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日々はつれづれ

旅に出たいと思いつつ、過ぎていく日々のつぶやき。

母のことなど

2006年02月21日 | 茶柱家の人々
 祖父の次の日に母が他界したのは今からちょうど4年前で、やはりテレビではオリンピックをやっていました。

 それにしてもなかなか個性豊かな人でして、ある日学校から帰ってくると家に明かりがついていませんでした。
 母は専業主婦で外出もあまりしなかったのでめずらしくいないのかと思ってドアに手をかけると鍵がかかっていない…。昼寝でもしているのか、はたまた泥棒でも入ったのかとおそるおそる家にあがってみると、薄暗いリビングでひたすら編み物に没頭していました…。
 「電気くらいつけなよ」と言うと「ん~」と生返事。一度夢中になるととことんハマるタイプでして、籐のかご編みが(近所で)流行った時には家中籐かごだらけだったし、パン粘土だったか…の置物つくりが流行った時はやはりそればかりあったし…。
 しかしある日私が1000ピースのジグゾーパズルを買ってた時のこと。寝食を忘れてひたすらパズルに没頭する私に母から「パズル禁止令」が言い渡されました。自分でもあきれるほどの没頭っぷりに間違いなくこの人の娘だな、と思った瞬間。

 以前夕食中に突然「わたし生まれ変わったらイルカになりたいわ!」と言い出し「カナヅチのくせに何言ってんの?」と大笑いしましたが、今頃は悠々と大海原を泳いでいるかもしれません。いやでもきっとあの世でオリンピック見ながら昼寝してるな…。
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祖父のことなど

2006年02月20日 | 茶柱家の人々
 今日は祖父の命日でしたのでふと思い出など。
 じいさまは私がまだうんと小さいときはばあさまたちと離れてひとりで横浜に住んでおり、関東にとどまっている我が家に時々遊びに来ていました。
 それはまだ私が花もはじらいもないほどの幼少期。お風呂あがりに居間の扉を開けたら、そこにいたじいさまが「みーちゃった、みーちゃった」と小学生の様にはやしたてました。それ以降はじらいというものを覚えた私はよくじいさまにくってかかったものです。
 今になって聞いたところ、じいさまは「たつこはからかうとおもしろい」と言っていたそうです。ナヌ!?

 そんなじいさまも晩年は実家に戻り、いつも窓際に座って焼酎のお湯割を飲んでいました。じいさま専用電気ポットなどもあり「じいちゃんお茶入れて」と急須を差し出すこともあったりなかったり…。
 そして某番組のご長寿早押しクイズにも出たことがあります(笑)。放映を見たとき、あまりのボケっぷりに大爆笑しましたが、あれが演技なのか地なのかはとうとうわからず終いでした。そのビデオは今では家宝です。
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おとうちゃんのボキャブラリー

2006年02月03日 | 茶柱家の人々
 うちの父は面倒なのかそれしか知らないのか、はたまたメニューを開いて選ぶのが嫌いなのか、喫茶店に行くと何も見ずに「コーヒー」を頼みます。
 しかしミルクも砂糖も入れるので、私が頼んだものを見て「それ何?」と聞いてきました。
 私「カフェオレだよ」
 父「何だって?」
 私「カフェオレ。言ってみて」
 父「カ…カへレオ?」

 父はデズニーランドやシーデーという人です。江戸っ子ってわけでもないんですけどね。
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にいちゃんのボキャブラリー

2006年01月27日 | 茶柱家の人々
 先日兄と電話で話していた時のこと。
 兄「…ほら昔みんなで行こうって言ってじゃらんになったじゃん?」
 私「? それ何年前の話~?」(イマイチ意味がわからなかったものの、とりあえず会話を進める)
 兄「でもじゃらんになったからもう一回行こうよ」
 私「???」
 それは私に『じゃらん』でレジャーを探せと言っているのか? と勘繰っていたら、電話の向こうでヨメがツッコミを入れました。
 嫁「それ『じゃらん』じゃなくて『おじゃん』でしょう?」

 にいちゃん、ナイス!!
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