私は肉や魚、野菜・果物、なんでも大好き人間だから、菜食主義者には到底
なれない。
菜食主義者は大きく分けて二通りの理由があるように思える。
一つは肉食はダイエットの大敵、と健康上の理由から。
もう一つは、動物の命を奪って食べるわけにはいかないとの理由。
どちらも、その人にとっては真面目な理由なのだろう。
でも、動物の命をいただくわけにはいかない、と言う理由には少し引っかかる。
野菜だって、立派な命をはぐくんでいる「生き物」だよねえ。
「草木の命を生ける」日本の生け花文化、
「草木の命をいただく」草木染め工芸、
「花の果て 草木の果て 命をつなぐ植物たち」と素敵なタイトルの本もある。
植物たちへの優しいまなざしを注ぐ人たちも多い。
野菜(植物)の命を奪っても良いが、動物はダメ、と言う論理はここにはない。
そんなこんなことを考えていると、日本の古くからある「クジラを食べる」文化を目
の敵にするヨーロッパ諸国のことをつい、思ってしまう。
「クジラはダメだけど、牛や豚やヒツジ、鶏ならかまわない」
彼らの論理を極論すれば、こういうことになる。
彼らは、クジラには高度な知性があるから、「殺すな」と叫んでいるらしい
けど、こんな屁理屈で捕鯨反対を唱えているとしたら・・・おきゃあがれ!
牛や豚は知性がないから、レアだミディアムだ、と血の滴るようなステーキにかぶりついても許されるのか。
ステーキにされる牛は、インドでは聖なる動物だよ。
多くの州では牛の食肉は禁止されているとか。
牛が死んだことで暴動が起こり、死人まで出ている地域もあるらしい。
それでもインドに人たちは、欧米人のステーキ食文化を批判しない。
彼らは、捕鯨反対グループよりずっと大人で、奥ゆかしいねえ。
捕鯨反対者には「クジラを食べる野蛮な民族」と言う、差別観が潜んでいる
ような気がしてならない。
手前勝手な論理で、他国の食文化に土足で踏み込んで批判するのは、優越感の
表れか。
日本では食事前に「いただきます」と手を合わせる。
「命をいただきます」と言う、深い意味があるんです。
動物であれ、植物であれ「命」に対する、畏敬の念を捧げているんです。
そして食事が終わると「ごちそうさま」と、感謝の念を忘れない。
人間は動植物の命を奪わないと生きられない、宿命を背負ってるんです。
欧米の心に「いただきます」「ごちそうさま」がありますか?
<旅のアルバム>
晴れ間が恋しいね(北海道にて)