たわいもない話

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

からす天狗の恩返し (16)

2012年01月06日 16時17分19秒 | カラス天狗の恩返し

太陽は高く登り、陽が村人の真上から降り注ぐ頃になって義助と村人の心は一つの塊となった。

 

もう一時といえども無駄にはできない、村人はさっそく大野池の土手に集まると、竜神さまの怒りを治めるための祭事の準備を始めた。

 

男たちは大野池の近くの竹藪から真竹を切り出して鳥居のように建てると、それに縄を張り和紙を切ったソモソモを飾って、その奥に祭壇を作って酒樽や米などを供えた。

 

村人が祭壇の前に整列したのを確かめると、義助は祭壇に向かって深々と二礼し、静かに柏手を二回打った。

 

そして、掌を合わせ工事の安全を祈願して最後に一礼すると、村人もこれに習って祈りを捧げた。

 

お祈りを済ませた義助の顔は、今までの苦渋に満ちた険しい表情が一変し、どこか仙人の姿でも思わせるような高貴な気品と気高さへ醸し出していた。

 

「これで竜神さまの怒りも治まるだろう。これから、村の存亡を賭けた難工事をみんな一丸となってやり遂げようではないか」と力強く言った。

 

「頑張ろう、頑張ろう、絶対完成させよう」村人の士気は盛り上がった。

 

そして、村人による村はじまって以来もっとも困難で厳しい用水路の工事が始まった。

 

最初に、先祖の人たちが掘って放置していた水路に生えてしまった、雑木の伐採と萱などの雑草の刈り取り作業を行い、次に、勇翔たち力自慢の若者が水路に崩れ落ちた大きな石をツルハシで掘り起こす。

 

それを他の男たちが、水路の中に流れ落ちて溜まった土をスコップですくい上げ、その後を女や子どのたちがクワで均して行く。

 

山並みが茜色に染まり陽が沈む頃になると、老人たちは松明を燃やして作業をする者たちを照らし、老女たちはおにぎりやみそ汁などの炊き出しでこれを支えた。

 

村人の不眠不休の懸命な作業で工事は順調に進み、五日目には大岩の手前までの水路が完成し予想以上に進捗状況に、村人は「これなら田植えに間に合うかもしれない」と“ほっ”と胸をなでおろした。

 

残るは大岩から大野池までの僅かな区間、村人の士気はさらに盛り上がった。

 

しかし、残されたこの区間は先祖の人たちが何度も挑戦しながら、怪我人や病人などを出して、その度に工事の中止を余儀なくされた問題のある場所でもあった。

 

「何の、これしきの岩」

 

いきり立つ若者は、我先にとノミやツルハシを岩に向けて打ち込んで行った。

 

しかし、大岩は勇翔たち若者の挑戦に容易には屈せず、打ち込むノミやツルハシの尖端をことごとく弾き飛ばした。

 

「この岩さえ開削できれば、大野池の水が引けるものを」若者たちは大岩を前にして地団駄を踏んで悔しがった。

 

村の長老たちも岩の周りに集まって新たなルートを探そうと、あちこち歩き回ったが容易に開削できそうなルートは発見出来ず、やむなく工事の中断を余儀なくされ岩の下で腰をおろし思案していると、一人の若者が立ち上がった。

 

「僕が大岩に登って、上から新たなルートを探してみます」と言って大岩を登りはじめた。

 

若者は険しい岩肌を一歩一歩慎重に登っていたが、岩の中腹あたりまで登ったところで突然“わああああああ~”と大きな叫び声を上げ、多くの村人が見つめている目の前で大岩から転がるように転落してしまった。

 

この様子を目の当たりにした村人は、我先にと駆け寄って若者を抱き起して介抱しようとしたが、若者の頭からはおびただしい血が流れ、眼を閉じたまま意識を失っていた。

 

もう一刻の猶予も出来ない、村人は若者を戸板に乗せて村に急いだ。

 

その瞬間から、水路工事に対する情熱と熱気が一瞬にして消え去ったように村人の顔は青ざめ、手足は震え、まるで葬儀の棺桶でも担ぐような重苦しさに包まれていた。

 

この様子を見ながら歩く義助の姿も、肩がガックリと落ち、両足に鉛の玉でもくくりつけたような重い足取りで、固く誓っていた信念が揺らいでいるようにも見えた。

 

義助の家に着いた村人は“ぐったり”死んだように横たわった若者を戸板から下ろして家の中に運び込むと、気付け薬をかがせ焼酎で傷口を洗って懸命な手当と看護に努めた。

 

しかし、若者の眼は閉じたままで意識は戻らず、心臓だけが微かに動いているだけだった。

 

義助は心配そうに若者を取り囲んで悲痛な面持ちで見守っている村人を奥の部屋に集め、重い足取りで部屋に集まった村人に義助は冷徹なまでの表情で語りかけた。

 

「今回の転落事故は大変に痛ましく慙愧に堪えない。しかし、今ここで工事を中断したらこれまでの苦労が水泡に帰し先祖と同じ道を辿ることになってしまう。ここは、この悲しみを乗り越えて何としても水路を完成させなければならない。みんな苦しいだろうが頑張ろうではないか」と言った。

 

しかし、村人はうつむいたまま一言も物を言わず、シーンと静まり返った部屋には長い沈黙の時間が流れて行った。

 

すると、一人の痩せて小柄な老婆が、腰を屈めながら静かに義助の前に進み出ると、深々と頭を下げながら言った。

 

「村主さん、やはり、あの大岩を傷つけたことで竜神さまの怒りに触れたのだろう。このまま工事を続ければさらに二人目三人目の犠牲者が出る事だろう。

私はもう老いて先が短い、どうか私を竜神さまの怒りを鎮める人柱として大野池に沈めてください、この老いぼれた命で村が救えるものなら本望というものです」と言った。

 

それを聞いた村人たちは、この老婆のわが身を投げ出してまで村を守ろうとする深い思いに心を打たれ、悲痛な言葉に涙し、村の存亡をかけて用水路を造るという固い誓いが少しずつ揺らぎかかったその時、礼香が老婆に寄り添うように近づき優しく手を握りながら

 

「お婆さまにそんな不憫なことはさせられません、私が変わって人柱になります」と言った。

 

この話を腕組みしながら傍らで聞いていた義助は、二人の顔を代わる代わる見つめながら深いため息をついて考え込んでしまった。

 

「ここで工事を中断したらこれまでの苦労が無駄になってしまう。多少の犠牲者が出ようとも子孫のために工事は続行すべきだろう。さりとて村人を人柱にまでして工事を続ける必要があるのか、たとえ工事が完成したとしても、村人の心に深い傷跡を残すことだろう」

 

義助は苦渋に満ちた表情で、うつむいたまま黙り込んでしまった村人に向かって

 

「工事を続けるべきか、中断にすべきか、今夜一晩わしに考える時間を貸してくれまいか」と言って、村人を家に帰らせた。

 

この夜も空には雲ひとつなく、ぽっかりと東の空に浮かんだ大きな月は村人の苦悩を嘲るかのように美しく白銅色に輝き、とぼとぼと肩を落としながら水車小屋へ帰る礼香と誠輝を明るく照らしていた。

 

 

 

 


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