麻生の“謝罪”が口先だけであることを証明するために謝罪から入った遊説を最初に取り上げなければならない。
麻生「冒頭、先ずお詫びから、申し上げなければー、ならないと存じます。一連のォ、一連のォ、構造改革、などなど、一連の改革によって、確かに、我々の通信とか、情報とか、インターネットなどなど、遅れていた部分が、一挙に世界最先端と、いうところまでいくことができました。
しかし、他方、改革によってェ、地方にひずみがよったァ。ワーキングプアが生まれたァー、などなど、一連の経済改革によってェ、国民のォ、一部にひずみが出てきたと、いう点に関しては、我々はァー、この点に関してはァー、目が行き届いては、行き届いてはいなかったのではないかと、率直な反省の上に立って、我々はァ、今後の政策を進めていかなければならないと思っております」――
中身を問わないハードのみの「世界最先端」に過ぎないことに気づかない。
「~したのではないのか」(~したのはないだろうか)は一般的には疑問の問いかけを表す。自分に問いかける場合もあれば、他人に問いかける場合もある。例えば「俺はとんでもない失敗をしてしまったのではないのか(失敗をしてしまったのではないだろうか)」といった具合に失敗の疑いを自分や他人に問いかけたりする。
だが、麻生のここでの使い方は一般的な使い方とは逆に他人が麻生に疑問を問いかけた形を取っている。いわば他人がそうではないかと疑っていることを自分は聞いた伝聞の形としている。
これは「目が行き届いていなかった」、あるいは「目が行き届いておりませんでした」と断言することで目が行き届いていなかったことを自分から事実だと確定し、自分から認める姿勢とはなっていないことを示している。この誠実さを欠いた態度からも麻生の謝罪がどの程度のものか知れる。
例え聴衆に問いかけた疑問であったとしても、今さら問いかける問題ではないのだから、誠実さを欠いている点に変わりはない。
相互反映する関係から、誠実さを欠いているからこそ、責任意識を欠くことになっている。
NHKの女性解説者が鳩山由紀夫民主党代表を「互いを尊重し、支え合いを大切にする友愛を政治信条にしている」と紹介していたが、政権交代を果たし、政権を担当することとなった場合、それを自らの政治で表現できるかどうかが今後問われることになるが、青森県の八戸市での遊説の姿を伝えている。
多くの聴衆が集まっていて、演説会場に集まった一人ひとりの声に耳を傾けたそうだ。その中で「一人の女性が切実な思いを訴えました」とその場面を映し出していた。相手の女性の姿はたくさんの人影に隠れていては帽子以外は見えず、はっきりと映さなかったが、鳩山と両手を握り合って、鳩山が何か真剣に聞き入っている様子を見せていた。マイクを握って演説を始める。
鳩山由紀夫「このお婆ちゃんの息子さん、35日前に仕事がない、ふるさとに戻ってきたけど、働き口がないと、命を絶っちゃったんだそうです。こんなことが現実に起きているんです。数字の上だけで3万人、毎年(まいねん)亡くなっている。必ずしも、私もそうですが、政権与党の政治家たち、実感がなかったんじゃないでしょうか。みなさま方の周りにも経済的に追い込まれて、あるいは病に倒れて、あるいは介護に疲れて、こんなはずじゃなかったと、希望を失って、命を絶とうとしている方があるいはおられるんじゃないかと思うと、いたたまれないんです。そういう方々のところに、社会的に弱い立場の方々のために、政治っていうものは、あるべきじゃないんじゃないんですか?」
政治は社会的に立場の弱い者のためにある。政治の価値をそこに置く。話したことを話したとおりの価値づけへと持っていかなければならない。責任重大である。
次にエコポイント制度の成果を確かめるために遊説に訪れていた静岡県浜松市の電気店を訪ねる公明党党首の太田。
太田「経済がちょっと、ここで止まって、上向いてきたっちゅうね、実感がありますか?」
電気店店員「私共の方も非常に喜んでおります。特に、あの、定額給付金とも併せて、あの、元々予定していたものよりも、ワンランク上の商品をお求めいただく商品が非常に多いものですから――」
この店員、創価学会員ではないかと疑った。
太田「定額給付金と、エコポイント。それにエコ対応、なんていうことに全部重なったし、順調だね?」
電気店店員(極端な平身低頭を見せつつ)「ハイ」
太田(手を斜めに持ち上げて上向きのカーブを描き)「カーブで言ったら、どんな感じ?」
電気店員(まっすぐ上に手を持っていき)「うなぎのぼり――」
万々歳ではないか。だが電気店員は、「元々予定していたものよりも、ワンランク上の商品をお求めいただく商品が非常に多いものですから――」と言っている。
7月の完全失業率が過去最悪の5.7%。完全失業者は前年同月比103万人増の359万人。有効求人倍率は前月比0.01ポイントマイナス、3カ月連続過去最低の0.42倍――
こういった状況の影響下に直接ある者の中で、いくらエコポイント制度だ、減税商品だといっても、このような恩恵を利用して「ワンランク上の商品」を率先して購入できる者がどれ程いるだろうか。無縁の世界としている困窮者の方が絶対多数を占めているはずである。
だが、太田には一方にあるそういった状況に向ける目を持たない。このことは最初に言った「経済がちょっと、ここで止まって」という言葉に現れている。完全失業率や求人倍率、失業者数が改善されるどころか、今以て悪化の方向に向かっている状況からすると、「経済がちょっと、ここで止まって」どころの騒ぎではなく、また一般生活者にとっては「上向いてきた」とは決して言えない、依然として厳しい状況に見舞われていることを無視できる素晴らしい誠実さを発揮している。
太田はNHKインタビューに答える形で次のように言っている。
太田「公明党って言うのは、庶民や中小企業や生活者のが、っていうところに、一貫して、ええ、仕事もやり続けてきていると。厳しい中を潜り抜けて、最後に何としてでも、勝利すると、いう確信持ってね、ええ、突入している手応えは、そういう意味では非常に、あの、熱気があると――」
もう少し満足に喋れないものなのだろうかと思う。「庶民や中小企業や生活者」の利害を代弁する政党であることを謳いながら、派遣切りに遭った非正規社員や希望退職やリストラに遭った正社員、仕事を懸命に探しながら見つけることができない失業者が社会に溢れている困窮状況に目を向けることができずに「経済がちょっと、ここで止まって、上向いてきたっちゅうね、実感がありますか?」と言える感覚。政治家としてニセモノだからこそ言える名言であろう。問題を真正面から把えているとは決して言えない。
既にブログで取り上げているのと同じみの麻生の遊説。
麻生「我々は保守党です。保守というものは、少なくとも、皆さんの持っている家族、を守り、郷土、を守り、そして、日の丸や日本を守る。それが保守の真髄です。
それが大事にされなかったなら、何を大事にするんです。是非ともこの点を頭に入れていただいて、我々は革命を起こすつもりはありません。日本の一層の発展を願うために、今あるものを守るべきものは守り、変えるべきものは変える。それが日本の将来の発展を約束するもんだと、確信しています」――
麻生が守ったのはそこに日本民族の優越性を置いた「日の丸」だけだろう。意識の中で常に守り通してきた。
だが、自民党政治が収入格差や地域格差をつくり出したのだかから、家族も郷土も守ったとは言えないし、家族・郷土を損なった以上、日本を守ったとも言えない。
守っていないのに、「守るのが日本の保守だ」と言える感覚は連立与党を組んでいるからか、太田に劣らない素晴らしいものがある。麻生がいくら声をからして何を言おうと、空疎にしか聞こえない。空疎な言葉の羅列にしか見えない。世論調査の支持率に跳ね返らないのも無理はない。
麻生「日本の、という国を守る安全保障という、最も根幹的な政策ですら、纏まらない。そういう政党に日本の安全保障なんか任せられるはずがないんだと。日本の安全保障を守るのは、自由民主党なんだということを是非申し上げたいと思っております。
(一段と声を張り上げ)自由民主党、頑張ります。
日本のため、みなさん方の暮らしのため、よろしくお願いしまーす」――
家族・生活者を守らず、郷土・地域を守らず、大事な中身を守らなかったのだから、全体としての日本を守ったとは言えないにも関わらず、「日本の安全保障を守るのは自由民主党」だと図々しくも言う。
麻生は何も理解していない。国民にとって現在の緊急切実な利害は生活を守る、この一点であって、今まさに外敵が日本の安全を脅かそうとしているといった緊急事態に迫られているわけではないのだから、国を守る安全保障は国民の緊急切実な利害には入っていないことに気づかない。いわば国民は生活の安全保障を一番に求めている。
そのことを考えずに緊急課題となっていない安全保障に声をからす。ご苦労さん。
麻生がNHKのインタビューに答える形で自身の置かれている立場を敗北を意識してのことか、淡々と話す。
麻生「これまでの自民党・・・・なり、自公連立政権に対する、いろんなご批判いうのが、堆積している。積もってきているんだと、思って、います。色々なァー、負の遺産っていうのがあるでしょうし、そういうものをー、きちんと、総括していかなければならんていう、巡り合わせになっていますんで、色々と言いたいことはありますけれども、そういったものを引き継いでいく立場におりますんで、それをきちんと受け止めた上でー、尚且つ、それを前に進めていくかというものを今後とも、遣り続けていかなけれがならないと思って、責任が極めて重たいものだと思っています」――
麻生は自分を自民党の「負の遺産」を総括しなければならない「巡り合わせ」に遭遇した立場に位置づけている。要するに政権を手放さなければならない時期にたまたま首相になったとしている。
この位置づけは以前のブログでも書いたように麻生が自分の責任を自民党政治の責任の外に置いていることを示す、その現れであろう。自分には責任のない「負の遺産」で選挙を敗北させられ、その責任を負わされるとその不公平な思いが頭にあるから、「色々と言いたいことはありますけれども」と不満を内心に抱えていることを窺わせることになる。
政治はチームプレーであって、特定の個人のみで成り立たせ得る作業とはなっていない。麻生は小泉政治の重要なチームの一員であった。当然「負の遺産」をつくり出した一人であり、その責任を負わなければならない一人である。
だが、麻生にはその意識がない。単なる「巡り合わせ」で総括しなければならなくなったとしている。ここに麻生の責任意識がどの程度か明確に表れている。
尤もこの「巡り合わせ」は今後とも自民党の総裁を務めようとする意志からの位置づけである可能性もある。もしそうであるなら、「負の遺産」の総括は総裁職を手放さないための口実でしかなくなるということだけではなく、自身の責任を自民党政治の責任の外どころか、遥か遠く離れた場所に置くことになる。
麻生も太田も口では色々と言っていても、問題を真正面から見据えて、丸ごと捉えようとする真剣な姿勢に欠けている。ここから二人のピント外れな言葉が生じることになる。
同じ公明党の斉藤環境相が麻生の「カネがねえなら、結婚しない方がいい」の発言を批判した26日付の日刊スポーツ記事――《斉藤環境相が麻生「結婚するな」発言批判》。斉藤も問題を真正面から捉えていないから、的外れな発言となっている。
斉藤は次のように批判したという。
「真意は分からないが、誤解を生みかねない発言で不適切。若い人や結婚したい人の環境を整え、励ますのが政治の役目だ」
「わたしは26歳で金がないときに結婚した。お互いの決意と尊敬があれば、必ず切り開いていける」――
「誤解を生みかねない発言」だと、言い方の悪さを言っているのみで、発言内容そのものは間違っていないとしている。
「若い人や結婚したい人の環境を整え、励ますのが政治の役目だ」は一応尤もらしいことを言っているが、「お互いの決意と尊敬があれば、必ず切り開いていける」程、事は簡単ではない現状をさも簡単であるように言うピント外れ、問題を真正面から捉えているとは思えない発言をしている。
現在特に問題となっている結婚の機会に恵まれない若者の多くが年収200万円以下といった収入の低さであって、年収と結婚率の相関関係にある。
また年収と職業の関係から言うと、高学歴=高収入の関係とは逆に学歴が中・高卒程、収入の少ない就業の機会しか恵まれない低学歴=低収入であることからして、年収と結婚率の相関関係に学歴という要素が常に影響している。
斉藤は東京工業大学大学院修士課程を卒業している。順当な経過によるものなら、24歳で卒業したことになる。卒業後、清水建設に入社。創価学会入会の履歴が不明で、何歳で入会したか分からないが、入会していたなら、創価学会の会合はお見合いの場を兼ねていたから、そういった機会を利用した結婚であることも考えられるが、いずれにしても26歳で結婚した。
大学院修士課程まで進み、清水建設という大手ゼネコンに就職。「わたしは26歳で金がないときに結婚した」とは言っていても、給料は学歴相応の金額を保証されただろうから、生半可ではなかったに違いない。現在問題となっている若者たちの学歴と年収と結婚率の相関関係とは無縁の場所に位置していたと言える。にも関わらず、学歴の点でも職業の点でも収入の点で異なる私の「26歳」と比較する非合理性――ピント外れを侵している。
これも問題を真正面から捉えていないことから生じてる錯誤であろう。把えるだけの力がない。
また斉藤の「26歳」当時と現在とでは社会状況が異なる。斉藤の「26歳」は1978年(昭和53年)前後であろう。1980年代後半から1990年代初頭のバブル期に先立つ2年前のバブルに向けた景気回復期の結婚だったはずである。
当時は“三高”(高学歴・高収入・高身長)と言って、そのような条件にあった男性が女性の結婚対象として持て囃された。当時の女性は結婚に対して贅沢だった。
現在も女性は高収入獲得の主要条件となっている学歴を重要な条件としているが、たいした大学の卒業ではあっても、あるいは高卒でも社会的に成功した者を含めて“勝ち馬”と称して女性の結婚対象をそこに置く“勝ち馬”志向が強まっている。
“勝ち馬”に対して社会的成功から見放された者、社会的成功が期待できない者を“負け犬”と称して結婚対象から外す判断材料としている。女性の結婚に関する贅沢意識は斉藤の「26歳」当時とさして変わっていないことを示している。
このような日本の女性の結婚意識、結婚条件を考えに入れずに、現在の年収の低い若者の結婚難について語るに自分の「26歳」当時の結婚を持ち出す。
どこに目がついているのか、何も理解していない。麻生も太田も同じ穴のムジナでしかない
昨29日夜のNHK総合テレビ『真夏の政権攻防 党首列島を駆ける』――