今月17日(8月)の日本記者クラブ主催6党首の討論会で麻生首相は鹿児島県で開催民主党集会の壇上に掲げた民主党旗が国旗二枚を使ってそれぞれの日の丸の端を重ね、重ねた部分を白くして作ったものだったとして、「日の丸を切り刻んで、上下につなぎ合わせた」と批判した、と言うよりもイチャモンをつけたといったところだが、私などはなかなかのアイディアだと思うのだが、昨20日午前に鹿児島県霧島市で街頭演説する際、同じ鹿児島県ということで、日本の健全な保守の一人として蒸し返して票稼ぎの得点にしようとしたのだろう、再び取り上げて批判したそうで、そのことを昨夜の「NHKニュース9」が報じていた。
麻生「今、その振っていただいている日の丸、それをひっちゃぶいて、二つにくっつけてぇー、え、えー?自分のとこの党旗にしてー、そして党のー、マニフェストの、の、載っているような、ホームページに、それを載せる。
ふざけていると思いませんか。自由民主党だというところは、間違いなく保守。それはみなさん方の家族であり、また、郷土であり、日の丸であり、日本であり、そういったものをきちんと守っていく。
革命的選挙をやる。(自分で否定するように首を短く二度程左右に振る)そう言っておられますが、我々は日本に革命を起こすつもりはありません」――
格差社会をつくり、地方を疲弊させ、過疎化させ、高齢化するに任せ、さらに子育て困難社会をせっせと立ち上げた上に少子化に打つ手もなく、「みなさん方の家族であり、また、郷土であり、日の丸であり、日本であり、そういったものをきちんと守っていく」、それが「保守」だと言う。
「きちんと守って」こなかったにも関わらず、「きちんと守っていく」と胸を張って自信たっぷりに言えるのは麻生太郎だからであり、「日本の保守」を掲げているからだろう。「日本の保守」を掲げない、責任意識の一カケラも持ち合わせている人間だったなら、恥ずかしくてとても言えまい。自民党のテレビコマーシャルに出て、盛んに「責任力」を言えるのも、麻生太郎が「日本の保守」を掲げているからに違いない。
こと程さように麻生は「日本の保守」を絶対としている。いや、麻生だけではなく、日本の国家主義的政治家に共通する絶対意識である。
「保守」を絶対としているから、「保守」の掲げるそれぞれの価値対象も当然の結果として“絶対”を纏わせることになる。郷土、家族、日の丸、日本・・・・。
日の丸・国家を絶対としているから、日本人の国旗・国歌行為は国家を絶対と確認する行為としなければならない。あるいは絶対と確認すさせることを求める行為となる。
価値観としては絶対としていても、それぞれの価値対象は常に絶対ではない、矛盾だらけの現実を姿としていることに目を向けることができない。
国旗・国歌を絶対としていることを教えてくれる最近の記事がある。その記事を示す前に、正式名「国旗及び国歌に関する法律」(略式名「国旗国歌法」)を示しておく。
第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
たったこれだけである。8月18日(09年)の「asahi.com」記事――《修正重ね「義務」消えた 99年国旗国歌法草案》が法案成立までの議論の経緯を伝えている。重要なことと思えるから、全文参考引用する。
〈ちょうど10年前、99年に成立した国旗国歌法の政府草案が成案になるまでの経緯が情報公開法で入手した資料や関係者の証言から明らかになった。「国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」。そんな義務規定が国会に提案される前に削られていた。なぜか。
東京都内で、当時の官房長官だった野中広務氏に、手に入れた国旗国歌法の草案を示した。A4判で20枚ほどだ。「こんな紙は初めて見る」と野中氏は言った。
まず、99年3月26日の1次草案。1条と2条で日の丸・君が代を国旗・国歌と短く定めた後、こう続いている。
■3条 国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体は、政令の定めるところによりその管理する建造物において国旗を掲
揚しなければならない。
3 国民は、祝日に国旗を掲揚するよう努めるものとする。
約1カ月前、広島の県立高の校長が卒業式を前に自殺。式典で「日の丸掲揚・君が代斉唱」を求める県教委と反対する教師との板挟みになっていた。これを機に野中氏は法制化を決断。古川貞二郎官房副長官の下にチームが作られた。
野中氏「こんなことで人を死なすのは不幸だと考えた。『総理、法制化させてもらえませんか』と言ったら、小渕総理は『おれ、やらないって言ったばかりだよ』と。法制化しないと1週間前の参院で発言したばかりだった。『(国会を)通るか、君』と言うので『大丈夫ですよ』と言うたんですよ」
4月16日の第2次案。3条の1項だけが残っている。
■3条 国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
政府が国会に提出する法案は、各省庁と内閣法制局がやりとりを繰り返す中で固まっていく。国旗国歌法の担当だった法制局第2部の関裕行参事官は「例えば君が代の旋律を変えて演奏したら尊重しないことになるのか」などとチームに質問を投げた。そして「国民は」の文字に線を引き、修正を加えた。それが4月19日付の3次案となる。
■3条 国旗及び国歌を尊重しなければならない。
関氏「誰の何に対する義務なのかと宿題を出しても答えがなかった。条文を残しておきたいならと、とりあえず主語を消して仮置きしたのではなかったか」
このころ、古川副長官は三つの柱を示していた。(1)1条と2条でいくのが基本(2)3条の検討は続ける(3)議員提案ではなく、政府提案の法律にする――第3次案にそんなメモが書かれている。
古川氏「3条のようなものが必要だという議論はあり、草案は幅広めにつくったように思う。私自身は早くから、国旗国歌とはこういうものだと示せば十分ではないかと考えていた。尊重義務などを書けば、罰則がなくても『義務を守らないのは、けしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はないほうがいい」
野中氏「3条について古川君から相談を受けたことがある。『残した方がいいですかね』と言うので、『残さん方がいいでしょう』と答えた。3条は火種になる。政争の具にすべきではないと思ったからだ」
4月27日付の第4次案はこうなっている。
■3条 国旗及び国歌は、尊厳が保たれるように扱われなければならない。
この後はもう議論は交わされなかった。翌28日付の5次案では3条の尊重義務は姿を消す。5月10日、これがそのまま法案となり、8月9日成立した。
大森政輔・元内閣法制局長官「成立直後の8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式で『国歌斉唱、ご唱和願います』と放送が流れた。国会で『義務を課すものではない』と言っていたのに非常に違和感を持った。君が代を歌わないととやかく言われたり、国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずに済む社会が私はいい」
だが、現場は違う。文部科学省によると99年度以降、国旗国歌をめぐって処分を受けた公立校の職員は延べ1123人に達している。(谷津憲郎)〉(以上引用終わり)――
1次草案では、尊重義務化の「3条」が3項までついていた。第2次案では「3条」の1項のみを残し、尊重義務化の対象者を「国民」のみに明確に絞る。
「3条 国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」
そして第3次案では第2次案から「国民は」の文字を消して、尊重義務化の対象者を曖昧にする。曖昧にしたとしても言葉が見えないのみで、国民に網をかけていることに変わりはない。
「3条 国旗及び国歌を尊重しなければならない」
国民以外に誰に尊重させようとしていると言うのだろうか。国民以外に存在しない。
第4次案は「国民」の文字を取ったとしても尊重義務化の対象が国民であることに変わりはなく、そうすることが押し付けになってまずいと見たのか、国旗・国歌の扱い方を指示・規定する方法で尊重義務化の対象者が国民であることをさらに見えにくくする言葉のトリックを働かす。
「3条 国旗及び国歌は、尊厳が保たれるように扱われなければならない」
「尊厳が保たれるように扱われなければならない」がまさか桐の箱や漆塗りに金箔を施した箱に納めて恭しく持ち歩いたり、しまっておくのは校長室の金庫にしまうといったことではなく、国旗に対しては掲揚時には起立して直視する、君が代の場合はやはり姿勢正しく起立して、顔を正面に向け、はっきりとした声で歌うといった、国民を尊重義務化の対象とした指示・規定であることに変わりはあるまい。
そして最後に5次案では3条の尊重義務が姿を消す。但し一部を除いて、全体的には上の側には、いわば国家の側には国民を対象とした尊重義務化の意志を存在させていた。尊重義務化を規定するまでに機が熟していなかったという時期の問題か、あるいは解釈で少しずつ「3条」を付け加えていく高度なコントロールで国民の尊重義務化に持っていく腹積もりからなのか、そこら辺であることはその後の上の側からの国旗・国歌に対する扱い方の動きを見れば理解できる
「国旗及び国歌に関する法律」が1999年5月10日国会に上程し、8月9日成立する間の6月29日の衆議院本会議で当時の首相、小渕恵三は日本共産党の志位和夫の質問に対する答弁を「Wikipedia」が次のように記している。
「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。
国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」 ――
小渕は矛盾したことを言っている。後段では「国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」と言いながら、前段では尊重義務化を規定する言葉は使わないものの、学校は児童生徒に学習指導要領に基づいて国旗・国歌について指導する責務を負っていると言っている。
当然日の丸掲揚・君が代演奏を前提として態度面では起立、唱和、注視、精神面では国旗・国歌としての歴史・文化を教えることになる。
そのどこが悪いと言うだろうが、あくまでも上(=国家)の側からの意志=国家意志が下に位置する国民に向かって発動した規定の数々だからである。
当然、上の側・国家の側には国旗・国家を絶対とする意志が働く。
このような上の意志に対して下は権威主義の行動様式を受けて上の意志が直接的に働かなくても、それに自分の方から意を迎える形で受け入れ、上の意志に叶うべく積極的に動くことになる。
その最初の現れが2003年(平成15)10月23日の東京都教育委員会の「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」の通達であろう。新聞等でも問題となったが、全文を引用してみる。
〈東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。
これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国旗掲揚及び国歌斉唱が実施されているが、その実施態様には様々な課題がある。このため、各学校は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。
ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達する。
なお、「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」(平成11年10月19日付11教指高第203号、平成11年10月19日付11教指心第63号)並びに「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」(平成10年11月20日付10教指高第161号)は、平成15年10月22日限り廃止する。
記
1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉
唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場
合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針
1 国旗の掲揚について
入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって
左、都旗にあっては右に掲揚する。
(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生
徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。
2 国歌の斉唱について
入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を
斉唱する。
(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。
3 会場設営等について
入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
(2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。
(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営す
る。
(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふ
さわしいものとする。 〉――――
これが小渕が後段で答えた「政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」の国旗・国歌に関わる国家意志の結末である。
これは東京都だけの問題ではなく、ほぼ日本全国に広がっている。思想・信教の自由を理由として起立しない教師に懲戒免職等の懲罰を与えている。
あくまでも上の意志・国家意志が尊重義務化にあるからこそ行き着いた結末であろう。 そして上の意志・国家意志が国旗・国歌、さらに日本国家をも絶対としているからこそは国民に対して尊重義務化の強制意志を働かせることができる。
関東大震災時の燃え盛る火災から校長室等に掲げた「御真影」を何事もなく無事に持ち出そうとして多くの学校長が焼死したということだが、そのとき学校から「御真影」を遠ざける方がいいという意見は出たが、「御真影」が消失しても止むを得ない、学校長が焼死しないことの方が大事だという意見は出なかったと『近代天皇像の形成』(安丸良夫著・岩波書店)は書いている。戦前の日本は現在の北朝鮮の金正日の写真に対するように天皇本人ではないその写真に対して国民の命よりも大切にする尊重義務化を負わされていたのである。
これは天皇を絶対とする意識が「御真影」にまで働いていたということだろう。天皇本人と「御真影」を同格に置いていた。
麻生の意識の中にも「日本の保守」らしく、戦前の思想を引きずって日の丸を絶対とする意識が働いている。「日本の保守」を絶対としている関係から、「日本の保守」が掲げる価値対象である日の丸、日本も絶対とすることになる。絶対としているから、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と優越性の観点から誇ることができる。当然、日本という国家と日の丸・君が代を優越性・絶対性の価値観で響き合わせることになる。
いわば麻生の「日の丸、それをひっちゃぶいて、二つにくっつけてぇー」は日本国歌や日の丸を絶対とする価値観からの民主党に対する批判だと言える。きっと腹の腸(わた)が煮えくり返っていたに違いない。
であるなら、民主党が政権を獲ったなら、現在の「国旗及び国歌に関する法律」を「ひっちゃぶいて」、「日本の保守」が抱えている日本の国家、国旗・国歌を絶対としたい意志から国民尊重義務化の意図を剥いで、
「第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。」の条文どおりの、そこにどんな国家意志も含まないシンプルな内容に戻すべきだろう。どんな法律も国家のために存在するのではなく、国民の利益のために存在するからだ。
麻生は最後に「革命的選挙をやる。そう言っておられますが、我々は日本に革命を起こすつもりはありません」と言葉を読み間違えるだけではなく、「革命的」という言葉の意味までも取り間違えるトンチンカンをやらかしているが、自民党に今こそ必要なのは自身の党、自民党に対する政治の革命であることに気づいていない。そのことに気づかないのは、「変えるべきものは変える」が口先だけだからだろう。
相変わらずのこの程度麻生と言わざるを得ない。
健全な政党であったことがない自民党を健全な保守と言う愚かしい矛盾
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私は、奈良県に在住して居ります障害者です。
上記タイトル通りの案件で精査戴きたく投稿します。
インターネツト検索で、欠陥住宅調査委員会での記述を確認いただきたいと思います。
早川公朗のみで入力してもらいますとサイトのブログは被害者の情報公開した者です、参考に確認戴きたく存じます。
毎日新聞専門電子掲示板で公開していますので、確認戴きたく存じます。
以上宜しくお願い申し上げます。
平成22年8月13日
奈良県北葛城郡広陵町馬見北3-7-18
早川公朗(71歳〉 電話0745-55-5312ファツクス共。
例え私が精査しても、解決する力は私にはありません。裁判に訴えるのが早道に思えますが。