012年11月7日 5時18分)

 前原誠司(民主党の政権運営に関して)「国民の信頼感を揺るがせたのは統治能力の問題だ。『非自民』の集まりという政党の一側面が矛盾となって吹き出し、それぞれのグループの理念や政策の違いが際だって、政治の混乱をもたらす一因となってしまった。

 日本の2大政党制は、今なお過渡期にあり、何より重要なのは日本をよりよく変えていくために力を合わせることだ。将来的には、同じ理念や方向性を抱くグループを結集し、今とは違う政党の枠組みを模索することもありうる。よい意味で『保守の再編』を実現したい。

 (政権交代した3年前の衆議院選挙に触れながら)政権がおかしくなり始めてから選挙を先送りしてもむだだ。現在の民主党政権にとっても大きな参考になるに違いない」

 最後は早期解散論の唱えである。

 要するに鳩山・菅・野田の歴代首相が「統治能力」を欠いていたために「非自民」の要素だけで集まった集団であったことが災いして、「それぞれのグループの理念や政策の違いが際だって、政治の混乱をもたらす一因」となり、「国民の信頼感を揺るがせた」。

 政治混乱を「統治能力の問題」と把えている以上、「統治能力」を備えていたなら、「それぞれのグループの理念や政策の違いが際だって」いたとしても解決する「政治の混乱」ということになる。

 でなければ、統治能力は常に無力ということになる。

 良好な政権運営も国民の信頼獲得も統治能力がキーワードとなるということであろう。

 前原若造は統治能力を必要不可欠のキーワードとしながら、同時に統治能力は必要ではないと言っている。

 「何より重要なのは日本をよりよく変えていくために力を合わせることだ」と言って、それを可能とする基盤として「同じ理念や方向性を抱くグループを結集し、今とは違う政党の枠組み」を挙げているが、「同じ理念や方向性を抱くグループ」であるなら、難しい統治能力はさして必要とはしない。

 同じ理念と同じ方向性、それ自体が、基本的にはその集団を既に統治状態に置くことになるからだ。

 逆に「グループの理念や政策の違い」を抱えた集団にこそ、厳しいまでに統治能力は必要不可欠の才能となる。
 
 だが、前原若造は統治能力を問題としながら、統治能力をさして必要としない「同じ理念や方向性を抱くグループ」の集まりを渇望している。

 この矛盾は前原自身が統治能力を欠いているからだろう。鳩山・菅・野田の歴代首相が「統治能力」を欠いていたために「日本をよりよく変えていくために力を合わせる」ことができず、混乱だけを招いたということは前原自身、重要な党幹部として、あるいは重要な閣僚として、「日本をよりよく変えていくために力を合わせる」側面からの支えにもならなかったことの証明であって、自身の統治能力の欠如の反映以外の何ものでもあるまい。

 だからこそ、統治能力を殆ど必要としない「同じ理念や方向性を抱くグループ」の集まりに憧れ、そのような安全地帯に安住したいということなのだろう。

 自身が民主党代表時代の偽メール事件でも統治能力を発揮できず、責任を取って代表を辞することになった。発揮できなかった者が統治能力を云々するのは滑稽である。

 さて、「国民の生活が第一」のキャッチフレーズのどこがポピュリズムで、どこに不都合があると言うのだろうか。国民の生活が総体的に成り立たなければ、同時併行的に日本の経済が成り立っていないことを意味する。日本の経済が順調に成り立っていれば、少なくとも国民主権の民主主義社会に於いては同時併行的に国民の生活は成り立っている状況となる。

 いわば国民の生活を成り立たせるためには先ず第一番に国の経済を成り立たせて、その利益が国民に再配分されるように国の制度・社会の制度を成り立たせなければならない。

 あくまでも政治は国民の生活を成り立たせるか、成り立たせないか、経済が基本となる。

 例えマニフェストの政策自体がバラマキとなっていたとしても、前原は民主党所属の単なる一議員としてではなく、重要な幹部としてそのマニフェストを承認し、そのマニフェストで2009年総選挙を戦い、政権交代を果たしたのである。

 いわばマニフェストに対する共同責任を単なる一議員以上に負った。

 もしマニフェスト政策に「当初から納得できなかった」と疑問を抱いていたなら、一抜けたと民主党を去るべきだったろう。

 だが、去らなかった。

 そういう経緯を踏み、マニフェストに多大な共同責任を負った以上、小沢氏が「政権を取れば後はどうにでもなるとの考え」に立っていたとしても、政権交代を果たして以降、「政権を取れば後はどうにでもなる」“どうにかする”の一大覚悟へと転換、その覚悟を持って政権運営に突き進むべきだったはずだ。

 ところがマニフェストに書いてない消費増税法案成立に「不退転」の一大エネルギーを注いで“どうにかした”ものの、マニフェスト政策の実現に関しては、“どうにかする”の覚悟を疎かにした。

 無駄なエネルギーを注いで成立させた消費税増税が2014年4月8%、15年10月10%なら、次の総選挙のマニフェストに正々堂々と書いて、正々堂々と選挙を戦ったとしても間に合ったはずだ。

 “どうにかする”の一大覚悟がなかったためにマニフェストに書いてあることが疎かになり、マニフェストに書いてないことをやらかす逆転現象を引き起こした。

 このような自分たちの振舞いを棚に上げて、あるいは自分たちの共同責任には頬被りをして、今更ながらに「見え隠れするのは政権を取れば後はどうにでもなるとの考えで、自民党の最も古い体質を引きずった政治家かもしれない」と小沢氏に責任をなすりつける。

 青臭い若造こそが、こういった責任転嫁を用いた自己正当化の詭弁・策略を得意とする

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田中真紀子文科相3大学認可見送りとそれに対する批判の是非を検証する

2012-11-07 10:34:09 | Weblog

 田中真紀子文科相が大学の設置認可機関である文部科学省「大学設置・学校法人審議会」が開校を認可した秋田市、札幌市、愛知県岡崎市の3大学の認可を見送ったことに猛批判が噴き出している。

 田中文科相は大学の数と数に対する質を問題とし、批判は多数議論の決定に対する個人の判断の正当性の適否を問題としている。

 田中文科相「大学(関係者)が委員の大半で、大学同士でお互いに検討している。

 全国に大学の数が約800あるが、質が低下している。量より質が重要だ」(MSN産経

 後者は次の意見が代表する。

 文科省幹部「大学設置認可の権限が文科相にあるとはいえ、審議会が半年以上かけて審査した結果を覆すのは、いかがなものか」(MSN産経

 「大学設置認可の権限が文科相にあるとはいえ」と言いつつ、審議会による多数議論の決定を大臣個人の判断の上に置いている。あるいは後者を絶対的判断と位置づけている。

 このような関係は審議会の決定を大臣が無条件・機械的に従うことによって成り立つ。

 いわば最終決定に関して、大臣は形式的存在に過ぎないことになる。

 だが、形式的存在に徹せずに、絶対であるべき多数議論を覆した。多分、田中文科相の決定を独断とすら見ているに違いない。

 もう一つ、両者の関係で分かったことは、田中文科相は審議会に出席していないということである。出席していたなら、自身の判断に基づいて多数議論をリードしただろうから、審議会の決定自体が違う内容となったはずだ。

 田中真紀子氏が文科相に就任したのは野田第3次内閣改造の10月1日である。そして1か月後の11月1日に審議会が3大学の来春開校認可を大臣に答申。翌日の11月2日の記者会見で、認可を見送ったことを公表。

 田中真紀子氏の文科相就任から1ヶ月ありながら、審議会に出席せず、審議会の多数議論決定の答申を待って、最終権限者としてその決定を覆した。

 大臣の出席が義務付けられているのかどうか、「大学設置・学校法人審議会令」を見てみた。義務付けられていながら、出席せずに答申を覆したということなら、田中氏に瑕疵があることになる。

 だが、「審議会令」のどこにも大臣の出席は書いてない。「議事」について次のように規定している。

 第9条 審議会は、委員の過半数が出席しなければ、会議を開き、議決することができな
    い。
  2 審議会の議事は、会議に出席した委員の過半数で決し、可否同数のときは、会長の決す
   るところによる。
  3 前二項の規定は、分科会の議事について準用する。

 大臣は委員の任命や指名の役を担っているのみである。

 また文部省のHP、《平成20年大学設置・学校法人審議会(第1回) 議事要旨》には、文部科学大臣の代理として、「高等教育局長」の名前が出ていた。

 要するに官僚主導で大学の開設が決まっていく構造があるのではないだろうか。

 このことは次の記事の田中発言からも見て取ることができる。《認可見送り 田中大臣決定に波紋広がる》NHK NEWS WEB/2012年11月2日 20時51分)から見てみる。

 田中文科相「これまでと同じように審議会にお任せするのがいいかどうかは、火を見るよりも明らかだ。多様な視点で判断してもらえる人選を行うなど、ありようを抜本的に見直したい」

 「大学設置分科会」の委員は15人で、うち11人は大学関係者で占められていると記事は書いている。

 穂積秋田市長「前の大臣が任命した諮問機関の審議会が許可すべきだとしたのに、新しい大臣の考え方一つで判断が変えられるというのは行政の継続性に逸脱し、非常に遺憾だ。審査する前にメンバーも基準も変えろと言いたい。文部科学省の内部の問題で、外部の私たちが多大な損害を受ける」

 田中文科相が問題とした4年制大学の数は20年前の平成4年の523校が10年前に686校、ことし5月には783校、ここ10年だけ見ても100校近く増えているという。

 問題は審議会が開校認可した大学が全て順調な経営と大学の質及び大学生の質を維持しているかどうかであろう。

 記事は書いていないが、大学の定員割れや廃校、募集停止が頻繁に発生し、8月27日(2012年)発信の「日経電子版」記事題名は《私大の45.8%が定員割れ 今春、3年ぶり4割台》となっているという状況、定員割れを中国人留学生等でどうにか補っている大学も数多く存在すると言われている状況、中国人留学生の多くが学費稼ぎにバーやキャバレーでアルバイトしている状況、中には留学は隠れ蓑で、単に日本に出稼ぎに来た留学生も数多く存在するとも言われている状況等は審議会の多数議論の決定が必ずしも正しい結果を生み出しているわけではないことを証明しているし、審議会による大学の粗製濫造と言われても仕方がないはずである。

 粗製濫造は当然質の低下を同時併行させる。

 実際にも大学の質だけではなく、大学生自体の質の低下も盛んに言われているはずである

 となると、穂積秋田市長が言っている、「前の大臣が任命した諮問機関の審議会が許可すべきだとしたのに、新しい大臣の考え方一つで判断が変えられるというのは行政の継続性に逸脱」するという批判は大学や大学生の質向上に資するか否かの観点を欠いているがゆえに必ずしも正当とは言えなくなる。

 橋下日本維新の会代表畑中文科相の今回の不認可決定を批判、大学の自由競争を主張している。《「需給調整は国の役割ではない」 大学不認可問題で橋下市長が田中文科相を批判》MSN産経/2012.11.6 21:47)

 大学や大学生の質の問題を需要と供給の関係のみで把えている。

 11月6日の大阪市役所記者会見。

 橋下大阪市長「大学の需給調整は国の役割ではない。切磋琢磨にさらさないと、大学の発展はない。

 大学の新規参入は認めるべきだ。(大学が)良いか悪いかはユーザーがきめればいい。大学がつぶれたときに、学生が他大学に移れるようにするなどのセーフティーネットを作るのが国の役割だ」

 大学間の自由競争のみで大学と大学生の質が向上するだろうか。質の低い大学に入学した、あるいは質が低いままに入学した大学生の質を低いままに放置して卒業させたとしても、そういう質の低い大学生のみが集まって経営さえ成り立てば生き残ることになる。

 大体が審議会の認可が降りないうちから学生募集のパンフレットを作成、校舎まで新築させていたというのは認可申請を提出した段階で開校を既定路線としていたということで、大学側と審議会側が正式な認可前に開校許可の何らかの意思疎通を図っていなければ不可能であるはずである。

 いわば審議会の議論は最初から“認可ありき”の多数議論ではなかったかという疑いである。

 このことの一端を次の記事が触れている。《「田中文科相の思い付きに振り回されたくない」 新設不認可で岡崎女子大の学校法人》MSN産経/2012.11.2 13:02)

 記事冒頭。〈田中真紀子文部科学相が認可しないとした岡崎女子大学(愛知県岡崎市)を新設予定の学校法人清光学園は2日「納得できない」とのコメントを出した。〉

 そして清光学園の話として、〈約2年前から文科省に設置を相談し、今年3月に認可申請。2013年度の開校に向け、大学設置・学校法人審議会からの問い合わせなどに応じていた〉と記事は解説しているが、この話自体が最初から“認可ありき”を前提としている。

 さらに次の解説も同じことを証明している。

 〈清光学園は岡崎女子短大や幼稚園を運営。短大を改築し大学校舎にするほか、大学案内のパンフレットなどを作成していたという。認可を前提に学生の募集を始め、今月末にも推薦入試を実施する予定だった。

 認可が降りるかどうか分からない段階で既に2013年度の開校に向けて準備し、学生募集と推薦入試実施を予定していた。

 審議会の議論は儀式に過ぎないことを証明している。儀式で済ますことができるのは校舎の規模や募集学生数に対する教師の人数等の規格面のみを問題にしているからで、どの程度の成績の生徒を募集するのか、どの程度以上の成績の生徒を進学させ、卒業させるのか、そういった成績の生徒が募集可能かどうかといった質の面を問題としなかったからだろ。

 いわば絶対評価でいくのか、相対評価でいくのかによって質は違ってくる。

 絶対評価でいったなら、定員割れの大学がゴマンと出るに違いない。

 清光学園「審議会の認可は得ていたが、大臣の判断で不認可だと伝えられた。詳しい理由を教えてもらえず納得できない」

 担当者「資金を投じて準備してきた。文科相の思い付きに振り回されたくない」

 何よりも問題なのは、大学開設の申請にしても、その申請に対する審議会の多数議論しにしても、“認可ありき”の前提で取り扱ってきたことであろう。

 〈3大学のうちの秋田公立美術大は「東北唯一の公立系美大」〉であることを以って、また、〈札幌保健医療大は「全国2番目の看護師不足地域克服」という明確な必要性〉(MSN産経)を以って開設の正当性を訴えているが、「唯一の公立」であることが質の確保の絶対条件となるわけではないし、看護師不足地域の克服という必要性、目的があったとしても、医師・看護師の都会一極集中を打破できる保証となるわけではない。

 そもそもからして、地方の医師・看護師不足は医師・看護師の都会一極集中が原因のはずだからである。

 自民党は田中文科相の「裁量権の明らかな乱用」(毎日jp)と把え、自発的辞任や参院に問責決議案を提出する選択肢も「排除しない」(同毎日jp)態度に出ているが、大学開設申請側や審議会の“認可ありき”の機械的大学開設の構造的問題、さらに大学や大学生の質低下の構造的問題からも、田中文科相の不認可を把えて批判すべきではないだろうか。

 田中文科相は批判の噴出に驚いたのか、新たに検討会議を設置、新基準を策定して、適合の場合来春の開学を認める方針転換に出た。

 多分、質抜きの“認可ありき”で軟着陸の決定を図るに違いない。

 アメリカやヨーロッパの技術を真似て、それを発展させてきた時代はとっくに終わっている。このような発展構造は中国や韓国に移っているからである。

 創造的な能力が日本人にとって平均的ではなく、一部のみが突出した構造で創造的である場合、創造性を日常的に相互に刺激し合ってなお一層創造性を高める機会が与えられずに一部のみの創造性にとどまることになり、必要とされる産業構造の転換や技術革新、政治の変革が世界にただでさえ遅れを取っている状況から抜け出せないことになる。

 少子高齢化・人口減少社会に対処するためにも産業構造の変化や技術革新、政治の変革は早急に求められているはずである。

 アメリカが自国以外から優秀な能力・優秀な頭脳を抵抗なく受け入れて創造性発揮の場を提供、そのことが他の創造性を刺激して産業構造の転換や技術革新、政治の変革につながっていく。

 暗記教育から脱して自ら考える思考性を持たせる教育に日本の教育を転換することから初めなければ、創造的な能力の平均化は望むことはできない。

 質を抜きにただ大学や増やせば済む問題ではない。

 このことに田中真紀子文科相は一石を投じた。

 問責決議案や自発的辞任で片付けていいだろうか。

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森喜朗のごくごく自己都合な安倍晋三等自民執行部「解散要求」発言封じ

2012-11-06 10:59:18 | Weblog

 最初に断っておくが、自民党を支持しているわけでも、安倍晋三国家主義者を支持しているわけではない。小沢一郎氏の「国民の生活が第一」に次期総選挙で第三極として一定の勢力、キャスティングボードを握れる程の勢力確保ができればと期待を寄せている。

 11月5日(2012年)、昨日である。自民党衆院議員パーティーで森喜朗元首相が安倍晋三自民総裁と高村自民副総裁の早期解散要求発言に苦言を呈したという。《森氏が安倍総裁に苦言=「早期解散を言い過ぎ」-自民》時事ドットコム/2012/11/05-21:00)

 安倍晋三「日本のためにちゃんと解散を行い、首相は誠意ある人だということを証明していただきたい」

 高村正彦「首相が大うそつきでないとすれば、今年中に解散・総選挙がある。みんなにとって良いことだ」

 森喜朗「どっちみち来年の6、7月には参院選があり、8月には(衆院議員も任期満了で)首になる。(解散・総選挙を)いつやったって一緒だ。

 解散を早くしろだの、総裁も副総裁もつまらんことを言い過ぎだ」

 早期解散反対、来年半ば以降で結構と言っている。

 森喜朗ご都合主義者の身内に対する「解散要求」発言封じは何も今回が初めてではない。

 《森氏「解散ばかりみっともない」 石破氏に厳しく苦言》TOKYO Web/2012年10月12日 23時34分)

 自民党の総裁選で安倍晋三が当選、安倍は党員投票でトップだった石破茂を幹事長に据えた。その石破が10月22日、国会内の森事務所を尋ねて、幹事長就任挨拶をした。

 森喜朗「解散、解散ばかりではみっともない。昔の社会党や共産党のやり方だ。なぜ国会議員票で負けたのか」

 石破茂「・・・・・・・」

 ニヤニヤ笑うだけで、何も答えられなかったのか、記事は、〈石破氏が言葉を継げない場面もあった。〉と解説している。

 森喜朗「大野党としてもっとどっしり構えなさい。もっとやることがあるでしょ」

 石破茂「私もそう思います」――

 早期解散反対は野田政権擁護を意味する。野田首相延命と言い換えてもいい。

 「大野党としてもっとどっしり構えなさい」などと立派なことを言っているが、どっしり構えることが野党の務めではない。野党は自らの政治を行うべく与党を政権から引きずり降ろす政治闘争を専らとし、与党は自らの政治を維持すべく野党の与党に対する攻撃を撃破する政治闘争を専らとする。政治闘争とは政治上の権力闘争である。政策闘争とは限らない。相手の失言や閣僚人事の失態等々まで攻撃の材料として相手を失点させ、自らの得点とする、政策外の闘争も含まれるからである。

 なぜこのような政治闘争を行うかと言うと、実際にはそうならなくても、自分たちの政治こそが国のため・国民のためになると思っているからに他ならない。

 政権交代後の民主党は自らの政治を日本のため・国民のためになると信じて行なってきたが、実際にはそうならなかった。

 野田内閣支持率が20%を切り、民主党支持率が低下、その反動で自民党支持率と次の首相候補支持率が世論の後押しを受けて比較的に高い数字を獲得、またとない政権復帰のチャンスとなっている。この絶好の政治闘争の季節に森喜朗は自民党内の動向に反して野田政権擁護、野田首相延命の立場を取っている。

 なぜなのだろう。与党擁護・延命は野党の務めたる政治闘争の放棄を意味する。政治闘争の放棄をしてまで、森喜朗は野田政権擁護、その延命に手を貸そうとしている。

 理由なくして言動は成り立たない。 

 挨拶一つを取っても、上司に対しては丁寧であったり、敬意を込めていたり、媚びていたり、部下に対しては親しみを込めたり、あるいは機械的・義務的であったり、それぞれ上司だから、部下だからといった理由を持つ挨拶となる。

 玄葉外相が今年(2012年)7月28日、ロシアを訪問、南部ソチでラブロフ外相、プーチン大統領と相次いで会談している。要するに領土問題に於ける双方受入れ可能解決策模索の対話継続に関する確認作業である。

 ロシア側に返還する気がなければ、確認儀式となる。

 その疑いは7月28日の玄葉・ラブロフ外相会談と玄葉・プーチン会談を伝えた次の記事から見て取ることができる。

 《領土問題 日ロ、対話継続を確認》TOKYO Web/2012年7月29日 朝刊)

 玄葉外相が例の如く、「北方四島は歴史的にも国際法上も日本固有の領土である」と日本側の基本的立場を表明、メドベージェフ首相の7月3日の国後島訪問に遺憾の意を伝え、抗議した。

 ラブロフ外相の会談後の共同記者会見。

 ラブロフ外相「抗議を受け入れることはできない。(抗議は領土交渉に向けた「静かな環境」醸成のための)必要な雰囲気をつくることに全く役に立たない。

 ロシアの政府要人が訪問を控えることはない」

 共同記者会見だから、玄葉外相も参加していた。いわば玄葉外相の目の前で日本側の抗議を撥ねつけ、訪問は今後共続けると挑戦的態度に出た。双方受入れ可能解決策模索の対話継続の確認作業がロシア側からしたら儀式ではないかと疑う根拠がここにある。

 玄葉外相はプーチン会談では、森喜朗元首相を政府特使として派遣したいと伝達。

 プーチン「いつでも受け入れる」

 歓迎の意向を示し、その上でロシア極東のウラジオストクで9月開催のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議時に予定されている野田首相との首脳会談にも期待感を表明したという。

 ウラジオストクでの野田・プーチン首脳会談は9月9日行われた。プーチンはAPEC首脳会議の終了後の記者会見で北方領土問題の解決に前向きな姿勢を示したという。

 対して野田首相は9月9日、前日の日露首脳会談合意の12月訪露について同行記者団に次のように話している。

 野田首相「(北方)領土問題の実質的な協議もやっていく意味合いもある」(MSN産経

 要するに今回の野田・プーチン会談では「領土問題の実質的な協議」は行わなかった。12月の訪問でその協議が主要なテーマの一つとなるという意味であろう。

 森喜朗政府特使派遣はいつのことかと思っていたら、昨日の「時事ドットコム」記事がその辺について報道していた。

 《森元首相が訪ロ検討》2012/11/05-22:56)

 記事発信日時が自民党衆院議員パーティーで自民党執行部の早期解散要求発言に苦言を呈したのと同じ日である。

 記事冒頭。〈自民党の森喜朗元首相がロシアを月内にも訪問し、プーチン大統領と会談する方向で調整していることがわかった。政府関係者が5日、明らかにした。〉

 目的は、〈野田佳彦首相の12月の訪ロに先立ち、地ならしをするのが狙い。難航する北方領土問題について話し合うとみられる。〉

 さらに次のように解説している。〈森元首相の訪ロをめぐっては、新党大地・真民主の鈴木宗男代表が首相に政府特使としての派遣を提案。首相も検討する考えを示し、プーチン大統領も前向きとされるが、「双方の日程の都合」を理由に先送りされている。〉云々。

 外務省幹部「政府交渉の役割をするわけではなく、昔の友人として話をする」

 記事はこの発言を、〈森元首相を政府特使とすることには否定的な意見もある。〉としているが、森訪露を明らかにしたのが政府関係者である以上、政府派遣のはずだし、玄葉外相も7月28日の玄葉・プーチン会談で政府特使として派遣したいと伝達しているのだから、政府派遣でなければならないはずだが、「政府交渉の役割をするわけではな」いと言っているのは矛盾している。

 政府派遣で、「昔の友人として話をする」ということになる。

 多分、森派遣で領土問題に何らかの進展が出た場合、外務官僚のメンツが丸潰れになるために政府派遣にしたくないということかもしれない。政府派遣でなければ、正式な立場で領土問題を話し合う資格を失う。

 それとも森政府特使派遣が領土問題進展に何ら貢献しなかった場合、派遣自体が野田首相の責任問題に振りかかることを前以って避ける意味合いから、「昔の友人として話をする」ということにしたのだろうか。

 いわば失敗の予防線を張るための政府特使外しということなのか。

 「いくら実力者だといっても、野党の議員を政府特使として派遣までしておきながら、何の役にも立たなかった、何のために派遣したのだ」という責任問題が起きることは十分に予想できる。

 森喜朗がプーチンの「昔の友人」だというのは、2001年3月25日、イルクーツクで日ロ首脳会談を行い、北方四島返還を話しあっているばかりか、このときを合わせてプーチン大統領とは6回も会談して、旧知の間柄になっているからだろう。

 Web記事――《プーチンと親しい森喜朗が語る北方領土交渉秘話》 ジャーナリスト活動記録・佐々木奎一/2012年07月05日)に、イルクーツクの日ロ首脳会談について次のような記述がある。
  
 この会談のとき、〈森氏は「歯舞群島、色丹島の二島については、どうやって返還するのか協議をしましょう。国後、択捉島については、日ロいずれに帰属するかについて協議しましょう」という並行協議を提案。プーチン大統領は「その提案は持ち帰らせていただきたい」と述べた。

 元外務省の佐藤優氏によると、この頃が北方領土が日本に返還される最大の好機で、「そのまま交渉を続けていれば、もう歯舞、色丹には日の丸が揚がり、国後、択捉は、今ごろは交渉が終わり、日本のものになっていた可能性がかなりあった」と語っている。

 そして今、民主党の前原氏や玄葉光一郎外相などの野田政権は森路線を継承しており、またとないチャンスが再び来ている、という。今後の動向を注目したい。〉――

 元外務省の佐藤優氏が言っていることが果たして事実そのとおりになったのだろうか。森喜朗は、歯舞群島、色丹島を日本返還の直接的な対象として提案した。

 だが、このことを裏返すと、日本返還の対象としたのは歯舞群島、色丹島のみで、国後島、択捉島両島は直接的には日本返還の対象としなかったということになる。

 国後島、択捉島両島は日本返還の直接的な対象とはせずに日露いずれかの帰属の対象として提案した。

 いわばロシアへの帰属もあり得るとしたのである。

 当然、ロシアへの帰属という選択肢も否定できないのだから、元外務省の佐藤優氏が言っている、「そのまま交渉を続けていれば、もう歯舞、色丹には日の丸が揚がり、国後、択捉は、今ごろは交渉が終わり、日本のものになっていた可能性がかなりあった」の後半部分はかなり怪しくなる。

 ロシアは北方領土は第2次世界大戦の結果、ロシアの領土となったとの立場を取っている。

 ラブロフ外相「第2次世界大戦の結果を認めるという他の国がしていることを、日本がする以外に方法はない」

 これがロシアの公式的見解となっている。

 日本側には誰を政府特使としてロシアに派遣しようとも、この見解を破る理論の武装にかかっているが、今以て構築できないでいる。

 森喜朗は今季限りで引退を表明している。当然、森政府特使ロシア派遣は新聞・テレビが大々的に取り上げる、誇らしさこの上ない最後の一大晴れ舞台となる。

 引退を飾る格好の記念碑となるに違いない。

 飛行機のタラップを降りたとこでロシアの大統領プーチンににこやかに迎えられる(となるかどうか)。

 一方、自民党は12月16日投開票となる年内衆院解散・総選挙を求めて、一大攻勢をかけている。12月16日投開票の場合、11月22日までの解散が必要だとしている。

 もし野田首相が自民党の攻勢に負けて11月22日解散・総選挙、12月16日投開票となると、野田首相自身の訪露の目はなくなり、森政府特使訪露の目も野田訪露の目と玉砕することになる。 

 あるいは心中することになる。

 引退を飾る格好の記念碑となる誇らしさこの上ない最後の一大晴れ舞台が、散々夢だけ見させて煙の如くに消えることを意味する。

 但し、森喜朗が「どっちみち来年の6、7月には参院選があり、8月には(衆院議員も任期満了で)首になる。(解散・総選挙を)いつやったって一緒だ」と望んでいるように解散が来年以降にずれ込めば、夢は土俵際で残ることになる。

 いわば自身の一大晴れ舞台実現のためというごくごく個人的な自己都合からの自民党執行部「解散要求」発言封じだということである。

 政権を奪われた野党の無能な実力者でありながら、政権交代のチャンスを先延ばしにする理由はこのことを措いて他にはないはずだ。

 大体が2001年2月10日、ハワイ沖で日本の水産高校の練習船「えひめ丸」にアメリカ海軍の原子力潜水艦が浮上時衝突、えひめ丸は沈没して教員5人、生徒4人が死亡したとき、その第一報がSPの携帯電話を通じてゴルフ場でゴルフしていた森当時首相に入ったにも関わらず、沈没した練習船の教師・生徒の安否を気遣うことなく、また相手が米海軍の原子力潜水艦であり、加害と被害の関係に応じて日米安全保障問題に少なからず影響する可能性もありながら、第一報後、1時間以上もプレーを続けていたごくごく自己都合の政治家なのである。

 最後の一大晴れ舞台を華々しく飾りたいばっかりに与党に対する解散要求という野党の務めである政治闘争放棄の自己都合を働かせたとしても不思議はない。

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野田首相は解散の手を使ってでも赤字国債発行法案成立させる責任を国・地方に対して負う

2012-11-05 10:01:39 | Weblog

 ――国を預っているのは民主党政権であって、赤字国債発行法案未成立は野田首相の責任事項であるはずなのに、野党の責任であるかのような振舞いをしている――

 11月2日(2012年)午後、首相官邸で開催された政府主催の全国知事会で、多くの知事から赤字国債発行法案未成立による地方自治体向けの交付税支出延期が自治体財政の圧迫を招来、野田首相に対して批判が噴き出たという。

 年4回の交付で、4回目交付日に当たる11月2日の道府県分2兆1500億円、市町村分1兆9300億円、合計4兆800億円配分を10月30日に既に支出延期を決定、野田政権としては珍しく素早い対応を見せていた。

 更に素早く道府県分交付の前回9月分から3回の分割支出としたために、分割延期の自治体の中には民間の金融機関から借入を余儀なくされ、既に金利負担が発生しているという。

 地方側は予定されている金額と支出日を基に地方予算の編成と執行を計画しているだろうから、政府の素早い対応に関係なく計画の狂いが生じることに変りはない。

 マスコミが伝えるまでもなく、予定外の無視できない金利負担が財政基盤の弱い中小規模の市町村自治体の財政を否応もなしに圧迫するのは目に見えている。

 国だけではなく、地方自治体もギリギリのところで予算を編成し、執行している。

 金利負担を抑えるべく借入を抑制した場合、公共事業の支払い等に影響が出て、地方経済まで圧迫する要因になりかねないという。

 支払い延期対象が下請にまわり回って財政基盤の弱い中小零細企業に回っていった場合、倒産という最悪の事態も招きかねない。

 また、自治体の中には職員の冬のボーナス支給を遅らせることを検討し出したというが、このことが消費抑制につながった場合、やはり地方経済に少なからざる悪影響を与えることになる。

 影響は地方だけではない。予算執行停止という事態が生じれば、国家運営そのものに悪影響が出てくる。

 当然、野田首相は赤字国債発行法案の成立に大きな責任を負っていることになる。

 問題は野田首相が成立に対する責任感を強く意識しているかどうかである。
 
 《知事会 交付税支出延期で政府批判》NHK NEWS WEB/2012年11月2日 18時53分)

 野田首相は11月2日の全国知事会で同日予定の自治体への地方交付税4兆円余りの支出延期に関連して次のように発言している。 

 野田首相「11月になっても赤字国債発行法案が成立していないという異例の状況のなか、予算の執行抑制を余儀なくされている。

 このまま赤字国債発行法案の成立がさらに遅れると、国民生活に大きな支障が生じかねない。政局第一の党派間の不毛な対立を乗り越えて法案が1日も早く成立するよう、政府としても最大限の努力を行っていきたい」――

 「11月になっても赤字国債発行法案が成立していないという異例の状況のなか、予算の執行抑制を余儀なくされている」とは、何という責任感なのだろう。

 「余儀なくされている」とは、止むを得ずそういう状況に置かれているという意味で、積極的に打開を図る強い意志を示す姿勢とは反対の受け身の姿勢を示しているはずだ。

 地方の狼狽は何ら感じていないからこそ言える発言であろう。

 国を預っているのは民主党政権であって、自民党でも公明党でも、その他の野党でもない。国を預かり、国の運営を任されている以上、国家経営に不可欠な法案を通す責任を政府は一身に負っている。

 当然、「赤字国債発行法案が成立していないという異例の状況」はあってはならない状況――「異例」で済ますわけにはいかない状況であるはずだが、そのように認識していることを窺わせる言葉はどこにもなく、単に「異例の状況」だとしている感覚は国を預っている意識に立った発言ではないからだろう。

 例え野党が政局から赤字国債発行法案の成立を政府打倒の取引き材料としたとしても、法案を通す責任が政府から野党に転嫁されるわけでなない。

 当然、政局は法案未成立の理由とはならない。理由とした場合、政権運営の放棄となる。

 にも関わらず、「政局第一の党派間の不毛な対立を乗り越えて法案が1日も早く成立するよう、政府としても最大限の努力を行っていきたい」と政局を法案未成立の理由としている。

 地方やその他に悪影響が出る前に既に成立させておかなければならない責任が政府にあるという認識を持ち合わせていたなら、政局を理由とせずに野田首相自身の努力不足・責任不足、あるいはリーダーシップ不足を理由とするはずだが、責任所在意識がないことが政局に理由を置くことになっているはずだ。

 山田京都府知事・全国知事会会長「地方交付税は、国民に直結する行政サービスのための財源で、国民生活が重大な危機を迎えているときの支出延期は、国と地方の信頼を根本から損なうものだ。そもそも何の見通しもない予算の執行抑制は、国の責任放棄であるといわざるを得ない」

 政府の責任であることから逃げの姿勢でいる野田首相に対して第一義的な責任は政府にあると言っているが、当然の発言である。

 飯泉徳島県知事「我々は、お金を借りてでも住民サービスを行わなくてはいけないが、地方交付税が本当に来るかどうか分からないと、身を切るしかない。徳島県では、職員に対するボーナスの遅配も検討している」

 野田首相ばかりか、閣僚もその他も政局に責任転嫁している。 

 10月5日の発言。

 岡田ご都合主義原理主義者「予算が成立したら、赤字国債を発行するのは当然だ。赤字国債発行法案を人質に取って、『通してほしければ妥協しろ』という政治が、国民に不信感を持たれており、条件をつけずに速やかに成立させてほしい」(NHK NEWS WEB

 10月6日の発言。

 前原口先「このままいくと11月には財源が枯渇してしまうので、赤字国債発行法案は絶対に成立させなければならない。国会がねじれているからといって、それを人質にとって国会審議に入らないのは、野党の責任放棄だ」

 いずれも野党に責任転嫁している。

 自公は年内解散の確約を条件に赤字国債発行法案の国会審議入りに言及している。

 《石破氏 法案成立で年内解散確約を》NHK NEWS WEB/2012年11月3日 18時4分)

 11月3日の発言。

 石破自民党幹事長「国民の生活や自治体の資金繰りが困るような事態を打開するのは、与野党双方の責任だ。法案への賛否は今の段階では言えないが、今年度予算のむだづかいをやめることとセットで成立させるのか、まずは法案だけを成立させるのか、話し合う余地はある。

 野田総理大臣は自らが求めている、赤字国債発行法案の成立と、衆議院のいわゆる1票の格差の是正、社会保障制度改革国民会議の設置の3つを実現すれば、解散するのか、抽象的なことばではなく、きちんと時間的な軸を示すべきだ」――

 赤字国債発行法案成立は「与野党双方の責任」だと言っているが、第一義的には国を預かり、国を運営している政府の責任でなければならない。

 主体的立場はあくまでも政府にあるということである。

 野党がこのような条件を突きつけている以上、解散を交換条件に赤字国債発行法案成立を図るのが国を預っている政府の責任であろう。

 読売新聞社が11月2~4日実施の全国世論調査(電話方式)は、野田内閣支持率内閣発足後最低の19%、不支持率68%の危機的状況を示したそうだが、もし野田内閣が国民世論から高い支持率を獲得していたなら、野党は解散を人質に法案の成立を働きかける政局に走ることはなかったろう。

 下手に解散・総選挙ということになったなら、自公は民主党議席増の貢献を担うことはあっても、自らの議席を減らすことになる。

 政局を招いていること自体が野田内閣の責任であり、当然内閣の長たる野田首相自身の責任だということである。

 国を預り、国を運営している以上、解散を代償としなければならないとしても、なおかつ政権交代を覚悟しなければならないとしても、国家運営の基本に関わる赤字国債発行法案成立を第一番に考えるべきが野田首相の現在の第一番の責任である。

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橋下徹の「今の政治が動かない最大の原因は憲法だ」は事実か

2012-11-04 12:44:42 | Weblog

 「MSN産経」が、橋下徹維新の会代表が読売テレビの報道番組で、「今の政治が動かない最大の原因は憲法だ」と憲法改正の必要性を主張したと報道していたから、果たしてそうなのかと疑問に思い、録画しておいた11月3日(2012年)土曜日の読売テレビ「ウエークアップ!ぷらす」から、憲法に関するコーナの主要部分を文字に起こしてみた。

 果たしてそうなのかと疑問に思った点は、小泉政治は憲法を原因とせずに日中関係を除いて動いていた。但し格差社会をつくり出した。

 政治が動かない状況は国民生活や経済活動に様々な障害を与えるが、逆に政治が動いていたとしても、その政治が全て正しいとは限らないという点に留意しなければならない。

 11月3日「ウエークアップ!ぷらす」

 出演者 橋本徹日本維新の会代表 細野豪志民主党政調会長 中江有里

 テーマ「憲法改正をどう考えるか」

 第三極結集の争点になっているとしている。

 日本維新の会は「憲法改正」を公約に掲げている。

 一方、連携を模索している石原前東京都知事は「現憲法破棄」を主張。

 10月25日(2012年)、石原慎太郎発言。

 石原慎太郎「占領軍が一方的に与えた、あの醜い日本語で綴られた憲法だと思います。全部変えたらいいんじゃないですか」

 10月26日(2012年)、橋下徹記者会見発言。

 橋下徹「憲法を何とかしなきゃいけないっていう、そこは(石原慎太郎と)同じですから。あとはその手法、僕は第96条の改正ってところが、先ずいの一番。

 参議院は不要です。廃止、要りません」

 日本維新の会の憲法改正を必要とする公約

 第67条――首相公選制
 第43条――参議院の廃止
 第96条――憲法改正発議要件を2分の1に緩和
 第94条――法令よりも自治体の条例が優先される「上書き権」創設

 辛抱司会者「憲法を改正するには96条を変えなくてはならない。96条を変えるには物凄くハードルが高い。道筋はどう考えるのか」

 橋下徹「ですから、今までの憲法論議というのは中身の議論してしまうでしょ?そうすると、やっぱりね、そこに思想が入ったりとかね、色んなものが入ったりして、国民全体がやっぱり憲法論議しようっていう雰囲気にならない。

 だから、中身の議論よりはね、そこは価値中立的に手続きを変えようっていうことを先ず国民全体でそこを共有して、そこが変わったあとに、そこが変わったあとにね、中身の議論、いろんな思想とかね、考え方とか、価値観とかをぶっつけ合って、中身の議論に入ればいい。

 僕は、あのー、行政の長をやって、よく分かったのは、その中身の議論をする政治家って、やりますけどもね、ホントーは、手続きを先ずきちんと整えて、そこから中身の議論をしないと、何も動かないわけです。

 で、国会議員のみなさんはね、行政の責任ある、まあ、そういう立場についた人が少ないから、すぐ中身の話ばっかしちゃうんですよね」

 細野「あの、憲法改正はですね、戦後50年以上、手続きが定められていなかったためです、ですよね。それが――」

 辛坊「そこの仕組みがなかった。それは安倍政権でやっと法律ができた」
 
 細野「2000、確か7年だったですね。国民投票法ができまして、あと幾つか課題が残っていますので、それを解決すれば、手続きは整うんですね。

 色んな議論があってもいいとは思います。ただ、まあ、これを一つ一つ考えていきます。憲法を変えないとできないことは勿論あるんですが、憲法を変えずにしっかりできることもありましてね。

 例えば、あの首相公選制なんですけども、これなんかはね、やっぱり国民が直接選んだ方が、そのー、総理に対しても国民も非常に、まあ、何と言いますか、信任も直接置くわけですから、いいんじゃないかという議論もあるんですけども、実際総選挙は、ほぼ首相公選制に近くなってるんですね。

 例えば民主党に投票するということは野田総理を国民は選んでいる。自民党の立候補に入れているときは安倍さんを総理にしたいと思っている。

 で、まあ、維新の会を選ぶときは、誰を総理に得られるか、少なくとも――」

 辛坊「決定的な違いは、そうして決まった総理大臣が公選制がないんですから、あとから国会議員の勝手でどんどん代えられるというところが――」

 細野「コロコロ代えるのが最大の問題で、やっぱり一回任せたら、そのひとにしっかりやって貰うっていう仕組みを、これは我々野党時代のことも反省しなければならないし、率直に言って、今の自民党にも若干ですね、やり方を考えないとならないところもありますね。

 お互いに反省をして、そこはしっかり与野党あってもですね、総理はしっかりとやって貰うっていうの、重要なことだと思います」

 中江有里「あのー。私はやっぱり、中身の議論っていうのをどうしても拘ってしまうんですね(笑いながら)。そのー、えーと、何て言うんですか、やっぱり憲法改正って言われても、はっきり言って、何か生活に結びつかないんですね。

 具体的にやっぱ、もっと、どうしたらどうなるのかっていう、その、憲法改正と中身っていうのが結びつくように話をして頂きたいなというのが思いですね」

 橋下徹「憲法はね、生活に、あのー、直接結びつくようなものではありません。これ、憲法っていうものは元々国家権力を縛る、そういう法律的な枠組みですから。

 要は行政組織とか政治をどう動かしていくかっていうルールなんでね。ただそういうところを今まであまり国民の皆さんに伝わっていないかと思うんですよね――」

 中江が、頷きながら、「えー、えー」と聞いている。

 辛坊「日常生活の中で憲法を感じることって、確かあまりないっちゃ言えば、ない・・・・」

 細野「今おっしゃったのは非常に、私は重要な指摘だと思うんですね。確かに憲法改正は議論するに十分値する、ジュウヨーなテーマです。

 ただ、2007年の安倍政権の議論で私が若干違和感を覚えたのはですね、ちょうどその時に消えた年金問題というのがあって、あれは国民的な大変な関心事だったんです。

 ところが、えー、年が明けて、暫くしてからすぐに指摘されたんだけども、正直言うと、当時の安倍総理の感覚はちょっと鈍くて、まあ、憲法改正の方にご関心があったんですね。で、結局、それ(消えた年金問題)が段々大きくなって、もうなかなか対応がままならなかったという状況がありました。

 つまり、一つの政権であれ程というのはそんなになくて、あのー、憲法改正ということになると、それに物凄いエネルギーを使うんですね。もう殆どそれにかかりきりになります。

 そのことを考えたときに、国制の現状がですね、例えば社会保障制度改革も、これも非常に重要なテーマとしてありますし、経済も非常に危うい状況にある。

 安全保障だってですね、ホントーにこれは際どい、色んな問題っていうのが出てきていますよねぇ。

 そういった問題があるときに憲法改正議論、私いいと思うんですが、次の政権の最重要テーマが憲法改正かと言われると、ちょっと私は国民の多くのみなさんにね、違和感を覚えられるんじゃないかというふうに感じています」
 
 橋下徹「そこはね、そこは細野さんと決定的に違うのはね、今の政治が本当に動かない最大の根本的な原因は憲法なんですね。

 政治がね、政治的なリーダーシップを発揮するとか言っても、仕組みがそうなっていないんです。今の議院内閣制とか、二院制のもとでは政治がリーダーシップを発揮できません。

 これは高度成長時代に官僚組織がしっかりとね、ある意味政治・行政を引っ張ってくれて、その上に政治が乗っかっていた時代だったらいいんですけどね、今のように政治がリーダーシップを発揮しなければいけないような時代に突入したときはね、今のこの憲法のもとでは、絶対に、誰が、どんな政治家がリーダーになっても、これは無理なんです」

 辛坊「確かに現状、憲法が衆議院、参議院、ほぼ同等の力を持たしておいて、調整機能がないということになれば、それはねじれたら、何も決まらないことになりますね」

 石原慎太郎が「憲法破棄」を唱えていることに対して。

 橋下徹「僕はここは石原さんとは絶対に相入れません。あの、先程も言いましたように憲法というのは権力をね、縛る最後の砦なんですよ。

 だが、憲法9条の議論は色々ありましたけどもね、あれがあったから、だから、自衛隊の、その在り様とかね、えー、海外派遣の在り様っていうものが、やっぱり、あの、憲法9条があったからこそ、ああいう議論になったわけですね。

 そこをもし権力者がね、この憲法はこうこうこういう理由でもう要らないんだと、破棄だっていうことを、もし許してしまえば、次の権力も、その次の権力も、自分の都合のいい理由をつけて、破棄だなんていうことを認めたら、もーうこれはね、民主国家でなくなります」

 石原慎太郎は、橋下徹が言うには現実主義者だから、「憲法破棄論」から「改正論」に変更したと言っている。

 【上書き権】〈地方公共団体が条例によって国の定めた政令や省令を修正する権限。地域の実情に応じた機動的な施策が可能になる半面、「地方公共団体は法律の範囲内で条例を制定することができる」(第49条)などと定めた憲法に違反するとの見方もある。〉(コトバンク

 「上書き権」を与えた場合、地方を国家の上に置くことにならないだろうか。中央集権体制打破はあくまでもどちらかの上下関係に置き代えることではなく、水平の対等関係に持っていくことを言うはずだ。

 先ず最初に「日本国憲法 第96章 改正の手続」を見てみる。

 〈(1)この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 
 (2)憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。〉――

 「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」ではハードルが高過ぎるから、中身の議論は後回しにして、手続きの議論を先にしようという橋下徹の説明となっている。

 だが、この主張は憲法改正論者の主張であって、現憲法を平和憲法と価値づけて改正する必要がないとする立場を取る国民にとって、手続き変更は不要で、価値中立的にはなれないはずだ。

 また、いくら憲法改正のハードルを低くしようとも、改正前に国民の信を問う必要がある重要テーマであるのだから、憲法の何条をどういった理由で変える必要があり、変えた場合、国民生活や社会形成、あるいは日本の経済活動、政治運営にどのような利益があるのかの納得のいく説明がなければ、信を問う選挙で撥ねられて、手続き変更に移れないのではないだろうか。その必要性に国民の多数が納得して、その納得が選挙の票に結びついて初めて手続きに入る順序を取ることができるはずだ。

 手続きを経て改正法が成立したあとに待ち構えている国民の「過半数の賛成」にしても、政治の側の説明にかかっている。

 つまるところ改正の必要性の説明に納得すれば、国民は早期改正のために手続きのハードルを下げる動きに出て、国民「過半数の賛成」のハードルも容易に乗り越えることができるはずだから、優先順位云々よりも全てに亘って政治の側の国民に対する説明にかかっていることになる。
 
 安倍政権が「国民投票法」を成立させたと言っても、国民が承認する「過半数の賛成」を得る憲法上の規定・法律が存在しなかったために、その法律を設けたということで、憲法96条を「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」から過半数に改正したとしても、国民の「過半数の賛成」に変更はない。

 いわば中身の議論を後回しにして手続きの議論を優先させハードルを下げたとしても、最終的には中身の議論と国民に対する説明が最重要となるということである。

 橋下徹の中身の議論よりも改正手続きの変更を優先させるべきだとする主張に対して中江有里が、国民の生活に結びつく中身の議論の必要性を訴えた。この訴えに橋下は次のように発言している。

 橋下徹「憲法はね、生活に、あのー、直接結びつくようなものではありません。これ、憲法っていうものは元々国家権力を縛る、そういう法律的な枠組みですから」

 確かに憲法は国家権力を律する国家最高法規である。

 だが、律する対象は政治及び行政、司法に関する分野だけではなく、「国民の権利及び義務」に関しても国家権力を「縛る」規定・制限をも含んでいることは誰も承知していることで、橋下徹の主張は矛盾している。

 誰もが承知していることをわざわざ例を挙げると――

 「第3章 国民の権利及び義務

 第11条 基本的人権の不可侵

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 第12条 自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 第13条 個人の尊重

 すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 第14条 法の下の平等

 (1)すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治
    的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 

 (2)華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 

 (3)栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、
    又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 第25条 生存権、国の社会的使命

 (1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めな
    ければならない。

 第26条 教育に関する権利と義務

 (1)すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を
    有する。 

 (2)すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を
    負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 第27条 勤労の権利・義務、労働条件、児童酷使の禁止

 (1)すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
 (2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 
 (3)児童は、これを酷使してはならない。

 第28条 勤労者の団結権

 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

 第29条 財産権

 (1)財産権は、これを侵してはならない。
 (2)財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。 
 (3)私有財産は、正当な保障の下に、これを公共のために用ひることができる。

 第30条 納税の義務

  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 「第10章 最高法規

 第97条 基本的人権の本質

 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 第98条 最高法規性、条約及び国際法規の遵守

 (1)この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその
    他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。 

 (2)日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 ――等々である。

 一見国民の権利・義務をも律しているように見えるが、「第97条 基本的人権の本質」が、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と謳っていることを敷衍すると、侵してはならない主体はあくまでも国家権力であり、侵されてならない客体は国民である。
 
 勿論国民自身も多種あの権利・義務を侵してはならない規定を守らなければならない。

 当然、憲法が律する国家権力の在り様が国民の存在性に直接的に影響を与えることになるから、橋下徹が 「生活に、あのー、直接結びつくようなものではありません」と言っていることに反して生活に直接結びつくことになる。

 細野は橋下維新の会の公約首相公選制を取り上げて、国民の投票が、投票した政党の代表者を首相に選ぶことになるから、公選制と近いと言ったものの、辛坊から、最初の首相は投票の対象になるが、解散しないで首相を交代させた場合、国会議員等の選挙で決まっていって、公選制とは言えないと否定されると、野党時代は自民党から同じく国民の選択を受けない首相交代を受けた時、散々に国民の審判を受けていない、正統性はないと主張していたことに反して、「コロコロ代えるのが最大の問題で、やっぱり一回任せたら、そのひとにしっかりやって貰うっていう仕組み」を主張し、民主党も反省するが、自民党もやり方を変えるべきだと言っている。

 要するに立場が変わると主張を変えるご都合主義を演じているに過ぎない。

 また細野は安倍政権が憲法改正が最大関心事で、消えた年金問題を疎かにしたから、国民の信頼を失っていったといった趣旨のことを発言しているが、要は政策の優先順位である。安倍政権は政策の優先順位を誤ったに過ぎない。

 民主党は日本経済の立て直し、国民生活の立て直しを優先順位上位の喫緊の課題としていて、憲法改正を政策の優先順位の上位に上げるつもりはないと短く言えば済むことを、要領を得ないことを長たらしく言っている。

 司会者の辛坊が出演者の紹介のところで、「民主党のプリンス」と持ち上げていたが、主張の的確性・言葉の的確性、さらにそのご都合主義から言うと、立場立場でいくらでも言葉を変え、詭弁に走る才能は十分で、プリンス変じて無能な首相になりかねない。

 最後に橋下徹が言っているように果たして、「今の政治が本当に動かない最大の根本的な原因は憲法」なのか、検討してみる。

 橋下徹「政治がね、政治的なリーダーシップを発揮するとか言っても、仕組みがそうなっていないんです。今の議院内閣制とか、二院制のもとでは政治がリーダーシップを発揮できません。

 これは高度成長時代に官僚組織がしっかりとね、ある意味政治・行政を引っ張ってくれて、その上に政治が乗っかっていた時代だったらいいんですけどね、今のように政治がリーダーシップを発揮しなければいけないような時代に突入したときはね、今のこの憲法のもとでは、絶対に、誰が、どんな政治家がリーダーになっても、これは無理なんです」

 既に憲法に関係なくリーダーシップを発揮してきた例として小泉政治を上げた。

 小泉政権は発足から退陣までを通して常に衆参両院とも自公合わせて過半数の数の力を確保していた。2004年の参院選挙では自民党自体は過半数割れであったが、公明党との数合わせで、やはり過半数を維持することができた。

 だが、安倍政権下の2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙で民主党が大勝、自公合わせても過半数を割り、ねじれ現象が生じて自民党政治は停滞することになった。

 民主党は2009年の総選挙で大勝し、政権交代を果たすが、菅政権下の2010年10月の参議院選挙で大敗、野党勢力に過半数を許すことになり、政治が停滞することになった。

 この経緯は憲法に関係なく、あくまでも参議院に於ける数の劣勢が政治の停滞に関係していることを物語っている。

 要は日本維新の会が掲げている公約実現に憲法改正が必要だということで、改正を果たして「参議院廃止」の公約を実現させ、ねじれという障害を除去して法律を成立させる力とはなっても、必ずしも政治が機能する保証とはならない。

 このことは政権交代を受けたかつての自民党政治が証明している。政策や法律に対する、あるいは政治手法そのものに対する時間を経た国民の審判が次の選挙の票となってそのまま反映されるからであり、実際にも2007年7月の参院選挙で自民党はその仕打ちを受けることになった。

 このことは公選制で選ばれた首相に於いても同じ経緯を辿ることになるはずだ。

 国民の最大の関心事は常に生活である。生活を困窮させる政治は選挙によって否定される。

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野田首相の言葉の無力・政治の無力を物語る会計検査院員指摘の予算ムダ遣い

2012-11-03 10:56:16 | Weblog

 会計検査院が纏め終えた国の2011年度(平成23年度)決算検査報告書を10月2日(2012年)午後、首相官邸で野田首相に手渡した。

 《国のムダ遣い、ワースト2の5296億円 会計検査院23年度報告》MSN産経/2012.11.2 22:43)

 税金のムダ遣いなどの指摘は513件、計約5296億円

 これは過去最高の2009年度(約1兆7904億円)に次いで2番目の規模。

 記事解説。〈「事業仕分け」で歳出抑制を強調した民主党政権下でも多額の無駄が明らかになった形だ。〉――

 2010年度検査では東日本大震災の被災地に配慮、岩手、宮城、福島3県の検査未実施、2011年度から震災関連や防災全般に関する予算執行の重点検査を実施、今後、実質国有化の東京電力の本格的検査、震災からの復興・復旧に向けた施策の検査を継続していくという。

 内訳。

▽支出面が約5120億円
▽徴収漏れなど収入面が約176億円
▽法令違反など不正・不当な事例があったと判断357件、約191億円。
このうち約61億円が経済産業省に対する指摘。

 その他。

▽不適切経理との認定には至らなかったが、独立行政法人「都市再生機構(UR)」が保有する未処分地
 の資産約936億円について、需要喚起などの改善を要求。
▽独立行政法人「日本原子力研究開発機構」が建設・維持管理として約830億円支出の高速増殖炉「も
 んじゅ」関連施設の建設中断状態に対して活用方法の検討要請。
 
 省庁別ランク。

▽総務省、堂々1位最多の約743億円。
▽農林水産省約462億円。
▽経産省約390億円
▽国土交通省約293億円。

 復興予算関連。

 全921事業を対象とした復興予算執行状況調査。

 〈中には、当初から地元が拒否する事業に予算が充てられたケースも。別目的への「流用」が批判される事業は複数あり、検査院は個別事業そのものの妥当性には踏み込まなかったが、復興の基本理念に即したものとするよう求めている。〉――

 「全国防災対策費」関連の一例。

 長崎県の諫早湾干拓事業の開門調査費に平成23年度第3次補正予算で約9億6千万円計上

 農林水産省農地資源課担当者「排水ポンプや地下水のボーリングの調査に充てる予定だった」

 但し約9億6千万円うち約7億3千万円が「不用」として国に返納、約2億2千万円は来年度繰越し。

 約1千万円のみが使われた。何に使ったのか、飲み食いに使ったのか。

 東大日本震災復興予算のうち被災地外の防災対策として使途が認められた「全国防災対策費」であるが、開門調査費が防災と関係があるとは到底思えないし、そもそも被災地域復旧・復興と一体不可分な防災と規定されていることからしても、流用そのものであり、しかも「不用」として国に返納、残りは来年度繰越しでは予算を弄んでいるとしか見えない。

 会計検査院が10月25日、政府が東日本大震災で2011年度に計上した復興経費14兆9243億円の支出状況を参議院に報告している。

 その報告によると、予算設計時よりも実績が下回るなどして国庫に返納された「不用額」は12年度繰越額の7.4%に当たるの1兆1132億円(日経電子版)もあったことと、被災地の復旧・復興とは無関係の被災地外流用の広範囲化等を併せ考えると、こういった弄びが被災地の苦労を他処に横行していたと言わざるを得ない。

 記事解説も横行を裏付けている。

 〈復興予算が充てられた921事業では、予算の80%以上が使われた事業は347件にとどまる一方で、全額が「不用」や「繰り越し」となった事業が89件に上るなど、配分先の実情などを見誤った“ミスマッチ”も明らかになっている。〉云々。

 復興予算ではマスコミ各社が正当性を欠いた多くの使途・多くのムダ遣いを摘出し、会計検査院の調査による詳細・具体的なムダ遣いの指摘が何も復興予算に限ったことではないのだから、復興予算が他の予算にもあるムダ遣いの象徴として血祭りに上げられたことを意味するはずだ。

 いわば全ての予算に蔓延している正当性を欠いた使途・ムダ遣いと見ることができる。

 そしてこのことは、予算のこのような正当性を欠いた使途・ムダ遣いの阻止に自民党政治ばかりか、民主党政治にしても無力であったことの証明でもあろう。

 ムダ遣いに無関心であったことからの無力というわけではない。強い関心を持ち、その是正に向けて強い意志を向けながら、今以て無力状態にある。

 野田首相の無力を見てみる。2011年8月29日の民主党両院議員総会民主党代表選の演説。

 野田代表選候補「悲願の政権交代をみなさんと共に実現をさせていただきました。その政権交代、実現をしたあと、担当したのは財政です。えらいときの担当となりました。税収が9兆円以上落ち込んでしまった中で、先ずやるべきことはバケツの水をザルに流し込むような勿体無い遣り方は改める、そこは徹底したいと思います」

 ムダ遣い阻止に向けて強い意志を示している。

 だが、財務相の間、どれ程ムダ遣い阻止に力を発揮したのか、何も発揮しなかったことは今回の会計検査院の報告と復興予算ムダ遣いが証明している。

 同じ民主党代表選での次の発言も、野田首相の言葉の有言不実行性を証明してくれる。行政改革を推進すべきだと言ったあと、

 野田代表選候補「先ずは隗より始めよ。議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減、それはみなさんにお約束したこと。全力で闘っていこうじゃありませんか。

 それでも、どうしてもおカネが足りないときには、国民にご負担をお願いすることがあるかもしれません」

 消費税増税は行政改革、「議員定数の削減、そして公務員定数、あるいは公務員人件費の削減」の後だと言いながら、消費税増税を早々に決めた有言不実行性は文化勲章ものである。

 尤も3年前の2009年8月15日の野党時代の例の有名になった大阪の「シロアリ」演説でもムダ遣い排除に言及しているのだから、早い時期からの関心事であったはずだ。

 野田佳彦「一丁目一番地、税金の無駄遣いは許さないということです。天下りを許さない、渡りは許さない。それを、徹底していきたいと思います。
 ・・・・・・
 シロアリを退治して、天下り法人をなくして、天下りをなくす。そこから始めなければ、消費税を引き上げる話はおかしいんです。徹底して税金の無駄遣いをなくしていく。それが民主党の考え方であります」

 2011年12月9日の臨時国会閉会に際しての野田内閣総理大臣記者会見。

 野田首相「(労働力人口減少を伴った世界最速の超高齢化社会と先進国随一の財政悪化等の)状況に対処していくため、何よりも政府の無駄遣いの徹底的な削減と税外収入の確保に懸命に取り組む決意であります。だからこそ、公務員給与削減法案と郵政改革法案を何としても早期に成立をさせたいと考えております」

 2012年1月24日第180回国会野田首相施政方針演説。

 野田首相「行政の無駄遣いの根絶は、不断に続けなければならない取組です。責任ある財政運営を行うために、過去二代の政権を通じて、私自身も懸命に努力をしてまいりました。しかしながら、『まだまだ無駄削減の努力が不足している』という国民の皆様のお叱りの声が聞こえます。行政改革に不退転の覚悟で臨みます」

 「行政の無駄遣いの根絶」を言い、「『まだまだ無駄削減の努力が不足している』という国民の皆様のお叱りの声」に応えて、「行政改革に不退転の覚悟で臨みます」と国民に約束し、その約束実現を消費税増税よりも優先させる目標に掲げた。

 2012年10月1日、野田第3次改造内閣による内閣の基本方針策定と閣議決定。

 「『行政の無駄遣い』を根絶するための行政刷新の取組の強化、公務員制度改革、公務員の人件費削減、特別会計・独立行政法人改革、地方出先機関の原則廃止を始めとした地域主権改革等を強力に推進し、改革に関する国民の理解を得る」――

 ムダ遣いの根絶は国会答弁でも機会あるごとに繰返し約束していたはずだ。

 だが、会計検査院2011年度決算検査報告書の税金のムダ遣い等の規模が過去最高の2009年度(約1兆7904億円)に次いで2番目という名誉あるランク付けと復興予算の多妓・広範囲に亘る流用が野田首相の言葉の有言不実行性――政治の無力を何よりも物語ることになっている。

 予算の欠損・歪みが生じるにも関わらず、行政のムダ遣いの横行を許している原因は赤字国債と消費税等の国民の血税が補っていくからであり、補っていくことをいいことに、一方で財政再建を叫びながら、「バケツの水をザルに流し込む」ようにムダ遣いを続けていく無感覚な悪循環に陥っていることを証明する。

 なおさらに補う手段として、2014年からの消費税増税というわけなのだろう。

 行政側は政治の無力を嘲笑って、あの手この手でムダ遣いを進めていくに違いない。

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民主党2009年マニフェスト達成率31%から見る民主党政治の実質的評価

2012-11-02 11:55:03 | Weblog

 民主党の2009年マニフェスト達成率は31%だそうだ。

 一見少ないと見えるが、いわゆる目玉政策として掲げた重要政策を多く達成し、国民の利益に寄与していたなら、差引き、その少なさは大目に見ることもできる。

 果たしてどういった状況の達成率なのだろうか。

 次の記事が取り上げている。《民主党:09年衆院選マニフェスト検証 「実現」は31%》毎日jp/2012年10月31日 21時06分)

 細野豪志会長の民主党政策調査会による166項目の政策達成状況の検証である。

 166項目を以下の項目に分類、進捗度の高い順に「実現」「一部実施」「着手」「未着手」と判定。

(1)ムダづかい
(2)子育て・教育
(3)年金・医療
(4)地域主権
(5)雇用・経済
(6)消費者・人権
(7)外交

 「実現」――高校無償化、農業者戸別所得補償等51項目(全体の31%)

 「一部実施」――子ども手当、高速道路無料化等63項目

 同党は検証結果を次期衆院選のマニフェストに盛り込むことも検討しているという。 

 記事解説――

 予算措置することで達成しやすい政策は「実現」が多い。

 「子育て・教育」分野に於ける実現――22項目中10項目。
 「雇用・経済」分野に於ける実現――43項目中18項目

 対して既得権への切り込みが必要な、実現がより困難な政策。

 「ムダづかい」分野に於ける実現――25項目中3項目
 「消費者・人権」分野に於ける実現――8項目中0項目

 「着手」判定26項目

 衆院比例代表の定数80削減や月7万円の最低保障年金等。

 記事は、〈達成は事実上困難だ。〉と書いている。

 「未着手」――9項目(主なものとして政権交代直後に断念したガソリン税などの暫定税率廃止)

 「外交・安全保障」分野の17項目は「数量化になじまない」(党幹部)として評価の対象から除外。

 民主党幹部「次の衆院選はおわびから始めなければいけない。厳しい自己評価が必要だ」

 〈同党は今後、全国で党員や支持者らと集会を開き、検証結果について意見を聞くことにしている。【鈴木美穂】〉と記事を結んでいる。

 詳しく知りたいと思って民主党のHPにアクセスして検索したが、探すのが下手なのか見つからなかった。

 で、「実現」したとしている、目玉政策である「高校無償化」と「農業者戸別所得補償」、さらに「数量化になじまない」として評価対象から除外した「外交・安全保障」分野のうち、沖縄の米海兵隊の問題を取り上げて、私なりに批評を加えてみることにした。

 記事が書いているように「高校無償化」にしても、「農業者戸別所得補償」にしても、予算措置を講じることによって達成容易な政策である。

 高校無償化の成果について、兵庫7区選出の民主党衆議員石井登志郎氏が自身のブログ記事――《改めて高校無償化政策の意義を確認する》めざす未来へ、情熱政治/2012年10月17日 16:48)が書いている。  

 記事から、主なところを書いてあるとおりに抜粋してみる。

 「約330万人の生徒に、公立では年間12万円程度、私立では同等もしくはそれ以上の補助」 

 「総予算が4000億円に及ぶ大事業」 

 「一部の懸案が残されていますが、ほぼ満額で実現をしています。よって民主党としては、高校無償化は『マニフェスト通り実現』と成果をアピールしています」

 「高校無償化前は年間に約2,000人いた中退者数が1,000人にまで減少した」

 「高校無償化の意義は、今や進学率96%を超える高校での教育を、義務教育と同等の社会インフラと捉え、それ相応の公費負担を国が行う、ということが第一です」

 「既に96%にも及ぶ進学率となっている中で、わざわざ4000億円もかけて無償化にする意義は何か」

 「答えは、この4000億円そのものが、ある意味での公共事業であり、これまで家計費から捻出されていた部分が、他の消費に回っていくことを期待している」

 「事実、教育産業への従事者数や産業規模はここ数年で相当な上昇がみられます」

 「無駄な道路を建設するくらいなら、教育にお金がかかる世帯に支援をすることで、経済にも好影響を及ぼしたいとするのが、私たちの考えでこれまた価値観です」(以上)

 教育は経済のみで語ることはできないはずだが、経済的効果に偏った評価となっている。

 経済的観点からの評価であっても、記述に矛盾がないではない。「これまで家計費から捻出されていた部分が、他の消費に回っていくことを期待している」と書いているが、入学させてもどうにか授業料を払い続けることができるだろうと計算して入学させたものの、払い切れなくなったという金銭的理由から中退した生徒の家の場合、授業料そのものに回すカネが払底していたのだから、国から授業料が出ても、学校に払えばプラスマイナスゼロとなって、他の消費に回すといった消費活動は期待できないということになる。

 但し、どうにか払い続けて高校にぎりぎりのところで在学していた生徒の家の場合、国から授業料が出ることによって、それまで苦労しながら払い続けていた分は他の消費に回すことは可能となる。

 要するに高校授業料無償化によって「高校無償化前は年間に約2,000人いた中退者数が1,000人にまで減少した」としても、1000人の中退者は、全部が全部そうではないだろうが、その多くは授業料という金銭的理由からの中退ではないと見ることもできる。

 いわば高校無償化を中退者数の増減のみで評価はできないということである。

 高校入学が平均化していく過程で、「せめて高校ぐらいは出なければ」といった横並び意識で皆と同じ高校の学歴を獲得する、そのためだけに入学していく若者が増えた。

 そういった若者が途中から勉強についていけなくなって退学していく、授業料に関係のない中退者も多くいるはずだ。

 当然、経済的側面からのみの評価ではなく、教育的側面からの評価も必要としなければならない。

 真に教育格差解消に貢献しているのか、学力向上や社会化形成に役立つ高校授業料無償化となっているのか。

 【社会化】「個人が所属する集団の成員として必要な規範・価値意識・行動様式を身につけること」(『大辞林』三省堂)

 小遣いは上げたが、無駄に使ってしまったのでは意味は出てこない。

 勿論、高校授業料無償化はそこまで目的としていないと言うだろう。だが、他の教育政策と相互に有機的関係を持ち合って何らかの教育的成果を上げなければ、いくら経済的効果を上げても、役に立っていると評価はできないはずだ。

 マニフェスト評価はそこまで踏み込んで行うべきだろう。

 「農業者戸別所得補償」にしても同じことが言える。日本の農業活性化にどの程度、どのような形で役立ったのか。農業人口減少に歯止めがかかったのか。あるいは若者参入によって農業人口の高齢化をどの程度食い止めたのか。対外国農業競争力をどの程度獲得したのか。自給率を上げるのにどの程度貢献したのか。

 逆に単に農業者の所得補償で終わっているのか。

 「Wikipedia」に次のような記述がある。

 〈直接支払いによる農業保護政策は、すでにEU諸国やアメリカで広く実施されている。フランスでは農家収入の8割、スイスの山岳部では100%、アメリカの穀物農家の収入は5割前後が政府からの補助金だという。〉

 だからと言って、日本での農業に対する政府援助を全面的に正当化することはできない。

 アメリカの農家が米政府から多額の補助金を得ていたとしても、アメリカは農産物輸出大国である。フランスにしても、農産物生産額世界6位であり、農産物輸出額では世界第2位を占めると「Wikipedia」に書いてある。

 翻って食糧自給率で先進国中、どの位置にいるのか。世界に誇る農産物輸出額を弾き出しているのか。

 農業全体に対する相乗効果まで評価の対象としなければ、野党からバラマキと批判されても反論はできまい。

 最後に「数量化になじまない」として評価の対象から除外した「外交・安全保障」分野について沖縄の基地問題を取り上げる。

 民主党は2008年7月8日、 「民主党・沖縄ビジョン2008」を発表。沖縄の基地について次のように記述している。

 〈在沖縄米軍基地の大幅な縮小を目指して日本復帰後36 年たった今なお、在日駐留米軍専用施設面積の約75%が沖縄に集中し、過重な負担を県民に強いている事態を私たちは重く受け止め、一刻も早くその負担の軽減を図らなくてはならない。

 民主党は、日米安保条約を日本の安全保障政策の基軸としつつ、日米の役割分担の見地から米軍再編の中で在沖海兵隊基地の県外への機能分散をまず模索し、戦略環境の変化を踏まえて、国外への移転を目指す。〉――

 2009年マニフェストに海兵隊の県外・国外移設を明記しなかったが、政権交代を果たす選挙中、鳩山代表は普天間基地の県外・国外移設を訴え続けた。

 そしてその訴え通りに政権交代後の鳩山政権は普天間基地の「国外、最低でも県外」を掲げて努力したが、早々に放棄、自民党政権がアメリカと取り交わした辺野古移設へと回帰する日米合意を締結。

 鳩山政権を引き継いだ菅無能政権は野党時代の「沖縄米海兵隊不要論」の舌の根をカラカラに乾かせて、朝鮮半島情勢や中国に関わる安全保障環境の変化を口実に、「海兵隊を含む在日米軍の抑止力は安全保障上の観点から極めて重要だ」として鳩山政権の日米合意を踏襲。現在に至っている。

 「外交・安全保障」関連の政策の成果・不成果が「数量化になじまない」としても、各政策をどう進めたのか、どの程度進めることができたのか、当初の方針が実現できなかったために違う方針を掲げることになったといった経緯自体を説明することが自らのマニフェストに対する自己評価となるはずであるし、国民に対する説明ともなるはずである。

 2009年マニフェストには、「自立した外交で、世界に貢献」と大々的に銘打ち、〈北朝鮮による核兵器やミサイルの開発を止めさせ、拉致問題の解決に全力をあげます。〉と謳っている。

 どの程度開発を押しとどめることができたのか、できなかったのか、拉致問題を解決に向けてどの程度進めることができたのか、できなかったのかの説明があって、初めてマニフェストに掲げた政策に対する国民の側からの評価が可能となる。

 こういった説明を抜いた場合、詳しい説明があって初めて知ることになる立場の一般国民に対して政治の側からの情報の隠蔽に当たり、国民に対する説明責任を欠くことになる。

 要するに細野豪志会長の民主党政策調査会による166項目政策達成状況は実質的評価足り得ていないのではないかということである。

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野田首相の菅前無能の退陣路線を見習った解散路線選択

2012-11-01 12:28:04 | Weblog

 国民の生活が第一の東幹事長が代表質問で、「言葉遊び」と、言い得て妙の巧みな表現で的確に突いた野田首相の10月29日所信に対する代表質問が10月31日、衆院で開始された。

 代表質問のトップバーターは安倍晋三自民総裁。その中で野田首相は解散確約の履行を求められた。

 この解散確約は既にご存知のように8月8日の野田・谷垣・山口党首会談で、谷垣・山口から解散を求められて、「近いうちに国民を信を問う」と、さも実際に近いうちに解散に打って出るかのように発言した約束に端を発している。

 野田首相がなぜこのような約束をしなければならなかったかということも、既にご存知のように党首会談前日の8月7日、「国民の生活が第一」、みんなの党など野党6党が、「消費税増税は、民主党の政権公約に違反するもので、野田内閣は信任に値しない」(NHK NEWS WEB)を提案理由とした内閣不信任決議案を衆議院に、野田首相に対する問責決議案を参議院に共同提出していることと、衆院を通過した消費増税を柱とする税と社会保障の一体改革関連法案の参院採決が控えていることから、両決議案否決と増税法案等可決に向けて自公と妥協を図らざるを得なかったからである。

 「近いうちに国民の信を問う」の解散確約のお陰で自民、公明を除く野党6党が提出した野田内閣不信任決議案は、8月9日の衆院本会議で民主党などの反対多数で否決され、野田首相は命拾いした。

 同時に民主、自民両党は自公以外野党参院提出の首相問責決議案を当面採決しないことで合意。

 要するに野田首相が「近いうちに」の解散確約を守らなければ、参院問責賛成を予定していたのかもしれない。予定していなければ、だたちに採決に持っていって、否決に回っていたはずだ。
 
 消費増税関連法案は10日の参院本会議で可決、成立することになった。

 自公としたら、あとは「近いうちに」の解散確約の履行を待つばかりだったに違いない。

 だが、待てど暮らせど、野田首相は言を左右にして確約の履行を果たす気配を見せない。

 自民党は業を煮やしたのだろう。8月29日夜の参院本会議で野田佳彦首相に対する問責決議を自民党や新党「国民の生活が第一」など野党の賛成多数で可決した。

 いわば解散を迫る人質に取ったといったところなのだろう。

 自民党は谷垣総裁から安倍晋三総裁に代わり、前総裁を引き継いで解散確約の履行をうるさいくらいに求め、10月19日の野田・安倍・山口の党首会談に漕ぎつけた。

 《党首会談物別れで攻防激化へ》NHK NEWS WEB/2012年10月20日 7時0分)

 会談後の記者会見。

 野田首相「『近いうちに国民に信を問う』と言った発言の重みは自覚している。だらだらと政権の延命を図るつもりはなく、条件が整えばきちんと判断したいとあえて申し上げたが、理解をいただけなかった」

 「近いうちに国民の信を問う」の解散条件を「条件が整えば」に変質させた。

 だが、いくら変質させたとしても、「近いうちに国民の信を問う」と「条件が整えば」の両解散条件に整合性を持ち得ていなければ、前者をウソにすることになる。

 いわば近いうちに条件を整えることによって、整合性は保ち得る。

 だとしても、8月8日の野田・谷垣・山口党首会談の「近いうちに」から10月19日の野田・安倍・山口の党首会談まで2ヶ月以上経過しているうえに、今後さらに条件を整える時間を必要とすると、まだまだ先に伸びて、整合性は怪しくなる。

 政府関係者「赤字国債発行法案などが成立すれば、年内に解散する用意があることをギリギリの表現で伝えており、自民・公明両党にも読み取れたはずだ」

 整えるべき条件が赤字国債発行法案成立だと明かしたことになる。解散時期は年内。

 安倍総裁「2か月前に谷垣前総裁に約束したことと同じ言葉しかなかった。私たちが納得すると思っていたのだろうか」

 山口代表「『近いうちに』の約束をどうするのか明確にすべきなのに、何もないのは非常に国民をバカにした話だ」

 相当に頭にきている。

 そして冒頭に挙げた10月29日野田所信に対する10月31日衆院代表質問。《首相“経済対策も行い解散時期判断”》NHK NEWS WEB/2012年10月31日 18時58分)

 当然と言えば当然だが、安倍国家主義者はここでも解散を迫った。

 安倍総裁「野田総理大臣は、年内に衆議院を解散する約束を果たす気持があるのか。国家国民のために、一刻も早く信を問うことこそが、今や最大の経済対策だ。一度、解散を約束した政権は、その存在自体が政治空白だということを肝に銘じてもらいたい」

 野田タヌキは何のその。

 野田首相「先(10月19日)の党首会談で、『近いうちに国民に信を問うと申し上げた意味は大きく、環境整備をしたうえで解散を判断したい』という話をしたが、これは特定の時期を明示しないなかでのぎりぎりの言及だ。環境整備の中でも急がなければならないテーマとして、赤字国債発行法案や衆議院の1票の格差、定数削減の問題、それに社会保障制度改革国民会議を挙げているが、条件が整えばきちっと自分の判断をしていきたい」
 
 10月19日の野田・安倍・山口の党首会談後に野田首相は解散条件を「条件が整えば」と言っていたはずだが、ここでは、「環境整備」を持ち出し、「環境整備」の一つ一つの条件として、赤字国債発行法案成立、衆議院の1票の格差解消、定数削減の問題解決、社会保障制度改革国民会議開催だと具体的に上げている。

 最後の社会保障制度改革国民会議開催は単に開催に漕ぎ着けるだけではなく、議論が纏まって法案として成立するところまでを見届けたいと言い出すかもしれない。

 もはや「近いうちに」とは整合性を持ち得ていないが、以上の経緯を見ると、菅前無能の退陣路線を見習った解散路線を選択したことが明瞭に浮かんでくる。

 違う点は菅前無能の場合は退陣が終着駅であったが、野田首相の場合は退陣ではなく、解散を終着駅としなければならないということである。

 もし退陣のみで、次を誰かに譲り、解散を回避したなら、政治生命を失うほどの非難を浴びるはずだ。

 菅前無能の退陣路線を見習った解散路線選択であることを証明するために菅前無能の退陣に至る経緯を振返ってみる。

 2011年6月1日夕、自民、公明、たちあがれ日本の3党が菅内閣不信任決議案を横路孝弘衆院議長に提出。6月2日午後の衆院本会議で採決されることとなった。

 提出理由――「菅総理に指導者としての資質がない以上、難局にあたって、菅内閣とともに政策体系を積み上げていくことは到底できない。被災地の復興と被災者の生活再建を実現していくためにも、菅総理は一刻も早く退陣すべきだ」(asahi.com

 提出に遡る5月23日の記者会見。既に民主党内には内閣不信任決議案に同調する動きが出ていた。

 岡田幹事長「野党が菅内閣に対する不信任決議案を提出するのをだめだと言う立場にはないが、それに党内で賛同する動きがあるとすれば、国民の信頼に全く応えていない。今、重要なのは、被災者の立場に立って早く復興の段階に持っていき、東京電力福島第一原子力発電所を安定させることだ。

 (横粂勝仁衆議院議員の離党意向について)民主党の比例代表で当選したのに、離党するのは有権者の期待を裏切ることになるのではないか。離党届は受け取っていない。将来性のある若い議員であり、冷静に支持者と相談してもらいたい」

 党執行部がいくら一致結束を呼びかけても、造反の動きはやまず、民主党内から小沢一郎元代表に近い62人が不信任案賛成を表明、可決の情勢となっていた。

 これに対して、菅当時無能(現在も無能だが)は可決されたなら、解散する意向を示していた。

 いわば解散を覚悟していたわけである。

 採決の日の6月2日になって、その午前中、菅無能は首相官邸で鳩山当事前と会談。鳩山当事前は小沢氏に相談もなく、不信任案不同調の確認書を菅無能と取り交わした。

▽民主党を壊さないこと
▽自民党政権に逆戻りさせないこと
▽大震災の復興並びに被災者の救済に責任を持つこと

 〈1〉復興基本法案の成立
 〈2〉第2次補正予算の早期編成のめどをつけること――

 要するに鳩山当事前は菅当時無能に復興基本法案を成立させ、第2次補正予算の早期成立ではないく、編成のメドをつけたなら、辞任して貰うと確約させたのである。

 菅無能の方は解散を覚悟していたと思いきや、解散回避の取引に出た。

 そして6月2日正午、不信任案否決に向けて一致結束を呼びかける必要があったのだろう、予定していた民主党代議士会を予定通りに開催。そこで菅無能は次のように発言している。

 菅無能「私に不十分なところがあったことが、不信任決議案の提出につながったと受け止めている。私の不十分さで大変ご迷惑をおかけすることになり、おわびしたい。

 震災に一定のメドがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」(NHK記事)

 そして鳩山前と確認書で交わした項目を告げている。

 菅無能「大震災の復旧復興に全身全霊を挙げて最大限の努力をすること、民主党を決して壊してはならないという根本に立って行動すること、そして、今の民主党中心の政権を自民党に戻すことのないようしっかり対応することをみずからの行動の基本で進めて行くことを約束する」(同NHK記事)

 要するに午前中に確認書で交わしたばかりの辞任条件を超えて、その舌の根も乾かないうちに、「震災に一定のメドがついた段階」へと辞任時期を水増ししている。

 代議士会に出席していた鳩山前が収まるはずはない。発言を求めて、立ち上がった。

 鳩山前「復興基本法を速やかに成立させ、二次補正予算のめどがついた段階で、身を捨てて頂きたいと述べた。そのことに対して、菅首相から(一定のめどがついた段階で辞任するという)先程の発言があった。これは菅総理と鳩山との合意だ(YOMIURI ONLINE

 但し、この念押しで終わらせてしまったようだ。なぜなら、代議士会で示した菅無能の決断を評価しているからだ。

 鳩山前「重大な決意を自身の言葉で述べられた。首相には復興のためリーダーシップを発揮してもらわなければならない」

 ある意味権謀術数にも長けていることが政界の上層での活躍の条件となるはずだが、お坊ちゃん育ちで権謀術数に長けないまま首相に上り詰めた稀有な存在なのか、詰めの甘さだけが浮かんでくる。 

 この詰めの甘さは確認書に署名を求めながら、菅に拒否されると、無署名のままにしたところにも現れている。多分、確認書を交わしながら、菅は腹の中で舌をペロッと出していたに違いない。

 無能でありながら、権謀術数に長けている政治家ほど始末に悪い存在はない。

 6月2日午前の確認書で交わした退陣の条件である「復興基本法案の成立」と「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」が同日午後になって、「震災に一定のメドがついた段階」へと変化。

 「震災に一定のメド」の具体的内容が6月27日の首相官邸記者会見で明らかになった。

 菅無能「6月2日の民主党の代議士会において、私が震災と原子力事故対応に一定のめどが立った段階で、若い人に責任を引き継ぎたい、それまで責任を果たしたいと申し上げたところです。私としては第2次補正予算の成立、そして再生可能エネルギー促進法の成立、そして公債特例法の成立。これが一つのめどになると、このように考えております」

 「復興基本法案の成立」と「第2次補正予算の早期編成のめどをつけること」を大きく超えて、「第2次補正予算の成立」、「再生可能エネルギー促進法の成立」、「公債特例法の成立」を3条件とするに至った。

 野田首相の解散条件、最初の「近いうちに国民の信を問う」が「条件が整えば」へと変り、それが赤字国債発行法案成立、衆議院の1票の格差解消、定数削減の問題解決、社会保障制度改革国民会議開催へと変質していった経緯とそっくり重なる。
 
 菅は「職に恋々としない」と言いながら、延命を図り、野田首相は「だらだらと政権の延命を図るつもりはない」と言いながら、延命を図っている。

 勿論、菅の場合は、どうせ退陣しなければならないなら、野田首相の場合は、どうせ解散しなければならないなら、解散すれば政権の座から降りなければならない情勢なのだからと、少しでも法案を成立させてやれと開き直った点もあるに違いない。

 だが、野田首相が菅前無能の退陣路線を見習って自らの解散路線を選択し出したのは確かである。

 この親にしてこの子ありといったところか。

 野田首相がどういう形で法案を少しでも多く通そうと開き直ったとしても、最初に「近いうちに国民の信を問う」と解散を確約し、国民に総選挙を約束している以上、そのことがついてまわって、「近いうちに」と整合性の取れない日数経過の解散は最早結果的にはあの手この手を使った延命にしか映らず、菅退陣時の騒動と相まって、民主党政治に対する、あるいは野田内閣に対する政治不信のみを現在以上に高めることになるはずだ。

 これだけの法案を通したという自己満足だけはモノにすることはできるかもしれない。

 2011年8月26日、菅は退陣の条件としていた3法案の成立を受け、「本日をもって民主党代表を辞任し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞する」と辞任を表明した。

 菅無能「厳しい環境のもとでやるべきことはやった。一定の達成感を感じている。国民の皆さんのおかげ。私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは、後世の人々の判断に委ねたい。

 (福島第一原発事故について)総理としての力不足、準備不足を痛感した」

 どれ程の国民がこの言葉を信じただろうか。原発事故対応に関しては「総理としての力不足、準備不足を痛感した」だけでは済まない無能を曝しているはずだ。

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