玄文講

日記

机投げ

2004-11-01 22:29:56 | バカな話
私の高校時代「机投げ」なる遊びが流行ったことがある。
「枕投げ」ではない。「机」「つくえ」「Disk」である。
もちろん、投げるのは「机」だ。その他にはイスも投げる。教科書や弁当箱も飛んでいた記憶がある。

その遊びがいつから、そして何をきっかけにして始まったのかは分からない。気がついたら、それは休み時間の定例行事になっていた。

私たちはチャイムが鳴ると同時に机の中の教科書や弁当箱を廊下に持ち出して並べ、それから掃除の時間の要領で机を教室の前方と後方に半分ずつ寄せる。
皆が一言も話さずに黙々とその作業をするのである。
その後、1分間の時間が与えられ、競技に参加する者は教室に残り教室の前方と後方に適当に分かれ、、それ以外の者は廊下に避難する。
私たちのクラスの廊下にはいつも20人くらいの生徒が立ち尽くしており、他のクラスから奇異の目で見られたものである。

そして中に残った20名前後の彼らは教室内で机を投げ合うのである。42個の机が宙を乱舞する。

授業開始3分前になると競技は即座に終わり、全員が教室に戻り、散乱した机を集めて並べ、廊下に出した荷物を元に戻す。初期の頃は避難し忘れた弁当や教科書が床に散乱していたが、そういうことはすぐになくなった。

そして授業開始のチャイムが鳴る頃には教室は整然とした元の状態に戻っているのである。
私たちはこれを休み時間のたびに繰り返した。
私はいつも廊下で体育座りをしながら難民のように避難していたのだが、何回かその競技に参加したことがある。

廊下に無言で出て行く同級生の後姿を見送る。
外から興味深げに教室を覗く者、まったく関心がないように廊下に座り込んでマンガを読む者、健全に校庭でサッカーをする者。
いろいろだ。彼らは傍観者だ。賢明な人たちだ。なのに私は何故こんなところにいるのだろうか。
そして参加者は腕を振り回したり、柔軟運動をしたりして戦いに備えている。
皆ニコニコしている。これから机を投げ合うのがそんなに嬉しいのだろうか?だが私は窓ガラスに映った自分の顔も笑っているのに気がついた。

……そうだ。嬉しいのだ。とても楽しみだ。

「時間だ」

誰かが言う。

ブンッという空を切る音と共に机が放物線を描いて床に衝突する。

ガンッ、ガンと机が床をリバウンドする。

それからはお祭りだ。
机はあまり飛ばないし、速度も低い。
こちらに気がついていない人間に向かって机は投げないという暗黙の規則があったので、集中していれば軌道の決まりきった机は避けられた。
厄介なのは、むしろイスの方だった。軽いし、よく飛ぶし、軌道も様々だ。 ヒュッと音をたてて、イスが私の髪の毛をかすめて飛んできたのには冷や汗をかいた。だがその時も私の顔は笑っていた。
それから私は笑いながら足元に転がるイスを拾い、私のほうをにこやかに見つめている級友めがけて投げつけた。

笑顔、

笑顔、

笑顔。

皆が笑っている。

優等生も不良も、秀才もバカも、クラスのスポーツマンも運動オンチも皆が笑っている。楽しい。楽しい。とても楽しい。ここは楽園だろうか?


その遊びはある日を境に突然誰もやらなくなった。なにかの事故やきっかけがあったわけではない。誰も何もそのことは言わない。事前に示し合わせたわけでもないのに、もうやらないのは当然だという雰囲気になっていた。
始まるのに理由がなければ、終わるのにも理由はなかった。

それからしばらくして私はあの机投げは自分の妄想ではないかという疑念に捕らわれた。それがあまりにも日常的ではない出来事である気がしたからだ。
そんな時、私は同級生にこう尋ねたものだ。

「私たちは机を投げましたよね?」

そして彼らは答えてくれた。

「ああ、投げたさ。何度も、何度もな」

最新の画像もっと見る