笛吹市八代ふるさと公園は、ゆるキャン聖地の一つとして原作コミック第14巻24ページから26ページまでの3ページにわたって登場し、夜に各務原姉妹が桜花見ドライブの帰りに立ち寄った場所として描かれます。上図のアングルも、24ページ4コマ目に描かれます。
各務原なでしこが車中にて大文字焼の写真を撮っていたので、もっとよい写真が撮れる場所へ行こうと桜さんが連れて行ったものと思われます。確かに一帯ではもっとも高所にあり、甲州盆地を一望出来る開けた場所で、かつ古墳の上に登れば最も高い撮影位置が確保出来るからでしょう。桜さんも、こういう場所を知っているほどに山梨県のあちこちをドライブして回っているのだろうな、と思います。
盃塚古墳の横だけでなく、公園の東側から南側にかけても桜並木があり、御覧のように満開直前の状態でした。しかし、あまり花見客は来ておらず、地元の老人の散歩姿、子供連れの若夫婦が数組いて子供たちを遊ばせている姿、のほうが目立ちました。
各務原姉妹が、最も高い位置から大文字焼を撮ろうとして、上図の古墳に登りましたので、それにしたがって同じように登ることにしました。
この古墳は「銚子塚古墳」と呼ばれ、山梨県内でも屈指の規模を有する前方後円墳として知られます。規模は、全長92メートル、後円部径48メートル、前方部幅41メートルを測ります。標高はおよそ422mで、甲府盆地をほぼ180度見渡せる絶好の場所に立地しています。相当な上位の首長クラスの墓とみられます。昭和63年(1988)年に山梨県指定の史跡となりました。甲府市下曽根町に所在する同名の「銚子塚古墳」と区別するため、正式には現地の字名「岡」を冠して「岡・銚子塚古墳」と呼ばれます。
この古墳も、平成7年春に甲府市の歴史観光団体の見学会で初めて訪れた時には、現在のような綺麗な修景整備された状態ではありませんでした。その前の平成3年(1991)から二年ほどの期間で発掘調査が行われて、初めて古墳の墳端の位置、周溝の範囲や形態、主体部の位置や構造、葺石に覆われた墳丘面などが確認されましたので、それらをいったん埋め戻して仮保護するべく、全体的に薄く土をかぶせ直した状態でした。墳丘そのものも、長年の風化浸食による変化で低くなっていた筈です。
なので、今回の印象は「ずいぶん背が高くなったな」でした。後円部の最上段部分が復元されて高くなっているからでした。でも、これが四世紀に築造された当時の姿であるわけです。
原作コミック第14巻25ページ1コマ目のアングルです。墳頂に四人の人影が見えましたが、作中では同位置に各務原姉妹が陣取って、大文字焼を撮影しています。が、撮れたのは大文字焼きではなくて「オ文字焼き」でした。角度的に斜めになるからでしょう。
墳頂に登りました。そしてやや右手、北東方向を見たのが上図です。原作コミック第14巻26ページ4コマ目のアングル、つまりは各務原姉妹の視点です。古墳の大きさもリアルで分かりますし、北に隣接する盃塚古墳も見えます。
御覧のように、公園の北側にも小さな駐車場がありますが、その左手、上図では切れてしまっている尾根上にベンチが配されたなだらかな芝生地がありました。あのへんでランチにするか、と思いついて、南側の駐車場へいったん戻ってレンタカーに乗り、公園の外周の道をぐるっと回って、上図の北側駐車場に停めました。
そして近くの尾根上のなだらかな芝生地に座り、「パンピオロジック空我」で買ってきたパン類のランチを楽しみました。
「パンピオロジック空我」のパンはマジうまでした。3個とも景色を眺めつつ美味しくいただきました。
カフェラテも、この景色とゆるキャン聖地の雰囲気と、「パンピオロジック空我」のパンと共に飲みますと、なぜか最高の味わいになりますね・・・。
でも、この景色、故郷の奈良県の大和盆地のそれに似ていますね。天理市域に多数分布する古墳群の幾つかは、ここと同じように上に登って景色を見渡せるところが多いです。似たような感じ、雰囲気だったな、と思い出しました。
それで、なんとなく、「やまとは、くにのまほろば、たたなづく、あおがき、やまこもれる・・・」と、若い頃に奈良の古墳の上で景色を愛でながら口ずさんだ、倭建命の国想歌を久しぶりに呟きました。 (続く)