9月16日(金)8時30分に起きる。外の空気はまだ夏の気配が残っている
が、風はずいぶん涼しくなった。
9時20分にコープこうべの宅配を受け取ったのちに、朝食。
昼食後、近くのスーパーへ夕餉の食材買い出し。今夜のメニューは焼肉とサン
チェのサラダ菜、小松菜と油揚げの煮びたし、もずくとオクラの和え物。
午後のデザートは二十世紀梨。
咲き終わったプランターや鉢植えの夏の花が枯れて、見苦しくなったので引っ
こ抜いた。にぎやかだった道路沿いの自称フラワーロードも暫く寂しくなる。
あるブロガーさんは剪定と草引きに汗を流し、作業の「ビフォアー」と「アフ
ター」の写真アップしている。
苦労してやり遂げた作業の「心の内」を綴っている文章が楽しい。
地球が綺麗になりました。
綺麗になったところを見るのは
実にか・い・か・ん・です。
「地球が綺麗になりました」。その気持ちよくわかります。重い腰を上げて生い
茂った雑草を抜き雑然と枝を張った庭木を伐り払う。明るく風通しよくなった庭
につい見惚れる。私も、汗だくの作業の疲れもカ・イ・カ・ンに変わるのだ。
17日(土)9時に起きる。雨戸を開けると、台風14号の前触れか、かなり強
い風が庭木を揺らしている。その14号は一夜で大きく発達、910 hPa の
「大型で猛烈な勢力」となっている。コースも九州から急に折れて瀬戸内から近
畿直撃をうかがう。これまで経験したことのない「特別警報」を多発するかも、
と気象庁の予報官は、不気味な発言。大きな被害が出ないことを祈る。
私の生まれた紀州は台風の常襲コースだったので、何度か大きな台風を経験した。
庭の柿の葉が強風でちぎれ、目の前の山の杉の木々が大きく揺らき折れる様子を
見るとなんだか楽しく、大人たちの心配をよそにウキウキしたものだ。昭和25
(1950)年のジェーン台風が近畿に大きな被害をもたらした時、私は10歳
だった。当時の田舎普請の家は大きな萱葺(かやぶき)で、萱の屋根が強風えぐ
り取られ、ぽっかり大きな穴が開いた。台風一過の青空が、部屋から鮮やかに見
えたことが、今でも強く印象に残っている。無残になぎ倒された田んぼの稲穂を
前に、大人たちはため息をついていただろうけど・・・
コロナがピークを過ぎ、さあこれから、という時に出鼻をくじくような猛烈台風。
漁師は海に出られず、空海陸の交通がマヒ、観光客が大量にキャンセル、収穫直
前の農作物の被害が心配・・・
夕方になって風がますます強くなってきた。嵐の前触れを思わせる。
お彼岸法要にお寺さんが来週早々お参りしてくれるので、仏壇のフラワーアレン
ジを活け替えた。トルコギキョウ、クッションマム(キク)をメインに、オアシス
隠し(裾隠し)にハランを使う。
仏さんに供えたフラワーアレンジの花
夏花も過ぎ、寂しくなったフラワーロード (下段のポーチュラカはまだ元気)