安倍晋三の「1億総活躍社会」がチャレンジ可能な社会が意味なら、脱学歴主義・人物本位主義が実現の条件

2015-11-01 10:56:48 | Weblog


 安倍内閣の「一億総活躍第1回国民会議」が2015年10月29日、首相官邸で開催され、事務局説明や有識者メンバーの発言後、総括の意味でだろう、それらを引き取って行った安倍晋三の発言が首相官邸HPに載っている。  

 例の如くに中身を問わずにデフレ脱却迄もう一歩だといった成果話を冒頭に置いているが、次の発言も同じく中身を問わないまま口にしている。

 安倍晋三「正社員の、正規の有効求人倍率についても、統計を取り始めてから最高になっています。もう我々はこれでいいとは全く思っていませんし、まだ道半ばだろうと思っています。この流れを更に加速し、日本経済を上昇気流に乗せてまいります。その上で、これまで様々な取組が行われていたものの、なかなか成果が出なかった少子高齢化という我が国の構造的課題に、今私たちは成長できるという自信を取り戻しつつある今こそ、真正面から取り組むべきだと、我々は判断したのです」――

 要するに正社員の有効求人倍率は過去最高だからさらに努力すると言っている。非正規社員は眼中に置かない、どうでもいいといっているのと同じである。

 2015年9月の有効求人倍率1.24倍で、平成4年(1992年)1月以来の高い水準だそうだが、《正社員有効求人倍率》(ハローワーク情報サイト~ハロワのいろは~)によると、2015年9月の正社員の有効求人倍率は0.78倍(前年同月比+0.9倍・前月比+0.03倍)となっている。  

 正規社員の求人倍率は増加傾向にあるものの、0.78倍を許しているのは、《一般職業紹介状況(平成27年9月分)》(厚労省職業安定局)が2015年9月月間有効求職者数1,924,584人に対して月間有効求人数が2,402,077人だと伝えているように求職者数が77493人上回っているからではあるが、実質的な内容としては正社員を希望しながら、100人のうち22人が正社員を望むことができない窮屈な雇用状況にあることになるということは一つの社会的矛盾であり、安倍晋三はその矛盾に目を向けずに単に正規の有効求人倍率の数字のみを誇ったことになる。 

 また2014年民間企業正社員平均年収478万円、非正規雇用170万円、その格差が前年比+1%・金額+3万円の308万円であるということも、社員身分によって生じている大いなる矛盾そのものだが、そのことにもお構いなしの安倍晋三の正社員の有効求人倍率のみで経済の好状況を描く単細胞な非合理性を思う存分に発揮している。

 一国のリーダーとして、こういったことも大いなる矛盾を示していることになる。

 安倍晋三「私の地元、山口県の長門市に、歌人金子みすずさんがいますが、彼女の有名な歌に『鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい』という歌があるわけですが、正に十人十色でありまして、それぞれの特色があって、それぞれの希望が叶い、それぞれが生き甲斐を持てる社会を私は創りたい。そう思っています。若者も年寄りも、女性も男性も、障害のある方も、また難病を持っている方も、あらゆる方々、例えば一度大きな失敗をした人もそうですが、みんなが活躍できる社会を創るために、それを阻むあらゆる制約を取り除いていきたい。こう考えています。

 そうした思いから、『一億総活躍社会』の実現という目標を掲げさせていただきました」――

 要するに「一億総活躍社会」をチャレンジ可能な社会だと意味させ、そのような社会の構築を謳っている。

 ここで安倍晋三が第1次安倍内閣で「再チャレンジ政策」を掲げていたことを思い出して、パソコン内を調べてみた。

 2006年9月26日の第1次安倍内閣発足を3カ月遡る2006年6月5日の当ブログでその「再チャレンジ政策」を取り上げていた。

 改めて施した文飾と段落と誤字の訂正以外はそのままにここに再掲してみる。


 《マッチポンプな安倍晋三の「再チャレンジ政策」 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 〈もっとスケールの大きい政策を展開できないのか

 安倍晋三が力を入れる「再チャレンジ」政策を後押しする「『再チャレンジ支援議員連盟』の設立総会が2日、自民党本部で開かれた。出席した国会議員は安倍氏周辺の予想を上回る94人」(06年6月3日『朝日』朝刊)だと言う。

 〝議員連盟設立〟に名を借りた9月総裁選に向けた安倍支持派の旗揚げということらしい。再チャレンジ政策とは安倍官房長官が議長を務める政府の「再チャレンジ推進会議」が掲げる政策のことで、5月30日の会合で纏めたその中間報告の柱となる政策を同じ記事から見てみると、

【人生の複線化政策】

 ①働き方の複線化

 ▽新卒一括採用システムの見直し(国家公務員中途採用の拡大)
 ▽正規・非正規労働者間の均衡処遇(有期労働契約を巡るルールの明確化、社会保険の適用拡大)

 ②学び方の複線化

 ▽大学等で社会人の「学びの見直し」の推進(専門職大学院や実践的コース・講座の開設支援)
 ▽地域の情報窓口の構築
 ▽ITを利用した生涯学習推進体制の構築

 ③暮らし方の複線化
 ▽U・Iターンの再チャレンジ支援(農林漁業就業支援)
 ▽職・住提供支援(人材登録・研修事業の創設)
 ▽地域の創意工夫支援のための枠組み構築

【個別の支援策】

  個人保証に過度に依存しない融資の推進(枠組みの創設、金融機関に説明徹底の要請、再チャレンジプランナーの創設)

 ――等を目標として掲げている。

 「複線化」に関わる各コースはスローガンとしては感動を誘う美しい言葉の羅列となってはいるが、本質的な問題を把えて社会全体の矛盾を狙い撃ちするようなスケールの大きさは感じさせず、逆にこれはといったところを拾い出して並べただけのスケールの小ささしか見えないが、それは安倍晋三のスケールの小ささが自然と滲み出した因果性からの政策結果なのだろうか。

 「国家公務員中途採用の拡大」とは、国家公務員3種採用(受験資格高卒程度以上)に関して毎年100人程度の30~40歳のフリーターや子育てが一段落した主婦らを対象とした採用枠を新設して就労機会の提供を図るということらしいが、そのことだけにとどまる「新卒一括採用システムの見直し」だとしたら、例え民間にも同じことを要求したとしても、余りにも限定的に過ぎる。

 「U・Iターンの再チャレンジ支援(農林漁業就業支援)」とは、定年になった団塊世代や若者の就農漁業支援を眼目としているとのことだが、既に過疎の農漁村が試みている地域振興策に国のカネで便乗するだけのことを「U・Iターンの再チャレンジ支援」と立派に名づけたとしたら、その割には内容が見劣りがする。

 「再チャレンジ」政策の推進によって、「フリーターの数を03年のピーク時(217万人)から10年には2割減の約170万人に減らすことや、女性と60歳以上の高齢者の雇用を15年までの10年間で185万人増やすことなどを目標に掲げ」(「毎日新聞」インターネット記事:06年5月30日20時52分)ていて結構づくめの政策となっているが、「パートへの厚生年金の加入拡大やパートの正規社員への転換制度導入などは、政府が過去に法改正を検討したが業界からの反発で見送った経緯があり、実現までには曲折も予想される」(同)と警告している。

 「業界からの反発」は人件費の高騰が企業経営へのマイナス要因に撥ね返ることへの拒絶反応からなのはいうまでもない。フリーターの存在にしても、その人件費の安さが企業経営のメリットとなっている。いわば需要と供給の市場原理に成り立っているフリーターの存在でもある。今後とも景気回復基調が続いて就職環境が改善されたとしても、人件費抑制の流れが賃金は横ばいのままフリーターをパートや派遣社員と名前を変えて存続させないとも限らないし、政府の「見送った」前科からすると、企業側の抵抗をどれ程無効として社会の流れとすることができるか、具体化は曖昧な限りである。

 小泉首相が中・韓の強硬な反対にも関わらず靖国神社参拝を強行したことを受けて、安倍晋三が「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と、「国のために戦った」ことがアジア各国に悲劇をもたらしたことを棚に上げて宣言した以上、良し悪しは別として靖国問題がアジア政策に直接関係するということだけではなく、自身も「リーダー」を目指していることへの整合性を持たせるためにも9月の総裁選に向けた政策争点に加えるべきだろう。それを「靖国問題は総裁選の争点とすべきではない」という立場を取っているのは、総理・総裁になった場合の自らの行動を自分で縛ることになる単なる都合からだろう。

 そういった安倍晋三の自己の主義・主張の便宜的な軌道修正のカメレオン性から窺うとしたら、小泉構造改革の継承者であることを任じてポスト小泉を狙っている関係から小泉構造改革の一大成果である〝社会格差〟を韜晦して受け継ぐ価値あるものとしなければならない立場上、「再チャレンジ」という名の〝新たな政策〟(是正策ではない。是正としたら、〝継承〟ではなく、断絶と新規を意味することになる)を打ち出さざるを得ず、「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」と急遽機会平等論者を装った辻褄合わせと疑えないことはない。

 その疑いが濃厚だからこそ、「再チャレンジ」政策の項目それぞれがスケールが小さく纏まった形でしか出てこなかったということではないだろうか。
  
 「機会の平等」を妨げている本質的な原因の一つに学歴主義の社会的なのさばりがあるのは誰も否定できまい。「人事院は2・3種採用職員の幹部登用を推進しており、04年度で本省課長などへの登用実績は計40機関、129人となっている」(『国家公務員3種にフリーター枠検討』東京新聞・06年6月4日)と努力していることを示しているが、「2・3種採用職員」は公務員全体で最多人数を占めているはずであるにも関わらず、たったの「40機関、129人」の「登用実績」である。1都1道2府43県の47地方自治体で割ると、1自治体で平均3人弱の割合にしかならない、しかも「本省課長」止まりの学歴主義の障壁状況を示している。

 安倍晋三の「再チャレンジ政策」が小泉構造改革の矛盾の韜晦を狙ったものではないとするなら、またそのスケールの小ささから脱するためにも、誰が受験しようとも国家公務員3種採用(受験資格高卒程度以上)に関しては受験者の学力は試験そのもので問えばいいのだから、受験資格を“高卒程度以上”とせずに、“中卒以上”と明確に規定すべきだろう。“中卒以上”とすることが“脱学歴”の宣言となって、学歴とは無関係の本人の努力とチャレンジ精神が基本的な採用基準と化し、そのことが社会全体の学歴主義の払拭に影響しないことはないだろうからである。

 いわば“学歴主義”という本質の部分を変えることによって、学歴主義が生産してきた社会全体の格差、その矛盾を是正していくスケールの大きさこそが求められる改革ではないだろうか。

 当然、国家公務員1種・2種試験に関しても、受験資格は“学卒”とせずに、“中卒以上”とすべきで、本人の努力とチャレンジ精神に任せるべきだろう。そのような試験制度改革は採用基準がゆくゆくは学歴主義から人物本位に向かう流れをつくり出さないではおかない。霞ヶ関の国家公務員の場合、新人研修(初任者研修)というそもそものスタートラインで「機会の平等」は与えられず、キャリアとノンキャリアで明確に分けらているそうだが、そういった慣習も不純とされ、是正に向かわざるを得ない。

 学歴主義から人物本位への流れは、現在も色濃く残る男女差別の是正をも巻き込まずに済むまい。学歴の上下に関係せず、また男女の性別に関係せず、すべての人間を同じスタートラインに立たせることが真の「機会の平等」の実現を可能とする。スタートラインを違えて、「機会の平等」は存在しない。いわば「機会の平等」は学歴主義・男女差別の否定から入らなければ意味を成さない。

 【個別の支援策】として、「塾に通えず機会不平等となるおそれのある母子家庭や生活保護世帯の子供たちには、教職を目指す大学生や教員OBが放課後や週末に勉強を教える『寺子屋』を作る」(「毎日新聞)インターネット記事・06年5月30日:20時52分)といった趣旨に関しても、学歴主義は親の、あるいはさらにその上の親族の学歴も心理的に採用基準にプラスされる傾向を持っていることから、一時的な「機会の不平等」の修正にとどまらせないためにも、学歴主義や男女差別自体の排除なくして「寺小屋」は最終段階に至ってまで機能するといったことはないのではないか。
 
 学歴主義・男女差別(=人物本位の否定)は、日本の衆議院議員の女性進出率が昨年9月の総選挙史上最多の43人が当選したにも関わらす、世界的に低い位置にあるという事実、05年に男女均等法成立20年を迎えながら、同じ正社員でも男女の賃金格差は徐々に縮んではいるが、先進国の中では縮小度が鈍く、依然として3割以上、働く女性の3割を占めるパートの場合は男性正社員の4割台でほぼ横ばいが続いている状況(05.6.28『朝日』朝刊)、日本の大手6行の女性役員はゼロ(05.11.12.『朝日』朝刊)という現況等が示す社会格差を依然として生産し続けているファクターとなっているのである。殆どの先進国で禁止されている〝間接差別〟の横行という状況も学歴主義・男女差別(=人物本位の否定)が影響していないことはない社会格差の一つであろう。

 『日本の大手6行・女性役員はゼロ・米団体、世界50行調査』の記事全文を見てみると、「女性の経営参画を支援する米団体CWDIが世界の大手銀行50行の取締役の性別を調べたところ、対象となった日本の5行と農林中央金庫を合わせた取締役58人の中に女性はゼロで、少なくとも1人は女性のいる銀行が7割(35行)に達する世界の状況と差が大きいことが分かった。11日に公表する。

 05年6月時点の調査で、50行の本店所在地は14カ国に亘る。国別で見ると、女性役員がいないのは2行で、計43人が全員男性だったイタリアと日本の2カ国だけだった。

 女性役員ゼロの15行のうち、資産量で上位5行中4行が邦銀。みずほ、三菱東京(現三菱UFJ)。三井住友、各グループ持ち株会社だった。

 取締役中の女性比率が最も高いのは、スウェーデンのノルデア36・4%(11人中4人)、アジアからは中国銀行が30・8%(13人中4人)で4位、中国建設銀行が15・4%(13人中2人)で14位だった。米国はシティグループ、バンク・オブ・アメリカが各3人いるなど、対象の6行すべてに女性役員がいた」

 世界でゼロは日本とイタリアだけというのは何と名誉なことだろう。ノーベル賞ものではないか。

 小泉構造改革以来急速に拡大した各種格差是正の対策として、基本のところで深く影響している日本社会に日本の歴史・伝統・文化として巣食っている学歴主義や男女差別と真っ向から向き合ったのではない、必要と思われる事柄を個別に拾い集めたようにしか見えない「再チャレンジ」政策の項目の数々から判断できることは、安倍晋三の「機会の平等を求め、結果の平等は求めない」を趣旨とする「再チャレンジ」政策は、「自分でマッチを擦って火をつけておいて自分で消火ポンプで消す意」の和製語である〝マッチポンプ〟に過ぎない印象しか出てこない。

 自らも幹事長、次いで官房長官として加わった小泉構造改革が日本社会の格差をマッチを擦って火をつけたように拡大させたのだから、責任が及ばないうちに慌ててポンプを持ち出して自分たちがつけた火の消火に当たり、格差拡大の責任は取らないまま、単なる後始末でしかない是正を後始末と思わせないで手柄とするといったところではないだろうか。

 小泉首相に金魚のフン並みにべったりと引っ付いて格差社会を共につくり出しておきながら、格差社会に取り残された者に「再チャレンジの手を差しのべる」とは、まさしく自分で火をつけておいて自分で消火ポンプを持ち出して消して、その手柄で次の総理・総裁の地位という大きな利益を得ようと言うのだから、まさしく虫がいいマッチポンプとしか評しようがない。

 出生率の減少も学歴主義・男女差別とそれらの延長にある賃金差別が子育てに必要な資金を十分に投入できない状況(私設保育所の保育料が高すぎるために頼りとしている公立の保育所の空きがなくて、子どもを産めないといった状況等)を受けた結果性ということもあるに違いない。

 格差の本質に潜んでいる学歴主義・男女差別に手をつけない格差の是正は、単に格差の表面を取り繕うに過ぎない。安倍晋三はそれをやろうとしている。その程度の政治家でしかないからだろう。「再チャレンジ支援議員連盟」の設立総会に94人も集まったとニンマリしている程度なのだから。

 「再チャレンジ」政策を第1次安倍内閣の主要政策とし、その具体策の一つとして「正規・非正規労働者間の均衡処遇(有期労働契約を巡るルールの明確化、社会保険の適用拡大)」を打ち出しながら、非正規労働者が増え続け、その増加に応じて両者間の年収格差・生涯賃金格差も増大している。

 にも関わらず、「1億総活躍社会」を大々的に掲げ、「それぞれの希望が叶い、それぞれが生き甲斐を持てる社会を私は創りたい」と「一億総活躍第1回国民会議」で恥ずかしげも後ろめたさもなく言うことができる。

 しかも「格差是正」という言葉を一言も使わないのは卑怯である。そのことが念頭にないとしたら、非正規の少ない給与の中での活躍で十分だと言っていることになるし、活躍にも格差をつけていることになる。

 次の政策、「U・Iターンの再チャレンジ支援」(農林漁業就業支援)と「「地域の創意工夫支援のための枠組み構築」」は現在推し進めている「地方創生」と重なる。

 第1次安倍内閣が2007年9月26日迄1年間しか続かなかったとしても、第2次安倍内閣は2012年12月26日に発足して約3年近くになる。しかも首相を離れていた間、自身の政策を練り直していたというから、より確実な政策に作り変えていたはずだ。だが、今以て明確に成果とすることができないでいる。

 こう見てくると、「1億総活躍社会」とは「再チャレンジ」政策が未達成ゆえの、今風の表現をも加えたその焼き直しに見えてくる。

 だとしても、「1億総活躍社会」を「若者も年寄りも、女性も男性も、障害のある方も、また難病を持っている方も、あらゆる方々」が「生き甲斐を持てる」真にチャレンジ可能な社会の構築を目指しているなら、ブログで書いているように国家公務員試験だろうと民間企業試験だろうと、受験資格に学歴を置かずに全て中卒以上と規定して、学歴主義から人物本位主義への転換を図るべきだろう。

 勿論、この人物本位主義は当然のこと、男女の性別に於いても同じ条件としなければならない。

 企業側は現在でも人物本位を採用基準としていると言うだろうが、あくまでも大学卒の枠を設けて、あるいは高校卒の枠を設けて、その枠の中での人物本位となっている。

 東大卒という枠を設けたその中での人物本位であって、どの段階で卒業しようと一緒くたにした中での人物本位ではない。

 記事の中で「日本の大手6行は女性役員はゼロ」と言うことを他記事を参考に書いたが、最近テレビで見たバラエティ番組だったか、「アメリカの警察官は巡査から始めて署長になる人もいる」と言っていたのを思い出して、ネットで調べてみた。

 番組で言っていた発言に出会うことはできなかったが、「Wikipedia」で次の記述を見つけた。

 〈実力主義の慣習は法執行機関でも例外でなく、日本の警察のキャリア制度のようなものは存在せず(アメリカでは州が一国に相当し、自治体職員と連邦捜査官は全く別の存在)、全ての法執行官は巡査など最下級の階級から職業人生を始め、能力のある者が「警察長」「局長」などの最上位階級まで上り詰める。2013年現在のニューヨーク市警察の警察長であるフィリップ・バンクス三世は1986年に採用され、81分署の巡査からその経歴を始め今日に至る。また2015年現在のロサンゼルス市警察の警察長であるチャーリー・ベックも、2年間のロサンゼルス市警察予備警察勤務(ボランティア)を経て1977年に巡査に任じられ、同市警察で経歴を重ねて今日に至っている。

 終身雇用が基本の日本の警察官と異なり、より良い雇用条件や栄達を求めて他組織へ転職する法執行官も珍しくない。アメリカの法執行官向けウェブマガジンなどには、様々な機関の職員募集広告が掲載されている。同誌でみると、巡査級だけでなく、巡査部長級以上の管理職級を募集する機関も多い。大学以上の高等教育機関で犯罪学・犯罪心理学等の専門教育を受けていれば、より良い転職先を求めることもできる。警察本部長級であれば、経営学や法学などの学位や法執行官の高級幹部課程が履修済みであることなど、かなり高等な条件が定められている。日本と同じような警察官採用試験もあるが、頻度は組織によって大きな差があり、年一回程度のところから、ニューヨーク市警察のように平日は毎日のように実施する機関まで幅広い。〉――

 この紹介にある昇進に関わる職場環境は誰もがチャレンジ可能な人物本位で成り立っているということであろう。人物本位主義を基本とするなら、受験資格も学歴で差別を設けずに義務教育以上を求めずとしなければ、人物本位主義との整合性を失う。

 もし人物本位主義が実現できなければ、「1億総活躍社会」の実現も満足な形を見ないに違いない。チャレンジに関しても、格差の壁を放置したままにすることになるからだ。


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