石原慎太郎と日本人の学ぶ力

2006-11-26 08:24:18 | Weblog

 東京都知事・石原慎太郎の豪華海外出張と氏の画家の四男・延啓(のぶひろ)氏(40)の都の文化事業関連の公費欧州出張が今問題になっている。

 インターネット、その他から新聞やテレビでその伝えているところを拾ってみると、画家の四男の問題は、「都によると、四男は03年3月、都の文化行政担当の参与や都職員らと、石原知事脚本の『能オペラ』の準備のためにドイツやフランスに出張、四男の航空運賃や宿泊費計55万円を都が全額負担した。四男は同月、1カ月間だけ都の外部委員の嘱託を受けていた」(「朝日」)。
都の文化事業とは、東京新聞が「トーキョーワンダーサイト(TWS)――石原慎太郎東京都知事が発案した文化政策。都施設を活用し、若手芸術家の育成、支援の作品発表や交流の場を提供している。2001年12月開館のTWS本郷(文京区)、昨年7月のTWS渋谷(渋谷区)に続き、今年11月には3館目のTWS青山クリエーター・イン・レジデンス(同)がオープン。運営主体は都の補助で設立された任意団体から、今年4月に都の外郭団体「都歴史文化財団」に完全移管された。本年度の都の補助金は約4億7000万円」と解説。

 「しんぶん赤旗」は、「トーキョーワンダーサイト 新進・若手芸術家の育成を図るとして2001年12月、文京区本郷の教育庁所管の御茶ノ水庁舎を改修してスタートしました。その後、ワンダーサイト渋谷、同青山を開設。さらにもう一施設の開設を予定。04年度の都の監査では、事業をチェックするために設置されたコミッティ委員会が年一回しか開かれず、事業計画の決定や決算の認定が審議されないまま委員長の決済だけで処理されていることや、都の承認なしに事業の変更が行われ、事業計画と実際執行された内容も金額も大きく違っていることなどの問題が指摘されています」――

 画家の四男・延啓が例え「1カ月間だけ都の外部委員の嘱託を受けていた」としても、それが正式の、いわばどのような情実によるものではない、石原慎太郎以外の人間も交えた公正な選択による「嘱託」であれば、問題はないはずだが、「委嘱の期間は同31日までの1カ月間だけ。この事業に詳しい都幹部の一人は『極めて不自然。海外出張させるために委嘱したと疑われても仕方ない』と話す」(東京新聞)とすると、「嘱託」の身分から発生した海外出張ではなく、逆に海外出張という目的から発生させた「嘱託」と受け取られても仕方がないのではないか。

 「嘱託」とはせずに、単に外部委託とするだけで出張費を受持つことが可能なはずだが、そうすると疑われるのではないかとの危うさを抱えていたから、そのための1カ月限定の「嘱託」という形式を殊更に取ったということもあり得る。

 石原慎太郎の弁明、あるいは反論の弁を拾ってみる。

 「(四男がオペラの)音楽家と一番親しいから、(外部委員を)委嘱して(欧州に)行ったんでしょう」(「朝日」)

 「息子の名誉のために言いますけど、一応の絵描きだし、キャリアがあって、いろんな人を知ってるから。そういう芸術家というのはそうたくさんいないからね。そういう点で私は便利に使ってます、都としても」(「朝日」)

 「Q.人選は正常な手続きだったのか?
 「正常な手続きでしょう。息子であり立派な芸術家ですよ、失礼だけど。余人をもって代え難かったら、どんな人間でも使いますよ、私は。東京にとってメリットがあったら」(「TBSニュース」)

 「(人事は)わたしが命じたわけではない。息子だが立派な芸術家。余人をもって替えがたかったら、どんな人間でも使う。私物化って、だから何ですか? 私が所有しているわけではない」(「スポーツ報知」)

 TWSのギャラリー施設のステンドグラスは四男の原画を基に作成されたことについて、原画は無償で描いたものだったとし「建物を改修するときに、ステンドグラスをはめさせろと。金もないし、ウチの息子が絵描きだから、やってみろとなった。他に数人に原画を描かせたが、息子のがマシだったから。息子だが立派な芸術家。彼ら芸術家は人格もある。その人格も踏まえて、ずいぶんタダで働いてもらった」「四男、四男って、知事の息子なんで損をしているようだが、彼は慶大を卒業した後、スクール・オブ・ファインアートというカレッジを出た」(同「スポーツ報知」)――

 公的な仕事に外部の人間を使う場合、「音楽家と一番親しいから」は〝公的〟であることに反する公平とは言えないごく私的な選択基準となっていないだろうか。

 また四男が「いろんな人を知ってる」面識の広さはかつては有力国会議員であり、現在は都知事であり、有名作家でもあり、石原裕次郎と言う一時代を風靡した俳優の兄(四男にとっては叔父)である石原慎太郎という親の力が影響していはいないとは言えない、ときには親の七光りといった形を否応もなしに取る社交性であろう。いわば親の面識の力を借りた、それと重なる活動の広さを息子として背負っていて、そういった親子の関係にある以上、「私は便利に使ってます、都としても」とするのは、身内の力学を石原慎太郎自身が自ら利用することになって、縁故使用と言われても仕方がない。

 「Q.人選は正常な手続きだったのか?
 「正常な手続きでしょう。

 「(人事は)わたしが命じたわけではない」とは言っているものの、「人選は正常な手続きだったのか?」との問い質しに、「正常な手続きでしょう」と推測の答となっていて、確言とはなっていない。とすると、「余人をもって代え難かったら、どんな人間でも使いますよ、私は」の「代え難」いが「私」一人の判断である可能性も窺え、公私混同の疑いが出てくる。第三者の立場にある複数の関係者との議論の上で、関係者の多くが「代え難」いとする結論に至る手続きを経て、初めて公私混同であることから免れることができるし、「勿論、正常な手続きを取った人選です」と確言できる。

 いわば石原慎太郎が一人で「余人を持って代え難い」と最初から結論づけて推薦したのに対して、周囲が「じゃあ、息子さんに頼みましょう」と採用の決定を下したでは、確かに「命じたわけではない」形を取るが、石原慎太郎の独断を罷り通らせた決定(=縁故採用)となりかねない。

 「トーキョーワンダーサイト(TWS)」の設立・運営の過程にしても、石原慎太郎という一人の人間の意志のみが強く浮かび上がってくる。

 「私物化って、だから何ですか? 私が所有しているわけではない」は著名政治家にして著名作家に反する的外れな反応と言わざるを得ない。誰もが侵すことができない「所有しているわけではない」厳然たる事実を侵して、私的所有物であるかのように事の決定を個人の判断のみで行っていないか、権力を持った者がよく陥る過ちを質していたはずである。

 次に豪華海外出張問題を見てみる。

 「紀伊民報」によると、
 ▽都知事の海外出張規定額は総理大臣と同額で、ロンドン、ワシントンなどの大都市では1泊4万200円に反して、01年のワシントン出張では、最高で1泊26万3千円のホテルに泊まった。
 ▽ガラパゴス諸島への出張では、大型クルーザーを5日間借り切り、1泊あたり13万1千円の夢のような旅をしていた。
 ▽過去5年間の15回分で約2億4千万円の海外出張費を使っていたともいう。 

 「しんぶん赤旗」
 「就任以来7年半で行った19回の海外出張のほとんどは、知事の個人的な関心で計画され、うち六回が知事の思い入れの深い台湾でした。海外出張の目的も福祉や教育の充実というものはなく、観光的なものが多数です」

 上出の「紀伊民報」(『首長の出張費』11月25日/土)は次のようにも伝えている。

 「『世にいろいろ味わい深いものもありますが、自分自身の老いていく人生ほど実は味わい深く、前後左右を眺めれば眺めるほど面白く、味わい深いものはないのです』

 ▽作家で東京都知事の石原慎太郎さんの「老いてこそ人生」のあとがきの1節である。この言葉は実に味わい深く、深い哲学を含んでいて、好きな文章の一つだ。

 ▽ところがである。ご本人は「老いていく人生」を味わうのに、ワシントン出張で最高は1泊26万3000円のホテルに泊まるなど、庶民が仰天するような大名旅行をしていたそうだ。共産党都議団の調査で分かったとアサヒ・コムが伝えている」――

 「都知事の海外出張規定額は総理大臣と同額で、ロンドン、ワシントンなどの大都市では1泊4万200円に反して、01年のワシントン出張では、最高で1泊26万3千円のホテルに泊まった」

 石原自身は「規定の料金が安過ぎる」とか、「事務方に任せている。たまたまリゾートで高くついた」とか釈明しているが、そんな釈明が効かない程に公職にある者が普通「1泊26万3千円のホテルに泊ま」るだろうかと驚く、「規定」を大幅に上回る出費に対して、周囲は容認していた。その事実こそ問題だろう。四男の「嘱託」の経緯にも重なるようなその事実が証明する〝事実〟は、石原慎太郎が都知事という地位・職責を外れて、権力者と化していたということだろう。日本風に言うと、お殿様となっていた。権力者は贅沢を特権とする。サダム・フセインの例を挙げるまでもない。北朝鮮のキム・ジョンイルを名指しするまでもない。

 権力の反対力学として、周囲は咎めることも正すこともできずに、言いなりに従うだけのことを役目としていた。権力者に対するイエスマン、あるいは殿様に対する家老以下の家臣であることを自らの役目としていた。いわば目をつぶって、自らの平穏無事だけを祈る自己保身に耽っていた。

 東京都を治めていたのは石原慎太郎なる都知事ではなく、特権階級者と化した石原慎太郎である〝事実〟を我々は知らされたわけである。権力の恣意的行使は、それを許し、従属する勢力があって、初めて成り立つ。その勢力のうちに石原慎太郎を都知事に当選させた有権者も入らないだろうか。いわば石原慎太郎、都職員、有権者の双務責任としなければならない。

 長期政権は腐敗する。例外として、日本という国では短期政権でも腐敗するとしなければならない。とすると、日本ではすべての政権が腐敗するを政治政権に関わる絶対真理としなければならない。

 もし再び石原慎太郎が都知事選に立候補した場合、都知事に当選させるようなら、日本人は自ら学ぶことのできない民族であることを改めて証明することになる。自ら学ぶことができないから、建国以来、他国の文化・思想・制度を真似て自らの国を成り立たせることを歴史とし、伝統とし、文化としてこなければならなかった。

 もし石原慎太郎を立候補した場合の都知事選で拒絶できたなら、少しは学ぶことができたと言えるだろう。「少し」と言うのは、政治家が何かスキャンダルを起こさない限り、政治家の真の姿に気づかないからだ。石原慎太郎の特権階級者化した驕った態度は、「第三国人」発言や「ババア」発言、「外国人犯罪DNA」説等に前々から現れていたことで、既に気づいていなければならない姿だったはずである。気づかなかったのは、選挙意志がその政治家の政治姿勢・政治的人格ではなく、表面の姿勢を決定条件としているからだろう。

 最後に余談だが、「トーキョーワンダーサイト」なるネーミング。日本の歴史・伝統・文化は素晴しいと言いながら、あるいは美しい日本語と日本語を絶対化しながら、肝心な箇所には外国語を使う矛盾と、矛盾であることに気づかない鈍感さを混じえた日本人の非合理性。私自身は日本の歴史・伝統・文化を肯定的な価値観のみで把えないし、日本語が素晴しければ、すべての外語も素晴しいとしなければならない、素晴しいという点では優劣ないと思っているから、矛盾はないが、矛盾を矛盾としない非合理性も、日本の歴史・伝統・文化としている思考性であり、肝心な箇所で外国語を使う思考程度も日本の歴史・伝統・文化としている価値志向であろう。律令の時代の中国語の利用から始まり、ポルトガル語、オランダ語の利用、そして英語やドイツ語、フランス語の利用。これからも美しい矛盾は続くに違いない。何しろ日本の歴史・伝統・文化なのだから。


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