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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

伏見歴史散歩2 旧伏見城の大手門と残石

2023年10月26日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 御香宮神社の旧伏見城大手門をしばらく見学しました。徳川期の再建ながらも豊臣期の建築意匠をよく伝えており、装飾部分はほぼそのまま残されているようです。

 

 内側から見ると、両脇の潜り戸もそのまま保たれているのが分かりました。城郭の門には一般的についている潜り戸ですが、神社の表門には不必要なものです。

 

 屋根の小屋組みも、どちらかといえば華奢なほうです。戦国期の武骨な建築の雰囲気はすっかり消えています。豊臣政権によって天下統一が達成された時期の、ようやく訪れた泰平を象徴するかのような、落ち着いた建築空間がそこにただよっています。壁を貼らずに木組みや蟇股だけにしている点にも、一種の美意識がしのばれます。

 

 両側の棟木を支える巨大な蟇股も見応えがあります。束をとりこんで高さをとることで、屋根そのものを高くして雄大さを演出する役目を果たしています。

 

 確かにこの建物は戦国乱世が終焉のときに至った時代特有の空気をまとっている、と再認識しました。20年ほど前に初めてこの大手門を見上げた時には、なにやら彫刻や装飾を色々くっつけて着飾ってるな、としか思いませんでしたが、戦国期の建物ならば、着飾ること自体が無理でしょう。

 創建当時は極彩色に彩られていたといいますが、豊臣期だけでなく徳川期の初期の建築も似たような傾向があります。長きにわたる戦国乱世が終わって天下泰平の世に至ったという気分を、鮮やかな極彩色の建築によって具体化するという文化的潮流が、德川期の初期までは明確に続いていたのだろうな、と思います。

 

 大手門をくぐって参道に入ると右手に上図の石柱のようなものが二本並んでいました。これも伏見城関連の遺品なのかな、と思いましたが・・・。

 

 先に見た大手筋の大鳥居の旧基礎石でした。大鳥居を平成十年に解体修理した際に、旧来の柱根石を交換してこちらに移して保存してあるということでした。

 

 参道上の石鳥居です。大手門前の大手筋の朱鳥居が一の鳥居ならば、こちらは二の鳥居にあたるのでしょう。

 

 20数年ぶりの境内地の景色です。正直言って、大手門以外はあまり記憶が無く、こんなところだったかなあ、と何度も思いました。

 

 しかも参道の右手には、上図のように沢山の石がゴロゴロと無造作に積まれ、転がしてあるのでした。

 

 最初は、神社の建物の石垣とかに使う石を一ヶ所に集めて保管してあるのかな、と思いましたが・・・。

 

 石の幾つかには、上図のような古い矢穴を残すものもありました。矢穴とは石材を割るために彫られた長方形の穴のことで、いわゆる石割の技術の痕跡です。時期によって色々な矢穴がありますが、こちらの石のそれは、どうみても中世戦国期のもののように見えました。それで、あれ、もしかしてこれも伏見城の石かな、と気付きました。

 

 反対側に回ってみると、上図の看板がありました。これらの石は伏見城跡の残石だったのでした。残石とは、城郭の石垣などに使われる予定だった石が残ったもの、城郭が廃されて破却された際に崩された石が残ったもの、の二通りの意味がありますが、伏見城の場合は廃城となっていますから、後者の意味の残石でしょう。  (続く)

 

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