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還暦男の徒然日記

還暦過ぎの余生を楽しもうとの魂胆?が覆えさせられそうな日々の奮闘記

賀茂神社と松尾大社の関係

2011-05-02 21:24:24 | 京都ウロウロ

土曜日に松尾大社の方が先日の神幸祭のお手伝いのお礼に来られた。その際にこちらからは改めて来月5月15日の還幸祭が葵祭と重なったため、お手伝いできない旨、お詫びをすると、「来年はよろしくお願いします。賀茂神社と松尾大社は古くから関係も深いんですよ」と・・・

その時は、深く聞く事もなく分かれたのだけれど、「関係が深い」というのが気になって少し調べると、やはり深い関係にあった。

物語は神話の世界にある。松尾大社の祭神の一人?に大山咋神という山を取り仕切る神がいる。一方、下鴨神社の祭神の一人?に玉依媛命という方がいる。もちろん名前から想像できるように、大山咋神は男性で玉依媛命は女性だ。

ある時、玉依媛命が鴨川で禊をしている時に、上流から丹漆の矢が流れてきた。これを拾って床においたところ、その矢が美しい男子になり、結婚して、男の子を産んだと言う。

その生まれた男の子が上賀茂神社の賀茂別雷大神である。で、上流から流れてきて美しい男に変身した矢は大山咋神ということになる。

これは神話であるが、実際はどういうことかと推察すると・・・

当時、京都には土着の賀茂氏が鴨川周辺を中心に勢力を持っていたが、そこへ大陸からやってきた秦氏が松尾・太秦辺りに入り込み、勢力を拡大してきた。当然、二大勢力は覇権争いを始める。が、そこはうまい具合にお互いに融合し合う事によって均衡を維持するようになった。

これが神話として残っている話の実際ということになる。その後に平安京が誕生し、共に朝廷の後ろ盾をもらって繁栄していったということだ。

実は今年気がついたのだが、松尾大社のあちこちに双葉葵の印がついていたのだ。双葉葵というと葵祭の印だし、どういうことかなあと思っていたのだが、何となく納得できた。

京都で長く生きているのに知らないことが山とある・・・

 

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城南宮・宴の前

2011-04-29 13:25:46 | 京都ウロウロ

今日は城南宮さんで「曲水の宴」が催されるというので、初めて城南宮へでかけた。

城南宮を幼い時から「じょなんぐうさん」と言っていた。漢字が読める年齢になっても何の違和感もなく、そして今も「じょなんぐうさん」という。

祇園の家には7軒の長屋が連なっていた。7軒あると常に何処かが傷むのか、四六時中、我が家に大工さんや左官屋さんが出入りしていたように記憶している。で、会話の端々で「じょなんぐうさん」という言葉を聞いていた。今も城南宮は建物工事の無事を祈る「棟上げ」の祈願に訪れる人が多い。

宮の歴史は古く、平安京へ遷都する際に、都の守護を願い、この平安京(城)の南に祀られたもので、平安時代の末には白川上皇が離宮(城南離宮・鳥羽離宮)を造営し、この地で院政を行った。以降鳥羽・後白川・後鳥羽上皇と4代150年にわたり政治や文化の中心地になった所だ。

また、明治維新の際には、この地が伏見・鳥羽の戦いの地となった場所でもある。

残念ながら、曲水の宴には時間があわず、「宴の前」の有り様を見学した後、城南宮自慢の庭・神苑を散策した。この神苑は「源氏物語 花の庭」と称され、源氏物語に登場する花木全てが並んでいるという。

紅枝垂れがまだ元気に花をつけていた。つつじも鮮やかな赤い花をつけていた。

目的は果たせなかったが、初めて「じょうなんぐう」を見学して満足でした。

 

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松尾大社・神幸祭り

2011-04-24 19:56:35 | 京都ウロウロ

今日は松尾大社のお祭り・神幸祭のお手伝いに行ってきた。

松尾祭りの歴史も古く、葵祭りの西暦567年には及ばないが、それでも西暦860年前後に始まったという。中国からやってきた秦一族が神社の創建にかかわったようだから、祭りもしかりかもしれない。秦氏がお酒づくりを中国から伝えたという事に因んでか、ここは御酒の神様とも言われている。今日も大倉酒造の会長が見えていた。

今日、気がついたのだが、本殿から神輿や神職の烏帽子まで、葵と桂が飾ってある。葵の葉は「葵祭」の専売特許かと思っていたが、松尾まつりも葵の葉を使うので、別名「葵祭」というらしい。ややこしいことだ。

松尾大社の境内は先日までの桜が舞台を去り、今は山吹が舞台の主人公になっていた。黄色い花が新緑に映えて綺麗だ。6基の神輿が出る松尾祭は勇壮だ。「ホイット・ホイット」の掛け声に合わせて神輿を揺らしながら境内から大社の前の物集女街道へ・・・あいにく雨が降ってきたが、神輿をかつぐ人には雨も激励のシャワーみたいなものだ。

この祭りの一番の見どころは桂離宮の所で桂川を船に神輿を乗せて渡る「船渡御」だ。担ぎ手が腰まで水につかり神輿を船に乗せ、そして船からあげる。なかなか迫力がある。

無事渡り終えると、河川敷で祭典が催される。6基の神輿が並ぶ姿は壮観だ。もうこの時間になると、担ぎ手も御神酒が回って来て、呂律の回らない口調でしきりにお酒を勧められる。こちらは仕事なので逃げ回るのが大変だ。この祭りを仕切られている方と親しいのだが、今日は来られていない。聞くと、呼吸器疾患で入院されているという。心配だ。

祭典が終わると、6基それぞれの御旅所に神輿が到着する。今日から5月15日の還幸祭までの一月間はこのあたりは祭り一色になる。

 

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散りゆく桜・哲学の道

2011-04-17 17:12:58 | 京都ウロウロ

 

ちょっと時期がずれてますが、「遅かりし由良の助」でした。

桜は散り際が一番美しいと思うし、特に哲学の道沿いの疎水の水面いっぱいに桜の花びらが敷きつめられて流れる様は圧巻で、言葉に表せない感動をおぼえる。是非、今日はその姿を見たいと思い、哲学の道に行ったが、残念ながら1,2日遅かったようだ。疎水に右岸、左岸があるのかよく分からないが、右岸には遅咲きの枝垂れ桜が、左岸にはこれから満開を迎える大島桜が、水面には今まで咲き誇っていたソメイヨシノの花びらが一面にとはいかず、ささやかに流れていた。

 

それでも、やはり美しい景色は保っている。しばし眺めた後、近くの法然院にでかけた。法然院の山門を境内から眺めた。静寂があたりを支配していた。ここはいつ来ても心を癒してくれる一番のスポットだ。銀閣寺に住んでいた頃は休みになれば散歩にきていた場所だ。帰りの法然院の石段に、時季ははずれているが僅かに残っているつばきの花が落ちていた。美しい、懐かしい。実はこの何気なく落ちているつばきの花に僕は大きな知恵をいただいた。

もう20年以上前のことだが、その日は朝早く法然院に散歩にでかけた。すると今日と同じように椿の花びらが石段に落ちていた。その奥でお寺の方が落花しているつばきの花をザルに集めて、綺麗な花を選別して、それをそっと石段や山門に至る地道にまかれていた。

当時、前の職場で職員教育の仕事を担当していたが、このお寺の方の姿を見て、「ありのままの自然の姿は、けっして自然にはできない。」と気がついた。美しい自然は影の大変な努力で築かれている。ジョブ・トレーニングにしても学校教育にしても家庭内の子供への教育にしても、原点はここにあると・・・・この話はそれから職場の係長研修や課長研修で使った。

法然院の隣に霊鑑寺がある。ここのお寺の木々は紅葉の季節には見事な色を見せてくれるが今は近くの桜に主役を譲ってひっそりしている。

このお寺の南側の道を山に入っていくと大文字山に行く細道がある。その中腹に俊寛僧都の碑がある。このあたりにあった俊寛の山荘で反平家の陰謀を企てた罪で今の硫黄島に流された。歌舞伎の演目でも有名だ。

今日は、由良の助になってしまったが、それでも少しは散りく桜の美しさを楽しめた。

やっぱり桜は今が旬?

 

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葵祭の謂れに哲学の道の桜

2011-04-12 19:14:41 | 京都ウロウロ

 

今日は葵祭の打ち合わせ会で下鴨神社へ伺った。京都御所の時も良い天気で散歩三昧したけれど、今日もちょっと早い目に出かけて下鴨神社を散歩三昧した。

糺の森の中に入ると、あたり一面静寂に包まれ、心まで穏やかになる。今の時期、ここかしこに見られる桜がないのも何となく落ち着きを与えてくれる。

森をすぎて突然、鮮やかな朱色の鳥居の前にくると、不思議に神の領域に入り込むような気持ちにさせられる。これは昔からの演出?かもしれない。

その傍に「さざれ石」がある。「さざれ石」といえば、国歌に出てくる石だが、国歌の原典は「古今和歌集」にも詠まれた生き石伝説「さざれ石」で、下鴨神社の「鴨の七不思議」の中に、「泉川の浮き石」や「御手洗の神石」伝承が残っており、石に宿る神聖な力をを現している。

 

打ち合わせ会の冒頭、葵祭の謂れについて宮司からお話をいただいたが、欽明天皇の時代、災害が続き、544年に当時賀茂の大神の崇敬者に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、それを鎮めるために4月の吉日に祭礼を行ったのが由来らしい。

その際に双葉葵(今は下鴨、上賀茂神社のご神紋だ)を身につけて祭礼を行いなさいという神託があり、今も祭りの時は皆、双葉葵を身につける。徳川家はそれを真似たらしい。

東日本大震災、原発事故そして絶えず発生する余震と災難がとどまる所を知らないが、今回の葵祭ではその由来に従い、賀茂の神々に東日本の平安を託したい。

ところで、下鴨神社の帰り道にて哲学の道に寄った。すでに満開を迎えている哲学の道の桜は風が吹き抜ける度に、花びらが舞い落ちる見事な散り際を見せていた。

桜はやはり散り際がいいね。

 

 

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京都疎水の桜・十石船

2011-04-09 17:29:22 | 京都ウロウロ

 

昼前まで雨が残ったが、昼からはいい天気になった。街中で映画を観てから鴨川に出かけると、雨にも負けず桜がしっかりと花をつけていた。鴨川の河川敷に学生風の若者がシートを敷いて花見の準備をしていた。

今年は京都も花見の自粛ムードということらしいが、花見の準備をしている若者を見ているとそんな風には思えない。自粛しているのは変な常識をもっている大人たちだけかもしれない。

鴨川の桜で僕の一番のお気に入りスポットは二条橋から丸太町橋にかけての左岸の桜並木だ。前の職場に勤めていた頃、この時期は桜を眺めながら出勤していた。しばらくして花びらがハラハラと舞いだした頃は「雪花びら」という造語がピッタリの風情になる。

そこから少し足を延ばして平安神宮近くの疎水まで出かけた。ここの疎水の桜も名所になっている。国立美術館の前で、疎水に桜見物の遊覧船・十石船がでていた。今日はいい天気だし、乗っている人も桜を堪能してることだろう。桜もほぼ満開だった。

贅沢だが、至る所で桜を見ていると食傷気味になってきた。桜も大島桜のように緑色がまざり合っているとすんなりと目に入ってくるが、緑がなくひたすら「桜色」の山桜・ソメイヨシノは見飽きてしまう。

「もういいか」と帰りかけて白川まで来ると、何と白川沿いには桜が全くなく緑一色だ。こんな川沿いもめずらしい。このあたりはよくテレビの「京都○×殺人事件」などでのロケに使われる場所だが、僕の小学生の頃の「チビッコプール」があったところでもある。昔は学校にプールがなく、子供たちはこういう川を仕切った所で水遊びをしていた。懐かしい思い出だ。実家から15分ほどの場所にある。

桜見物の最後に鮮やかな緑を見て、かつ昔を思いださせてもらって心も満喫になって帰路についた。

 

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円山公園枝垂れ桜

2011-04-03 11:59:50 | 京都ウロウロ

久しぶりに鴨川に出かけた。比叡山に登ったり、北野天満宮や平野神社などにでかけたりと少しご無沙汰していた。

もうすっかり春になっているかと期待していたが、まだ春半ばという感じだ。この季節、春を満喫しているのは鴨川ジョガ―で沢山の人が堤防を走り回っていた。あまりの多さとスピードに圧倒されて堤防上の優先歩行(走行)順位がジョガ―・ウオーカ―・チャリンコ族になっている。(歩行者が優先と違うんかと思いつつ・・・)

鴨川の桜はまだまだという感じだった。四条大橋から三条大橋にかけての風景を写真に収めたが来週にはこの堤防沿いが桜一色になるんだろう。

ここから思い立って円山公園の枝垂れ桜を見に行こうと進路を東に。歩いて15分ほどで枝垂れ桜に着いた。以前にブログで秋から冬にかけての元気のないこの枝垂れ桜を「楽屋裏の森光子さん」と表現したが、さすが花が咲きだすと「舞台上の森光子さん」に代わって来ていた。まだ5,6分咲きなので何となく寂しさを感じるが、見事に変身している。

ホンマモンの森光子さんは未だ再登場されていないが、ゆっくりお休みいただきたい。

ついでに祇園の白川沿いの桜も見に行くことにした。辰巳大明神にやってきたら、結婚式を挙げるカップルが大明神の前で記念写真を撮っていた。この近くに結婚式場でもあるのだろうか。白川沿いの桜も来週辺りが見ごろの感じだったが、多くの人が写真を撮っていた。やはり人気のある場所だ。僕は散り際の桜が好きなので、2週間後位にもう一度訪れたい。白川の水面いっぱいに桜の花びらが浮かんでいる風情は最高だ。

 

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平野神社の桜にあぶり餅

2011-04-02 17:55:18 | 京都ウロウロ

 

朝から気持ちの良い天気で、どこか近くで桜が綺麗なところに行って見ようかと新聞の桜情報を見ていると、平野神社の桜が5分咲きとなっていた。

他の名所はせいぜい2分までで、(ちなみに昨日行った京都御苑の桜はチラホラになっていた)平野神社だけが飛びぬけて見頃になっていた。で、早速にでかけた。

京都には神社も多く、それぞれが歴史的な謂れがあるんだろうが、平野神社も建立は平安京遷都の時に平城京に祀られていた神が遷座されたものらしい。桜の名所になっているのは何故かと調べると、平野神社の神紋(家の家紋みたいなものらしい)が桜になっていて、平安時代の花山天皇の時に数千本の桜が植えられたのが起源らしい。

寛和元年(985年)に臨時勅祭が開かれ、以降、平野桜祭りとして今に残っているという。

境内には露店が並び、また花見宴席が作られていて沢山の人が桜の花の下で食事をしていた。

関東では東日本大震災の影響で花見の自粛をしているらしいが、ここでは沢山の人が桜を愛でている。年老いた女性が満開の桜を眺めながら「ありがたい、ありがたい」と念仏のようにつぶやかれていた。

平野神社のあとにどこへ行こうかと思案したが、家から出かける時にかけられた妻の言葉を思い出した。「今宮神社の桜も綺麗よ。行って見たらわ。もし行ったら、あぶり餅買って来て」・・・

僕には「平野神社まで行くんだったら、今宮神社のあぶり餅買って来て。そういや今宮神社の桜も綺麗だわ」と聞こえた。

で、今宮神社へ。参道の両側にあぶり餅屋さんが陣取っている。たった2軒しかないお店が向かい合わせで客を待っている。「一和」と「かざりや」・・・仲が良いわけないわなあ・・・見ていると互いに顔も合わせていない。

今宮神社境内の桜は予想どおり?桜の開花は見られず。妻の作戦どおり、あぶり餅を買いに寄ったみたいなものだ。お餅をちぎった小さなカタマリに味噌の甘たれをつけただけのものだが、ひさしぶりのあぶり餅は美味だった。

 

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京都御苑の枝垂れ桜

2011-04-01 19:38:46 | 京都ウロウロ

今日は今年の葵祭の打ち合わせ会で御所に出かけた。あまりに良い天気だったので少し早い目に仕事場を離れて御所に向かった。

御苑南西の「間の町」入り口から入ったところに閑宮院邸跡がある。閑宮院は江戸時代の世襲の四親王家のひとつで、119代光格天皇はこの閑宮院家から皇統をついだという。

邸宅は今は無料開放で時間があったので少し中に入ってしばらく庭で休憩・・・

江戸時代の京都御苑の絵図を見ていると、禁裏(京都御所)・大宮御所・仙洞御所を取り巻くように、この閑院宮をはじめ、九条殿・鷹司殿・有栖川宮・一条殿・近衛殿等々皇族家の邸宅がずらりと並んでいる。まさに皇族タウン?だった。

今は御苑として開放され、市民・国民の広場になっている。砂利道をさら北へ歩むと、満開の枝垂れ桜に出会った。街中の桜は今まさにこれからという時に、御苑の枝垂れはすでに満開で、やってきた市民たちの恰好の映写スポットになっていた。

しばし桜を堪能して、さらに北へ・・・砂利道で足が少し疲れてきたので、林の中へ。落ち葉の被った地道が疲れた足をやさしく迎えてくれる。そのまま京都御所の近くまでやってきたところに、梅の林に桃の林があった。桃が枝垂れ桜に負けじと見事に咲き誇っていた。小さい子を連れたお母さんたちがそこかしこで腰をおろして鑑賞されている。東日本の方々の事を思うと、こんなに贅沢な時間の使い方はない。

そんな事を思いながら、御所に入って葵祭の打ち合わせ会に・・・今年は東日本大震災を受けて実施の有無を熟慮されたようだが、実施することになったようだ。

5月15日の本祭に向けて、いよいよ本格的な準備が始まった。

 

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東山トレイル全走破・北白川ー比叡山

2011-03-27 18:03:56 | 京都ウロウロ

今日は前からなかなか行く機会のなかった「東山トレイルコ―ス」の最後の北白川ー比叡山のコースに出かけた。

市バスで「京都造形芸術大学前」まで行って出発。バプテスト病院の駐車場の横の細道から山へ。朝の10時なので正午位には到着するだろうという甘い思いで・・・

登り始めて5分ほどで大山祇神社に到着した。大山祇(おおやまづみ)神社は大山積神を祭神とする全国の山祇神社のひとつで(瀬戸内海の大三島にあるのが総本山のようだ)この辺りの瓜生山をはじめとする山霊の神々を祀っている。さすがこの神社で開運・家内安全はふさわしくないと思い、山登りだけをお願いして・・・

しばらく山道を登ると狸谷不動尊の奥の院に到着した。この麓に狸谷不動尊に曼殊院があるのだろう。かなり登ってきたが、比叡山はまだまだ先だ。

上へ行くにしたがって雪が残っている。昨日の朝に降った雪が残っているのか。しかし、まだ狸谷のそばで雪が残っているということは奥に入ればまだまだ雪がのこっているのか少し不安になる。なにせジーパンに足元はスニーカーという軽装で来ている。

しばらくして「水飲対陣碑」に到着。これは南北朝時代の水飲対陣跡のようで、足利尊氏に追われた後醍醐天皇が叡山に逃れ、近臣千種忠顕卿が足利軍を迎えて陣を張った跡のようだ。千種忠顕卿はここで討死にしているという歴史のある所なのだ。千種忠顕の碑も近くにあったが、先を急ぐので割愛した。ここで時間は11時40分。あと20分でケーブルカーの駅に到着できるのか・・・・

ところが、この先からイヤと言うほど比叡山の高さを思い知った。やはり大文字山の比ではない。

おまけに雪が深くなってきた。スニーカーでは足がツルツルして思うように歩けない。前方100mほどに親子連れのハイカーが見える。しかし足元はしっかりしている。靴が違うのか。登山靴をはいているのか。
 

普通でもCOPDの身には登りが厳しいのに、雪道に足が滑る。こんなところで滑って転倒したらエライ迷惑がかかる。気をつけなくては。

登りが続く。20分で行けるかと何と軽く考えていた事か。汗が引いて身体も冷えてきた。寒い・しんどい・滑って怖い・・・三重苦だ。

こんな道を夜中に阿闍梨さんは走っているということか・・・

水飲碑から約50分。やっと頂上に到着した。2時間30分を要した。ケーブル駅のそばに「やどり地蔵」なるものがあった。

このお地蔵さんに願をかけるとこどもが宿るということのようだ。

予定よりも30分オーバーしたし、おまけに汗が冷えて寒く、早々に修学院に向けて雲母坂を下りていく。

雲母坂は平安時代から都と比叡山を結ぶ大切な道で結構往来があったようだ。都の勅使が通った道と言うので「勅使坂」ともいう。法然も親鸞も行き来した坂ということのようだ。よくこんな坂を行き来したものだ。昔の人は体力があったのだろう。

今の僕には下り一辺倒の道が堪える。爪先にマメができてしまって痛くなってきた。早く降りたいの一心で何も考えずひたすら坂を下る。約1時間。やっと修学院に到着。都合3時間30分・約14kmのウオーキングは身体に良くない。

しかし、これで東山トレイル全コースを走破した。さて、次はどこへ行こうかね。
 

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悲しい京都の歴史・耳塚

2011-03-21 16:17:07 | 京都ウロウロ

河原町正面にある「元和キリシタン殉教地」の碑から東へ5分ほど歩いたところに、「耳塚」なるものがある。

今はここも観光地になっているが、京都の歴史ではあまり触れられていない悲しい出来事の地だ。

信長に代わり天下統一を成し遂げた秀吉は、その勢いをかって朝鮮半島にも兵を出した。いわゆる文禄・慶長の役だ。

武将たちは、戦功の証として朝鮮・明国人の耳や鼻をそいで、塩漬けにして持って帰ってきた。ここに、実に2万人分の耳や鼻が葬られているという。

慶長2年に、この塚が建造され、秀吉の意向でここで施我鬼供養がとり行われた。この供養は霊による災禍を防ぐという慣習で、古来より日本では行われていたようである。

京都の悲しい歴史的遺跡のひとつだ。

 

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京都のキリシタン殉教地

2011-03-21 14:26:43 | 京都ウロウロ

自分が住んでいるので少し気が引けるが、京都は千年の都であり、平安時代から明治に至るまで常に歴史の舞台になっている。さらに京都の凄さは、その歴史が遺物として残っているのでなく、今に生きる我々と共存している所だと思う。

ただ、歴史には晴れやかなものばかりではない。悲しい辛い歴史もある。

今日は京都の歴史ではあまり触れられない悲しい辛い出来事の場所に行ってきた。

京都は長く都であったので、諸外国からの文化なども早くに入り浸透していた経緯がある。日本におけるキリスト教の歴史・キリシタンの歴史も長崎の隠れキリシタンや今に残る「おらしょ」などを見聞きするにつけ、そのすざましい業に言葉がでないほどの衝撃を受ける。そんなキリシタンの弾圧を描いた遠藤周作の「沈黙」は僕のお宝書物?の1冊だ。

ところで、京都にもキリシタンの歴史が沢山残されている。もちろん、ほとんどが弾圧の悲しい歴史だ。

キリシタンの殉教といえば、京都から長崎に殉教の旅の末、長崎西坂の丘で殉教された二十六聖人を思い出すが、実はある意味ではもっと悲しい殉教の歴史が京都に残っている。

それは江戸時代に入り、2代将軍秀忠の時代・1619年に今の河原町正面の鴨川河原で52人のキリシタンが火あぶりの刑に処せられた事件だ。

とりわけ何が悲しい事かというと、その処刑された中の橋本テクラという女性と5人の子供の処刑の有り様だ。

十字架に張りつけられたテクラと子供たち・・・下からの炎の熱さに泣きじゃくる子供たちにテクラは「もうすぐ天国につける。イエス様とマリア様にお祈りしましょう」と励まし続け、共に殉教したという。

今、その地に「元和キリシタン殉教の地」碑が建立されているが、目をとめる人はほとんどいない。

処刑された鴨川の河原は、今、桜のつぼみが膨らみかけていた。

 

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ぶらっと日向大神宮

2011-03-20 13:49:27 | 京都ウロウロ

 

今日は東山と山科の境界に位置する日向大神宮へウオーキングで行った。あまりメジャーな神社ではないけれど神宮の中にかの有名?な「天の岩戸」がある。

場所は南禅寺の裏山(というか、日向神宮の裏山に南禅寺があるとも言えるけれど)の大日山の麓にある。三条通の蹴上近くに鳥居がある。蹴上の地名の由来は前にも紹介したけれど、義経が東北へ逃げる時に、このあたりの休憩場所で休もうとしたら、先に地元の人が座っていた。それが腹立たしいというので、その人を蹴り上げたということから名がついた。

義経も鞍馬山での修行とか弁慶との話とかいい話ばかりが出ているけれど、結構短気な暴れん坊みたいだ。そんな事を思い出しながら鳥居をくぐって坂道の参道へ。入るなり満開の白梅の出迎えを受けた。素晴らしい咲きっぷりだ。心晴れやかな気分になって、さらに登り坂の参道を奥へ。いよいよ本宮前に着いた。傍で椿の花が最後の輝きを見せていた。

季節は椿から今、梅に、そしてまもなく桜がこの参道を賑やかせてくれるのだろう。それにしても東日本大震災で被災された方々の「桜咲く」はいつやってくるのだろう。

本宮への最後の階段を登って外宮に。横に「縁結びの神」が・・・もう「縁」もいらんなあ・・・と思いながら、次に「安産の神」が・・・ますます関係ないなあ・・・とさっさと通りすぎて内宮に。しじゅうご縁がありますようにと、45円を賽銭箱に入れて、「家内安全・皆の健康・大震災の方々の早期復興」をお願い。45円では全ては無理かもと思う。

内宮の脇道から、いよいよ「天の岩戸」へ。

謂れは聞きかじりだが、スサノオの暴挙に立腹した天照大神が天の岩戸に閉じこもり世界は暗黒になってしまった。そこで天照大神を岩戸から出すために、八百万の神が集まり協議した。その結果、色々な秘策を弄して天照大神を岩戸から出して、世界に明るさが戻ったという話だが・・・

八百万の神が会議を持った場所は宮崎県の高千穂にあり、、天の岩戸もそもそも天上の世界の話で地上にあるはずがないのだが・・・・

ここには確かに存在する。いかにも機械掘りのような四角い坑道のような穴があった。

岩戸をくぐって裏へ。裏に出ると南禅寺方向へのハイキング道が待ち受けていた。

 

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母校・清水小学校

2011-03-13 16:21:06 | 京都ウロウロ

今日は昼間に50年ぶりに母校の小学校に行った。実はあと10日ほどで周囲の小学校と統合され、母校は廃校になる。

で、同級生となくなるまでに学校を訪問しょうとやってきた。

清水寺の参道のほどにある「清水小学校」が我が母校だ。実に141年の歴史を持つ小学校である。

141年前に小学校の建設が決まった時、地元の人たちの寄付で建設費用が賄われたわけだが、地元の皆さんは建設費用の3倍もの寄付をされたという。したがって、この小学校は実に贅沢な設えがされている。

鉄筋コンクリートの建物に外装はレンガ張りになっており、かつ屋上には洋瓦で飾られている。また、内側もハリの所などはローマ建築様式のような化粧がされている。

戦後間ましに進駐軍がこの建物を見て、ホテルと勘違いしたというほどに立派な建物だ。屋上から八坂の搭や清水寺や東山が手に取るように見られる。昔は感じなかったが、まさに絶景だ。

 

50年ぶりの母校は何もかも小さくコンパクトに思えたが、気持ちは一瞬で50年前の小さな自分に戻っていた。

50年前を懐かしむ気持ちとこの日を迎えている自分を不思議に感じてしまった。

 

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北野天満宮・梅見ごろ

2011-03-06 15:39:56 | 京都ウロウロ

 

今日は久しぶり?の休みなのに、朝7時に目が覚めた。布団の中でしばらくいたが、身体が「起きる」モードになっている。いよいよ「早寝早起き」の典型的な年寄りになってきたか?

で、食事も早々に8時に外へ出た。この1週間、菅神社の梅が気になっていたので先ず「飛び梅」を拝見。うーん、6分咲き位で1週間あまり変わっていない。

原点はここだが、一度、この梅の時期に北野天満宮に行って見ようと思い立ってバスに乗る。500円で1日券を購入。3回は乗らないと損をする。

北野天満宮はさすが人が多い。梅が見頃ということもあってか観光バスがたむろしている。大鳥居から参道を進む。参道の中ほどに両側に牛が鎮座している。

牛は天満宮の祭神の使いということだが、それ以外に道真が丑年生まれだとか、牛が道真を刺客から守ったとか、色々「牛伝説」がある。この牛の頭をなでると頭が良くなるという噂がある。で、今更頭が良くなってもメリットもないが「ボケ防止」を込めて撫でておいた。いよいよ梅が見えてきた。さすがバスで来られる位の値打ちがある。今が8分位の「見ごろ」だ。お参りして帰ろうと思ったが、ここまで来たら、名物の「粟餅」を購入しょうと並ぶのを覚悟してお店へ。

行くと誰も並んでいない。ひと頃の熱気がなくなっている。北野天満宮へ参拝に来られた人のいっぷく処として創業されて320年という歴史がある澤屋さん。店の中でも食せるが出来たてをお持ち帰りした。疲れた身体にはこのほんのり甘い粟餅が最高だ。

帰りもバスを乗らないとソンだと、行き先も考えずに来たバスに飛び乗った。京都市内なら何処へ行っても・・・・

行き先を確認すると、下鴨神社を通るバスだ。

昨日、我が京都のサッカーチーム「京都サンガ」が水戸に負けた。J2に降格しての初戦に負けた。隠れファンとしては勝利祈願に「やたがらす」を祀る下鴨神社の末社の河合神社に。

で、時計を見ると、何とまだ10時30分だ。家を出てから2時間30分しか経っていない。いつもは歩行時間で地理・地図をとらえているが、バスに乗るとこれだけ広域に動き回れるのかと少し感激した?

それじゃ、鴨川をブラブラ散歩して、昼から映画を見よう。

 

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