日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

あの「時代」にいよいよ酷似してきた!

2021年01月07日 07時27分04秒 | 政治
 1947年(昭和22年)10月11日、東京地方裁判所判事山口良忠氏は、34歳の働き盛りに栄養失調を因に疎開先の佐賀県白石町で死亡した。当時全国民を、有無を言わさず縛っていた食糧管理令。これに違背してヤミ市でヤミ米などを売買する商人や仲買人はもちろんだが、これを買う消費者までも取り締まる当時一番の悪法。これを法的根拠に国民を裁く立場の裁判官としては、これに自ら違背するわけにはいかない。山口さんは闇物資を自分ろ家族に禁じ、政府が配る配給だけを頼みにして生活していたのだが、ために栄養失調におちいり倒れたのである。彼は死の1カ月前まで東京地裁の裁判長席で判決を下していたのだが、歩行中に倒れ療養のために郷里佐賀に帰省し、そこで絶命した。
 当時、この国に何人の裁判官がいたかは知らないが、山口判事以外に栄養失調で失命した法曹人がいたという話を歴史年表の中に見つけることは困難だ。他方、同じ年表には、この時代食糧不足で栄養失調による日本人の死亡が無数にあったことは書きこまれている。つまり、名もなく貧しい人々はこの食糧管理法を破る以前に貧しさのために食物を口に入れる手立ての無いまま倒れていったのであって、罪を犯すことすらできなかったのである。
 「中国で製造したとされる新型コロナウイルス感染症の未承認ワクチンが日本国内に持ち込まれ、日本を代表する企業の経営者など一部の富裕層が接種を受けていることが明らかになった。2020年11月以降、既に企業トップとその家族ら18人が接種を受けたという。ワクチンは、中国共産党幹部に近いコンサルタントの中国人が持ち込んでいる。個人が自分で使う以外の目的で海外からワクチンを持ち込むのは違法の可能性があるが、中国側がワクチンをテコに影響力拡大を狙っている姿が浮かんだ」(2021/01/01 毎日新聞)。
 この記事本文には、「12月12日土曜日の午後6時半過ぎ、東京都品川区にあるクリニックを大手IT企業の社長と妻が訪れ」、そこで中国人男性から渡された『2本の注射器と5ミリリットルの容器1本(ラベルには、日付とともに中国の国有製薬会社<中国医薬集団(シノファーム)製「COVID-19 新型冠状病毒滅活疫苗>と記載」を受け取り、件の院長によって夫妻は注射を受けた、とある。つまり闇から闇の世界が今静かにうごめいている。
 上記、山口判事餓死事件と同様、人々の知らない秘密の「楽園」では餓死どころか食っても食っても食いきれないような美食の品々が山積する酒池肉林が存在するのであるらしい。
 公正さも公平さも失った時代、「私に責任が有ります、有ります」と言いながら一度も責任を取ったことのない指導者が平気で赤絨毯の上を闊歩する時代。天下のメディアは何の批判・論評も加えずにそれを報道する無恥と無智。いよいよ政府は「緊急事態宣言」を発出するという。山口判事が餓死したあの「時代」にいよいよ酷似してきた。
 


尖閣問題、将来の「利口な人々」に期待する知恵こそが「利口」なのだ

2021年01月06日 07時57分01秒 | 政治
 菅義偉首相は12月19日、都内での講演で、米国のバイデン次期大統領と電話会談した際、バイデン氏が沖縄県・尖閣諸島は対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象になると明言したことに触れて「初めての電話会談で先方から言及があるとは正直、想定もしていなかった」と述べ、初会談の成果を大いに強調した、と報道されている。
 この人(菅氏)は、この11月12日に、自己紹介と自らの日本国総理大臣就任のあいさつ、加えてバイデン氏の大統領選挙戦での祝勝挨拶とを合わせて一本として電話会談。それも4年前安倍前首相がトランプ大統領当選時、世界に先駆けてトランプタワーに一番乗りした「故事」に学んで、早々にこれを行ったのであろう。
 その中で「尖閣諸島も日米安保の適用対象地域である」とバイデン氏が「問わず語りに」語って「くれた」こと、そのことが自らの大層な外交成果だと誇りたかったのでもあろう。 しかし、以前にも本欄で触れたように(「これって本当に喜ぶ話なのですか?」 https://blog.goo.ne.jp/genyoanki/e/955a5ecf52a013a6c49b71704ce94876)、この条項は日米安保条約本文を冷静に読めば、日本国の施政の下にある領域(ここでは「尖閣諸島」)に対してする武力攻撃がアメリカ合衆国の平和と安全を脅かすものであると認められる場合に合衆国憲法に従って日米共通の危機として対処する、と言っているだけのことである。どうみても菅氏が外交的勝利だと言わんばかりに、公の場で取り立てて誇る話だとは筆者には思えない。
 米国民にしてみれば、人も棲まない絶海の孤島、大海原に突出する島嶼部ということはその周辺の地形が変化に富むので小魚にとって隠れ家になるところからここが魚場となり、近海の漁師にとって魅力的な漁場ポイントになる。それゆえ古来沖縄、台湾、そして中国雲南地方の漁民にとって競争場となってきた、そんな国民にとってなんの益もない島を護る必要を感じまい。しかも歴史的にはこの島に最初に日本国の国標を打った時点がかの日清戦争開戦直前であったこと、その後の第二次大戦敗北による講和条件がそれ以前の日清・日ロ・第一次大戦全ての戦争によって日本国が得た領土はすべて返還すべしとなっていて、尖閣諸島はこの範疇にあるとの見解が中国政府の「認識」である。この「日清戦争の前か後か?」の見解の相違は容易には解けないとして日中国交回復時点でも、また鄧小平氏との訪日時の両国了解でも「将来の利口な日中両国民に任せる」こととしたのであった。
 今、毎日のように無益に中国漁船・公船が当該島嶼部を徘徊し、海上保安庁の巡視船が旋回していることの無意味さは言うまでもない。ここはいまだに日中双方に利口者一人としていない現状に鑑みて、鄧小平・周恩来氏らが言うように将来の「利口な人々」に期待する知恵をこそ出すべき時と愚考するがどうであろう???
 何れにもせよ尖閣諸島を「日米安保適用対象地域」という言説は原則論であって、この人も棲まない石くれの島を米軍兵士の命をかけて守るに相応しいと米議会が承認するとは思えない。菅氏には冷静な判断を望む。

輪廻転生 最後は焼け死ぬ無精者

2021年01月05日 07時46分25秒 | 政治
 落語に出てくる「親子の無精」の話;――
 たいへん不精な親子がありまして、二人は枕をならべて寝ていました。息子が父親に話しかけます;――
息子:「お父ッあん!、お父ッあん‼、神棚のお灯明の火を消さないと危ぶないよ!」
父 :「危ぶねぇと思ったらお前消さんかい!?」
息子:「おらぁやだい、起きるの面倒くさい!」
父 :「わいだってやだい、面倒くさい!」
息子:「お父ッあん、お締めの縄に火がついてきたよ! どっちかと言えば消した方がええんと違うか!?」
父 :「消した方がええん思うたら、お前、消したらどうやね?!」
息子:「俺はやだい。面倒っくさい!」
かくて火は障子に燃えついて、やがて家ごとそっくり丸焼けになってしまい、とどのつまり不精な親子は死んでしまった。
 「首都圏で新型コロナウイルスの感染が拡大していることをうけて、東京都の小池知事と埼玉県の大野知事、千葉県の森田知事、それに神奈川県の黒岩知事は、2日午後、永田町の合同庁舎を訪れ、3時間余りにわたって西村経済再生担当大臣と面会しました(2021/01/02 NHK)。
 こうして面会を受けた西村大臣だが、上記報道につづく「続報」はこうなっている。
 「新型コロナウイルス『第3波』は年明け早々、首都圏の4都県知事が政府に緊急事態宣言の発出を要請する事態に至った。・・・・。内閣支持率が急落する中、経済回復を重視する首相はなお動かず、またも追い詰められつつある」(2021/01/03西日本新聞)。
 四の五の言わずに自治体リーダーとして4知事に与えられた権能を限界まで発動し行使して対策を講じたらよかろうものを、「規制」を強制して治下の住民から嫌がられるのを嫌う「知事さん」たちは、その「嫌味」の先を政府に押っ付けようというわけだ。
 片や、内閣首班の総理大臣ときたら、こっちもこっち「GoToなんとやら」への「想い」を立ち切れずウジウジとこれに固執。かくて、対策はどんどん後ろの方に持っていかれ、街の病院は患者で溢れ、医療崩壊は時間の問題と相成っている。こんな事態はまだ青葉繁れる夏秋の時分から言われもし、判ってもいたのだが、未だに決断できずに責任のたらい回しに懸命だ。
 上記不精親子のその後;――
 かくて三途の川を渡った親子は閻魔法王庁の裁判にかけられる。
法王:「おヌシら両人、不精の末の失火の大罪、人間に転生させるわけにはいかないが、人間以外でのぞみが有れば言ってみよ!」
父 :「へい、わしはネコに生まれかわりたいと思います」
息子:「わしも、猫が好い思います」
法王:「わかった! しからばどんな猫が好い?」
二人:「鼻の下に小さな丸く白い毛が生えているだけのまっ黒なネコ」
法王:「どうして、そんな真っ黒いのが好いのじゃ?」
二人:「寝ていても、ネズミがご飯粒と間違えて鼻先へ食べに来たらそのネズミをパクリッと食べられるから・・・」
 お後が宜しいようで・・・
 


最後の年賀状

2021年01月04日 07時44分54秒 | 政治
 一年の計は元旦にあり、その元旦の計は「年賀状」に始まる。我が家の郵便箱から溢れていたのは5、6年も前までのこと、「去る者は日日に疎し」のたとえのとおり、今では受信賀状もその頃の半分、いな三分の一ぐらいに減った。とはいえ賀状のやり取りは、人間(じんかん)を結ぶ優れたコミュニケーションでありつづけてきた。
 まずは歳末に何を主題にして書くかから始まって、家人の残酷な批判(非難?)に耐えつつ文案を考えるところから始まって、やがて印刷→あて名書き→投函と一応の完了に到達するのはクリスマス明け。
 それから一週間を経て元旦の受信。その発信者は我が方の送信者名簿に入っているか否かをチェックする作業が終わるころはもう元日の陽が西に傾く頃。行き違いをチェックして非礼の無いように発送落ちについては言い訳を走り書きして郵便ポストに投函し終えたときにはもう短い正月の明はとっぷりと暮れる。これが、過去何十年の繰り返しであった。
 新型コロナパンデミックという未曽有の荒波を期にこの賀状を止めることにした。そのコンテンツ;――
「一期の月影かたぶきて、余算の山の端に近し。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。いかゞ、要なき楽しみを述べてあたら時を過ぐさむ」(方丈記) 夫婦共に齢を数え、新珠の年もめでたくもあり、めでたくもなく、初春のご挨拶に限って当方からの発送は本状をもって終了とさせていただきます。但し、これが当方へ頂く分についてお断りするものではないことをご承知くださればなお重畳 2021年元旦」
 これで長年悩んできた年末年始の軛から解放されるはずではあるが、さて、来年の正月の気分はそれで晴れやかになれるものかどうか? 出さなくても届いていた腐れ縁の企業や行政機関の担当さんたちの味気ない賀状しか届かないかと想像するとそれはそれで寂しくもあり、コロナ鬱ばかりでない鬱。今年はこういう複雑な思いの「正月三が日」であった。
 しかし、ともあれ・・・遅ればせながら、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いの程をお願い申し上げます。(玄洋庵主敬白)
2021年1月4日