舛添の「怠け者」発言は再度「一部の疑わしきを以ってすべてを罰する」非合理性を侵すもの

2009-08-26 10:09:47 | Weblog

 

 麻生太郎がつい最近までそうであったように現在麻生を遥かに凌いで高い国民的人気を獲得、人気の移ろいやすさを示してはいるが、「次の首相」にふさわしい政治家ナンバーワンに選ばれたとか言うから、麻生と同様の親しみの持てる人間性に恵まれているに違いない舛添要一厚労相が今月18日(8月)に横浜市内で行った演説で、派遣切りなどで職と住いを失った者を救済対象とした年末年始の東京・日比谷の「年越し派遣村」に向けた就職紹介に触れて次のように一席ぶったと「毎日jp」記事――《派遣村:舛添厚労相「4000人分求人、誰も応募しない」有志が抗議文》2009年8月25日)が伝えている。

 「4000人分の求人を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」――

 大事な税金を選挙のときは有権者に体裁のいいことを言って、当選するとタダの頭数となる怠け者議員連中を身内に飼って無駄に支払われるに任せている無責任の方が桁違いに大きな無責任で、そういった無責任こそ問題にすべきを問題にせず放置したままにしておく無責任人間に舛添は出来上がっているらしい。

 昨8月5日の閣議後、記者団から発言の趣旨を問われて、次のように釈明。

 「(求人を始めた)初日はなしでその後、139人申し込みがあった。・・・・言い方が悪いとしたら気を付ける」

 「(2カ所のうち)1カ所では初日はゼロと言っている。日本が豊かになった中で機会も能力も生かしていない人を怠け者と言った」――

 「1カ所では初日はゼロと言っている」――いわば他の日は何人かいたということなら、「自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と続けることはできないはずで、当然“怠け者”扱いすることはなかったし、当然2カ所目も同じ文脈で演説しなければならなかったはずだが、2カ所目は「初日はゼロ」という言葉を入れず、「4000人分の求人を持っていったが誰も応募しない。自民党が他の無責任な野党と違うのは、大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」と一席ぶち、「年越し派遣村」の住人全員を“怠け者”扱いした。

 にも関わらず「1カ所では初日はゼロと言っている」とは狡いとしか言いようのないゴマカシの弁解と見られても仕方があるまい。

 人間が狡くできていなければできないゴマカシであろう。さすが「次の首相」にふさわしい政治家ナンバーワンに選ばれだけのことはある狡賢さである。

 麻生にしたって狡賢かったからこそ、若者人気・国民的人気を獲得したのだろう。麻生が狡賢かったのは自らの数々の失言に対して示した弁解・抗弁が証明している。

 「言い方が悪いとしたら気を付ける」にしても、実際は「139人申し込みがあった」が、それを誤魔化して「4000人分の求人を持っていったが誰も応募しない」、「ゼロ」としたのだから、その言い方が悪かったかどうか自分で判断すべきを、判断せずに逃げの手を打って、「言い方が悪い」ということになった場合という条件付きで「気を付ける」と他人の判断に任せるゴマカシも働いている。

 しかも「謝る」のではなく、これから「気をつける」ということだから、間違い意識から程遠く、自分自身では「言い方が悪い」とは思っていないということだろう。俺は間違っていないと言いたかったのだろうか、騒ぎが大きくなるのを防ぐために「言い方が悪いとしたら気を付ける」と条件づけて、間接的に間違っていなかったとするゴマカシを見せることになったに違いない。

 記事は舛添発言が事実をねじ曲げる発言だとして「年越し派遣村」(6月末で解散)の元実行委員会有志が発言の撤回と謝罪を求める抗議文を出したと伝えている。

 「4000人分の求人」票に対して「139人申し込み」は「ゼロ」に等しいという見方をする者がいるかもしれないが、派遣切りが急速に拡大し、それが正社員切りや大卒・高卒内定取り消しにまで波及して失業者が増大して新規採用が多く望めない中で、いわば労働市場に於いて求職側の売り手市場としての価値を殆んど失い、求人側の買い手市場としての価値を急激に高めていた厳しい雇用情勢の中で、職も家を失った者から見た場合、「4000人分の求人」票のうち、どのくらい条件の合う求職があった「4000人分」か疑わしい。

 24日の「レイバーネット」《派遣村 : 事実をねじ曲げた舛添発言の撤回と謝罪を求める》に「抗議文」が載っている。その中で〈応募をした村民は、ほとんど断られてしまっています。応募した会社から返ってきた返事は、「もう決まっちゃいました」「実は募集していないんです」「ハローワークから求人を出すよう言われて、ホントは募集してないんだけどお付き合いで求人を出しているだけなんです」といったものでした。〉とその求人の実態を伝えているが、学歴・経歴を大事にする日本の社会からすると、正直な実態といったところではないだろうか。

 また問題の発端となった舛添発言の「大事な税金を働く能力があるのに怠けている連中に払う気はないところだ」にしても、釈明とした「日本が豊かになった中で機会も能力も生かしていない人を怠け者と言った」にしても、以前のブログ記事で既に言ったことだが、民主党が公約した子供手当てを「民主党政権で2万6千円の子ども手当を配ると親がパチンコなどに使ってしまう」と、一部の不届きな親の存在可能性をすべての親に当てはめて事実だとする“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性を再度侵すもので、絶対多数を占める「怠け者」ではない人間に冤罪をかぶせ、無実の言いがかりをつける詭弁に相当する。

 同じ舛添発言を扱った「asahi.com」記事では舛添の釈明は次のようになっている。

 「怠け者発言は(民主党が復活を強く主張する)生活保護の母子家庭(への加算)の中で言ったつもりだ」

 例えこれがゴマカシの釈明でなかったとしても、中にはいるかもしれない怠け者の生活保護母子家庭を以ってすべての生活保護母子家庭を怠け者だとする“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性から全体を悪者視するもので、この少数の悪例を以って全体の例とする舛添のこの考え方は国家都合から個人それぞれであること、違いがあることを認めず、個人を常に全体として扱う一種の全体主義の思想傾向からきた糾弾であろう。

 “疑わしきは罰せず”は裁判に於いて裁判官や検察側が被告人に対して守るべき鉄則であるが、これを国家対国民の関係に置き換えた場合、国家の側が国民に対して守るべき鉄則となる。この鉄則に反して、国民に対して“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性を侵す合理的判断能力を欠いた政治家は信用できないと見た方が無難である。

 いつの日か舛添総理大臣が実現するかもしれない。自分の政策が思うようにいかなくなった場合、国民が「怠け者だから」とその責任を国民になすりつける可能性を大いに疑うことができる。“一部の疑わしきを以ってすべてを罰する”非合理性を体質としている上に新型インフルエンザの急激な感染拡大に、「真夏にここまで感染者が拡大することは予想できなかった。病原性が低いこともあり、国民に慢心が出てきたことも感染拡大につながった可能性がある」と国民に感染拡大の責任を既になすりつけているし、こういったことができる性格から容易に想像できる結末であろう。

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