1993年の河野談話作成に関わった石原信雄元官房副長官が2月20日の衆院予算委で作成の基となった元慰安婦の証言の裏付け調査は行っていなかったと答弁したことで、慰安婦に対する強制連行はなかったとする主張が、今始まったことではなく、前々からの動きだが、一段と水を得た魚のように勢いを増してきている。
歴史修正主義者の国家主義者でもある安倍晋三もその例に洩れず、気づかれぬように心の目を輝かしているはずだが、菅官房長官が有識者等による河野談話作成過程検証チームの設置方針を示した。
この検証に石破茂自民党幹事長が発言している。《石破氏「河野 談話検証は真実の探究」》(NHK NEWS WEB/2014年3月1日 18時19分)
「真実」なる言葉を持ち出すとは、何と大袈裟な。名古屋市での記者団に対する発言である。
石破茂「政府は河野談話の内容ではなく、作成過程を検証すると言っている。直接当事者から聞き取りをして確認したことにはいろいろな議論があり、さらに真実を探究するということだ。より客観的に、より正確にということだと認識しており、パク大統領の発言とそごがあるものではない」
同記事はパク・クネ大統領の、独立運動が始まった1919年〈大正8年〉3月1日を記念する式典で演説した発言も伝えている。
パク・クネ大統領「歴史の真実は生きている人たちの証言だ」――
要するに裏付け調査はなくても、生きている人たちの証言こそが歴史の真実を伝えていると言っている。
どちらに軍配を上げるかは別にして、石破が言っている、「河野談話の内容ではなく、作成過程を検証すると言っている」の発言には矛盾がある。作成過程に間違いがあるとなった場合、内容は否定されることになる。
大体が、談話そのものの否定を前提の検証である。特に歴史修正主義者安倍晋三はそのように魂胆しているはずだ。「河野談話」は「孫の代までの不名誉」だとさえ国会で答弁していることが証明する。
「河野談話」は韓国で行った韓国人元慰安婦16人への聞き取り調査に基づいた報告だという。だが、その聞き取り証言の裏付け調査は行わなかった。河野談話見直し派は警察が殺人事件の取調べで犯人が「私は殺してはいません」と言ったことを裏付け捜査もなしに言葉通りに信じて真犯人ではないと断定したようなものだと思っているのだろう。
だがである、石破茂が「河野談話」の見直し検証が「真実の探求」だと大袈裟に言うなら、聞き取り再調査は未だ16人が存命かどうかは分からないが、16人と16人が証言した自分たちが連行されたとしている日本軍慰安所のみを再調査対象とするのではなく、政府が1993年〈平成5年〉に調査・確認した全ての地域の全ての慰安所と、生存していたならこのぐらいだと推定できる年齢層の全ての現地住民まで再調査対象を洩れなく大袈裟に広げて初めて、「真実の探求」と言えるはずだ。
政府調査報告書の《いわゆる従軍慰安婦問題について》(内閣官房内閣外政審議室/1993年〈平成5年〉8月4日)に、慰安所所在地は次のように記されている。
〈日本軍慰安所は日本、沖縄、中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア(マラヤ)、タイ、ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ及びフランス領インドシナ(当時)に設置されていた。〉――
既にブログに取り上げているが、インドネシアでは日本軍は現地未成年少女を暴力的に略取・誘拐して慰安婦に仕立ていることをインドネシア人作家のプラムディア・アナンタ・トゥール氏と日本人作家の鈴木隆史氏、東南アジア社会史研究者の倉沢愛子氏が聞き取り調査を行っていて、倉沢愛子氏の場合はその調査結果を、《インドネシアにおける慰安婦調査報告》に載せている。
プラムディア・アナンタ・トゥール氏は2006年に既に他界しているが、聞き取り調査を記した書物と鈴木隆史氏の聞き取り調査報告(プラムディア・アナンタ・トゥール氏著作の日本語訳『日本軍に棄てられた少女たち ――インドネシアの慰安婦悲話――』に収められている。)と倉沢愛子氏調査報告を「河野談話」と見立て、インドネシア人元慰安婦の存命を調査し、存命していた場合の元慰安婦に再聴取を行った上で、その証言が事実か虚偽かの裏付け調査を行うべきだろう。
また、存命していなくても、親交のあった同年齢の存命者を探し出して、どのよう人生を歩んだのか聞き取りを行うことによって徹底的な裏付け調査――「真実の探求」とすることができる。
インドネシアでは日本軍がオランダ人未成年者を含む成人女性を暴力的に連行して慰安婦にしていることは誰も否定することのできない歴史の事実として刻みつけられている。
日本軍にこれらの暴力的な強制連行を許したのは日本軍が持つ暴力的な権威主義性であろう。法を無視し、人権を無視して占領地の原住民を一個の人間・一個の人格と認めなかった暴力的な権威主義性は自分たちを超越的立場に立たしめることによって可能となる。
この超越的姿勢はインドネシア等を占領していた日本兵特有の傾向で、朝鮮半島ではなかった傾向だとすることはできない。労働力として徴用した韓国人男性に対する暴力的連行にしても、日本軍が背景に控えていて官憲等を使った発揮させた、自分たちを超越的立場に立たせた暴力的な権威主義性を力としていたからだ。
上記《いわゆる従軍慰安婦問題について》には、〈慰安所設置の経緯〉として、次のように記述している。
〈各地おける慰安所の解説は当時の軍当局の要請によるものだが、当時の政府内資料によれば、旧日本軍占領地域内において日本軍人が住民に対して強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。〉――
どの戦争でも、占領地では占領軍兵士による原住民女性に対する強姦事件は存在し、跡を絶たない状況にあっただろうが、日本軍が慰安所設立を軍の制度とし、正規の募集以外に兵士が軍用トラックや将校が使用する軍乗用車を使って未成年女性であろうと構わずに数人単位で暴力的に略取・誘拐して軍設置の慰安所に連れ込み、強姦同様の扱いをした暴力的な権威主義性の発揮は日本軍以外に見ることができるだろうか。
当然、韓国人元慰安婦16人への聞き取り調査に基づいた「河野談話」の否定は中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア(マラヤ)、タイ、ビルマ、ニューギニア、香港、マカオ及びフランス領インドシナ(当時)のすべての地域での否定に対応していることによって、初めて正当性を得ることになる。
否定の相互対応を証明して始めて、「真実の探求」だ、河野談話は歴史のマヤカシだと胸を張ることができる。
石破茂さん、誰から見ても公平公正・不偏不党だと思うことのできる「真実の探求」を行ってください。歴史修正主義者安倍晋三とその一派だけが公平公正・不偏不党だと思うことのできる「真実の探求」は籾井勝人NHK会長の言う公平公正・不偏不党と同じく悪臭を放つことになる。