玄文講

日記

農耕民族の勝利

2005-10-16 06:17:34 | メモ
ブローデル「物質文明・経済・資本主義」読書メモ その2

14-19世紀までの世界の人口」の続き。

前回の第一章「人の数」の話は、その後、以下のテーマについて論じられる。

1)当時の人口密度
2)飢饉と流行病
3)数の力について

これら3つの話は互いに関連している。
まず飢饉と流行病は同じ現象の表と裏だ。

まずヨーロッパの主要作物である小麦や雑穀は収穫効率が悪く、土地を何度も休ませ、鋤(すき)でならして耕さなくてはいけなかった。

畑を鋤でならすには人力ではなく、牛馬、ロバといった家畜の利用が必要不可欠であった。
しかし家畜はそれ自体が牧草地や大麦など資源を必要とした。作物を得るために作物を投資することになった。
そして家畜は病原菌の源でもあった。ウイルスが家畜を媒介にしてより強力な生物へと進化するのは、現代でも鳥インフルエンザの実例が示す通りである。

つまり飢饉を逃れるために畑を耕し、そのために家畜を利用し、その家畜が疫病をもたらした。これが先ほど言った「表と裏」という言葉の意味である。
だからヨーロッパは飢えと疫病に襲われ続け、人口は一進一退を繰り返した。この本ではそんな多くの飢饉と疫病の記録を紹介している。

それに比べて当時のアジアで爆発的に人口が増えたのは、米が小麦よりはるかに収穫効率の良い作物であったからだ。
多くの家畜を飼い、食べる習慣もなかったので資源を浪費し、ウイルスを養うこともなかった。

疫病について付記しておくと、ヨーロッパ人はアメリカ大陸を易々と植民地化できたのは彼らのもたらしたウイルス、流行性感冒が原住民の多くを殺したからである。死亡者には王族もいたため、現地人の間で内乱が起き、白人に統一的に対抗できなかったということもある。

そしてアフリカ大陸の植民地化を妨害したのは、ヨーロッパ人にとっても未知のウイルス、マラリアや黄熱病が彼らを襲ったからであった。

話を戻すと、効率が悪くても農耕の力は偉大であった。アジアほどではなくてもヨーロッパも確実に人口を増加させていったのだから。

いつの世でも、高い人口密度を実現できたのは定住生活をする農耕民族であった。
子供を多く生むには定住生活が、安定したカロリー源を豊富に確保するには農耕が必須だったからだ。

人口は増え続け、1600年当時、ヨーロッパの多くの地域は既に土地の限界を超えた数の人間を抱えるようになっていた。以下はその人口密度の一覧である。

イタリア     44人/一平方キロ

ネーデルラント  40人/一平方キロ

フランス     34人/一平方キロ

ドイツ      28人/一平方キロ

イベリア半島   17人/一平方キロ

フィンランド   1.5人/一平方キロ

中国       20人/一平方キロ

イタリアとネーデルラントは産業化していたので比較的多くの人間を養えたが、フランスは既に一杯一杯であった。
フランスの生産力では一人の人間を養うためには、1.5ヘクタールの土地を必要とした。
多くのフランス人が外国に流れ、例えば1664年には4万人ものフランス人が自分達の出自を隠して敵対国スペインのマドリッドで暮らしていたという記録がある。
スペインの土地を耕したのはフランス人であったとさえ言える。

人口の増加はインフレを招き、多くの貧民を生んだ。
貧民の一部は社会の秩序を乱す存在として貧者救済施設に収容され、鎖でつながれて強制労働をさせられた。
その他の貧民は勝手に死んでいくだけの存在であり、栄養不足の彼らが疫病で優先的に死んでいくことは神の思し召し(おぼしめし)でしかなかった。

16世紀から17世紀にかけて起きた価格革命、大きなインフレの原因はアメリカ大陸で発見された大量の銀であるとも言われているが。実際の銀の流通量を調べてみるとインフレを説明できるほど増えていないことが分かる。

実際のインフレの原因は人口増加に比べて農作物の生産量が追いつかず、そのために価格の高騰を招いたことにある。
そしてフランスでは当時の多くの戦争、宗教紛争、貴族との内乱、30年戦争、スペインとの戦争等のために何度も増税が課された。
この時代の農民の暮らしは悲惨なものであった。


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そして最後は数の力についての話だ。
ローマを滅ぼしたゲルマン民族、一大帝国を築いた蒙古民族、支那を支配した満州族、大遊牧民が世界を駆け巡った時代があった。
だが彼らの多くは消えていった。
ローマ後の世界を支配したのは非ゲルマン民族たちであった。
満州族は結局、漢民族の数の中に埋もれていった。
東ヨーロッパ人を悩ませた遊牧民は18世紀には強力な銃火器の前に無力化した。
大遊牧民はなぜ負けたのだろうか?
それは彼らが農耕民族ではなかったからだ。
それ故に人口密度を増やせなかったからだ。

では何故、人口密度の高低が生き残る国と滅ぼされる国を分け、人類の繁栄を左右する非常に重要な要素となったのだろうか?
その理由を「銃・病原菌・鉄」から要約しよう。

人口密度が高いほど、技術面や社会構成においてより複雑で専門化された集団が形成される。

人口が増え、その上で食料が余れば、生産に直接関わることのない、特殊な仕事に専念する人間を抱える余裕が生まれるからだ。

税を集め巨大な国家事業を実行できる政治家。
戦うことだけに集中できる職業軍人。
侵略や諸々の活動に宗教的正当性を与える神官、聖職者。

中央集権国家の維持。
強力な軍隊。複雑な経済構造。
船や城壁、製鉄所などの大型建造物の製作。

つまり数の多さが余力を生み、分業化をもたらし、技術の進歩を実現させ、狩猟民族には不可能な行動を可能にさせた。
そのため農耕民族は遊牧民に勝ったのである。

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