GEN事務局会田の大同活動日記

中国黄土高原でのGENの活動や、現地の人々の生活をお伝えします。

おじいさんの家①

2008年09月13日 | Weblog
  昨日夕方、無事おじいさんの家に到着しました。おじいさんの家に来るのは2年ぶり。毎回おじいさんの家まで直接一人で行くのですが、たしかこの辺だったはず・・と、この方向音痴な私が2年前のおぼろげな記憶を頼りに危なげな一人旅。昔は中国各地をよく一人で歩きましたが、GENに入ってからは武春珍所長の厳重な保護の下、なかなか一人歩きをさせてもらえずすっかり箱入りになってしまいました。私としても、何かが起こって大同の人たちに迷惑がかかってもいけないと思い、時折生じる放浪願望を封印してきました。今回は久しぶりの一人旅なので、内心かなりドキドキです。一人旅の道中、魏副所長から何度も「無事に楡林に着いたか~?」「いまどうしてる~?」「無事に北京に戻ったか~?」と電話をもらいました。やっぱり心配をかけてしまいました。こんなに気にかけてくれるなんて、本当にありがたいことです。

さて楡林の空港に着くと、出口の目の前にきれいなリムジンバスが停まっていました。郊外にある空港から街の中心部まで15元で載せてくれるとのこと。飛行機で来るのは初めてなので、勝手が分からずドキドキでしたが、バスならひとまず安心だろうと思い乗り込みました。「どこで降りるんだい?」と運転手のおじさんに聞かれたので、おじいさんの住所を告げると、「○○で降りろ」といいます。よく聞き取れなかったので私が何度も聞き返すと「大丈夫だ、そこに着いたら教えてやるから」といわれ、これまた少し安心。でも本当に教えてくれるのか、ちゃんとおじいさんちまでたどり着けるのか、やっぱり不安はつきません。
バスが街の中心部につくと、「ここで降りてタクシーを拾え」といわれました。ちゃんと教えてくれた。親切だ。楡林の中心街も建設ラッシュでずいぶんと印象が変わっていましたが、それでも昔の記憶が少しずつよみがえってきました。ここまで来れば安心。街の風景を写真に撮りたかったのですが、こういう小さな街で大きなスーツケースを持って一眼レフで写真を撮れば、いやおう無しに目立ってしまいます。一人のときはなるべく周囲にまぎれて目立たないようにするのが大事なので、写真は断念しました。
タクシーに乗り込むと、やっぱり「なんでそんな大きなスーツケースを持っているんだ?」、「どっから来たんだ」と根掘り葉掘り運転手さんから聞かれます。スーツケースは北京に置いてきたかったのですが、場所がなく断念。やっぱり目立ってしまった。「私は北京人で、親戚をたずねに来た」と懸命に取り繕います。日本人だと言ってあまりいいことはないので、昔から中国人を装うくせがついています。これで中国語が鍛えられたという面も大いにあります。でも中国の人、特に田舎の人たちは遠慮なしに「親戚ってどんな関係だ?」「何年ぶりに来たんだ」と質問攻めにするので、うそを突き通すのが本当に大変。会話の時間が長くなると、だんだんつじつまが合わなくなるのでひやひやします。

前置きが長くなりましたが、無事におじいさんの家に到着しました。家では今晩の夕食の餃子を家族みんなで作ってくれていました。娘さんは転んでしまったそうで、手を骨折していました。痛々しい。彼女が餃子を作れない代りにだんなさんが作ってくれています。中国の男性はみんな家事ができる。おじいさんは風邪を引いてしまったとのことで、隣の部屋のオンドルで寝ていました。私も「疲れただろうから、昼寝しなさい」と言われ、夕食までオンドルで家族みんなとお昼寝。みんなガーガーいびきをかいて寝ていました。

おじいさんの家② 餃子

2008年09月13日 | Weblog
 実は私は水餃子が苦手です。脂っこい肉汁を消化しきれず、胃もたれしてしまうのです。でもおばあさんが作るこの家の餃子は、野菜が主でとてもおいしい!これならいくらでも食べられます。手づくりの皮も本当にもちもちしていておいしいのです。

おじいさんの家③ 餃子

2008年09月13日 | Weblog
 山のような餃子。一口サイズで食べやすい大きさ。
 今日で中国滞在9日目。この間かなり酷使してきた私の胃腸。最後の力をふりしぼって、歓迎の餃子をたらふくいただきたいと思います。

おじいさんの家④ 朱序弼さん

2008年09月13日 | Weblog
 私の中国のおじいちゃん、朱序弼さんです。おじいちゃんの優しいまなざし。
 ここ楡林では「緑聖」と呼ばれ、緑化の聖人としてその名を広く知られている有名人です。植物大好き人間の朱さんは、若いときから独学で緑化を学び、接木技術や希少種の育苗など独自の方法を通じて開拓し、周辺のたくさんのお寺を巻き込んで、民間の力で広く緑化を行なってきた人です。
 現在ではその功績をたたえられ、数え切れないほどの賞をもらっています。さきほどみんなが餃子を作っていた写真のバックに写っている盾などは、そのほんの一部です。
 私は、GEN事務局に入る前、2004年に8ヶ月ほど外務省草の根無償資金協力プロジェクトの現地調整員として、楡林の更に奥地の農村で生活をしていました。その時からよく朱さんの家に遊びに泊まりに来ていました。できるだけ植物に近い場所にいたいということで、つい最近まで楡林市林業科学研究所の苗畑の一角の物置小屋のような小さな家に家族で住んでいました。今ではその場所に地元政府が今までの功績をたたえ、家をプレゼントしてくれたため、立派なおうちに住んでいます。今までの小さな小屋の家もとてもなつかしい。
おじいさんとずっとオンドルでおしゃべり。以前はおじいさんから木の名前などを聞いても全然理解できなかったけれど、今回は「大同ではこんな木が生えていて、でもこんな問題があって・・」と緑化のことについて話ができてとても嬉しかった。おじいさんが話す木の名前も少しわかるようになっている自分に気付き、自分の成長を感じられたこともまた嬉しかった。
 おでこの丸いしるし、わかりますか?体調が悪いときはおでこを吸引して治します。この辺りではこうしておでこが丸く青あざになっている人をよくみかけます。大同では見かけないなあ。

おじいさんの家⑤ 一日目の夕食

2008年09月13日 | Weblog
 お昼寝の後、夕方5時から夕食です。この地方は、一日二食です。朝は果物や牛乳などを少しだけ食べ、一食目は11時頃に朝昼兼用でしっかりと食べます。そして夕食は5時で、9時か10時には就寝するのです。
 あっさりのトマトベースの春雨スープと餃子を一緒に食べる。おいしいですよ~!
 この日、夜おじいさんが用事があったため、私も一緒に連れて行ってもらいました。家に戻ったのは10時過ぎ。遅くなってしまった・・。玄関の門はしっかりと閉じられ、大声で叫んで門をたたいてもだれも出てこない。締め出されてしまった。5分ほど叫び続けたら、ようやくおばあさんがぶつぶつ言いながら出てきた。そしておじいさんは大声で怒鳴られた。遅くなってごめんなさい。
 この日は、おじいさんとおばあさんのなぜか間に挟まれて、オンドルで就寝。いびきの大合唱でおもしろかった。

おじいさんの家⑥ 中秋節

2008年09月13日 | Weblog
 13日は、おじいさんがやはり身体の調子がよくないということで、今日は一日家でゆっくりすることにしました。私もなんだか疲れがたまっていたので、オンドルでごろごろしながら、家族のみんなとずっとおしゃべり。でも今日は一日中、お客さんが絶えません。中国は明日が中秋節です。そのお祝いにいろんな人が出たり入ったりしながら、月餅や果物などを持ってきてくれました。あるお客さんは、なんと明日ヒツジを一頭お祝いでつぶすので、その肉を持ってくる、と言います。残念ながら私は明日の朝早く楡林を発つことになっています。「ヒツジが来るから、もう一日滞在を延ばしなさい」と何度も何度も言われました。ヒツジがいったいどんな姿で来るのか、そしてそれをどんな風に料理するのか、すごく興味がありましたが、飛行機チケット取ってしまってるし。うーん、ちょっと残念でした。
 これもいただいた月餅。「食べろ、食べろ」と言われ一ついただきました。なんだかモサモサしていた。

おじいさんの家⑧ ブランチ

2008年09月13日 | Weblog
 本日11時の朝昼兼用ごはん。今日はお米を炊いてくれた。そしてその上にきゃべつや太い春雨、油肉などを炒めたおかずをどっさりのせて、いただきます。こういう素朴な料理がとてもおいしいのです。

おじいさんの家⑩ 夕食

2008年09月13日 | Weblog
 一日家にいるとずっと何かを食べている、というより食べさせられている・・。月餅やら、果物やら盛りだくさんです。そして全然お腹すかないまま夕食の時間。お腹はいっぱいだけれど、手打ちの麺がこれまたおいしくて、大盛りいっぱいをぺろりと平らげる。これで私の胃袋は、さらに倍。えーい、あとは野となれ山となれ。

おじいさんの家⑪

2008年09月13日 | Weblog
短い滞在時間だったけれど、元気に再会できて本当によかった。以前は大同から楡林近くの神木北という場所まで列車が出ていたので、格安で来れたけれど、今はその列車がなくなってしまい、交通手段が北京からの夜行バスか飛行機しかなくなってしまった。17時間の夜行バスは、あまりにハードで今やそれに挑む気力がありません・・。そしてブルジョアジーな飛行機はとってもお高い・・、分不相応・・。もっと頻繁に会いに来たいけれど。またみんなと元気に再会できますように。