民主党政権時代、官房長官や経産大臣を務めた、あの詭弁家の枝野幸男が3月18日(2013年)大阪市で講演、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加を巡る自民党の意見集約手法を褒め、翻って民主党政権の足らざる問題点を挙げたという。
《TPP「自民うまい」=民主・枝野氏》(時事ドットコム/2013/03/18-22:39)
枝野詭弁家「大変うまくやっている。長年積み重ねられたノウハウがある。
(対して民主党の政権担当は)3年3カ月、我々なりに蓄積をしてきた部分はあるけれども、自民党の蓄積とは比べものにならない」――
そして民主党政権の問題点として、情報の共有と党内の意思疎通、意見集約の手続きを挙げたと言う。
足らざる能力が、「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」であるなら、見るべき足りている能力はほぼゼロとなる。この3つの能力は全体として組織運営能力を構成する重要な各個別要素だからだ。
内閣運営能力も党運営能力も未熟だった、最悪ゼロだったと言っているに等しい。
実際にも党は人事に関しても政策に関しても分裂状態であったし、それが、「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の全てに亘って影響し、その影響は当然内閣運営にも波及して、意志決定のバックアップを弱体化し、ときには混乱状態に陥れ、ときには決定に至る迅速性を欠き、こういったことの反映として、政策そのものの強力さを欠くこととなっていった。
しかしこの民主党の内閣運営能力・党運営能力の未熟さは民主党政権獲得前の当時の小沢一郎代表によって既に指摘を受けていた。
自民党の福田内閣は参院野党民主党第1党のねじれ国会を受け、政権運営に四苦八苦状態にあった。どちらが働きかけたのか、2007年10月、突然、自民党と民主党の大連立構想が持ち上がった。
小沢一郎民主党代表が福田首相との10月30日・11月2日(07年)の2回の党首会談で取り決めた大連立構想を党に持ち帰って協議、執行部の反対に遭い、政治的混乱が生じたとして代表辞任を決意、辞職願提出後、11月4日記者会見を開いて、その意向を各報道機関に伝えた。
私自身もブログに大連立は政策の競争原理を奪うことになるとして反対の記事を書いた。
尤も小沢氏は党内から強い慰留を受け、11月7日の記者会見で辞任を撤回している。
11月4日の辞任記者会見で小沢氏は次のように辞任の理由を述べている。
小沢代表「代表辞任を決意した3番目の理由。もちろん民主党にとって、次の衆議院選挙に勝利し、政権交代を実現して『国民の生活が第一』の政策を実行することが最終目標だ。私も民主党代表として、全力を挙げてきた。しかしながら、民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい。
国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、そこで我々の生活第一の政策が採り入れられるなら、あえて民主党が政権の一翼を担い、参議院選挙を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営の実績も示すことが、国民の理解を得て、民主党政権を実現させる近道であると判断した。
政権への参加は、私の悲願である二大政党制に矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考える」(asahi.com)――
大連立反対のブログ記事を書いたときには反対の気持ちが強くて小沢発言を明確に読むことができなかったが、要するに民主党が政権を担当するには「様々な面で力量が不足して」いるから、自民党と連立を組むことで参院野党第1党の力関係を利用して民主党の政策を飲ませていくことで政権担当能力があることを有権者に印象づけると同時に自民党の政策実現の過程とその政権担当のノウハウを学んで実地の政権担当能力をつけて、最終的に民主党政権の自立を図るという深慮遠謀だった。
だが、民主党は政権獲得後、鳩山首相が普天間の移設問題の停滞や母親からの献金問題で2010年6月8日に辞任、小沢氏の資金管理団体「陸山会」土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で元秘書石川知裕民主党衆議院議員ら3名が逮捕されたことを受け、小沢氏も幹事長を辞任している。
鳩山首相の後継として菅直人が首相に就任した。民主党はただでさえ「様々な面で力量が不足して」いたにも関わらず、菅直人が首相になってから、枝野が言う「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」がより混乱を来すこととなった。
党人事から小沢氏を排除したばかりか、小沢グループの議員まで主要な党人事・内閣人事から排除したからだ。無能菅は排除することで、有権者の人気を得ようとした。
いわば無視できない勢力の排除自体が、党運営能力・内閣運営能力を個別的に構成する「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の各能力を阻害し欠落させる要件へとつながっていく。
そして野田首相になって小沢グループ排除から一転して党内融和を図ったが、2009年マニフェストに反する消費税増税法案を強硬に採決に持っていったことで、党内融和は形だけで終わり、依然として「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の問題点、その稚拙さ――いわば党運営能力・内閣運営能力の稚拙さを有権者に印象づけることとなった。
これらの稚拙が招いた2012年衆議院選挙大敗北、政権放棄ということであるはずだ。
いわば党運営能力・内閣運営能力の基盤を成す「情報の共有」と「党内の意思疎通」と「意見集約の手続き」の各能力を育んでいくべきところを小沢グループ排除やマニフェスト違反の政策を強行することによって阻害する逆を行ったのである。
理由はただ一つ、小沢氏が2007年に気づいていた政権担当の力量不足を菅直人や野田佳彦とその閣僚たち、党役員たちは自覚すらしていなかったことにある。3年3カ月の政権を失って初めて自覚することができた。
枝野の上記発言は自身では気づいていないが、小沢氏の大連立構想正解と小沢氏排除の失敗を言い当て、証明していることにもなるはずだ。