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もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

高市・小川政調会長

2022年06月14日 | 与党

 日曜日のフジTVの番組に、自民の高市早苗・立民の小川淳也両党政調会長が出演し、当面の政策を開陳した。

 政策の是非・優劣については、支持者によって判断が異なるので置くとして、両議員の存在感については高市氏が小川議員を圧倒していたように感じた。もし、総理大臣を直接選挙で選び、両議員が党を代表して立候補し、この番組をテレビ討論と仮定するならば、高市氏に地滑り的支持が集まるであろうと思った。
 高市氏は、質問に対して端的に、時に数字を織り交ぜて政策を訴えるのに対して、小川氏においては結論に至る背景や過程の説明が冗長で、時として場違いの政権批判を滲ませるという、予算委員会の質問に近い対応であった。
 当初は劣勢であったケネディが大統領選に勝利したのは、世界初のテレビ討論でのケネディの若さと話術に対して老練ニクソンの横柄な態度の対比が大きかったとされる。
 高等小学校の学歴しかない田中角栄氏が選挙民の心を掴んだのは、誰でも理解できる平易な言葉での演説であったとされるとともに、大臣として東大出の官僚を薬篭に入れ得たのは一度説明を受けた数字と報告を全て記憶していたこととされる。
 政治家に必要な資質を考えれば、高邁な志向と高潔な人格は勿論であるが、自分レベルをも納得させる話術と質問に対して逡巡なく即答できる資質も不可欠で、さらに欲を言えば自分レベルより高度な知識を持つ聞き手に対してはさりげなく・嫌味なく数字を織り交ぜることができることではないだろうか。

 通常国会も15日に会期末を迎えるが、今回政府が提出した61法案のうち既に58法案が成立し、立民が内閣・衆院議長の不信任案提出を断念したこともあって、残る3件も成立する見込みと伝えられている。平成8年以来の政府・与党完全勝利の陰には、重要法案につぃては野党提出の対案も同時審理したために、野党が審議拒否できなかったことが大きいとされるが、立民が対案型政党への脱皮に失敗したことも大きい様に思う。過去、政権攻撃を文春砲を使用したスキャンダル攻撃の一手に依存していたこともあって、所属議員の政策立案力は対案策定のレベルにまで育っていなかったのではないだろうか。加えて、政策の要である小川政調会長を始めとする首脳の表現力では、野党を結集することができなかったように思える。
 維新幹部が「夏には盆踊り、会期末には不信任案」と嘆いたとされるが、旧態依然の姿勢・戦術に対して「言い得て妙」と思える。


豪・韓・日を考える

2022年05月22日 | 与党

 オーストラリアの総選挙で、アルバニージ氏率いる野党の労働党が勝利し9年ぶりに政権が交代する。

 モリソン首相は、在豪華僑のロビー活動禁止、孔子学院の活動制限、クワッド構築、AUKAS・原潜導入等によって、中国との決別を推進してきた。総選挙を制した労働党も外交・防衛政策はモリソン政権の方針を継承するとして選挙戦を展開していたために、直ちには新政権=親中国回帰とはならないとみられているが、労働党の重鎮には親中派が多いとされていることから、何らかの紆余曲折も予想されている。
 特に、モリソン政権の敗因の一つが、ソロモン諸島の対中安全保障協定締結を阻止できなかったこととされていることから、もはや親中回帰を図ることは不可能な民意が示されたと理解すべきかもしれない。
 ともあれ、24日から日本で開催されるクアッド首脳会合で、アルバニージ氏が新首相として出席する見通しとされているので、何らかのシグナルは得られるだろうと思っている。
 また、モリソン政権敗北には、労働党の物価抑制対策や最低賃金の引上げ公約も大きかったとされるが、物価高騰の原因は主としてロシアのウクライナ侵攻に伴う食品原材料不足と世界経済の混乱に依るもので、若しアルバニージ新政権が親中に回帰したならば中国は居ながらにして漁夫の利を得ることになる。そうなれば、習政権はウクライナ事変による先進国の物価高騰を勢力伸長の強力な武器として活用するために、更なる混乱の拡大と継続のためにロシア支援を拡大することも予想される。

 韓国の尹錫悦大統領は、米韓首脳会談に臨むにあたり歴代政権が推進していた「安全保障はアメリカに、経済は中国にそれぞれ依存する」という曖昧な「安米経中」外交を廃して、「安も経も米」に転舵することを表明した。とはいっても、国会では「嫌米日・親中北」が大勢を占めていることから転舵は容易ではないだろうし、腰砕けとなって「信用できない韓国のまま」となる危険性も腹蔵しておく必要があると思っている。

 オーストラリアと韓国の今後について書いたが、「安米経中」の気配が濃厚である日本で各政党の参院選公約が出始め、興味を以って眺めているが、世界的な軍事危機にあっても相も変わらず「経済・暮らし向き」公約が目白押しで、一部の世論も歓迎している感がある。
 いまこそ、「児孫のために美田を買わず」とした南洲翁、「米百俵」の小林虎三郎翁の気概・遺訓が生かされるべき秋と考えるのだが。


平和を知る

2022年05月01日 | 与党

 新聞のコラムで、我々が良く口にする「平和」という言葉に多くの解釈があることを知った。

 辞書で「平和」は、「戦争が無いこと」と書かれている。この定義に従えば、外交・軍事権すらを清国に譲り渡すことで戦争を防いでいた李朝末期の朝鮮は、内戦を終結させたポル・ポト政権下のカンボディア(クメール・ルージュ)は、平和であったとすることも可能であるが、ルソーはこのような状態を「奴隷の平和」と定義しているそうである。
 時代が進んで、平和を「戦争が無く、国内社会でも貧困・格差が存在しない状態」と定義する「積極的平和」という概念に成長し、それまでの「単に(対内外)戦争は無いものの民族の別・原理主義者・特権階級による圧政・不平等が存在する」状態を「消極的平和」と区別しているそうである。
 以上のことを念頭に置いて「ウクライナの平和」を考えると、橋下徹氏をはじめとする一部識者が主張する「政治的決着」という「とりあえずの平和」は、消極的平和・奴隷の平和で良しとする前近代的主張で、現在のウクライナ指導部が求めているのは積極的平和であり、国民もその理念に共感して耐えて抵抗を続けていることは明らかであるように思える。

 日本国憲法の平和理念を考えると、まさに「究極の積極的平和」を求めていることは間違いのないところであるが、積極的平和獲得のために「戦力放棄」と規定されていることはあまりにも短絡的に思える。コラムで教えられたことであるが、古代ローマに発して以降も欧米では折に触れて引用される「汝平和を欲するならば、戦争に備えよ」という格言があるそうで、積極的な平和は戦争なしでは得られないというパラドックスを見事に表現していると思った。
 自民党外交部会が政府に「敵基地攻撃能力の整備」を提言すると報じられて以降、相も変わらず近隣諸国の警戒感を心配する声が聞こえるが、相手に警戒感を持たせることが抑止力であるという原理、積極的平和獲得のために戦争に備えるという原理を考えれば、相手が警戒感を持たない戦力・兵器は侵攻抑止には何ら寄与しないことは明らかであるように思う。
 居酒屋の「平和談義」では、言い負かされることも少なくなかったが、その原因は彼我の「平和解釈が異なること」に由来していたように思える。ルソーの「奴隷の平和」は、強力な武器になると思えるので、もう少し勉強してみようと思っている。


予算案の委員会通過に思う

2022年02月22日 | 与党

 2022(令和4)年度予算案が衆院予算委員会で可決された。

 予算案は本日の本会議で可決・参院に送付され憲法規定もあって年度内の成立が確実視されているが、予算委員会の採決で国民民主党が賛成に回ったことが話題になっている。
 この事態に立憲民主党は、泉代表「野党とは言えない選択で非常に残念な判断」、大串議員(予算委員会筆頭理事)「政権全体を良しとするに等しい」と述べ、共産党は「事実上の与党入り宣言」と批判していると報じられているが、賛成した国民民主の玉木代表は「ガソリン税の一時引き下げの言質を得たことで十分」と意気軒昂であるらしい。
 野党が予算案に賛成するのは稀有のことであるらしいが、国民生活に直結する予算という性格から眺めると、国民民主党に理があるように思える。予算審議の過程に暗いので以下の記述については批判・教示を覚悟しているが、自分は「具体的な金額にまで踏みこんだ野党の修正要求は無かった」ように理解しているので、反対した野党の反対理由「何が多くて・何が少ないのか」を知りたいと思っている。反対党のコメントでも、本来なら「防衛費が突出している案」、「文教費が少ない案」或いは「コロナ対策費が少ない案」という反対理由が前書にあるべきと思うのだが、乱暴かつ一様に「野党だから反対する」というのは面妖に思うと同時に、提案型政党への脱皮というお題目が空々しく映る。かって政治家が政治家であった頃、防衛費がGDP1%のシーリングを突破した際の予算案については、反対した野党各党ともそのことを反対の理由と明言していた。
 「ではの守」であるが、アメリカでは会計年度始期(10月)後4か月経っても本予算が成立していないため、18日に3回目のつなぎ予算を成立させている。本予算案に対する賛否数と上下院の勢力図を眺めると相関関係に無く、大統領に近い民主党議員が反対し、距離を置く共和党議員が賛成に回っているケースもある。予算案にトランプ政権の置き土産色が強いという点もあるが、議員個人が賛否を判断するためにつなぎ予算は茶飯事で、つなぎ予算すら成立せずに政府機関が開店休業したことも一再ではない。

 以前に調べたところでは、これまで日本で予算案が修正されたのは1度と記憶しているので、金額修正にまでは至らなかったものの、今回、国民民主党が勝ち得た「ガソリン税のトリガー条項」は特筆とまではいかなくても一定の成果と評価しても良いのではないだろうか。


国会議員の免責特権に思う

2022年02月17日 | 与党

 産経新聞で、国会議員の発言に関する免責についての論を読んだ。

 論の背景・経緯は15日の衆院予算員会の公聴会で、公述人の原英史氏が自分の経験を例に「議員の国会において故無き誹謗中傷が免責される」ことに疑問を呈したことを論拠として展開されている。
 自分では「そう云えば原氏を巡る攻防があったなァ」としか覚えていないので、産経の伝える概要を転記すると。
 令和元年6月に毎日新聞が「原氏が戦略特区提案者から200万円の指導料と会食の接待を受けた」と顔写真付きで報じたが原氏は完全否定した。報道を受けて野党は、2日後に「野党合同ヒアリング」を立ち上げて10月までに10回のヒアリングを、国会では立憲民主党の森裕子議員が予算委員会で「国家公務員だったら斡旋収賄罪に当たる」と糾弾し、SNSでは同党の篠原孝議員が同等の批判をブログに展開した。
 一連の動きに対して、篠原議員には賠償命令が下されて、司法の場では原氏の正当性が認められているが、森議員の誹謗中傷は国会内での発言であったことから憲法の規定する免責特権に守られて今も真実然と議事録に残されている。
 原氏は公述人として、誤報・捏造報道を引用しての国会内発言については議員でない被害者には議場での反論機会もなく議事録訂正の方法が無いことから将来とも真実として残るので、「憲法改正を含め議員の免責特権の乱用について国会での議論が必要」と結んだとされている。
 こうした事実を時系列に並べると、また、モリ・カケ・サクラ時の週刊誌の読み聞かせを思い出すと、議員の免責特権には限界を設ける必要があるように思える。憲法制定時にあっては「議員は選良で一般人を超える品性と節度を持つ」ことが常識であったものであろうが、野にいる辻元清美氏やケンカ屋と評される西村智奈美幹事長の発言を眺めると、井戸端会議・居酒屋談義レベルの品性しか持たない議員に過剰な免責を与えることは分不相応と見るべきにも思える。

 今回の公述に対して共産党が「予算員会は予算質疑の場であり、予算以外の公述は相応しくない」と援護射撃したとされるが、「何でもアリ委員会」の実情を知っている我々にとっては、この”贔屓の引き倒し”が「立共閣外協力」の本質かに思える。
 2006年に起きた偽メール事件を思い出す。
 民主党の衆議院議員であった永田寿康氏が、出所不明の「武部自民党幹事長に多額の金銭を送ったという堀江貴文氏のメール」を手に政府を追及したが、メールが偽造であったことが判明して永田氏は議員辞職・民主党執行部は総退陣に追い込まれた。これは早期にメールの真偽が明らかとなったために永田氏の切腹で決着したが、真偽定かではない雑誌情報を基にしたモリ・カケ質疑は多くの人を「灰色」とする風評被害を今に残している。