政府が入管法改正案の今国会成立を断念し、次期国会での成立を目指すことにした。
ある人は「入管法」と呼び、ある人は「難民法」と呼ぶが、正式には「出入国管理及び難民認定法」であるらしい。
政府が目指す主要改正点は、送還忌避者への対応と収容期間の短縮とされ、その2点を改善するために「難民申請回数を実質2回に制限」と「送還忌避者に対する罰則の強化」であると理解している。
確かに日本の難民認定率は先進国では最低水準とされており、2018年統計ではアメリカ30%、ドイツ26%に比べ日本は0.4%となっている。また現在日本の不法滞在者は約8万人と推定されているが、難民申請中は強制送還されないことから、その大多数者が複数回の難民申請を繰り返し、強制送還拒否者のうち310人が懲役3年以上の罪を犯して収監中であるとされている。出入国在留管理庁では、日本の難民認定率が低い理由として、難民申請理由が物的根拠を伴わない本人の言い分だけであることや、出身国への照会にも回答がないことを挙げている。
政府の改正案や反対意見の双方に頷ける要素があるが、日本の労働力不足、なにより日本人が就労をためらう一次産業や単純労働の労働力解消としての外国人労働者の必要性を考えれば、前向きな受入れと厳正な入国・在留管理は車の両輪と考えてバランスを図る必要があるように考えるものの、自分の乏しい脳みそでは入管法改正の賛否何れが是か決めかねる問題である。
一方、欧米諸国で移民(難民)の受け入れを制限する国が相次いでいることも考慮すべきではないだろうか。ドイツの一地域では住民の殆どがイスラムに置き換わった結果、地域のキリスト教文化は荒廃するとともに原理主義の拠点と化したケースもある。日本でも既に○○タウンと称される人種コミュニティによって出身国の風習に色濃く染められて地域の文化・伝統と軋轢を生じていることも報じられている。異郷の地で生きていくためには、言語・習慣を共にする人が助け合って・群れて生活することは当然であろうが、受け入れ国は彼等が完全に自国民に同化することは無理としても、出自の特色を薄める若しくは同化の努力をすることは期待しているだろう。しかしながら移民(難民)にとっては風習・習慣を棄てることは民族のアイデンティティを棄てるとの意識が強く働く結果として、各所に小さな人種対立・人種差が生じているように感じられる。
名古屋出入国在留管理局に収容されていたスリランカ人女性が死亡した。医療過誤が原因であろうとは衆目の一致するところであるが、メディアや野党は「長期収容の悪例」として攻撃し、このことが入管法改正案の提出延期の大きな原因ともなったと思える。確かに痛ましい事案ではあるが、彼女は何故に不法滞在に至ったかについては不明である。死亡後には遺族が日本に駆けつけることができたこと等を観る限り、彼女や一家が難民に該当する境遇ではないように思えるので、彼女に同情することや収容施設での待遇改善は必要であろうものの、単なるウエットを棄てて、不法滞在者が後を絶たない現状や難民申請の現状を明らかにすることも重要であるように感じる。