安倍晋三のイチロー大リーグ新記録を「日本人として本当に誇りに思う」の発言に日本民族優越主義を嗅ぎ取る

2016-06-17 06:48:35 | Weblog

 6月15日(日本時間16日)マーリンズのイチロー外野手(42)が日米通算4257本目の安打を放ち、かつての大リーガー、ピート・ローズの大リーグ通算最多安打数の記録を破った。日米の技術の違いから、その評価は様々に違いはあるが、どの選手もできるわけではない偉業であることに変わりはない。

 安倍晋三が首相官邸で記者の質問に答えてイチローの記録を讃えたと「共同通信」配信の記事を各マスコミが伝えている。

 安倍晋三「凄い記録だと思う。日本の選手が再び金字塔を打ち立てた。日本人として本当に誇りに思う」

 安倍晋三は間違いなくイチローの活躍に日本人の血(=日本民族の血)を見ている。イチローという個人の血が成さしめたとは見ていない。

 だから、こういう日本尽くめの発言となった。

 確かにイチローは日本人である。米国に渡って大リーガーとして16年間活躍しているが、国籍は日本のままである。大リーグでのその日本人の活躍を安倍晋三は“日本人として”誇りに思う。 

 この言葉の構造を分解すると、安倍晋三は自らを日本人という民族のレベルに置いて、イチローの活躍をイチローという個人のレベルで見ずに日本人という民族のレベルで把え、称賛していることになる。

 いわば自身が持つ日本人という民族性とイチローにそうありたいと勝手に仮託した日本人という民族性を響き合わせている。それ故に“日本人として”誇りに思うことができる。

 このように見ることは決して大袈裟な解釈でもないし、見当違いな勘繰りでもない。

 安倍晋三は元々国家の存在性を優先させて、国民の存在性を国家の存在性に従わせる思想の持ち主、国家主義者である。そしてその国家の存在性優先は自民族優越主義を隣り合わせている。

 自分の民族が優れていると見ることによって国家の存在性優先の国家主義に走ることができる。自他国民をそれぞれの民族性を意識せずに常に個人のレベル――それぞが一個の個人だという個人性で見ていたなら、国民の存在性を優先させることになって、国家の存在性を優先させる国家主義に走ることはない。

 前々から言っていることだが、安倍晋三の日本民族優越主義は自身の天皇主義に現れている。

 日本人が日本民族優越主義を表すとき、「万世一系の天皇」の血の連綿性、あるいは「男系天皇」の女性なる存在に対する男性の優越性、さらには「神武天皇以来の2600年の歴史」の長期性を持ち出して、その根拠とする。

 安倍晋三にしても同じである。自著『美しい国へ』に、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、テレビに出演して、「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね」と言っている。

 天皇を日本という国の中心に据え、日本の歴史の主宰者(人々の上に立ち、中心になって物事を行う人)に仕立てている。安倍晋三の天皇主義が最も露骨に現れている言葉である。

 日本人としてそのような天皇という偉大なる存在を頭に戴(いただ)いている。ここから安倍晋三の日本民族優越主義が芽吹いている。

 かくこのように国家主義者・日本民族優越主義者・天皇主義者を自己存在性のバックボーンとしているその精神性から言っても、安倍晋三がイチローの大リーグ新記録という活躍に「日本の選手が再び金字塔を打ち立てた。日本人として本当に誇りに思う」と発言したことを、その活躍に日本人の血(=日本民族の血)を見ていることからの発言だと解釈したとしても、妥当性がないと否定はできない。

 その発言に安倍晋三が自らを日本人という民族のレベルに置いて、イチローの活躍をイチローという個人のレベルで見ずに日本人という民族のレベルで把えた日本民族優越主義を嗅ぎ取っていたとしても、その正当性を決して排除できないはずだ。


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