安倍晋三が歴史家に任せるべきと言っている戦争の歴史は当時の政治家や軍上層部がつくり出した

2013-03-21 04:22:00 | Weblog

 国家主義者安倍晋三が韓国の雑誌「月刊朝鮮」のインタビューに応じた発言を次の記事が伝えている。

 《首相 戦後70年で談話発表したい》NHK NEWS WEB/2013年3月19日 4時26分)

 安倍晋三「韓国人に筆舌に尽くしがたい苦痛を過去に与えた。歴史問題は歴史家に任せ、政治家は未来に対して責任を負わなければならない。

 戦後50年には村山総理大臣が談話を、戦後60年には小泉総理大臣が談話を出した。戦後70年には談話を出さなければならないと考えており、機会が来たら熟考して作成する。

 自衛隊の名称を国防軍に変えることや集団的自衛権を認めるべきだとする私の政策は韓国のマスコミから極右だとたびたび批判されている。私は韓国も含めた大多数の国と同じ安全保障体制にすべきだと主張しているにすぎず、私の主張が極右なら世界のすべての国が極右国家になる」――

 1995年の「村山談話」、2005年の「小泉談話」は共に「植民地支配と侵略」という言葉を使って、反省し、平和への誓を内容としている。

 村山談話「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」――
 
 小泉談話「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です」――

 そして共に日本の「植民地支配と侵略」による「損害と苦痛」の対象を「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々」としている。

 だが、この記事を見る限り、日本の「植民地支配と侵略」による「損害と苦痛」の対象を「韓国人に筆舌に尽くしがたい苦痛を過去に与えた」と、韓国人に限っている。

 もし他のアジアの国々の国民をも対象に入れて発言していたなら、「韓国人のみならず多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に筆舌に尽くしがたい苦痛を過去に与えた」といった言葉使いをしたはずだし、記事もその通りに伝えただろう。

 もし韓国の雑誌のインタビューだからと言って、韓国人に限ったとしたら、視野狭い単細胞がそのまま出た発言ということになる。日本の首相の発言なのだから、例えどの国で発言しようと、どの国の雑誌や新聞のインタビューであろうと、NHKが取り上げたように他の国々が取り上げないことはないことを予定調和として公平を期すべきが、韓国人のみを犠牲の対象としていることによって他の国々の国民を犠牲の対象から外す公平さを欠く発言となっている。

 日本の「植民地支配と侵略」によって多大な「損害と苦痛」を被った国が記事として取り上げていた場合、「何だ、俺達の国の国民には迷惑をかけなかったというのか」と不満を与えかねず、与たとしたら、全体を見ない偏った認識だとの批判を免れかねない。

 安倍晋三は、「歴史問題は歴史家に任せ、政治家は未来に対して責任を負わなければならない」と、なかなか体裁のいいことを言っているが、「歴史問題は歴史家に任せ」るどころか、「A級戦犯は国内法的には犯罪者ではない」とか、「従軍慰安婦に関して官憲による狭義の意味での強制連行はなかった」とか、歴史問題について日本の戦争を無罪とする国家主義に立った歴史観を何度も披露しているのである。

 あるいは「侵略戦争の定義は定かでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない」と言いつつ、「侵略戦争の定義は定かでない」とすることによって日本の戦前の戦争の侵略性を間接的に否定する歴史観を自ら述べる矛盾を平気で犯している。

 要するに「歴史問題は歴史家に任せ」るとすることによってかつての日本の戦争の侵略性・犯罪性に対する定着している評価を抹消しようと企んでいるに過ぎない。

 少なくとも日本の戦争は歴史家がつくり出した歴史ではない。当時の政治家や軍上層部がつくり出した戦争である。だからこそ、節目の年に反省と平和への誓を内容とした「談話」を出さなければならないことになる。

 当時の政治家や軍上層部がつくり出した戦争である以上、現在の政治家がその責任を引き継がなければならないし、引き継いでいるということであって、引き継ぎぐことこそが真の反省と平和への誓となるはずである。

 責任を引く継ぐ、あるいは責任を引き継いでいるということは歴史問題を歴史家に任せるのではなく、現在の政治家自らが戦争を検証し、総括することをも負っているということを意味する。

 ことさら言うまでもなく、検証・総括して評価を定めなければ、責任の引き継ぎようもないからであるし、責任を引き継いでいることにもならないからである。

 逆説するなら、安倍晋三は日本の戦争を正義の戦争、アジア解放の戦争、自衛の戦争等々と見ていて、戦争の責任を引き継いでいないから、「歴史問題は歴史家に任せ」るなどと言うことができるのだろう。

 とすると、「韓国人に筆舌に尽くしがたい苦痛を過去に与えた」は、そう言わないと政治問題化・外交問題化となることから、それを避ける意味での口先だけのマヤカシということになる。

 安倍晋三の、特に歴史問題に関わるマヤカシには気をつけなければならない。

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