トランプ大統領が、日米安保条約の片務性を公共電波で衝き、私的な会話では条約の破棄にまで言及したことが報じられた。
日米安保条約の片務性については日本でも議論されており、片務性が対米従属の根底で自主外交のためには双務性を持つ条約に改正、安保条約を廃棄して自前の国防政策を採る、等々百家争鳴の状態である。トランプ大統領の発言も国防長官が即座に否定したことから、在日米軍駐留経費の分担増を念頭に置いた陽動と考えられているが、トランプ大統領世代にはアメリカ本土とは遠く離れたアジアで朝鮮戦争やベトナム戦争を戦った歴史と記憶から、当時の反戦・厭戦気分がトラウマとして残っていることは考えておかねばならないと思う。全ての戦争に反対するとした反戦運動は別にして、厭戦気分を支配したのは「本土防衛に直接影響しない極東の地でアメリカ人の血が流される」ことへの不満であり、現在まで受け継がれている潜在的民意と考えるからである。加えて巡航ミサイルの精度向上による戦略・戦術の変化が挙げられる。イラン攻撃を例に考えれば、巡航ミサイルの発射拠点を確保するためには必ずしもホルムズ海峡を含む広範囲の制海・制空権を確保する必要はなく、強力な空母戦闘団によって、狭い範囲の制海・制空権を一時的に確保してアウトレンジ攻撃を行うことでイランの戦意を挫くことが可能と考えているのではないだろうか。このように、アメリカ軍の戦略や戦術変化を考えれば、相対的に海外基地の重要度と存在意義は低下しているとみなければならない。これは、台湾・日本・韓国の防衛についても云えることであり、折に触れて駐留米軍の縮小が取り沙汰される背景にもなっていると観なければならない。締結以来50年以上も、一貫して片務的な安全保障条約が形を変えずに存続していることの方が稀有の例ではないだろうか。国際関係の変化や国力の伸長を考えれば、遥か以前にトランプ発言が出されてもおかしくなかったものであるが、アメリカは日本に平和憲法を押し付けたことの贖罪意識があるのかもしれない。
トランプ発言を受けて共産党は「安保破棄歓迎」とコメントした。9条反対・改憲・天皇制反対・反資本主義と首尾一貫していた昭和50年代までの共産党では当然のコメントであるが、いつしか護憲や天皇制容認に看板をかけ替えた現在の共産党では、些か直截的すぎるコメントにも思える。9条を守って戦力を放棄した上で安保を破棄した場合、日本の独立をどのようにして保つのだろうか聞いてみたいものである。秀逸のレトリックに富んだ志位委員長から、よもや「国連重視」「非武装中立」は無いと思うのだが。
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