GEN事務局会田の大同活動日記

中国黄土高原でのGENの活動や、現地の人々の生活をお伝えします。

農家で昼食

2009年04月26日 | ホームステイ
村の農家で昼食をいただきました。いつものようにテーブルに並びきれないほどの料理が食卓に並びました。とてもおいしくいただきました。

農家で昼食②

2008年06月09日 | ホームステイ
食卓に並んだたくさんの料理。大同滞在中はいつも飽きるほどに食べていて、大同滞在の後半には正直「もう飽きた・・」といつも思うのですが、今こうやって見るとやっぱりおいしそうに見える。そしてやっぱり食べたい・・。

農家で昼食③

2008年06月09日 | ホームステイ
ヤオトンをこのアングルから撮るとまた違って見えますね。外から見ると土造りの素朴な家でも、中はこのようにきれいに塗られています。この円形の空間に入ると、なぜかとても落ち着くのです。

お父さんの何気ない一言から・・・

2008年04月25日 | ホームステイ
 大泉山村の農家で昼食をいただきました。私は大泉山村に来ると、偶然にもなぜかいつもこのお父さんの家にお邪魔しています。今日はこれで4回目かなあ。元気に再会できてよかったです。ここの家のお父さんはとても朴訥な方で、いつも穏やかな表情でもてなしてくださいます。今日もたくさんの料理が食卓に並びました。
いつものようにみんなでワイワイ雑談しているときに、お父さんが自治労大阪府本部の一人の名札を見て、「日中戦争の日本軍の総司令官と同じ名字だね」と何気なくおっしゃいました。そして一緒に食事をしていた大同事務所の小李(シャオリー)は、それを聞いてなんともいえない複雑そうな、そして申し訳なさそうな顔で私を見ました。私はそのまま4人の自治労の方に訳して伝えました。そうしたら今まで和気藹々と食事を楽しんでいたみなさんがとても神妙な面持ちになって、「やっぱりそういうことをこちらの人はちゃんと知っているのですね」、「やっぱり日本人もちゃんと知らなくてはだめですよね」と言ってくれました。それから過去の歴史をちゃんと認識することの大切さについて、5人で語りました。私より年下のみなさんがそう言ってくれて、私は本当に心強かったです。そしてうれしかった。

 過去にツアーに来た学生さんなどでも、「過去の戦争のことを言われても、なんかぴんとこないというか、自分と結びついて考えられない」という人もいました。そして「いつまで謝り続けなければならないのか」という論調も高まっています。それも仕方のないことです。でも私はやっぱりどうしても自分とは関係ないこと、もう過去のこととは思えないのです。なぜだろう。とっても胸が痛むのです。
 ご存知の通り、大同は日中戦争の激戦地です。三光作戦、中国語で「光」は「~し尽くす」という意味で、つまり「奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽す」作戦が行われたとも言われています。私はGENに参加するまで、中国のいろんな場所で「山西省の人間は本当に日本人を憎んでいる」と中国の人から聞いていました。なので、旅行で気軽に山西省を訪れるのもちょっと躊躇していたくらいです。だからGENの活動に参加して、ここ山西省大同市で地元の人と日本人とでこのような関係が築かれていることに、心底驚きました。これもGENの先輩や会員の皆さん、過去にそして今もツアーに参加してくださっている皆さんがこつこつと積み上げてきてくださった結果だと思います。
 私も大学4年間、北京に留学している時に日中の過去の歴史についていろんなことを目の当たりにしました。中国にはまだ「過去のこと」になっていない傷ついた人がたくさんいます。それと同時に私はたくさんの中国の方に本当に親切にしてもらいました。そして大学を卒業したときから、それを踏まえた上で中国語を使って何が自分にできるのかを会社で働きながらずっと考え続けてきました。そして今、このGENの仕事にたどり着いています。そしてこれからも日本人として自分に何ができるのかをずっと考え続けます。
 正直言って、こういうことをブログに書くことはとても勇気がいります。やっぱりとても怖いです。誤解も受けやすいし。でも違う意見の人たちの声が、どんどん大きくそして強くなってきている今、やっぱりこういう気持ちをたまには表に出していく必要があると思っています。
 先輩方が積み上げてきてくれたものを大切にしながら、これからも大同でこつこつと積み上げていきます。私にとって、今日は本当に意義のある昼食のひと時でした。力をくれたみなさんに心から感謝。本当にありがとう。唯一の心残りは、みなさんの気持ちをこの家のお父さんと小李(シャオリー)に訳して伝えなかったこと。とっても大切なことだったのに。でもみなさんの真剣な表情から、その気持ちはきっと伝わったと思います。

 大泉山村を後にして、陽高県の最北端、守口堡村に向かいました。その途中、自治労の皆さんからのリクエストがあり、日中戦争について遠田先生から詳しい話がありました。そして陽高県の県城にある日中戦争の犠牲者の慰霊碑に立ち寄りました。1937年7月7日の盧溝橋事件以後、日本軍は重要な燃料、石炭産地である大同を落とすために、いわゆる山西作戦を展開し、大同各地で虐殺事件を起こしました。陽高県の中心地だけでも数百人が犠牲になったそうです。

農家で昼食

2008年04月19日 | ホームステイ
お昼に農家で食事をいただきました。「ホテルの食事よりおいしい!」とみんな大絶賛!!お料理をふるまってくれたお母さんを囲んでハイチーズ。肝心なお母さんがほとんど見えない・・。最初は恐る恐る農家に足を踏み入れた皆さんも、食事後にはこの熱気です!

農家で昼食

2008年04月13日 | ホームステイ
上北泉村の農家で昼食をいただきました。私は昨年春にホームステイをした家で、1年ぶりに家族に再会できてとてもうれしかった!この日のためにお父さんとお母さんが作ってくれた手作り餃子をはじめ、おかずすべてが本当においしかったです。カンパイ!

ごちそうさまでした

2008年04月13日 | ホームステイ
最後にみんなでハイチーズ。真ん中にいるお母さんは本当に気さくな人。お母さんは敬虔な仏教徒で普段はまったく肉を口にしないのに、私たちのために「味見できなくてごめんなさいね」といいながらもたくさんのお肉料理を出してくれました。味見してないなんて思えないくらい本当においしかった。温かいおもてなしを本当にありがとうございました。

GEN夏のワーキングツアー3日目 

2007年08月04日 | ホームステイ
私たちがホームステイをさせてもらっている家のお父さんと17歳になる長男は、二人で一台のトラックを運転して二交代制で石炭を運ぶ仕事をしています。長男が昨晩の夜10時に仕事から戻り、入れ替わりでお父さんが仕事に出かけました。午前中にお父さんが戻ると、また入れ替わりで長男がでかけるそうです。今は畑は耕しておらず、この二人の収入を合わせると年間2万元になるそうです。家には、立派な大型冷蔵庫、テレビ、DVDなどがありました。
近くに住むおばあさんが私たちを訪ねてきてくれました。われわれに寝床を提供するために、13歳の次男と夜遅くに帰宅した長男は、昨晩はおばあさんの家で寝たそうです。
おばあさんは76歳、ここの家の若くてとっても美人のお母さんはまだ37歳!それなのに17歳の息子がいますーー!
私たちの参加者が撮ったポラロイド写真を見ながら、朝食前にみんなで歓談。朝食には炊飯器でごはんを炊いてくれて、3種類のおかずをいただきました。久しぶりの白米がとてもおいしかった。

肉まんつくり①

2007年08月04日 | ホームステイ
村の見学と作業を終えてお昼に家に戻ると、お母さんが肉まんを作っていました。早速、また一緒にやらせてもらいます。早朝にこねて、寝かせておいた生地をまた薄くのばして、具を包みます。

お世話になりました~

2007年08月04日 | ホームステイ
昼食をいただいた後、呂さんの家を後にしました。お母さんが作ってくれた食事は三食ともとてもおいしかった。温かい心のこもったおもてなし、本当にありがとうございました!
左はお父さんの同僚のおじさん。

麺を作る

2007年08月03日 | ホームステイ
私たち女性6名は呂さんのお宅にホームステイさせてもらいました。今晩の夕食は麺ということで、おうちのお母さんが目の前で麺を作ってくれました。一番左が若いお母さん。そして右はお父さん。私たちも麺作りに参加させてもらいました。強力粉を水で練って、半日置いて発酵させたものを麺棒でうすーく伸ばします。それを折りたたんで中華包丁で細く切って麺にします。卵とトマトの炒め物をスープにして、茹で上がった麺にかけていただきました。手作り麺はやっぱりインスタント麺と全然違って、もちもちして、コシがあって、本当においしかった!
おいしい夕食をいただいた後、今日はたくさん歩いたのでちょっと早いですが夜8時半には全員就寝しました。