八ッ場ダム、生活の発展的原状回復で国の中止に妥協してはどうか

2009-10-08 09:21:56 | Weblog

 民主党政権の前原国土交通相が税金のムダ遣いの象徴と槍玉に挙げる必要からだろう、就任早々八ッ場ダム建設中止を表明。これに対して地元住民及び関連自治体の県知事が建設中止反対に猛反発、建設継続を激しく訴えていて、〈前原国交相は住民の生活補償を約束したが、住民側は「中止ありきの協議は応じられない」と、話し合いもできない状況だ。〉(下記「msn産経」記事)という。

 ダム建設決定までどのような経緯を見たのか、《【イチから分かる】八ツ場ダム 中止か継続か 問題長期化》msn産経/2009.10.7 07:46)を参考引用しながら、とは言うものの、ただ単に上から順に機械的に記事を分割しただけの箇条書きで見てみる。

●群馬県北西部の長野原町を、西から東に流れる吾妻川(利根川支流)の中流に、八ツ場ダム
 の建設予定地があって、国の名勝「吾妻峡」800年以上の歴史がある「川原湯温泉」
 があるなど、美しい景観や豊かな自然に囲まれた観光地でもある。

●八ツ場ダムは、治水や首都圏への水供給などを目的に、平成27年度の完成を目指す多目的ダ
 ムで、現在は道路の付け替え工事や水没5地区住民の移転作業などが進んでいる。

●終戦直後の昭和22年、カスリーン台風の影響で増水した利根川が埼玉県内で決壊し、1千人
 を超える死者が出た。被害を繰り返さないため、27年に八ツ場ダム建設計画は持ち上がっ
 た。

川原湯温泉が水没することなどから、地元住民らは半世紀以上にわたり建設中止を国に訴え
 続けてきた。しかし、国の生活補償案が示されると賛成に回る住民も出始め、昭和62年には
 、現地調査を受け入れる苦渋の決断をした。「ダムを造ることで、すべての問題が終結する
 はずだった。今になって中止と言われても…」。反対運動の中心だった竹田博栄さんは、住
 民の気持ちを代弁する。

●八ツ場ダムの総事業費は4600億円。そのうち、3210億円がすでに投じられている。

●建設を中止すれば、下流1都5県が拠出した事業費の返還や生活再建関連費などで2230億
 円が必要とみられ、さらなる上積みもある。残事業費1390億円を上回るが、事業費がさら
 に1000億円ほど増額される可能性を指摘する市民団体もある。 
                 
●八ツ場ダムの目的とされる治水や利水の効果でも、「建設されても13センチ水位を下げるし
 か効果はない」「ダムがなければ水利権を失い、渇水になる」など双方の意見が対立。前原
 国交相と地元住民も妥協点を見いだせる様子はなく、問題は長期化しそう。――

 因みに「Wikipedia」によると、ダムは「吾妻峡の中間部に建設されるのでその半分以上が水没し一挙に観光資源が喪失することが懸念された」そうだが、「昭和40年代には、建設省が吾妻峡を可能な限り保存する観点から、ダムの建設場所を当初の予定よりも600m上流に移動させることを表明。その結果、吾妻峡の約4分の3は残り一番の観光スポットである鹿飛橋も沈まずに残る事となった」という。

 だが、4分の1は水没する。

 「msn産経」記事は最後に名前の由来を伝えている。

 〈■名前の由来、有力な3説

  八ツ場ダムの名前は、なぜ「やんば」と読むようになったのか。地元の群馬県長野原町によると、「八ツ場」はダム建設現場の小字名に由来しているという。地名の由来は諸説あるものの、有力な説が3つある。

 (1)狭い谷間に獲物を追い込み、矢を射た場所である「矢場(やば)」の読み方が変化して、やんばと読むようになった(2)狩猟を行う場所に落とし穴が8個あったため、「8つの穴場」というのが「やつば」になり、「やんば」へと代わった(3)川が急流であることから「谷場(やば)」と呼ばれたのが、「やんば」に変化した。

 同町の担当者は「地名自体は鎌倉時代以降に付けられたのではないかと思われるが、正しい由来も含めて明確なことは分からない」という。全国の地名の由来などを調べている「日本地名研究所」の金子欣三事務局長は「建設現場の近辺は狩りの盛んな場所だったことが、地名からも読み取れる。『谷』を『やつ』と読む場所も、全国的に少なくない」と、(1)か(3)が有力な説であるとし、「地元の通称として、『ツ』を『ん』と読んだのではないか」と分析している。〉――

 また別の「msn産経」記事――《【八ツ場ダム】建設中止は法令違反 関係都県「法に基づく手順と根拠を」》(2009.10.6 01:30)は建設中止は「法令違反」との指摘が関係自治体から出始めていると伝えている。

 〈特定多目的ダム法(特ダム法)に照らすと、ダム計画を廃止「しようと」する際、国交相は「あらかじめ」群馬県だけでなく埼玉県、東京都など下流域の都県知事と協議しなければならない。〉という。

 〈特ダム法に罰則規定はないが、中止の違法性が問われる“逆訴訟”に発展すれば、問題はさらに泥沼化する。これまでの八ツ場ダム建設の是非が争われた訴訟では、いずれもダムの必要性が認められていることも、決して軽視できない。〉――

 また、〈同県幹部は「大臣は中止だけ言い、合理的根拠も示さないのでは、われわれも対応しようがない。こんなやり方は民主党が掲げる地域主権にも反するし、今後、地方と国が対立し、都県が国を提訴するという前代未聞の事態すら想定せざるを得ない」〉という恐れもあると記事は書いている。

 八ッ場ダム建設中止に関係する「特定多目的ダム法」の条文は次のようになっていると記事の最後で解説している。

 〈■特定多目的ダム法第4条4項 国土交通大臣は、基本計画を作成し、変更し、又は廃止しようとするときは、あらかじめ、関係行政機関の長に協議するとともに、関係都道府県知事および基本計画に定められるべき、又は定められたダム使用権の設定予定者の意見をきかなければならない。この場合、関係都道府県知事は、意見を述べようとするときは、当該都道府県の議会の議決を経なければならない。〉――

 「訴訟」に関して次のように書いている。

 〈八ツ場ダムをめぐっては、建設反対派住民計187人が、1都5県に建設事業費の支出差し止めを求めて訴訟を起こしている。すでに3地裁では判決が出ているが、いずれもダムの必要性を認め、住民側敗訴の結論を下している。

 訴訟は平成16年11月に東京、前橋、水戸、千葉、さいたま、宇都宮の6地裁で一斉に起こされた。

 住民側はそれぞれの裁判で、各都県が水需要の実績を無視した過大な需要予測を行っていること、八ツ場ダムが完成しても利根川の治水対策として機能することはないことなどを主張。必要性のないダムに自治体が事業費を負担していると違法性を訴えた。

 東京は今年5月、前橋と水戸は6月に判決が出たが、いずれも「(都や県が行った)水需要予測に不合理な点は認められず、利水対策や水害防止のためにもダムは必要」などとして自治体の負担に合理性があるとの判断を下した。いずれも住民側は東京高裁に控訴。残る3地裁でも訴訟が続いており、千葉では12月22日に判決が出される予定だ。

 前原国交相が建設中止を表明したことで、反対派住民からも裁判を続ける意義を問う声があるが、政権交代後に初めて開かれた9月26日の弁護団会議では裁判を続ける方針が確認された。

 弁護団長の高橋正利弁護士は「まだ国が何を考えているか分からない。中止の法的手続きに入るまで提訴は取り下げない」と追及の姿勢を緩めておらず、今後の裁判所の判断も注目される。(安藤慶太)〉――

 住民は建設容認に心の区切りをつけ、勿論それ相応の補償を受けて、ダムと共に生きる道を選択した。このことに関しては9月29日付「毎日jp」記事――《記者の目:八ッ場ダム建設中止は乱暴=伊澤拓也》が中止反対の立場から詳しく書いている。参考引用

 〈・・・・・・住民はなぜダム本体の完成に執着するのか。代替地への移転を進め、付け替え道路と鉄道の建設も継続するという民主党の政策のどこが不満なのか。その疑問を解くカギは、現地を翻弄(ほんろう)し続けたダムの歴史にある。

 計画が浮上したのは1952年。サンフランシスコ講和条約が発効し、戦争状態が終わった年だ。水需要の高まりを背景に、治水と利水を兼ねた「首都圏の水がめ」として早期完成を期待されたが、住民は猛反発した。

 だが、国との個別交渉で高額な補償を提示された住民らが賛成に転じ、町は真っ二つに割れた。01年に住民代表が補償基準に調印したとき、闘争は終わりを告げ、疲弊した住民は重機が往来する古里を次々と去った。代替地への移転を希望する世帯は01年の470世帯から3分の1以下に減った。急激な人口の減少で、地域コミュニティーの維持も難しくなった。

 川原湯温泉もやはり活気を失った。80年代に22軒あった旅館は現在7軒。空き家が目立つうえ、移転を控えて改修を見送っているため、老朽化が進んでいる。そんな中で、住民たちはダム湖を観光資源として温泉街を再生する計画にたどり着いた。川原湯の住民は現在より東の高台に造成中の代替地に新たな温泉街をつくり、ダム湖の集客力でにぎわいを取り戻そうという青写真を描いたのだ。

 ダムに反対する市民団体「八ッ場ダムをストップさせる市民連絡会」の嶋津暉之(てるゆき)代表(65)が「これまでダムでにぎわった街はない」と指摘するように、ダムによる街の再生が成功するかは未知数だろう。それでも、川原湯で「やまた旅館」を営む豊田拓司さん(57)は「夢物語だとは分かっているが、古里に残るにはその選択しかなかった」と苦しい胸の内を明かした。57年という歳月の中で生まれた、複雑に入り組んだ感情。取材中、淡い希望に残りの人生を託すしかなくなった住民の思いに何度も触れ、胸が張り裂けそうになった。

 前原国交相は必要性に疑問符が付くダムの建設を中止し、河川整備による治水を掲げている。確かにダムの必要性には疑問があるが、具体的な河川整備計画もないまま中止を宣言するのは乱暴ではないか。代替案すら用意していないようでは、関係都県を納得させるのは難しい。住民の生活再建策と河川計画を、セットで提示すべきだ。

 言うまでもなく、一番の被害者は住民だ。しかし、住民にも考え直してほしいことがある。前原国交相が「住民の理解なしに中止手続きは始めない」と言明した以上、話し合いのテーブルに着くべきではないか。不満はその場でぶつければいい。

 民主党が投じたボールはいま、住民の手元にある。足踏み状態が続けば、現地の高齢化が一層進むだけだ。一刻の猶予もないと思う。〉――

 「毎日jp」も賛成・反対と二つに(?)割れているらしい。《社説:八ッ場ダム中止 時代錯誤正す「象徴」に》((2009年9月23日 0時16分)なる記事を載せている。参考引用。

 社説は建設中止を〈時代にあわない大型公共事業への固執がどんな問題を招くかを広く知ってもらい、こうした時代錯誤を終わりにすることをはっきり示す「象徴」としてほしい〉と訴えている。

 〈・・・・・利水・治水のため建設費を負担してきた1都5県の知事は「何が何でも推進していただきたい」(大澤正明・群馬県知事)などと異論を唱えている。すでに約3200億円を投じており、計画通りならあと約1400億円で完成する。中止の場合は、自治体の負担金約2000億円の返還を迫られ、770億円の生活再建関連事業も必要になるだろう。ダム完成後の維持費(年間10億円弱)を差し引いても数百億円高くつく。単純に考えれば、このまま工事を進めた方が得である。

 だが、八ッ場だけの損得を論じても意味はない。全国で計画・建設中の約140のダムをはじめ、多くの公共事業を洗い直し、そこに組み込まれた利権構造の解体に不可欠な社会的コストと考えるべきなのだ。「ダム完成を前提にしてきた生活を脅かす」という住民の不安に最大限応えるべく多額の補償も必要になるが、それも時代錯誤のツケと言える。高くつけばつくほど、二度と過ちは犯さないものである。〉――

 建設計画当初は住民の多くが「半世紀以上にわたり建設中止を国に訴え続けてきた」建設断固反対の事実は遥か遠くの歴史と化してしまっている。そして新たな歴史を次のように刻もうと決意を固めている。

 〈住民たちはダム湖を観光資源として温泉街を再生する計画にたどり着いた。川原湯の住民は現在より東の高台に造成中の代替地に新たな温泉街をつくり、ダム湖の集客力でにぎわいを取り戻そうという青写真を描いたのだ。〉(毎日jp

 建設中止は「ダム完成を前提にしてきた生活を脅かす」(同毎日jp

 だが、前原国土交通相は住民に対する補償を新法を制定して行う考えを示し、関係自治体に対しても負担既出分計約1985億円と利水分の1460億円を特定多目的ダム法に添って全額返還し、返還規定のない治水分の525億円についても返還を検討していく方針を9月19日明らかにし(asahi.com)、補償解決による八ッ場ダムの建設中止を押し通す意志を示している。

 両者の折り合いをつけるとしたら、国土交通相が新法制定で住民補償すると言っているのだから、「住民代表が補償基準に調印」以前の状態に原状回復を求めて中止に賛成してはどうだろうか。吾妻川や吾妻峡といった美しい自然と「川原湯」と名づけた温泉と共に800年の歴史をかけて築いてきた以前の生活風景を取り戻させる。

 勿論このことが実現したとしても、計画が持ち上がってから費やした57年という月日は取り戻せないし、「ダム湖を観光資源として温泉街を再生する」と決めた心に区切りをつけて再び新規まき直しをしなければならない再新生活に付き纏う不安を新たに抱えることにもなる。

 また同じ観光資源を生活の糧とするにしても、ダム湖という新たな目玉が日の目を見なければ、その効果はどうであれ、恒久的な誘客策を欠くことになりかねない。

 「これまでダムでにぎわった街はない」と反対派が指摘し、〈ダムによる街の再生が成功するかは未知数〉と記事が解説しているように新装開店で客を集めたとしても、長続きの保証はなく将来的にそういった不安も抱えることになるとしたら、建設推進で踏みとどまるも困難、建設中止で新規まき直しも困難ということになって進退両難、立ち往生するしか道はないことになる。

 以前の生活風景への原状回復が「ダム湖を観光資源として温泉街を再生する」保証のない「計画」を補ってすべての不安を解消したなら、問題はないはずである。

 一つのアイデアに過ぎないが、そのような方法がないことはない。ただ、ない頭で考えたことで、効果がないとなれば、一笑に付すしかない。

 以前の生活風景への原状回復と言っても、80年代に22軒あった旅館が現在7軒と減っているから、以前どおりに22軒に戻して温泉旅館街として再建する、あるいは再生するといった原状回復ではなく、あくまでも最初の生活の場に戻って吾妻川と吾妻峡と「川原湯」と名づけた温泉を当初どおりに“生活風景”とする原状回復である。

 先ず温泉旅館は共同経営として吾妻峡が最高のロケーションで望める場所に瀟洒・広大な純和風3階建て(くらい)の建物を建て、それ一軒とする。中に温泉浴場は勿論のことだが、混浴露天風呂も結構、さらに何台かのパソコンや大型テレビを備えた程よい広さの図書館。そして以下も程よい広さのビリヤード、将棋や碁ができる専用ルーム、防音壁を設けたカラオケルームにマージャン専用ルーム、喫茶店、バー、レストラン等を設ける。

 どれも一軒一軒の旅館ではすべてを併設できない。旅館を一つに纏めることで可能となる。また客に対して迷うことなく旅館が選びやすくなるメリットを与えることができる。

 旅館の表は日本庭園、オープンテラスを設けて、そこで吾妻峡を眺めながら喫茶、食事、談笑ができるように椅子とテーブルを設ける。適宜遊歩道を設けることで散策もできるようにする。

 旅館の裏手か横手、景観の邪魔にならないようにジムナジウムを併設する。各種ストレッチ器具を置いたり、卓球ルームやバトミントンルーム、テニスルーム、ミニバスケット用の部屋などを設ける。勿論、中に温泉を引いたシャワールームと浴場を設ける。

 室外にハーフゴルフ場、テニスコート、高齢者のためのゲートボール場、その他。

 これらの敷地を確保するために必要なら、一般住民の住いはマンション並みの共同住宅にして一纏めとする。

 正確には原状回復とは言えないが、こじつけて言うなら、このような発展的“原状回復”なら、単に景色を眺め、温泉につかって土地特産の食材をグルメとして味わう、どこにでもある温泉めぐりから、退屈する暇を与えない、逆に時間が足りないくらいの充実した、ほかの温泉街にはないリラックス空間と思い出を提供できる温泉郷となり得るのではないだろうか。

 このようにして建設中止に持っていけたなら、「ムダ遣いの象徴」を打ち砕くという民主党の政策にも合致する。

 9月4日日曜日の朝日テレビの「サンデープロジェクト」が官僚の天下り問題を扱っていた中でコメンテーターの高野孟が次のように言っていた。

 「例えばね、八ッ場ダムの話だとね、3200億円、今まで使っちゃたと、言うんだけども、えーと、0(ゼロ)・・・6年時点のデータっていうことで、長妻議員の、あの、質問で引き出したのがありますけど、06年前後の、3年間取って、それ、現在で、ひゃくななじゅう・・・ろくにんか(176人か)?天下りがいるんですよ」

 田原「そこに、八ッ場ダムに?」

 高野「受注企業から、それに、ダム、カンケツ(?)センターとか何とか。法人、公益法人までにね。その時点ですよ。

 そうすると、ごじゅう・・・・なな(57年)年間やっていて、一体何人の公務員が八ッ場ダムでメシを食ったんだと。その時点だけで170何人かいたんですよ。千人いるでしょう、きっと。

  3200億円、今まで使っちゃいましたって言う中のいくらが、その、彼ら、オー、食わせるために使われたのか。逆様になっちゃっている」

 田原「公務員の天下りの、受け皿のために?」

 高野「ために、八ッ場ダムといういらない事業で行われるという、その構造が問題なんですね」――

 ということなら、ムダ遣い根絶の象徴としてだけではなく、天下り元官僚というシロアリ駆除にも建設中止を役立たせるべきである。



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