本免許に辞任するまでとても到達できそうもない菅仮免許首相が昨夕(2011年4月12日 6時頃)震災1カ月を機に記者会見を行った。動画とテキスト版が《首相官邸HP》に掲載されている。
冒頭発言は前以ていいことを並べて原稿に書いてあるとおりのことを読み上げていく形式で発言するだけだから、力強い明快な話し方で流暢に進めていくことができたが、記者との質疑応答になると、途端に力強さも滑らかさも失い、次の言葉を探し探しのたどたどしい話し方となった。動画ではよく分からないが、NHKの生中継では質疑応答に入ると目が一段と涙目となったような弱々しさを漂わせて、力強い毅然とした目の色をどこからも窺うことはできなかった。
この様子だけを取っても、指導者という的確な印象を見ることはできなかったし、当然指導力等の何がしかのパワーの漲りは伝わってこず、悪く言うと、自信なげで、どことなくオドオドさえしているように見えさえした。
ここでは冒頭発言の中で述べた言葉、「人命の救済」について考えてみたいと思う。
菅仮免「さて、1か月が経過して、いよいよこれから『人命の救済』、そして救援から、復旧、復興へと歩みを進めてまいらなければなりません。それに当たって、これまで大きな震災によって亡くなられた皆さんに、改めて哀悼の誠をささげますとともに、その御家族や被災された皆さんに、心からのお悔やみとお見舞いを改めて申し上げたいと思います。
大震災発生直後に、私はまず『人命の救済』を考え、自衛隊に出動を命じました。以来、自衛隊は10万人の態勢をもって人命の救出、更には復旧、復興に向けて全力を挙げてくれております。自衛隊の最高司令官として、本当に惜しみのない自衛官の皆さんの活動に対して、誇りと思うとともに、一人ひとりの隊員に対して心から感謝を申し上げたいと思います。 |
要するに「人命の救済」も救援も終了した、これから「復旧、復興へと歩みを進めて」いかなければならないと宣言している。
この宣言からして、菅仮免許は「人命の救済」という言葉を一定の空間に閉じ込められ、孤立していた人間に対する物理的な救出に当てていることが分かる。
単に物理的救出を以って「人命の救済」と言っているということである。
いわば「人命の救出」、あるいは「救援」を以って「人命の救済」に代えている。
その思い込みがあるから、地震発生2日後の3月13日(2011年)の国民向けメッセージで、「昨日に続いて今日一日、人命の救出に全力を挙げてまいりました。これまで自衛隊や警察、消防、海上保安庁あるいは外国からの支援も含めて、約1万2000名の方を救うことができました」と救出人数を誇り、3月21日午後開催の緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議の冒頭挨拶で、「今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができたました」と物理的救出とその人数に重点を置き、3月20日の防衛大学校卒業式首相訓示では、「この大災害に直面し、自衛隊は全組織をあげて、過去にない規模で救援活動・支援活動を展開しています。孤立した人々を救出し、支援物資を運び、原子力発電所に命がけで放水をする。私はまずもって、危険を顧みず、死力を尽くして活動を続ける自衛隊員諸君を誇りに思うとともに、彼らを支える御家族の皆様に心からの敬意を表したいと思います」と、やはり物理的救出を以って自らの主要な義務と責任だとしている。
勿論、こうした物理的救出も重要ではあるが、物理的救出に限定しているところに一国のリーダーとしての合理的判断能力、資格が問われることになる。
なぜなら、こういった発想には、言葉に現れている菅仮免の思想にはと大袈裟に言ってもいいが、死から命からがら逃れ得て心身共に不安な困窮状態に置かれた避難被災者に対する「人命の救済」の視点が一切欠けているからだ。
自衛隊が何万人救出しようと、以前ブログに書いたことだが、その殆んどが目に見える場所に目に見える存在として孤立しながら救助を待っていた被災者をヘリコプター等で救出したということであって、それさえもできなければ自衛隊としての存在意義・存在理由を失う。
いわば救出して当たり前のことであり、当たり前のことを人数を挙げて誇り、自らの義務と責任を果たしたかのように言う。
そのような見当違いの感覚を一国の首相が持っていることが問題なのである。
「人命の救済」とは物理的救出のみを言うのではなく、死から逃れて困難な状況で生き永らえている命をその困難な状況を一刻も早く取り払い、心身共に人間として正常な姿に回復させ、維持することも「人命の救済」に当たるはずだ。
当然、避難所に避難した被災者、あるいは自宅であっても、道路決壊、ライフライン決壊によって孤立した被災者の生き永らえている命を飢えや寒さ、病気から守り、心身の健康を保全する支援策を尽くす義務と責任を果してこそ、孤立した場所からの物理的救出と併せて初めて「人命の救済」と言える。
もし周囲一面水が出た状態のビルの屋上に孤立した状況で取り残された被災者を自衛隊のヘリコプターが救出、避難所に送り届けたとしても、その避難所で食料が不足し、身体を温める暖房器具も暖房衣類・寝具といった物も不足していて、風邪を引いてもクスリ一つない非人間的な状況で寒さに震えながら人心地もなく何日、何十日となく送らされたなら、「人命の救済」を果たしたと言えるだろうか。
それとも命を助けられただけでも感謝しろと言うのだろうか。もし物理的に人命を救出しただけの状態で非人間的な状況に放置するとしたら、決して文明国家とは言えないはずだ。
菅仮免は 「人命の救済」を人命の物理的救出のみで終わらせているから、今回の記者会見でも、これまでと同様に被災者救済の視点を欠くことになる。
このような視点の欠如が菅仮免に元々の資質としてあったからこそ、支援物資の配布の遅れやばらつきといった対応遅れの成果を結果としたに違いない。
「これまで大きな震災によって亡くなられた皆さんに、改めて哀悼の誠をささげますとともに、その御家族や被災された皆さんに、心からのお悔やみとお見舞いを改めて申し上げたいと思います」とは言っているが、支援対応の遅れによって被災者の多くを長いこと非人間的状況下に放置していたことへの言及も反省も一切ない。
一切ないからこそ、「人命の救済」も救援も終了した、復旧、復興の段階に入ったと言えるのだろう。
多分、自己防衛本能から支援の不備・不足を無意識に補う気持が働いて、「人命の救済」を物理的救出のみに代え、一国のリーダーとしての責任をさも果たしたかのように見せかけたのかもしれない。
断っておくが、復旧・復興も「人命の救済」の要素は含まれている。決して欠かせてはならない要素であろう。
それが復興によって生み出される社会の姿について挙げた3つの考え方のうちの一つである、「人にやさしい、特に弱い人に対してやさしい社会」への復興に表現されている。
だが、菅仮免は「人命の救済」を物理的救出のみと解釈しているから、復旧・復興も「人命の救済」の要素を含んでいるとする認識を持たずに言っているに過ぎないことになる。
情けないリーダーだ。
記者が原子力事故をも含めた震災状況下で「政治だけがなかなか動いていない状態だと思われます」と発言したことに対して、放射能避難者も含めた被災者支援が満足に機能しなかったし、現在も機能していないことを棚に上げて、法律に基づく2つの対策本部をつくった、いち早く自衛隊に出動を命令したと、そのことを以って「やらなければいけないことについては、私はしっかりとやってきた」と自負することができるのだろう。
立ち上げた対策本部が具体的・実践的に機能したかどうか、出動命令を下した自衛隊が被災者支援に満足のいく形で機能したかどうかまでの視点が全然働いていない。
「人命の救済」を以上のように広い意味で把えると、「人命の救済」は「国民の生命・財産を守る」安全保障も入ることになる。
いや、入れなければならない。「救済」という語を『大辞林』(三省堂)で見てみると、「困っている人を助けること」、「人を不幸な状態から解放し、幸福を与えること」とある。心身共に人間らしい十全な生命(いのち)を保障してこそ、「人命の救済」と言えるし、「国民の生命・財産を守る」とする国家の約束事を果たしたと言える。
災害救済に於いて、このよう心身共に人間らしい十全な生命(いのち)を保障する「人命の救済」の段階を果して終えてこそ、初めて復旧、復興の段階に入ることができ、また復旧、復興の段階を「人命の救済」の要素を持たせてより十全な内容で推移させることができるはずだ。
初期の段階での「人命の救済」を満足に指導することができなかった一国のリーダーが復旧・復興の段階に於いても満足な指導力の発揮は期待しようがない。
当然、「国民の生命・財産を守る」義務と責任を満足に果たすことはできないことになる。
第一段階の「人命の救済」が孤立状態からの被災者の物理的救出と避難所に逃れた被災者に避難所という限定された空間で心身共に人間らしい生活を可能な限り送ることができる状況に持っていく生活支援であるなら、第二段階の「人命の救済」はさらに一歩進めてプライバシーが確保でき心身の健康を自ら管理できる生活支援となる仮設住宅への入居を迅速に推進し、完遂させることであろう。
このことを以ってして、「人命の救済」と共に第二段階での「国民の生命・財産を守る」安全保障を政府はどうにか果たしたと言える。
残るは雇用の保障、あるいは生活の保障ということになる。
だが、《“2万6000戸 用地確保”》(NHK/2011年4月12日 12時17分)をみると、仮設住宅への入居は決して満足な状態で推移しているとは見えない。
岩手・宮城・福島の3県で必要とされる仮設住宅は6万2000戸。
4月11日までに着工したか着工が決まったのは1万戸余り。残り約5万戸以上。
昨4月12日の閣議後記者会見で大畠国交相が、岩手・宮城・福島の3県で必要な6万2000戸の仮設住宅のうち、岩手県で1万2000戸、宮城県で1万戸、福島県で4000戸の合わせて2万6000戸分の用地を確保するめどがついたことを明らかにしたという。
残りはまだ3万6000戸となる。
大畠国交相「被災地の自治体では仮設住宅の建設用地の選定などを行う人手が不足している状況もあるので、国土交通省から職員を派遣するなどして用地の確保に全力を挙げたい」
市役所や町役場等が津波に襲われて職員に死者を出し、尚且つ被災者対策に人手を取られていて、職員不足は当初から言われていたのである。それをさも最近の状況であるかのように言い、これから職員を派遣することとしている対応遅れを何とも思っていない。
リーダーである菅首相がそうだから、閣僚も似てくるのだろうか。
昨日のブログで「NHK」記事を引用して、次のように書いた。
〈NHKが津波で住宅が被害を受けるなどした宮城、岩手、福島の37市町村を対象にした調査。
7自治体が既に用地を確保ができた。
14自治体が来月までには確保したい。
6自治体が夏以降から年内までに。
9自治体が、「見通しが立たない」、あるいは「分からない」。〉――
かくまでも「人命の救済」は遅れているのである。人間らしい状況での「国民の生命・財産を守る」ところまでいっていない。
だが、菅仮免許はそんなことはお構いなしに記者との質疑応答でも自分で「人命の救済」と言っておきながら、その視点を欠いた発言を平気で行っている。
阿比留記者「産経の阿比留です
先ほど総理は、辞任をする選択肢はあるのかという時事通信さんの質問にお答えになりませんでしたが、現実問題として、与野党協議にしても最大の障害になっているのが総理の存在であり、後手後手に回った震災対応でも総理の存在自体が国民にとっての不安材料になっていると思います。一体、何のためにその地位にしがみ付いていらっしゃるのか、お考えをお聞かせください」
菅仮免「阿比留さんの物の考え方がそうだということと、私が客観的にそうだということは必ずしも一致しないと思っています。先ほど来、申し上げていますように、震災が発生して、即座に自衛隊の出動をお願いし、多くの方を救済いただきました。また原子力事故に対しても、大変な事故でありますから、それに対してしっかりとした態勢を組んで、全力を挙げて取り組んできているところでありまして、私とあなたとの見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」――
記者は後手後手に回った震災対応は首相の存在自体に問題があるのではないのかと大胆にも聞いた。だが、菅仮免は第二段階の、第一段階よりもさらに一段進んだ「人命の救済」となり得る仮設住宅の入居が必ずしもスムーズに進んでいないにも関わらず、その点を抜いてこれまでと同様に自衛隊の出動による目に見える場所に目に見える存在として孤立しながら救助を待っていた被災者の救出を以って「救済」だとし、第二段階の「人命の救済」の不備・不足、対応遅れに、そのことへの視点を欠いているために何ら恥じないでいる。
首相の存在自体に問題があるとした記者の質問は多くの国民、識者の声を代表する発言だと思うが、その質問に対して、「私とあなたとの見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」と言っているが、その合理性に関しての一つの答となる記事がある。
《「政府の震災対応は後手」 同友会代表幹事が懸念》(MSN産経/2011.4.12 15:54)
経済同友会の桜井正光代表幹事の昨4月12日の記者会見。東日本大震災発生から1カ月間の政府の対応について次のように発言している。
桜井代表幹事「避難民救済や原発事故などをみると、かなり後手後手に回っている。復興に対する国の方針ができていない」
非常時に於けるリーダー論。
桜井代表幹事「民意をつかむだけでなく、政策の優先順位を決めて迅速に執行し、分かりやすく情報を発信する能力が必要だ。いまの政権には不足している」
政府の「復興構想会議」について。
桜井代表幹事「一番大事なのは会議の提案を予算化し、省庁縦割りではなく優先順位をつけ確実に執行することだ。それができるかどうか。大変心配だ」
以下略。
なぜMSN産経の記者は菅仮免に桜井代表幹事はこう言っていたが、国民の多くの声を代弁した発言ではないのかと聞かなかったのだろう。
もし質問していたなら、菅仮免は「私と桜井代表幹事との見方はかなり違っているとしか申し上げようがありません」と果して言えただろうか。
もし言えたとしたら、その客観的な合理的判断能力、自省能力は底なしのイカレた状態にあるとしか言いようがない。
避難所の雑居房とも言えるプライバシーのない空間に暮らす多くの被災者は「人命の救済」が心底実感できる仮設住宅の入居を心待ちにしているはずだ。
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