麻生の心がこもっていた、人の心の「しょうせき」に敏感な祈念式典挨拶

2009-08-11 10:17:27 | Weblog

 我が日本の麻生太郎首相が9日(09年8月)、6日の広島平和記念式典に続いて長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に国民の生命・財産を守ることに最も高い関心を払う立場にある日本国総理大臣として出席、その立場にふさわしい挨拶を行い、さすが麻生太郎首相だ、支持率が高いのも尤もだと多くの国民をして頷かせた。

 首相官邸HPから、『長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ』挨拶全文を引用してみる。

 「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 64年前、長崎の方々は、この地に投下された原子爆弾によって、筆舌に尽くしがたい苦しみを経験されました。七万ともいわれる尊い生命が、一瞬にして失われました。一命をとりとめた方も、いやすことのできない傷跡(しょうせき)を残すこととなられました。今、日本の平和と繁栄を振り返る時に、尊い犠牲があったことを決して忘れることはできません。

 日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければならないと存じます。

 我が国は、これまで15年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月、ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」に言及し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明をいたしております。

 そして、本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立っていくことを、改めてお誓い申し上げます。

 被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、「国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること」を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。

 また、原爆症の認定を待っておられる方々に関しては、これまでも、できる限り多くの方々を、認定するとの方針で、臨んでまいりました。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方々を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、本年六月にさらに対象を拡大いたしております。今後とも、新たな認定基準に基づき、できる限り迅速な認定に努めてまいりたいと考えております。

 また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳を容易に取得できるよう、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるように、引き続き、取組みを進めてまいります。

 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして長崎市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。

平成二十一年八月九日  内閣総理大臣 麻生太郎」――――

 参考までに3日前8月6日の『広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ』を引用してみる。

 「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 64年前の今日、原子爆弾が、この地に投下され、幾万の尊い命が一瞬にして奪われ、多くの方々が傷つきました。美しい「水の都」、広島の街も焦土と化しました。

 しかし、戦後の歩みの中で、広島は、市民の皆様とともに、立ち上がり、今や「国際平和文化都市」として、大きく発展をしました。今日までの、広島の奇跡的ともいえる復興と発展に、尽力された皆さま方に心から敬意を表します。

  日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国であります。広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けていかなければなりません。

 我が国は、これまで15年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました。こうした中で、昨今、米露両国は、核兵器の一層の削減を目指して交渉を進めております。G8のサミットでは、先月ラクイラにおいて、初めて、「核兵器のない世界」を宣言し、世界的な核軍縮・不拡散に関する気運の高まりを維持・強化するための力強いメッセージを表明しております。

 そして本日、私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。


 被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。特に、原爆症の認定につきましては、できる限り多くの方々を認定するとの方針で臨んでおります。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、対象を拡大いたしました。
 
 被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、『国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること』を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。

 また、昨年、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするため、改正被爆者援護法が施行されております。今後とも、多くの方々を援護できるよう、引き続き、取り組んでまいります。

 結びに、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心よりお祈り申し上げ、私のあいさつとさせていただきます。


平成二十一年八月六日  内閣総理大臣 麻生太郎」――――

 赤文字で記した箇所は長崎の挨拶と一字一句同じとなっている。出だしの部分は――

 「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。」

 「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に臨み、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げます。今なお、被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。」と赤文字箇所のみ言葉を変えているだけで、あとは単に長崎と広島の地名を使い分けているに過ぎない。

 また被爆者に対する政府の対応を述べる下りの違いは広島式典後に日本原水爆被害者団体協議会代表者の出席の元、広島市内のホテルで「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」に署名した状況変化を受けた違いでしかないのは内容パターンがほぼ同じであることから理解できる。

 (広島平和祈念式典)「被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。特に、原爆症の認定につきましては、できる限り多くの方々を認定するとの方針で臨んでおります。昨年四月からは、新たな方針に基づいて、約四千人の方を認定いたしましたが、その後の司法判断を踏まえ、対象を拡大いたしました。」
 
 (長崎平和記念式典)「被爆により、苦しんでおられる方々には、これまで保健、医療、福祉にわたる総合的な援護策を講じてまいりました。今回、原爆症の集団訴訟につきましては、原告の方々がご高齢でもあられること、また長きにわたり訴訟にたずさわってこられたことなどに鑑み、私は、新たな方針を決断しております。極めて異例な対応でありますが、一審で勝訴した原告の方々について、『国は控訴を取り下げることにより、原爆症と認定すること』を柱とする内容で、先日、合意をいたしました。原告団は、これをもって、集団訴訟を終結させることとなり、こうした合意に至ったことは、誠に喜ばしいことと考えております。」

 問題は広島、長崎共、中段の赤文字で記した箇所である。最初の広島の挨拶で 「日本は、被爆の苦しみを知る唯一の被爆国」だと言い、「我が国は、これまで15年間にわたって、国連総会に核廃絶決議を提出してきました」と言い、「私は、改めて日本が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます」と高らかに宣言したにも関わらず、式典後の記者会見で日本の安全保障にはアメリカの「核の傘」が必要且つ有効だと言い、さらに「核軍縮と言うものがァー、世界で、一斉に、同時になくなる(と、軽く自分から頷く。)いうなら、可能性かもしれません。ある日突然、ハイってなくなりました。しかし、それは通常では考えにくいと思いますねぇ。一方的に誰かがやめたら、相手もきれいにやめてくれましたぁー。そういう世界でではないと思っております」と核廃絶の不可能性をも述べている。

 これは式典で述べた「核廃絶」の訴えを二枚舌とする核の有用論であろう。なお始末の悪いことに核の有用を自身の国家安全保障上の政策だと国民の前に明かしておきながら、3日後の長崎平和祈念式典で再び「核廃絶」を心にもなく訴える二枚舌を繰返している。

 要するに麻生太郎にとっては式典出席は儀式の意味しかなく、挨拶の内容は形式的文言に過ぎないということなのだろう。

 首相官邸HPの挨拶文からは窺うことはできないが、いくつかのマスコミが漢字の読み違えがあったと伝えているとおりにここでは「傷跡(しょうせき)」と書き込んでおいたが、単に仮名が振ってなかった、あるいは取るに足らない小さな読み違いに過ぎないというわけではなく、また出席、挨拶が儀式・形式の類で終わっていることが原因したというわけではないのは対象が「傷跡」という漢字だからである。

 麻生は自民党と民主党のマニフェストを落ち着いて比較して欲しいと夏休みの宿題としたが、「未曾有」を「みぞゆう」と読み間違えた程度のことと違う、宿題を出す資格もないことが分かる。

 1945年8月6日と8月9日にそれぞれ原爆投下を受け、広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡、長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡(Wikipedia)、戦後も死者を出し続け、直接被爆でなくても母親からの胎内被爆によって発症、健康障害を起こしていることがこれからも何世代も繰返されるかも分からない怯えを多くの患者たちに与えていること、最近のNHKテレビで現在もなお放射線を発して様々な遺伝子を壊して続けている見えない不安の塊を体内に抱えて日々消えることのない死の恐怖を今なお生々しい心の“傷”としている多くの患者たちの存在がある。

 これらは第三者から見たなら「いやすことのできない」とは言うものの、「一命をとりとめた」後に残した「傷跡」かもしれないが、当事者から見たなら終わった意味を持たせてもいる「跡」ではなく、そのかけらもない、終わることのない生きたままの状態にある“傷”そのものであり、生きたまま責め苛み続けてくる“不安”、“恐怖”そのものであろう。

 麻生太郎がこのような心の状況に思い遣ることができたなら、第三者の立場から「傷跡(きずあと)」と表現したとしても、「傷跡(しょうせき)」と読み間違えるのは読みを知らなかったという弁解は利かず、あまりにも失礼な間違いではないだろうか。

 大学を出て、イギリスの名門大学に留学もしている麻生太郎がなぜさして難しくもない漢字の読みを知らなかったのだろうか。個人差はあるが、人間は他者の“傷”体験を自身の“傷”体験として学ぶ心の働きを持つ。その逆に自身の“傷”体験を他者の“傷”体験に重ねて、相互の傷の深さ・程度を推し量ろうとする心の働きを持つ。

 このような心の働きによって、他者の心の傷を感じ取る感受性を育てていく。

 それが故障なく働いて他者の心の傷を感じ取る感受性を十分に育んでいたなら、「傷」という言葉(漢字ではない)の持つイメージに関して貧弱な発想にとどまることは許されず、自然と奥深いイメージを持つこととなり、イメージは言葉の表現に限らず、文字でも表現する機会を得て、否応もなしに「傷跡」という文字を感受性を交えて読みと共に知ることになるだろう。

 だが、麻生太郎は正確な読みを知らず、「傷跡(しょうせき)」と読んだ。

 当然のこと裏を返すと、「傷」という言葉の持つイメージに関して貧弱な発想しかなかった、その種の感受性を育てていなかったからだということになる。他者の“傷”体験を自身の“傷”体験として学ぶ能力に欠いているからだと見なければならない。

 そうであるなら、勿論自身の“傷”体験を他者の“傷”体験に重ねて、その傷の深さ・程度・苦しみを推し量ろうとする心の働きなど持ちようがない。麻生財閥の跡取りとして生まれ、金持の一員として生活に苦労なく育った。いわば特にこれといって心に傷を負う経験(“傷”体験)がなく、「傷跡」と言える後遺症を持つことはなかったことからの他者の“傷”体験を学ぶ能力の欠如ではないだろうか。

 あのにこやかな笑顔を見てもわかるように“傷”とは無縁に人柄から言っても、顔に現れている精神性から言っても、帝国ホテルの高級バーで高級ブランデーをすすって、べらんめー口調を得意げに振り回しながらお仲間と大言壮語しているのがふさわしい心の持ち主なのである。心に傷を負った弱者を思いやる経験などなかったに違いない。自ら心の傷を負うこともなく、そのために他者の傷を思い遣ることもないに違いないと言うことなら、麻生太郎は世界一かどうかは分からないが、少なくとも日本一の幸せ者と確実に言える。日本で最高位の名誉職だからと、総理大臣を目指したのではないだろうか。

 幸せだけの麻生太郎が「子どもには夢を、若者には希望を、高齢者には安心を」と言う。幸せだけの人間に他者理解を期待するのはないものネダリだろう。政策の違いを宿題にしてくれと言っているが、掲げている政策は立派なことは書いてあっても、政策実行者が他者理解に欠けているということなら、宿題をいくら解いても無意味となる。

 戦前なら許されもするだろうが、人権意識を欠いてはならない戦後の日本で他人の心の痛み、心の傷を真に思いやれない人間が首相を務めている、あるいは他者理解の感受性を十分に育てていない人間が国民の生命・財産を守ることに最も高い関心を払わなければならない立場にあるこの見事な倒錯はどう説明したらいいのだろうか。

 8月10日付「YOMIURI ONLINE」記事――《首相 式典あいさつ誤読 「傷跡」を「しょうせき」》の中で長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長の言葉を伝えている。

 「あいさつを聞いた時には気付かなかった・・・・、細かな間違いとはいえ、被爆者や被爆地について根本的に理解しているのかさえ疑問に感じる。文章の上っ面を読むだけだから読み間違えたのでは」

 井原東洋一会長にしても、他者の“傷”体験に対して「根本的な理解」を欠いていたからこそできた読み間違え、「傷跡(しょうせき)」だと見ている。



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