クリスマス、というと昭和に思い出を持つものとしてはどうしても「悲しい話」のイメージが先に湧いてきてクリスマス=切ない。という連鎖反応をしてしまう。
今でも「クリぼっち」などという悲しみがあるように昭和では裕福もしくは中流家庭がそれぞれの楽しいクリスマスを過ごしていると必ず貧しい子供の映像が流れてきてやるせない気持ちにさせてしまうのである。悲惨な場合もあるし、時には貧しいなりの小さなクリスマスプレゼントがあったりしてほっこりさせるのだけど、どうしてもこのイメージは拭い去ることができない。
とはいえ、楽しいはずのクリスマスの夜に貧しいとかひとりぼっちだとかで辛く悲しい思いをしている人々子供たちにこそほんのりと小さな幸せを感じる何かを語ることこそがクリスマスの喜びなのではないかと思うのであります。
色とりどりの明るいイルミネーション、寄り添って歩く恋人たち、パーティで騒ぎ散らすお道化た喧噪の間を空腹を抱えて歩く貧しき人よ。恋人のぬくもりも暖かな家庭もなく寒さに震えかじかんだ指に息を吹きかけ自分にも平等に落ちてくる雪を見上げる。
クリスマスは必ず訪れ、君の涙を凍らせるだろう。
安心してほしい。世の中にはそういう人々がいっぱいいるのだよ。などと言う言葉では心は温かくならないね。
メリークリスマス。
みんなが幸せを感じられますように。
誰かに愛を贈ってみましょうか。