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還暦男の徒然日記

還暦過ぎの余生を楽しもうとの魂胆?が覆えさせられそうな日々の奮闘記

ぶらっと石清水八幡宮

2011-02-26 15:58:32 | 京都ウロウロ

暖かい陽射しに誘われて、今日は京都の南、八幡市にある石清水八幡宮に行ってきた。八幡市までは懐かしい京阪に乗って。乗るとおっさん連中が夢中になって新聞を読み込んでいる。見ると、競馬新聞かスポーツ新聞だ。今日は土曜日で中央競馬の開催日だ。淀に着くと乗客が半分以下に減った。京阪も随分儲けているねえ。

席が空いてゆっくりする間もなく、次の駅が八幡市だ。電車から降りると前に「男山ケーブル」が待っている。山頂にある本殿までのハイキングコースもあって、1時間弱くらいで登れるようだが、時間がないのでケーブルカーに乗った。孫二人を連れた老夫婦がひと組だけ。孫を預けて若夫婦はどこかへ遊びにでも行っているのだろう。山頂駅まで3分ほど。そこからまた5分ばかり歩くと本殿に着く。静かな山の中から突然開けた本殿が神々しい雰囲気をもたせる。

縁結びの神、縁切りの神、知恵の神など色々と代表的な売り?が神社にはあるのだろうが、「縁」も必要ないし、「チエ」ももう使う事もないし、いつもの金運をお頼みして下山しょうとしたら、「エジソン記念碑」なるものがあった。エジソンがフィラメントに一番適している材質として竹素材を見つけて、世界中の竹から一番フィラメントとして長持ちする竹をさがしていたら、日本で時の伊藤博文や当時の京都府知事などから、ここ八幡宮の竹を勧められ使用した。凄く長時間灯し続けられ、以後ここの竹を使用したという。

日本の竹を使ったまでは知っていたが、ここ八幡宮の竹とは知らなかった。今でも子孫の竹が鬱蒼としている。

京都の鬼門(北東)にある比叡山延暦寺に対峙して、ここ八幡宮は京都の裏鬼門(南西)を守護する社で、空海の弟子である行教が清和天皇の命により860年に創建したという。以後、天皇・上皇・法皇などの行幸啓が多くあったという。

本殿の神々しい雰囲気はそんなところから出てきているのかもしれない。

それにしても、ケーブルカーで往復6分でお参りするようではねえ・・・・・

 

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人間は安きに流れて

2011-02-20 20:54:56 | 京都ウロウロ

今日は散髪屋さんに行って比叡山に登ろうと心に決めて家を出たが、散髪をしている間に、「比叡山は逃げへん。そやけど、季節はどんどん変わっていく。もう梅も開花しているやろう。鴨川も春間近かになっているはずや」と心変わり・・・

散髪が終わった時にはすっかり比叡山は頭から消えていた。人間は「安きに流れる」というが、そのとおりで。

菅大臣神社の梅を見てから仏光寺通りを東へ。文字通りの仏光寺境内を久しぶりに訪れた。

真宗仏光寺派だが、浄土真宗というと、今でこそ東本願寺や西本願寺が有名だが、歴史は仏光寺の方が遥かに古く、後醍醐天皇が枕元で見た阿弥陀如来像が縁で、「阿弥陀仏光寺」との寺号を賜ったという。

境内は静寂に包まれ、近くのお年寄りが数人立ち寄られているだけだった。仏光寺からさらに東へ真っ直ぐ進んで鴨川へ。

鴨川に着いたころには陽射しが一段と強くなり、ほんのり汗をかいてきた。鴨川で春を見つけようとしたが、木立はまだまだ枯れたセピア色のままで新芽も見えない。歩いている人は確かに軽装になってきているが、自然に春が見えない・・・

しかし何かが冬と違うと思って観察すると、冬に辺りを席巻していたユリカモメがほとんどいなくなっている。確かに数匹は見られるが、集団で飛び交う姿はもう鴨川にはなかった。寒いロシアあたりに帰って行ったのだろうか。

荒神橋から寺町通りを南へウオークしていると、「車椅子駅伝」に出会った。今日は暖かで走っていると気持ちいいのではと思ったが、車椅子の選手を見ていると思いきり汗をかいている。上腕のような小さい筋肉で車椅子を走らせるのは大変だろう。

来週は今日行けなかった比叡山に登ろう。

 

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菅大臣神社の飛梅?開花

2011-02-20 17:40:36 | 京都ウロウロ

ここ数日は暖かい日が続いているので、もうそろそろ梅も開花しているのではと、菅大臣神社に向かった。今日も暖かい陽射しがさしていたが、期待したほどに梅の開花はしていなかった。白梅は三分咲きほどに花をつけていたが、紅梅はまだつぼみだった」

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」・・・こう歌って、大宰府に向かった道真は二度と都に帰ることはなかった。

そして、大宰府で無念の死を迎えた道真は、そこから大活躍?するわけだ。

道真を陥れた藤原時平は道真の後継の右大臣に、共に道真を陥れた源光を抜擢するなど権力を手中にし、我が世を謳歌していたが・・・・ 

遠く離れた大宰府での道真の死後、都では不吉な事が続きだした。まず源光が狩りの最中に沼に飲み込まれて死んでしまった。さらに時平に近い者が次々に死んで行った。都は雷鳴が続き、醍醐天皇は譲位したが、そのまま病に倒れ亡くなる。そして、時平も道真の亡霊に呪われながら死んでいった。

朝廷は、この道真の怨念を鎮めるために道真を無罪にし、元の右大臣に復した。すると、比良神社の神官に道真が現れ、「北野の千本の松が生えているところに祠を建てよ」と告げた。

そして建てたのが今の北野天満宮ということらしい。

ところで、飛び梅は白梅?紅梅? 

 

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六角堂・へそ石の謂れ

2011-02-13 15:19:38 | 京都ウロウロ

家から歩いて15分ほどのところに六角堂がある。

以前に、人に慣れ過ぎている六角堂の鳩に襲われて?ヒチコックの「鳥」を思い出したことがある。本願寺にも鳩は沢山いるが、境内の面積が違うので、それほどに「いっぱいいる」感覚にはならない。

今日も、ブログで六角堂の「へそ石」を紹介しょうと六角堂に入った途端、鳩に取り囲まれた。こういう時はじっとするにかぎる。へたに動くとその動きに鳩が反応して余計にざわつく。で、うまい具合にやリ過ごした。

六角堂の謂れは、聖徳太子がこの六角堂のあたり(当時は林の中だったのだろう)の池で水浴するために、持ってきた如意輪観音像を箱に入れ、傍に置いたところ、箱の中から如意輪観音像が動かなくなってしまった。

そして夢の中で、観音がこの地にとどまり民衆を救うことを希望したということで、それを祀る六角堂を建てたことによるという。だから、平安京よりも先に六角堂は存在したわけで、後に平安京を作る時に、堂が道路に引っ掛かるので、移転を余儀なくされ(今で言えば強制執行みたいなもので)、記念に残したのが、元の堂の基礎である「へそ石」といわれ、以後この場所が京都の中心だといわれている。

六角形は、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことを表す。人間の欲望(煩悩)を脱して角を無くし円満になること。即ち「六根清浄を願う」という祈りを込めて、六つの角を造ったということです。

堂はもちろん六角形だが、へそ石も六角形でした。

この六角堂(正式には頂法寺という)の南面の通りを六角通という。

 

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京都の通り名の歌の歴史と松原通りの謂れ

2011-02-13 13:59:43 | 京都ウロウロ

京都の人間なら誰もが知っている例の「通り名の歌」・・「丸・竹・夷・二・押・御池・・・・」というやつだが、いつ頃から歌われているのかを御存知だろうか?

文字として最初に出てきたのは、1723年に三浦庚妥という人の著書『便用謡(びんよううたい)』(享保8年・1723刊)に出典の記述が見られるということだ。三浦庚妥という方は謡曲の節回しを教えていた方のようで、言わば作曲家みたいな人のようだ。

その『便用謡』は、江戸時代以降、町会所で使われていた教本で、九九や日本の地名、社会生活上のマナーなど、実用的な知識に節をつけた謡(うたい)曲が収められており、その中に「九重」というのがあって、それが「京の通り名」のオリジナルであろうと云われている。

この事から元々の原曲?は、室町末期あたりと思われ、貴族だけではなく、広く武家や町衆に普及し始め、必須の教養であったと考えられ、江戸時代の中頃にはメロディやリズムを付けて謡う覚え方が常識になっていたようだ。(
南北だけでなく東西の歌もあるが、東西の歌もおそらくこの時期に完成したと思うがよくは知らない。)

謡に歌われたのは室町時代だが、通り名自体はほとんどが平安京時代と言うからビックリする。それぞれに謂れのある名前がついているのだろう。この前も蛸薬師通りと錦通りについてブログで紹介したが、他も調べなくてはと・・・

謂れが不詳のものもあり、分かったものからブログで紹介したいと思う。

 

先ずは「松原通」から。元々今の松原通りは平安京時代は五条通(五条松原通)だったのだが、豊臣秀吉が二筋南に五条通(現在の五条通)を建設したため、松原通という通り名になったようだ。

したがって、牛若丸と弁慶の出会った五条大橋は今の松原橋あたりということになる。蛇足だが、「義経記」では義経と弁慶の出会いは五条大橋でなく五条天神で、その後、五条通りをまっすぐ東に向かい清水寺の舞台で弁慶が「まいりました」になったとある。五条天神は今も松原通り近くの街中に楚々と存在する。

話を元にもどして、「松原通」だが、その名前の謂れは、この街道の松並木が綺麗だったことに由来するが、特に今も松原通りにある新玉津島神社の松並木が見事だったようだ。この神社は1186年に藤原俊成が歌道の神といわれる衣通郎姫を祀ったことに始まるという。

今も命名当時、見事と言われた松が境内の奥にひっそりと存在している。

 

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泉踊寺から清水山へ

2011-02-11 16:07:07 | 京都ウロウロ

昨日の夜、ネットで「東山トレイル」の図面を見て、今日は是非ともまだ歩いていない東山トレイルのコースを歩こうと心に決めた。

この前、伏見稲荷から東福寺まで歩いたので、今日は泉踊寺から将軍塚まで歩こうと朝から出かけた。将軍塚から先は南禅寺から大文字山、瓜生山と歩いた事があるので、これで何やかやと言っても狸谷不動まで歩いたことになる。

もちろん、歩いて泉踊寺へ。途中、今熊野の東大路とJR線の交差を通る。通りから線路を見下ろしていると、懐かしい小学生時代の思い出が蘇ってきた。

小学生の頃、特急「こだま」が走っているのを見たくて、ここまでやって来て、線路沿いの土手まで降りて間近で「こだま」が走っているのを見た記憶がある。今でも鮮明に憶えているから子供ながらに相当の衝撃があったのだろう。今から思うと、よく土手まで降りて見たものだとぞっとする。すべり落ちたらおしまいだ。子供ものんびりで、国鉄ものんびりで、そんな事が容認される時代だったのだろう。

そんな懐かしい思い出を浮かべながら、泉踊寺へ。泉踊寺の起源は諸説あるみたいだが、有力な説としては開創者を空海とする法輪寺が起源で、文字通り日本の仏教界の草分け的寺院だ。それ以降、皇室の祈願寺となって、歴代天皇の墓所となったことから皇室と深い関わりを持って行った。

確かに今も山間いの静寂さが荘厳さを醸し出している。

先を急ぐので玄関先でユーターンして、今熊野観音から清水山へ・・・

 泉踊寺裏山、京女学園裏山を通って国道1号線へ。この国道の下に掘ってあるトンネルを渡って清水山中へ。なにやら怪しげなトンネルを越えて・・・・

いよいよ山中へ。結構な登りだ。すぐに息が上がってしまった。それでも休むことなく15分。清閑寺山山頂に到着。清閑寺山があること自体知らなかった。三角点もなく、簡単な表示がしてあるだけだ。標高は202mとある。

そこから5分ほどでいよいよ清水山山頂に」到着。ここは標高242.5mとあった。

あまり記憶がないが、このあたりは文字通り清水寺の裏山だから、幼い頃、よく遊んでもらった山中なのだろう。その清水山から少し将軍塚へ向かったところに、僕が「将軍塚」と勘違いしていた石碑があった。

この前、将軍塚に行った時に何か印象が違ったのだが、小さい僕は、この石碑を「将軍塚」と見誤っていたようである。石碑を見た途端、子供の頃の思い出が蘇ってきた。よくこの石碑の前をうろついていた。

ここから東山ドライブウエーに行ったり、稚児ヵ池という池に行ったり・・・・

ほどなく東山山頂公園に。ほんまもんの将軍塚に。山頂からの京都盆地の景色は残念ながら曇っていた。

もう時計は12時を過ぎていた。今日はこれ位にしておいてやろう。

 

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蛸薬師・錦小路の名前の謂れ

2011-02-06 17:45:13 | 京都ウロウロ

今日は鴨川や東山にも行かずに近場の街中をウロウロした。

高倉通を四条から錦小路へ。錦小路は相変わらず観光客で混雑しており敬遠して蛸薬師通へ。

ところで、錦小路の名前の謂れは結構有名で、平安時代は「具足小路」と呼ばれ、携帯品や調度品などを売っている店が並んでいたらしい。その「具足」の呼び名がなまって「クソ」になって、いつしか「クソ小路」になってしまったという。

それを聞いた帝が「これではいかん」と、錦綾にちなんで、北にある綾小路に対抗して錦小路と命名したらしい。

もうひとつ、時の右大臣がお腹をすかせた聖に食べ物を与えたら、その聖と一緒に来ていた鳥獣類も食べ物を食べ、その後、この界隈で本当にクソを沢山したという話が「宇治拾遺物語」に記されている。まあ、この説は「それはないやろ」っていう話だけれど・・・

 

ところで、蛸薬師通の「蛸薬師」はどういう謂れがあるのだろうか。特にタコはめずらしい。因幡薬師なら我が家の近くにあるけれどね。

蛸薬師通りの東の突き当りに蛸薬師堂・永福寺がある。昔、ここの若い僧侶が病床の母親の「蛸を食べたい」という願いと僧としての戒律との板挟みに悩む。逡巡のすえ、市場で蛸を買い求める。ところがその光景を見ていた町人にタコの入った箱の中身を見せるよう迫られる。

僧侶は薬師如来に祈りを捧げ、蓋を開けると蛸の足が教典に代わり、雷光が鳴り響いたという。

まあ、謂れだから・・・タコはサッカーの予想もするし、仏教典にもなるということで。

 

 

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道真ゆかりの梅の古木

2011-02-06 17:03:15 | 京都ウロウロ

今日は前日の土曜日が仕事だったので、ゆっくり休んでいた関係で、ウオーキングは近場で名所探索を・・・

我が家から歩いて10分ほどのところに、かの有名な菅原道真を祭祀とする菅大臣神社がある。菅原道真といえば学問の神様で北野天満宮がすぐに頭に浮かんでくるが、実はここに道真の邸宅があって産湯を使ったという井戸もある。だから、こちらの方が道真と関係が深いと言える。

常々、妻から「ボケんといてよ」と叱咤激励?されているので、道真さんにお願いして頭を活性化しようとやって来たが、境内の中には受験生どころが人影もなく、つまらない御利益を期待した自分に反省しながら歩いていると、目の前に大きな梅の古木が・・・・

まだつぼみが膨らんでいる状態で開花にはまだ少しかかりそうだが、この梅が「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな」の梅かと・・・・

ふと、歌舞伎の演目にある「天満宮菜種御供」を思い出した。道真が政敵・藤原時平にはめられて大宰府に左遷されていく。その後、「してやったり」と高笑いする時平。「時平の七笑い」として有名な演目だ。

時平に騙され、大宰府に出向く前に最後に、この梅の前で詠んだ歌かと思うと、感慨もひとしおだ。

境内は街中にありながら静寂に包まれていた。高辻の室町から少し西に入ったところです。

 

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節分と鬼ルカちゃん

2011-02-02 19:46:21 | 京都ウロウロ

今年は暖かい節分になりそうだ。毎年、この時期は一番寒い時期で、こんなに暖かい節分はあまり経験がない。

で、地下鉄で帰る途中に、ふと思い立って・・・「そうだ。節分に行こう」と言う事で、地下鉄「東山」で降りて、目指すは吉田神社へ歩きだしたが・・・

すぐに「吉田神社は凄い人出やで。境内に入ってから本殿まで行きつくのも大変や」と、目的地を変更して聖護院へ。ここも節分らしい催しをしているだろうと期待して・・・・誰もいない。いるのは関係者のお坊さんだけだ。寂しい。早々に退散したが、どこか賑やかな神社はと考えたら、近くに熊野神社があることに気がついた。京都は有難いね。街中のいたるところに寺社仏閣が散らばっている。熊野神社は小じんまりとした境内ではあるが人出もあり賑やかな雰囲気だった。早速、願い事を・・・・僕の中に存在する「鬼」を追い出し、その鬼の居座っていた空間に「福」を押し込んで・・・というイメージを描いて願をかけた。

少し幸せな気分?になって帰宅した。帰宅したら、我が家にまだ鬼が残っていた?

普通、この場合は「鬼」が妻というのがオチになるんだろうけれど、我が家の鬼はルカちゃんの変装でした。

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京都伏見・乃木神社

2011-01-31 19:13:07 | 京都ウロウロ

今日は仕事の帰りに伏見御陵の脇にある乃木神社に寄った。前にもブログで紹介したが明治時代の「聖将」と呼ばれた乃木希典を祀った神社だ。有名な人だから全国に乃木神社があるようだ。生まれた所とか住んでいた所とか全国に10程あるみたいだ。さらに東京には乃木神社に向かう坂に「乃木坂」という名前までついている。

まあそれだけ国民に愛された軍人だと思う。僕も小さい頃から何故か「乃木将軍」が好きで、関連する色々な本を乱読した記憶がある。優しさと強さを兼ね備えた人物だ。

日露戦争の旅順での戦いの勝利と、敗戦の将であるロシアのステッセリに対する紳士的な対応は「水師宮の会見」と言われた。この会見の様子が世界に発信され、旅順の勝利とともに世界中で賞讃された。敵国ロシアでも賞讃されたというから、当時の世相からいうと凄い事だと思う。

その後の奉天の戦いにも勝利したのち、日露戦争は終結した。息子二人を戦争で亡くしたにも関わらず、多くの将兵を亡くしたことを強く恥じ、日本への帰国を拒んだと言う。

明治天皇の強い要望で帰国したものの、命を絶ちたいと明治天皇に願い出たところ、天皇から「私が亡くなるまで許さない」と言われ、学習院で昭和天皇の養育を担当したという。

1912年9月13日、明治天皇の大葬が行われた日の夜、妻と共に自刃して亡くなった。

 

時代も違い、色々な意見があるかと思うけれど、あの時代に生きていて、あの立場、境遇の中で、乃木大将のような生き方ができるだろうか・・・・

 

 

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鴨川経由大文字山へ

2011-01-30 16:54:36 | 京都ウロウロ

今日も変わらず鴨川ウオーキングだったが、今日は特別、「超ロング・スロー・ディスタンス」でのウオーキングになった。

寒くて歩くにも元気がでない。やはり歩くにも走るにも適温というのがあって、暑すぎても寒すぎても身体は言う事を聞いてくれない。そこで、せめてゆっくりなら長く歩こうと3時間ウオーキングを目指した。

鴨川に出るや、久しぶりに鳶とユリカモメがバトルをしていた。鳶が川面近くまで来ると、ユリカモメが集団で鳶に向かう。で、鳶が上空へ・・・今まではユリカモメを応援していたが、必ずしも小さいユリカモメが優しく?、乱暴?な鳶が意地悪をしているとは限らない。冷静な傍観者で通りすぎる。

二条までやってきた。1月29日でホテルフジタが閉館した。知らなかったが役者さんがよく利用していたという。確かにこのちかくの鴨川辺りでよくロケをしているのを目撃したし、テレビ画像でもこのあたりの鴨川がよく出ている。僕も仕事帰りに休憩中の橋爪功さんに出会ったことがある。残念ながら女優さんとかには会った事がないが・・・

今出川までやって来た。家からちょうど1時間位だ。ゆっくりなので4-5kmの歩行距離か。ここで方向を東へ。真っ直ぐ京都大学を超えて大文字山へ登ろう。銀閣寺の手前から眺める大文字は意外と高い。久しぶりに大文字に登る。銀閣寺に住んでいた頃は休みになれば登っていた。スピードも往復で30ー35分位だった。今は登りきるだけで35分以上要するだろう。登り始めて5,6分で所謂「ダム」に到着。少し登ったところに小さな砂防ダムが建設されている。娘が幼稚園に通っていた頃、友達と遊びに出たまま帰って来ず、夕方までさがしまわった末、この場所で機嫌良く?遊んでいる子供たちを見つけてほっとしたことがある。懐かしい場所でもある。

曲がりくねった山道を15分ほど歩くと急に視野が広がる場所に出る。千人塚だ。足利の時代に幕府はこの大文字山の麓に中尾城を建造し、大津と都を結ぶ山中越を抑えようとしたが、三好長慶に攻められ、1年ほどで落城したという。その時の戦いで亡くなった戦士を近くの人が供養した場所だという。この下には無数の無念の人骨が眠っているのだろう。

その千人塚を過ぎると最後の難関の150段の登り階段が待っている。上を見るとぞっとするので淡々と足を上へ運ぶ。若い子は喋りながら楽しく登っていく。年寄りは僕と同じように無口になって足を運んでいる。

こんなに寒い日なのに汗が出てきた。やっとのことで火床へ。爽やかな空気がすっと吹き抜ける。最高に気持ちがいい。

今日はこれ位にしてやろう。あと20分ほどかけてさらに上へ登れば如意ヶ岳の頂上だが、次の機会にしよう。ここまで家から約2時間40分。下山してちょうど3時間でした。

 

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昔懐かしい将軍塚へ

2011-01-29 16:20:27 | 京都ウロウロ

前に昔懐かしい子供の頃の遊び場だった将軍塚へ霊山観音の方から登ろうとして行きつけなかった事があったが、今日は朝の散歩時に、ふと円山公園の方から登ろうと思い、鴨川から東へ。

円山公園の脇を山へ。居並ぶ料理屋さんの横を通って長楽寺へ。この長楽寺の裏山から東山へ入って行った。若い頃はこの山道を走りまわっていたと記憶しているが、今は一歩、一歩踏みしめる如くにスローモ―な歩みだ。COPDの身には結構な負担だ。

とはいえ、そんなに深い山ではないし、30分もかからずにほぼ頂上近くに至った。しかし昔のイメージと随分と山の雰囲気が違う。戸惑いながらやっとの思いで将軍塚へ。

思い出の将軍塚とは随分と周囲が違う。綺麗過ぎる。 とはいえ、今日の目的は一応達成できた。帰りは「東山トレイル」に従って粟田口へ。

こどもの頃はこの山の中で友だちと暗くなるまで遊んでいた。ちょっとした窪地に陣地を作って「大将」になったり「将軍」になったり・・・・この山の大きな包容力に包まれて僕という人間のベーシックな部分が形作られたように思う。

そんな僕が今もこの山の包容力にやさしく包まれているように感じた。ここにいると心が不思議と落ち着いてくる。ここは僕にとって「うさぎ追いし」山だ。

ところで、密かに期待していたが、道中で今流行りの「山ガ―ル」を見ることはなかった。見かけたのは「山じじい」と「山ばばあ」ばかりだ。大文字山とか北山とか有名な場所なら出会うかもしれないけれど・・・・「将軍」に人気があるのは北朝鮮くらいか?

将軍塚から30分ほどの下り道で粟田口へ。粟田口は言わずと知れた「京の七口」のひとつで、一番メジャーな東海道の大津、山科からの入り口に当たる。その脇に粟田神社がある。平安時代に清和天皇が疫病が鎮まるのを祈願していたら、天皇の勅使の枕元に一人の老翁が立ち「汝すぐ天皇に伝えよ、叡慮を痛められること天に通じたれば、我を祭れば必ず国家と民は安全なり、我は大己貴神なり。祇園の東北に牛頭天皇に縁の地有り」と言って消えたと言う。

そこで祀られたのが粟田神社らしい。どこにも歴史があるね。

さらに足を延ばして平安神宮まで・・・素晴らしい天気に大鳥居が映えていた。

 

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小さいものはかわいいか?

2011-01-23 17:04:57 | 京都ウロウロ

今日も少しだけだが鴨川に出かけた。四条大橋の南の所ではいつも、太公望たちが釣り糸を垂らしている。あまり釣れている所を見た事はないが、まあそれが楽しいのだろう。

今日は、その太公望の傍で飼い鳥?のように離れずにじっとしているダイサギが2匹いた。おそらく釣れた魚のご相伴にあずかろうとしているのだろう。なかなか微笑ましい情景だ。

三条大橋までも来ると、先週に来た時と同じようにユリカモメとカワウ(調べたらカワウのようだ)が仲良く並んで川の中にいる。違う種類の鳥同士が仲良くしているのをあまり見かけないから、何となくこれも微笑ましく感じる。人間で言えば黄色人種と白色人種が仲良くするようなものなのか。人間は一見仲良く見せながら腹の底が分からないことがあるが、鳥たちもそうなのだろうか。

 

しばらく歩いていると、ユリカモメに餌付けをしている人がいた。まあ、それが良い事かどうかは別にして、ユリカモメは大喜びだ。傍にカモたちもやってきた。すると、上空で「ピーヒョロロ」の鳴き声が・・・・鳶が上空を回っている。「僕も欲しい」と言っているのだろうか。

ふと・・・・人間は小さいものは「かわいい」と感じ、大きいものは「憎たらしい」と感じると、大体相場が決まっている。ワンちゃんでも小さい犬はかわいいし、グレートデンなんどはなかなかかわいいとは感じない。

しかし、小さいものがかわいいとは決して言えない。小さいものでも性格の悪いものはいるし、逆に大きいものでもかわいく優しいものもいる。

前に、上空を飛ぶ鳶とユリカモメのバトルを見た時、思わずユリカモメを応援したが、本当はユリカモメの方が性格が悪いかもしれないね・・・・・

 

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伏見稲荷・神様の取捨選択は?

2011-01-23 16:11:15 | 京都ウロウロ

朝から伏見稲荷に向かった。もう初詣も終わり、次は節分だがそれには少し早いので、いわゆる端境期というやつで空いているかと思ったが、さすがお稲荷さんはすごい。観光バスで続々と善男善女がやってくる。

その混雑している本殿の横をかすめて千本鳥居へ。本道はもちろん、脇道にも鳥居がびっしりで、千本どころか数千本あるのではと思う。一の峰まで行くと時間もかかるので一応、四ツ辻まで行こうと歩きだした。

伏見稲荷の近くに前の職場の職員研修所があって、そこで勤務していた頃、この四ツ辻までの道は、若い職員とジョギングをしたコースだ。当時は走って四ツ辻まで平気で駆け抜けていたが、COPDの今の身では歩いて上るだけでも結構厳しい。

やっとのことで、四ツ辻へ。うしろを振り返ると鳥居がびっしりと坂道に並んでいる。

ふと・・・・お稲荷さんはもちろん「商売」の神様で、皆が商売繁盛を祈願してお参りし、鳥居も奉納される。(もっとも鳥居は儲けさせて貰った方のお礼の意味が多いようだが。)鳥居を奉納されたり、ご祈願に来られた方は神様が「よっしゃ。儲けさせたろ」と言うのだろうが・・・誰かが儲けると誰かが損をするのは世の常で、すると神様はお参りをしてない善男善女を見捨てるのだろうか。

と、つまらない事を思いながら、山道を下って東福寺へ

東福寺といえば、いつも紅葉で出てくるロケーションがある。通天橋のあたりだ。その通天橋を望む場所で写真を撮った。

まあ、楽屋裏の女優さん?みたいな風景で、少しショックを覚える。「栄枯盛衰」という言葉が日本にはあるが、この場所で、言葉が生まれたのではと思ってしまった。(楽屋裏の女優さん。すみません。想像でものを言いまして)

 

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南禅寺水路閣の雪花

2011-01-10 13:41:05 | 京都ウロウロ

朝起きると、雪がうっすらと屋根を覆い、ちらほらと降り続けていた。見ているとこれ以上積もる気配もなく、今日は鴨川をやめて、雪の山を歩こうと決心した。

朝御飯もそこそこにして早速、お出かけした。南禅寺の裏山から大文字山へ抜けるコースを目指して蹴上へ・・・・

南禅寺の水路閣から山へ入ろうとしたら、何か周囲が明るく感じる。何かと辺りを見渡すと、何と桜の木の枝に雪が被り、桜花が満開のような風情になっている。

全ての桜の木が満開状態で、ある意味、本当の桜花よりも見事な咲きっぷり?だ。

そんな桜花もどきに見送られて山に入ったものの寒さと孤独に耐えられず、途中で引き返してしまった。寒いし、足元も雪道で滑り倒して・・・

雪の山は遠くから見るに限る。それにしても、水路閣の桜は綺麗だった。

 

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