右翼の軍国主義者・国家主義者安倍晋三は第2次安倍内閣1年を記念して行った靖国神社参拝を、「二度と戦争を起こしてはならない不戦の誓い、恒久平和を誓う靖国参拝」だと正当化しているが、一方で、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して哀悼の誠を捧げる」参拝だとしている。その英霊たちが戦い、命の犠牲を払った国とはどんな国だったのか国会で質問するなり、マスコミが機会を捉えて尋ねれば、靖国参拝の欺瞞、不戦の誓いだ、恒久平和の誓いだのの虚偽・偽善をたちまち暴き立てることができる。
だが、国会議員もマスコミも日本という国を否定することになると怖がって、単刀直入に尋ねることができない。日本国家を否定するのではない。過去(歴史上)の一時期の日本国家を否定するに過ぎない。「過去の反省に立って」の「過去の反省」とは一時期の日本国家の否定を前提としているのであって、肯定を前提とした場合、反省は成り立たないことになるのは断るまでもない。
ところが、靖国神社を参拝する安倍晋三を筆頭とした政治家たちは「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」だと、「ご英霊」の“偉業”を通して過去の一時期の日本国家の肯定を前提としている。
「ご英霊」の“偉業”はそれを受ける国家の“偉業”でもあるからだ。
戦前の日本国家・戦前の戦争を検証・総括もできずに安部内閣は「河野談話野談話の作成過程」を検証すると言っている。これは大に拘らずに小に拘る瑣末主義以外の何ものでもない。
なぜ戦前の日本国家は日中戦争で手一杯で、既に国内では物資不足が生じて国民生活が圧迫状態を生じせしめていながら、国力が20倍も近くもあるアメリカと戦争を起こしたのだろうか。
第3次近衛内閣の1941年9月6日に10月下旬を目途に対米戦争の準備を完了することと併行して日米交渉することを主な柱とした「帝国国策遂行要領」御前会議決定の前日の9月5日、昭和天皇への上奏のために近衛首相と陸海両総長が拝謁した。
陸軍参謀総長杉山元との遣り取りでの杉山の発言は日本軍の優秀性の証明として有名となっているが、『小倉庫次侍従日記』(文藝春秋)から、歴史家半藤利一氏の解説を引用してみる。
昭和天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」
杉山「南洋方面だけで3ヶ月はくらいで片づけるつもりであります」
昭和天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1ヶ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」
杉山「支那は奥地が広いものですから」
昭和天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」
杉山「・・・・・」
〈杉山総長はただ頭を垂れたままであったという。〉と、解説の半藤利一氏が述べている。
1カ月で片付くとしていた支那事変が4年経過しても収拾できない経緯を踏まえた対米開戦に向けた戦略的な具体性と根拠を持たせた月数でなければならないはずだが、その月数がどのような戦略に基づいているのかを述べることができなかったということは支那事変の困難な経験を検証・総括しないままに対米開戦に向けた準備を進めたことになる。
このような無能な軍人が陸軍参謀総長という重要な地位に就いていた。しかも陸軍大臣、参謀総長、教育総監(日本陸軍の教育を掌る役職)を経て陸軍元帥にまでのぼりつめている。
無能な人間がトップを占める組織はいくら優秀な部下がいたとしても、最終的には無能なトップの事勿れな指示・命令が組織全体を覆うことになって、満足な機能は望むことができなくなる。
いわば杉山元のような無能な軍人がなぜトップを占めることができたのか、陸軍という組織自体の逆説性が問題となる。
1940年9月30日設立の内閣総理大臣直轄の総力戦研究所が日米双方の国力に関わる各種データーを駆使して日米開戦した場合の展開を研究・予測し、その報告書を首相官邸で近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府・統帥部関係者出席のもと、発表したのは1941年8月27・28日両日。
報告書「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」(Wikipedia)
〈「日本必敗」の結論を導き出した。〉と「Wikipedia」は解説している。
この報告の8日後の1941年9月6日に対米戦争準備と日米交渉併行を内容とした「帝国国策遂行要領」が御前会議で決定された。
いわば総力戦研究所の研究報告の妥当性・正当性を検証・総括することもなかった。
この検証・総括の欠落は東条英機陸軍大臣の発言が決定づけた。
東条英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争といふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。
日露戦争で、わが大日本帝國は勝てるとは思はなかつた。然し勝つたのであります。あの当時も列強による三國干渉 で、止むに止まれず帝国は立ち上がつたのでありまして、勝てる戦争だからと思つてやつたのではなかつた。
戦といふものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がつていく。したがつて、諸君の考へている事は机上の 空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素といふものをば、考慮したものではないのであります。なほ、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬといふことであります」(同Wikipedia)――
国力や軍事力、戦術等の彼我の力の差を計算に入れた戦略(=長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法) を武器とするのではなく、それらを無視して、最初から「意外裡」(=計算外の要素)に頼って、それを武器にしてアメリカに戦争を挑むという考えに立っていたのだから、非合理的な精神論を戦略としていたに過ぎない。
この東條英機の非合理的な精神論は日本軍全体を支配していたまともな戦術・戦略なき非合理的な精神論と相互反映した派生物であろう。
杉山陸軍参謀総長が「南洋方面だけで3ヶ月はくらいで片づけるつもりであります」と、軍事的な具体的根拠も述べずに月数だけ言ったのも頷くことができる。
この無能な東条英機陸軍大臣が首相を拝命した。『小倉庫次侍従日記』の昭和16年10月17日に次のような記述がある。
〈東条陸軍大臣御召。組閣大命降下〉――
昭和天皇は元々日米開戦に反対であった。だが、東條英機は日米開戦派に立っていた。
『小倉庫次侍従日記』で歴史家半藤利一氏は次のように解説している。
半藤利一氏解説「東条大将に大命降下。『東久邇日記』にある。
東条は日米開戦論者である。このことは陛下も木戸内大臣も知っているのに、木戸がなぜ開戦論者の東条を後継内閣の首相に推薦し、天皇がなぜ御採用になったのか、その理由がわからないと。
木戸内大臣の狙いは、忠誠一途の陸軍の代表者に責任を持たせることによって、陸軍の開戦論者を逆に押さえこむという苦肉の策であったという。天皇も、木戸の意図を聞いて、それを採用し、『虎穴に入らずんば虎児を得ずだね』と感想をもらした」――
東條英機の対米開戦論は血肉として根づかせている彼の思想であって、東条の生き方から決して消し去ることができない思想であることは安倍晋三の国家主義・天皇主義を見れは、理解できる。
しかもその思想は科学的な合理的論拠に基づいたものではなく、精神論に基づいた思想となっている。いわば科学的な合理的論拠を排除した、精神論に支配された思想の持ち主に過ぎない。
当然、合理的論拠に基づいた開戦を許す状況か許さない状況かの判断ではなく、精神論に基づいた開戦か否かの決定となる。
このような精神状況の人間だから、総力戦研究所の合理的な科学的論拠に基づいた日本必敗の研究報告を精神論でいとも簡単に葬り去ることができた。
重大な判断決定に関して非常に危険な要素を抱えた人物を「忠誠一途の陸軍の代表者に責任を持たせることによって、陸軍の開戦論者を逆に押さえこむという苦肉の策」だからと、首相任命を天皇に勧めた。
その愚かしさも底なしだが、要するに気狂いに刃物を持たせた。
だから、東条英機は陸軍大臣のとき、島崎藤村や土井晩翠も参加させて教育総監部に作成させた、徹頭徹尾隙間なく精神論で埋め尽くした「戦陣訓」を1941年1月8日に示達することができた。
その一条、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の精神論が太平洋戦争末期に数多くの悲劇的な玉砕を生む一因となったと言われているが、要するに兵士の命を粗末に扱った。
道徳教育で使う文言と同じで、掲げる言葉は美しく、人を酔わせはするが、実体は合理的且つ具体的な能力発揮の行動の基準とはなり得ない。
そのような無能な軍人・無能な首相であった東条英機がなぜ陸軍大臣となれたのか、なぜ首相に任命することになったのか。あるいは東条英機一人の問題ではなく、無能な軍人が軍上層部・政府上層部を占めることができた軍隊組織と国家組織の制度自体の検証・総括は、「過去の反省に立って」と言うなら、欠かすことはできない作業のはずだが、欠かしたままなのは、「過去の反省に立って」の言葉自体が口先だけであることの証明にしかならないが、口先だけだからこそ、東条英機やその他をA級戦犯として合祀し、参拝しては「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」の一人として顕彰することができる。
勿論その筆頭は右翼の軍国主義者・国家主義者・天皇主義者の安倍晋三であるのはわざわざ断るまでもない。
精神論に立った日中戦争・対米戦争の結果が、日本軍軍人・軍属230万人のうち6割が餓死・栄養失調による戦死だったという惨めな結末であるはずだ。
どう見ても河野談話の作成過程の検証よりも日本の戦争の検証・総括の方が喫緊の課題であるように見える。
但し、その検証・総括は安倍晋三の靖国参拝の正当化の口実を欺瞞と偽善に満ちたものとするはずだ。