南スーダン・イラク両日報隠蔽の必要性は安倍晋三側にあり、隠蔽は安倍晋三の世論操作・国会対策が狙いか

2018-04-23 11:36:13 | 政治
 安倍晋三:従軍慰安婦強制連行否定2007年3月16日閣議決定

「政府が発見した資料の中には、軍や官憲がいわゆる強制連行を
直接示すような記述も見当たらなかった」
とする
“政府発見資料”とは如何なる資料か、公表すべき

 ――隠蔽の必要性・利益は防衛省側になく、「戦闘行為」の政府解釈は自衛隊員の生命軽視に当たることから、防衛省側・自衛隊側に隠蔽リークの必要性・利益が生じたか――

 防衛省は野党議員がイラク派遣部隊日報の資料請求に対して2017年2月16日に「不存在」と回答したという。

 2017年2月20日衆議院予算委員会

 後藤祐一「民進党の後藤祐一でございます。

 先週の金曜日、南スーダンの第1次隊から9次隊についても日報は残っているということが明らかになりましたが、南スーダン派遣以外についても、海外、国内問わず日報というものは保存されているのでしょうか、防衛大臣」

 稲田朋美「自衛隊の部隊、機関が上級部隊に報告するために毎日まとめる記録を日報と呼ぶとすれば、自衛隊内にはさまざまな種類の日報が存在しております」

 後藤祐一「どのような日報が保存されているのか、網羅的に今言うのは多分すごく多いので難しいと思いますので、この委員会に提出していただけますでしょうか、大臣」

 稲田朋美「網羅的にとおっしゃいましたけれども、例えば南スーダン派遣施設隊のような海外で活動する部隊がその上級部隊に活動状況や現地情勢について報告するための日々の報告や、下級部隊が人員状況を上部部隊に報告するための人事日報などがございます」

 後藤祐一「南スーダン以外にどういったものがあるのか。例えばイラクについて、あるんですか、イラクの派遣について。まずそれを一つお答えするのとともに、多分膨大にあるでしょうから、国内も含めると、その一覧を提出していただけますでしょうか。どういった種類の日報が保存されているのか。

 稲田朋美「あと、国内で活動している自衛隊の部隊についても、警戒監視といった実動オペレーション中はリアルタイムで報告を上げることとなり、日報という形式を必ずしもとるとは限りません。

 細部については、部隊の運用の詳細にかかわるため、お答えは差し控えたいと思います」

 後藤祐一「では、せめてイラクについて、あるかどうか教えていただけますか。イラクの派遣のときの日報が残っているかどうか」

 稲田朋美「お尋ねのイラク特措法に基づく活動の日報については、南スーダンPKOと同様の現地情勢や自衛隊の活動内容を記録した現地部隊の日報については、確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」

 後藤祐一「なかなかお答えいただけないので、どういった日報が残っているのかについて、この委員会に一覧を御提出いただくよう、理事会で御協議いただきたいと思います」

 浜田靖一委員長「理事会で協議します」

 後藤祐一が「先週の金曜日、南スーダンの第1次隊から9次隊についても日報は残っているということが明らかになりましたが」と言っている「南スーダンPKO派遣自衛隊部隊活動記録」(日報)とは、マスコミによって散々報道済みだが、2016年7月の南スーダン首都ジュバでの大統領派と反大統領派の激しい戦闘行為に関わる知るべき資料としてなのだろう、「平和新聞」編集長のフリージャーナリスト布施祐仁氏が2016年9月末に情報公開法に基づいて開示請求したのに対して防衛省は2016年12月2日に「日報」は説明資料に使った後に廃棄したとして非開示扱いしたが、防衛省は3カ月後の2017年2月6日に調査範囲を広げて探索した結果として「日報」の存在を公表。

 しかし実際には「日報」を電子データの形で発見したのは防衛省が非開示とした2016年12月2日から24日後の12月26日で、稲田朋美自身に報告があったのは発見から1カ月後の2017年1月27日だったと稲田自身が2017年2月9日の衆院予算委で明らかにした。


 そして「イラクPKO派遣自衛隊部隊活動記録」(日報)も南スーダン日報と同じような経緯を取ることになった。防衛省がイラク日報を不存在としたのは2017年2月16日。稲田朋美がイラク日報は「確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」と国会答弁したのが2017年2月20日。

 ところが、陸上幕僚監部は2017年11月27日になって海外派遣で作成した日報などに関する調査を全部隊に指示。防衛省が不存在とした2017年2月16日から遅れること9カ月と11日経ってからの、稲田朋美の「見つけることはできませんでした」の国会答弁の2017年2月20日から9カ月と7日経ってからの全部隊調査を指示ということになるが、この遅れはどういうことなのだろうか。

 全部隊調査指示によってなのだろう、2017年11月27日から約1カ月半後の2018年1月12日に陸自研究本部が幕僚総務課にイラク派遣部隊の日報が見つかったと報告。同年1月31日に陸幕衛生部が総務課の日報存在を報告。
     
 南スーダン日報とイラク日報が廃棄、もしくは不存在→調査→発見というふうに共通した経緯を取っただけではなく、発見された南スーダン日報にもイラク日報にも、「戦闘」という文字が記入されていた点も共通している。

 南スーダン首都ジュバで大統領派と反大統領派が激しい戦闘行為を繰り広げた2016年7月11、12日分の「日報」約110ページには11個所も「戦闘」という言葉が記載されていて、大統領派と副大統領派が戦車や迫撃砲を用いて激しく戦闘を展開したといった表現もあったという。

 当然、この戦闘は「PKO派遣5原則」の(1)「紛争当事者間で停戦合意が成立していること」、いわば非戦闘地域限定の派遣に抵触、派遣自体に疑義が生じることになる。PKO派遣違反というところまでいけば尚更のことだが、疑義だけで世論に影響を与えることになって、内閣支持率や国政選挙に少なからずマイナスの影響を与えることになる。

 但しフリージャーナリスト布施祐仁氏が情報公開制度に基づいてイラク日報の開示請求したのは2016年9月末で、第24回参議院選挙はこの2カ月前の2016年7月10日だから、防衛省が南スーダン日報をそのまま公開したとしても、選挙に影響はなかったことになるが、国会でPKO派遣の正当性を激しく追及されることになる。

 実際にも2016年9月26日召集、2016年12月17日閉会の臨時国会では野党は南スーダン首都ジュバで2016年7月に繰り広げられた大統領派対反大統領派の激しい戦闘行為を取り上げて、南スーダンへのPKO派遣はその原則が揺らいでいるのではないかと追及している。

 このような追及に対して安倍晋三と当時の防衛相稲田朋美は2002年2月5日の政府答弁書の〈テロ対策特措法第2条第3項の「国際的な武力紛争」とは、国家又は国家に準ずる組織の間において生ずる武力を用いた争いを言〉い、〈テロ対策特措法第2条第3項の「戦闘行為」とは、国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為を言う。〉を根拠として大統領派と副大統領派の衝突を「戦闘行為」に当たらない武力衝突であって、PKO5原則に抵触しないと一貫して主張し続けた。

 要するに大統領派と反大統領派の争いは一つの国の中の二つの勢力争いに過ぎなく、「国家又は国家に準ずる組織」とは言えないのだから、そのような国家規模間で生ずる「国際的な武力紛争」には当たらない、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する戦闘行為」とは解釈できないとした

 そして防衛省が「戦闘行為」という文字が書き入れてある南スーダン日報を発見したと公表した2016年12月26日は2016年12月17日の臨時国会閉会よりも9日後であり、マスキング(黒塗り)処理を施して発表したのは2017年2月7日で、臨時国会閉会から1カ月と20日も経過していて、少なくとも日報の「戦闘行為」なる文言が国会追及に直接的な影響を与えることはなかった。

 一方の発見されたとして公表されたイラク日報にも「戦闘」や「銃撃戦」の文字が複数記載されているという。

 野党要求のイラクPKO派遣部隊の日報を防衛省が「不存在」と回答した2017年2月16日は電子データー化された南スーダン日報を統合幕僚監部で発見した2016年12月26日から1カ月と20日後のことであり、マスキングして公表した2017年2月7日から計算しても9日も後のことで、一旦は破棄していたとした南スーダン日報がより広範囲な探索結果、実際には存在していたことを何も学習していなかったイラク日報の「不存在」となる。

 要するに防衛省は南スーダン日報発見までの経緯を何も学ばずにイラク日報でも不存在から発見に至る二の舞を演じていた。しかも陸上幕僚監部が全部隊に海外派遣で作成した日報などに関する調査を指示した2017年11月27日は2017年10月10日に公示され、10月22日に投票が行なわれた第48回衆議院議員総選挙から1カ月半後のことである。

 しかも安倍晋三は南スーダンの国家建設への協力を謳いながら、その途上にも至っていない社会混乱を置き去りにして南スーダン自衛隊PKO派遣部隊を首都ジュバから2017年4月17日に撤収を開始して、最後の部隊が出国したのが2017年5月25日で、2017年10月22日の衆院選挙の約5カ月も前の撤収完了となる。

 こうしてみてくると、防衛省の南スーダン日報とイラク日報の「不開示」、もしくは「不存在」から発見に至るプロセスからは国会や選挙といった要所要所の政治的出来事を避けていることを見て取ることができる。

 当然、「不開示」、あるいは「不存在」によって利益を得るのは安倍政権を措いて他にはない。それが利益のための「不開示」や「不存在」の措置であるなら、不存在・非開示は世論操作、あるいは国会対策の必要性から生じた隠蔽工作と看做すことができる。

 そのように看做すことによって、南スーダン日報経緯を何も学習せずにイラク日報で簡単に二の舞を演じることになったことも容易に理解できる。自分たちの利益とするための世論操作・国会対策の必要性が上回ったということであり、学習云々は無関係だったということなのだろう。

 だとしても、大きな疑問が残る。一旦は無いとした日報をあるとしたことである。隠蔽をそのまま続けて闇に葬り去ってしまえば、国会で追及を受けることも、世論調査で内閣不支持の理由の一つ、「信用できない」のポイントを増やすこともなく、何も問題は起きない。

 いわば隠蔽を徹底させることによって自分たちの利益を守ることができるのに、逆のコースを取って徹底させるべき隠蔽を徹底できずにその存在を発見・公表するに至った。

 このとは今までの利益を吐き出すことになるばかりか、安倍政権にとって不利益をプラスさせる事態を招くことを示している。既に防衛相の小野寺五典は防衛省・自衛隊に対するシビリアンコントロールを十分に機能させているのかと国会で追及されることになっているし、このことは自衛隊の最高指揮官が安倍晋三である以上、シビリアンコントロールを十分に機能させているのかという能力の点で安倍晋三自身の問題として発展しない保証はない。

 このような不利益は安倍晋三側が自分から招くはずはないから、防衛省・自衛隊側の利益として行った一旦は無いとした南スーダン、あるいはイラクの日報発見ということでなければならない。

 考えられる理由は南スーダンでもイラク・サマーワでも武力攻撃が起きている現場で従事している軍人としての自衛隊員の感覚からでは「戦闘行為」と見てもおかしくな事態が何度か発生していて、その危険性を身近に感じているにも関わらず、安倍晋三や稲田朋美が国会で政府解釈を楯に取って、「戦闘行為ではない、単なる武力衝突である」と答弁していることが身の危険性無視の自衛隊員に対する生命軽視と映ったとしてもおかしくはなく、そのことへの反発から安倍晋三側が自らの利益として行った日報の隠蔽を現場の現実を知らせるべく、発見という形に持っていったのではないだろうか。

 勿論、一部の人間が発見したと上司に報告したとしても、上がその発見を抑えて、隠蔽し続けることも可能だが、発見したのに上が抑えたという事実がリークされた場合、上の立場は最悪となる。リークを恐れて、止むを得ず公表したしたのではないだろうか。

 このような推理と整合性を取ることができない事実が一つある。2017年11月27日に陸上幕僚監部が全部隊に海外派遣で作成した日報などに関する調査を指示したことである。

 整合性を与えるとしたら、陸上幕僚監部自体が安倍晋三の安易な自衛隊員に対する生命軽視に反発して、日報発見のキッカケ役となったということにしなければならない。

 いずれにしても、南スーダン・イラク両日報隠蔽の必要性、その利益は安倍晋三側にあり、自衛隊側にはなく、隠蔽は却って防衛省・自衛隊側の不利益であり、その必要はなく、日報の公表こそがPKO現場の実態を国民に知らしめる必要性・利益に適うということである。

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