GEN事務局会田の大同活動日記

中国黄土高原でのGENの活動や、現地の人々の生活をお伝えします。

あと少しで・・④驚きの上海編

2009年06月28日 | Weblog
 先週、住居探しのために上海へ行ってきました。
 まず上海到着前に何より驚いたのが、中国の新型インフルエンザ水際作戦の厳重さです!中国に足を踏み入れる前に三回も体温測定をされました。機内へ乗り込む前にまず客室乗務員から一回、機内の飛行中にも客室乗務員から一回。これで終わりかなと思いきや、上海の空港に到着後、やっぱり全身防護スーツで目しか出ていない姿の検疫官が機内に複数乗り込んできて、無言で一人一人おでこに機械を当ててチェックされました。「ヒー!コワイ!」。かなりの迫力、そして緊迫した空気でした~。中国では、一か月ほど前のあの日本で急激に感染が広まって、みんながマスクしているようすなどが繰り返し報道されたらしく、日本からの便はかなり警戒されているんだなあという印象を受けました。

 実は私の二日前に上海へ向かった夫が、一晩隔離されるというハプニングがありました!近くの列に座っていた人が発熱していたらしく、何度も何度も機内で繰り返しその人に検査を行ったため、乗客すべてが2時間半も機内に閉じ込められたうえ、なんと結局5列目から25列目の人全員が空港に入ることなく、ほとんど説明もないままバスに乗せられ、連れていかれたそうです・・。着いたところはどうやら郊外の廃業したホテルのようで、入口には写真のような垂れ幕が・・。このスローガン、中国政府の悪い冗談かな。。ここでばかりは歓迎されたくないですね。
 いったいいつまで勾留されるかもわからず、7日だ、いや10日だという噂ばかりが飛び交い、みな不安な一夜を過ごしたようですが、幸運なことに翌朝になって熱がなかった人は、花束をもらって解放されたそうです。花束はどうやら「中国国家のために貢献してくれてありがとう」というしるしだそうで・・。ほんと面白いですねえ、中国は。

 そして無事上海入国。上海ではやはりそのエネルギーに圧倒されました!!世界的不況もどこ吹く風という感じで、どの百貨店もスーパーも購買熱と活気にあふれ、夜遅くまで繁華街は大音響の音楽が鳴り響き、大勢の人で賑わっていました。食事もお茶をするのも日本よりもちょっと安いくらいの値段で、その物価高にも本当に驚きました。
 映画は80元もしました!!大同では25元ですよ。昔、北京でも1元で見られたのになあ、なんてノスタルジックな気持ちになりましたが(いったいいつの時代の話でしょう・・)。上海っ子がこぞって買っていたキャラメルポップコーンを私も試しに・・と思って買ってみたら、なんと15元!映画代と合わせて95元っていったら、日本の1500円の映画代とほぼ変わりません。ああ、私はなんてぜいたくをしてしまったんだあ・・と、中国でのなれない行動に動悸がしましたが、映画館もカップルや家族連れなどで大賑わい。いやあ本当にたまげましたーー。そんな上海の高級なキャラメルポップコーンは、大同のちょっとおかしな色のものと違って、15元出しただけあってやっぱりちゃんとした味がしました。
 ちなみに見た映画ですが、時間がなかったのでチケット売り場で「今すぐ見れるものは?」と聞いたら、「漫画かハリウッドものしかない」と言われたので、「じゃあハリウッドもの」と答えると、タイトルは「終結者」。はて?終結者とはなんぞや??と思いながらもわくわくしながら入ると、始まったのは「ターミネーター4」でしたーー。ターミネーターという映画をこれまでに一度も見たことがない私は、話の脈略がさっぱりわからず、繰り返される暴力的なシーンと大音響にただただおびえ続けたのでした。
 シーーンとしながらお行儀よく見る日本の映画館と違って、中国の映画館は鑑賞しながらみんな自由に感想を述べあったり、きままにトイレに立ったりと、とっても自由な空間で、「すっごく中国らしいなあ、いい部分の中国らしさだなあ」と、映画よりも観客観察が楽しかった。
 これからの上海生活、驚くことがまだまだたくさんありそうです。

 GEN事務局での勤務も残すところ今週一週間となりました。事務局の新たなスタッフも決まりました。河本さんという元気いっぱいの女性です。彼女は今月まで上海にいたので、ちょうど私と入れ替わりになりました。不思議な上海つながりのご縁ですね。ブログも残すところあと一回です。

あと少しで・・③未来都市・上海編

2009年06月18日 | Weblog
 私はこれまで北京に4年、天津に1年、陝西省米脂県のとある村に8ヶ月滞在し、大同に4年半通いました。これからの上海での生活は、私にとって中国生活の第5幕です。初めての南部、そして中国一、いや今や世界一?の大都市となった上海に、根っからの田舎モンの私が果たしてなじめるか・・、ちょっと心配。。

 北京の大学を卒業してから、6年ぶりに天津で生活するようになったとき、あまりの中国の変わりように腰が抜けるほど驚きました。スーパーマーケットに物があふれている!!物資が乏しかった中国の生活が、今やこんなに快適になったのかとその変わりように本当に驚きました。

 今でも大同へ行くときに北京を通過するだけで街の変貌に目をむき、口をぽかーーんとあけて固まっているのに。大都会の上海に降り立ったら、私はいったいどうなってしまうのだろう。先日も今や上海にメイド喫茶があるというテレビ報道を見て、頭がクラクラしました・・。あの強気な中国人女性が「お帰りなさいませご主人様~」なんて言うわけがないですよね・・。

 上海で発行されている日本人向けのフリーペーパーを読んでも、ラーメン屋、カレー屋、おすし屋さんなどありとあらゆる日本食はもちろんのこと、日本人向け美容院から着物の着付け教室や各種日本人サークルまで、その充実ぶりに心底驚きました。読みながらもう「えーー!えーーー!!」の連続。上海には今、5万人以上の日本人が生活しているらしいですが、5万人といったら日本の田舎の都市より人口が多いです。日本と同じ生活をしようと思えばできそうですね。 

 でもせっかく外国にいるのに、それじゃあつまらないなあと、変わり者の私は思ってしまうのです。きっとまたしばらくしたら放浪願望がむくむくと沸き起こりそうな予感がしています。「田舎に行きたい~~」と。そして気がついたら大同スタッフの家に居候していそうな気がします。ヤオトンのオンドルでぐーぐー寝てるかも。

 ここのところずっと中国の農村ばかりを見てきた私に、大都会上海がどんな風に映るのか、自分でも楽しみです。今週、ちょっと上海へ行ってきます。驚きのあまり、あごがはずれないように気をつけます。

会員総会 記念講演①

2009年06月16日 | Weblog
 6月13日に会員総会が開かれました。新型インフルエンザの影響を受けるかなと心配しましたが、今年もたくさんの方にお集まりいただきました。本当にありがとうございました。
 総会の前に「霊丘自然植物園の10年 構想とこれまでの成果」と題した記念講演が行われました。まずは高見さんからパワーポイントを使って、1999年の植物園建設開始当初の写真と現在の写真を織り交ぜながら、植物園の概要を説明しました。今年の春に李向東さんと高見さんと私で植物園をくまなく回り、10年前に撮った写真と同じ場所を探して、現在の様子をカメラに収めたのですが、その写真がもうこのような形でお披露目できて嬉しいです。やっぱり10年後の変化は一目瞭然でした。

記念講演②

2009年06月16日 | Weblog
 その後、GEN技術顧問であり大阪府立大学教授の前中先生が、昨年から植物園で始めた植生調査を紹介しました。様々なグラフ、表そして写真を用いて、植生調査の様子を分かりやすく説明していただきました。前中先生の指導の下、植物園スタッフが測定したデータを前中先生に分析していただくと、日向斜面と日陰斜面の樹木の種類のほかに樹木密度や現存量などの違いが明らかとなり、ただ漠然と斜面を眺めているだけでは見えてこない、森林の奥深さを感じます。李向東さんをはじめとする植物園スタッフも、自分達が日々やっている仕事の成果が数字に表れることから、ますますやりがいを感じているようです。今後のデータの蓄積が楽しみです。

記念講演③

2009年06月16日 | Weblog
 いよいよ立花代表の登場です。お久しぶりです。もう80歳を超えているのに、そして午前中にも一つ講演をこなし、お昼ご飯も食べる暇がないほどだったのに、元気はつらつ、パワー全開でした。この植物園の構想のいきさつをお話いただきました。私も知らないことがたくさんあり、大変興味深く聞きました。上北泉村の果樹園を見て、「この果樹園を管理している男は植物をよくわかっている。この男に来てもらったらよい」と高見さんに言ったそうです。その人こそが李向東さんだったのです。人物に会わなくても、その人のいわば作品を見ればわかるんですね。すごいなあ。そんな見極めができる立花先生もすごいけれど、立花先生にそこまで言わせる李東向さんもすごいです。いつもニコニコおだやかな笑顔で、でもちょっとおっちょこちょいなところもあって、本当に愛すべき人物ですが、改めて尊敬の念を抱きました。

記念講演④

2009年06月16日 | Weblog
そして質疑応答の時間です。前中先生のいい横顔が撮れたので、せっかくなので紹介します。大同で前中先生はいつも植物を観察していて、下を向いている写真しかないので、これは貴重な一枚になりました。

記念講演⑤

2009年06月16日 | Weblog
たくさんの質問が出て、皆さんの関心の高さを感じました。今年のGEN夏のツアーは、植物園に、2日間滞在し、標本づくりをメインの活動にします。今、植物園にどれくらいの植物があるのか、調べてみようと思います。そして植物園にはたくさんの高山植物の花もあります。興味のある方は、ぜひ夏のツアーにご参加ください!

09夏のワーキングツアーのお知らせ

2009年06月16日 | Weblog
というわけで、夏のワーキングツアーの宣伝です~。
大同の夏は涼しいですよ~。

【訪問地】中国山西省大同市(北京経由)
【日程】2009年8月1日(土)~8日(土)7泊8日
【費用】178,000円(関西空港発着)

•国際航空運賃、航空保険料、中国国内での交通費/食費/宿泊費を含みます。
•旅券取得費用、個人行動時の費用、旅行保険料は含みません。
•関西空港使用料、中国空港税、燃油特別付加運賃が別途必要。合計で5,000円程度(2009.5現在)ですが、原油価格・為替相場の変動にともない変更になる場合があります。
•GEN年会費〈一般=12,000円、学生=3,000円〉が別途必要。
•成田便希望の場合は追加料金24,000円が必要です。
【利用航空会社】中国国際航空(CA)
【利用予定ホテル】大同近郊:招待所
         大同市内:雲崗国際酒店または同等クラス
         北京:富豪賓館または同等クラス
【募集予定人員】35名程度(先着順)
【最少催行人員】12名
【締切】6月25日(募集予定人員に達し次第締め切ります)
【スケジュール】
8月1日(土)午前 関西空港発(CA162便)。
      昼 北京空港着。バス(専用車)で大同市霊丘県へ。招待所泊
2日(日)霊丘自然植物園で活動。 招待所泊
3日(月)霊丘自然植物園で活動。 ホテル泊
4日(火)農村で緑化活動、交流。 ホテル泊
5日(水)白登苗圃、采涼山、カササギの森で見学・作業。ホテル泊
6日(木)雲崗石窟見学。環境林センター見学と作業。
夜行列車で北京へ。 車中泊
7日(金)早朝 北京着。北京観光。 ホテル泊
8日(土) 朝 北京空港発(CA927便)。午後関西空港着。
【食事】朝食7回、昼食7回、夕食7回
【添乗員】同行しません。
*緑の地球ネットワークのスタッフが1名、関西空港から参加します。
【呼びかけ・内容に関する問合せ】緑の地球ネットワーク
【申込み先】エアーワールド(株)代理業:株式会社 マイチケット
【旅行企画・実施】エアーワールド(株)国土交通大臣登録旅行業第961号/日本旅行業協会会員


あと少しで・・②中国編

2009年06月04日 | Weblog
 大同でお会いしたたくさんの方たちから、今までいろんな質問を受けました。その中で一番多かったのは、「どうしてこのお仕事をしようと思ったのですか?」でした。もうダントツでしたね。  
 「恋しくなる日本食は?」、「ホームシックになりませんか?」という基本的な質問から、「たまには日本に帰りますか?」はまだいい方で、「日本語はどちらで勉強されたのですか?」といった、そもそもの前提がちょっと違ってますよ・・と言いたくなるような質問まで、毎回様々でしたが。

 「どうしてこの仕事をしようと思ったのか」。GENに行き着くまでの人生をお話しようとすると毎回ながーーくなってしまうので、ここでは省略しますが、とにかくずっと思い続けてきたことは「中国の人たちに恩返しがしたい」、でした。私は何を思ったのか18歳で、中国語を一言も知らない状態で、北京へ一人で飛んで中国の大学へ入りました。「家出したんですか?」と聞かれたこともありますが、決してそんな事実はございません・・。とても前向きな気持ちでした!その大学留学の4年間に本当にたくさんの中国の方にお世話になりました。大学の先生はもちろんのこと、大学の事務局の人たち、そして中国人学生のお友達に、本当に親身になって面倒を見てもらいました。きっと世間知らずの日本娘は見ていてとにかく危なっかしかったのだと思います。

 そして何より中国語を学ぶ上で、中国人の先生はどの方も本当に熱心で、時には厳しく、そしてきめ細かく、根気強く教えてくださいました。中国人の友人も手助けしてくれました。中国の方は、本当に懐が深いんです。まるで家族同然で、女性のおばあちゃん先生は「ホームシックになってない?」といつもお母さんのように抱きしめてくれました。たくさんの方のお力で、私は自分に「中国語」という一生の大きな財産を得ることができました。

 せっかく中国語が話せるようになったのだから、お世話になった中国の人たちに恩返ししたい、と大学卒業時に自然と思うようになりました。その気持ちは不思議なことに今でもずっと色あせないのです。卒業後、企業で働きながらも紆余曲折を経ながらちょっとずつその道に近づいていって、5年前のある日、捨て犬のように黄土高原をさまよっていた私を、高見さんが大同で拾ってくださったのです。
 
 そして大同では、大同スタッフにも本当によくしてもらいました。大同スタッフもいまや家族のような存在です。私はこれまで素敵な中国の人たちとたくさん出会いました。幸せなことです。だからこれからもきっと今までと同じ想いを持ち続けていけると思います。そして行動すると思います。

*写真は、会員の小寺さんの手づくりの名札&もっくん人形。大同ではいつも一緒で、まるでお守りのように、私を見守ってくれました。

あと少しで・・ ①ブログ編

2009年06月02日 | Weblog
もうご存知の方も多いと思いますが、私は今月いっぱいをもってGEN事務局を退職します。夫の転勤に伴い、日本を離れ、今後しばらく上海で生活することになりました。
GEN事務局で働き始めて今年で5年目。これまでGENを通してたくさんの方々と出会い、多くのことを教えていただき、育てていただき、応援していただきました。ようやくこれからご恩返しができるというときだったので、私自身も悩みましたが、でも決断しました。
今後も縁あって、同じ中国にいますので、上海から引き続きGENの活動を応援します。そして上海⇔大同は直行便も飛んでいるので、できればちょくちょく大同へ足を運びたいと思っています。また皆さんと黄土高原でお会いできたらとても嬉しいです!

この4年半に大同で、そして日本国内でも本当にたくさんの方々との出会いがありました。皆さんとの触れ合いの中で、様々な人生を垣間見ながら、私の知らない世界を感じることができました。おかげさまで少し人間の幅を広げることができたような気がしています。GENでの4年半は私の人生にとって、本当に貴重な時間になりました。この経験をきっと次のステージにつなげます。

このブログは2006年3月に始めて以来、3年ちょっと続けることができました。きっかけは2005年夏にツアーに来た同世代の方から、たくさんアドバイスをいただき、その中で「せっかくだから会田さんの視点から大同の活動を伝えたらいいんじゃないか」と言われたことでした。それでブログをやろうと思ったのです。Oさんありがとう!!

最初は、私の思いを伝えようなんていう大それた目的ではなく、大同の農村の人々や、ツアーに来てくださっている人たちの素晴らしい表情、また大同事務所スタッフの働きぶり、そして日々動き続けるGENの現地での活動を、私だけが見ているのはもったいないので、日本にいる皆さんにも見てもらいたいという気持ちで始めました。さらに、「中国で植林」なんて言ってもあまりピンとこない人たちにも、「現地はこんなに楽しくやってますよ!」、「もっと気軽に参加して下さいね」と身近に感じてもらえたらいいなあという思いもありました。

実際に書いてみると、このブログは私にとっても様々な利点がありました。その日のうちに、写真を見ながらその日の出来事を振り返るので、一日を整理できること。そして書かなければならない状況におかれると、村の人口などの様々な数字をしっかりとメモするようになり、参加する際の意識も変わってきたこと。何より、その時に自分自身が感じたことなどをメモして後日振り返り、自分の中で熟成させて文章にしたことによって、このブログが私自身にとって非常に貴重な体験記録になったこと、などです。

正直言って、大同でのハードな毎日の中、毎晩ブログを更新することはとても大変な作業でした。夜遅くまで、もしくは朝早くおきて、睡眠時間を削って必死にブログを書きました。特につい最近まで大同のホテルのネット接続はスピードがとても遅くて、イライラしながら更新していたときもありました。
それでもアップすればするほど、アクセス数が増え、うれしいコメントもたくさん書き込んでいただき、それが本当に励みになりました。やればやっただけご褒美がもらえるんだなあとしみじみ嬉しかったのです。

最初の頃は、反中派?といわれるような人たちから嫌がらせのコメントされたらどうしよう・・とか、とにかく何をどこまで書いていいのかわからずびくびくしながらやっていましたが、実際やってみるとそんなこともほとんどありませんでした。まあ私のような小物は相手にしないのかもしれません。そしたらもっと思っていることを書いてもよかったかなとも思ったり。
それどころか、温かいメッセージをたくさん書き込んでいただき、本当に嬉しかったのです。

数えてみたら、これが1990個目の記事でした!おー!我ながらほんとによく書いたなあと思います。ここまで来たのであと一ヶ月で10個アップして2,000個目の記事で終わりにしたいと思います。
あともう少し、宜しくお願いします。もうちょっとつづく・・。

*写真は、私がGENツアー同行デビューしたての頃。思い出深い2005年春のOFSツアーのようす。昨年も「会田ちゃんがんばって!」と、当時のツアー参加者の皆さんが寄せ書きをして送ってくださいました。