石原伸晃の「民主党子供手当て」、疑わしきをすべて罰する非合理性

2009-08-14 16:52:07 | Weblog

 8月9日(09年)、NHK「日曜討論」――「どうする年金・医療」をテーマに議論していた。民主党は長妻昭、自民党は石原伸晃、共産党、小池晃、社民党、阿部知子、国民新党、亀井久興、公明党から山口何とか。

 番組の最後の方で民主党の「子供手当て」が議論の俎上にのぼった。

 長妻昭「民主党のマニフェストは最大の財源を使って、子供手当て、月額2万6千円を中学3年卒業まで差し上げる。意味は年金・医療・介護に影響してくる。2055年には日本の人口は9千万人を切って、現役勤労者と65歳以上人口が1対1となる。現在は現役3人が64歳以上1人を支えている。2055年にはこれが持たない。フランス並みに子育てして、少子高齢化、この子育て・子供を反転して、上げていかなければならない。その対策が自民党にはない」

 石原伸晃「長妻さんの意見として、私はちょっとビックリしたのだが、子供手当ては究極のバラ撒き政策です。3人お子さんがいたら、年間で90数万円、それを15年間与え続けたとしたら、1500万円。家が買える。そういうことを行って、その財源は年金にすべて消費税を注入するのだから、外のわけですよね。外の日本の財政の中で3人お子さんがいる方に15年ローンで家を買ってあげておいて、そして年金の方はすべて基礎年金は税でやる。社会福祉目的税化とういことでは私は山口さん、亀井先生のところは非常に近いですし、経済成長を行わなければ、成長戦略がなければ、パイの分配ができないわけです」

 長妻昭「今新婚さんにアンケートを取ると、2人お子さんがほしいと言う。追跡調査すると、1人。最大の理由は経済的理由。その理由を取り除いて子供を産んでいただくということで(子供手当てを行う)。石原さんは今は世の中が恵まれてバラ色の日本だというイメージを持っているけど、そんな現状ではない」

 石原「私は長妻さんの考え方ではないと思っていたけど、やっぱり現物支給はまずいですよ。やはりサービスで給付するのが社会保障であって、キャッシュをですね、どんどんどんどん与えていくということは、家買って貰えばまだいいですけど、パチンコですっちゃったら、これは(ほかの出席者が次々に口を出して聞き取れない。多分、)まずいですよ」

 時間が来て、司会者が「みんなの党」を結成した渡辺喜美と日本新党田中康夫の声を伝えるコーナーに移る。(以上引用)

 確かに子供手当てを家の購入に流用する者が出てくる可能性は疑えるし、パチンコ代に代えて、すっかりすってしまう親の出現の可能性も疑える。しかしすべてではないはずである。多くはその目的どおりに子供の教育費に充当させる良識を持っているずである。高額所得者の家程、子供の教育にカネをかけ、子供は子供の教育に多額のカネを投資する親の期待に応えて高学歴を獲得し、その高学歴を武器に高収入の職業を手に入れて親と同様の高所得者の階段を上り、親となると、自分がそうして貰ったように自分の子供の教育に多額のカネをかけて高学歴、さらに高収入の職業へと向けて金銭面から後押しする循環が社会に出来上がっていることが証明していることから、高額所得者でなくても、自分の収入以外に子供手当てを受けた場合、教育にカネをかけることで子供が高学歴と高収入の職業を手に入れる循環に乗ることが少なからず可能となるからだ。

 子供が将来的に豊かな生活を手に入れれば、親もそのおこぼれ・恩恵に与ることができる。「パイの分配」は国から受けるのみのものではない。

 だが、石原のように「パチンコですってしまうかもしれない」と制度全体を否定した場合、経済的に自分の力ではカネが教育を生むといった上記循環に子供を参加させることができない親とその子からまでその機会を奪うことになる。

 結果、高額所得者は高額所得者の家系を固定的に代々維持することになり、中低所得者は中低所得者の家系を固定的に維持する社会の経済的な二極的固定化を招くことになりかねない。

 一部の親のありようを疑って制度そのものを否定するのは、裁判で言うところの確たる物的証拠も状況証拠もないまま情状的には限りなく疑わしいからという理由だけで罰する「疑わしきは罰せず」を否定して「疑わしきは罰する」の非合理性を侵す僭越な原則違反に当たらないだろうか。

 もし民主党の子育て手当てを否定するなら、家の購入資金に化けてしまうかもしれない、パチンコ代に消えてしまうかもしれないといった疑いで反対するのは論理的でも合理的でもない、非合理的であり、非論理的だということである。

 その両方を石原は犯している。

 石原の非合理性はここだけではなく、最初の年金制度に関わる議論の中でも見せている。宙に浮いた年金記録が生じた原因を述べる件でそれを犯していた。

 「過去の社会保険庁の事務の中でかなり不届きなことがあったと。昼間も12時から1時まで社会保険庁の事務所も、安倍内閣になるまで休んでいるみたいな、そういう体質のところで、私たちの目が行き届いていなかったんで、この問題は引き続いて、2万5千件の方々のアプローチをしっかりとして問題を開発(ママ)していきたいと思っております」

 「一番の問題は(民主党は)官僚主導、官僚主導って言うんですが、ここは一部のヒジョーニ強い組合の人が組織した従業員、そこの社保庁の人たちがやっていて、要するにサボっていたわけですね、ヤミ専従もやっていたわけですね。告発までされているわけですね。それで国庫の返還まで行っている。・・・・・」

 「デタラメな、社会保険庁で働いている人たちの仕事がこれだけデタラメであるってことが明らかになってきた」云々――

 「私たちの目が行き届いていなかった」は責任を認める発言ではない。今までは「目が行き届いていないかった」から、今後「目が行き届」くようにして、「問題を開発してい」くと善後策を述べたに過ぎない。

 社会保険庁が労働組合による経営であるなら、「その体質」の責任は労働組合にある。だが、ことさらに説明するまでもなく、社会保険庁は厚生労働省の外局であって、長官の任命権者は厚生労働大臣であるばかりか、小泉内閣時代の2004年7月に民間人初の長官として村瀬清司を任命するまで厚労省キャリアの天下りが占めていた。

 厚労相の任命権者は内閣総理大臣。内閣総理大臣も関わった社会保険庁長官の任命であり、天下りの容認であったろう。一般職員は単に組合に入っているというに過ぎない。勿論組合の力をバックに就業条件(労働条件)や賃金条件の改善(一般社会の常識から見たら改悪の場合もある)を求めることがあったとしても、職務上の「体質」そのものは社保庁長官の管理下にある、いわば社保庁長官及びそれ以下の上層部の人事・管理の問題であって、その「体質」が「デタラメ」、「不届き」ということなら、そうであることを許してきた各上司の責任であり、最終的には社保庁長官の責任事項となる。

 そのことを棚に上げた石原伸晃の社保庁職員の「体質」のみに向けた責任所在の非論理的追及であろう。

 以前《社保庁キー5千タッチは「上のなすところ、下これに倣う」》の題名でブログにも書いたことだが、

①窓口装置の連続操作時間は50分以内とし、操作時間50分ごとに15分の操作しない時間を設ける。
②窓口装置の1人1回の操作時間は平均200分以内とし、最高は300分以内とする。
③窓口装置の1人1日のキータッチは最高5000タッチ以内とし、最高1万タッチ以内とする。
④国民年金過年度(過去の会計年度)保険料の催告状発行は未納者の3分の2を対象とする。
⑤端末機の設置面積は1台当たり、5㎡以上とし、事務室の面積は職員1人当り4㎡以上確保する
 。
⑥部屋は冬は18℃以上とし、夏は18℃以下と市、外気温との差は~(後は不明)。
⑦人事院規則に定める一般健康診断の他、機械を操作する事務員を対象とした次の特別健康診断を
 実施し、経費を十分配慮する。

 ――等の覚書は1992年に社保庁長官と労組が交わし、問題となって05年に廃止した社保庁職員の職務に関わる「確認事項」である。いわば社保庁長官が文書の形式で認めることから始まって蔓延化させた職員の「不届き」、「デタラメ」な「体質」であって、職員や組合の問題だけではない共同作業事項であることが分かる。

 そして責任の所在という問題と言うことなら、組織の下に位置する一般従業員、あるいは所属労働組合をバックに行動していたというなら、その労働組合よりも、彼らに対して組織の上に立つ社会保険庁長官を筆頭とした組織上層部により大きな責任あるのは誰の目にも明らかである。上の者の下の者に対する人事管理がなっていなかったに過ぎない。いわば上が好き勝手をさせていた結果の「デタラメ」、「不届き」に過ぎない。

 もし石原伸晃が合理的、あるいは論理的な頭を持っていたなら、このことは理解できたはずだが、理解できずに一般職員や労働組合にのみ責任があるとする責任論から判断して、非合理的、あるいは非論理的な頭の持ち主と断ぜざるを得ない。

 また石原一人が疑わしきをすべて罰する非合理性に侵されているわけではなく、ほぼ自民党全体の問題となっている。

 自民党議員、特に国家主義の立場に立っている議員に多い現象だが、離婚から300日以内に出産した子供を一律に前夫との婚姻中に妊娠したものと看做すこれまでの民法の規定、いわゆる「300日規定」問題で、「不倫の子供はだめだ」といった自民党議員の発言に現れているように、例え出産が離婚から300日以内であっても、離婚成立前から夫以外の男との間に性行為が存在したのではないかという疑い、いわば夫がいる間の夫以外の男との性行為を認めがたいとすることからの反対、あるいは「離婚して別の男の子を出産しようとするのはけしからん」と旧来の家族制度に立って女性を可能な限り家に縛りつけようとする考えに反して本人の申し立てで離婚から300日以内の出産であっても現夫の子と認めることで離婚前からの夫以外の男との性行為や離婚そのものをより加速させかねない改定を恐れて反対するのも、反対理由とした女性の伴侶選択の制限、あるいは性道徳の外からの管理にとどまらずに子供の利益まで損なう、いわばすべてを罰する非合理性を侵すものであろう。

 また未婚の日本人父と外国人母の間に生まれた子について、父の生後認知と両親の結婚を二条件として日本国籍取得を許可する国籍法3条1項の国籍法改正問題にしても一部可能性としてある偽装認知を取り上げて、「国籍売買を招くのではないか」と疑い、改正そのものに反対したのもやはり疑わしきをすべて罰する方法で制度そのものに反対した非合理な考えの現れであろう。

 日本人男性が国内外で外国人女性と非婚の形で関係を持ち、子供を出産し放置する。「300日規定」問題でもそうだが、形式上の血のつながりや届け出た婚姻関係を優先課題として、当事者が望む実質的な血のつながりや実質的な関係を例え損うことがあってもそれを無視し、家族の形とか日本人の血といった形式から外れる疑いあるものをすべて否定という形で罰しようとする非合理性を働かす。

 多くの自民党議員、特に国家主義的傾向のある議員に取っては非合理的でも非論理的でもなく、極めて合理的・論理的な判断であるらしい。

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