この集落は大山の火山活動によって生まれた盆地にできた、20軒ばかりの村に100人ほどが住む小さな村であった。
誠輝と礼香がこの村で暮らすようになったのは、二人がまだ幼かったころに、この地方が大干ばつに襲われ、農作物が壊滅的な被害を受けるという大飢饉が起こった。
その時、それまで六公四民であった農民からの年貢の取り立て税率を、七公三民にこの地を治める代官が勝手に引き上げようとした。
この大飢饉、そんなに年貢を上げたら農民が餓死しかねない、誠輝の父は代官と激しく対立して検地方の役職を解かれてしまった。
万策尽きた父は、やむなく城主に直訴しようとこころみたが、この企ても代官に知られることとなり、家族への災いを察知した父は追手を振り切り、誠輝たちを連れて国を逃げ出した。
追手から逃れた誠輝たちは、ようやく治外法権の天領の地、大山の僧侶が治めていたこの村に命からがらたどり着いた。
義助は誠輝の父の話にいたく同情して、追っても手出しできない村はずれの水車小屋にかくまってくれ、誠輝たちはここで暮らすようになった。
父は村の人たちの恩に少しでも報いようと寸暇を惜しんで、村人の農作業や山仕事の手伝いをしていたが、二年目の年の暮れ、慣れない仕事と無理が重なり病に倒れ、看病する間もなく亡くなってしまった。
病気がちだった母も、父を亡くしたショックと心労が重なり、幼い二人を残してあとを追うようにこの世を去ってしまった。
幼くして両親を亡くした二人は、村人からの施しを受けながら、両親の思い出の残る水車小屋で、肩を寄せ合いながらつつましく暮らしをしていた。
そんな二人を村の人たちは、誠ちゃん・礼ちゃんと呼んで、村の子供たちと分け隔てなく可愛がっていた。
その日は母親の命日にあたり、母の面影が誠輝と礼香の瞼に浮かぶと、二人は居ても立っても居られない衝動に駆られ、霊前に椿の花を手向けようと思い立ち、豪雪の中を大野池に出かけたのだった。