○ 荒海の 沖の御前に 春問わば
われに希の 有や無しかも
白 雲 善 恕
今日はこの時期としては珍しく穏やかな朝だった。
「おい! 海に波はあるか?」
私は、窓を開けている妻に尋ねた。
「波は、ないみたいだよ!」
私の家は、海から三百メートルほど離れた、日本海が一望できる高台にある。
「ほんなら、モンバ(二月から三月にかけて海岸の石や岩に着く、岩ノリ、ヒラメ、カヤモなどの海藻の一種)を採りに行ってく―けん!」
私は素早く服に着替え、胴長を車に積んで、心を弾ませながら海岸に向かった。
昔は、モンバを専門に採る人もいて、それを買って食べることもできた。
しかし、この頃はこのような人は殆どいなく、食べようと思えば、自分で採りに行く以外に方法はなくなってしまった。
海岸に着くと、遠目には穏やかそうに見えた海だが、一メートルくらいの波が立っていた。
波をかぶりそうだったので、モンバ採りをやめようかとも思ったが、せっかく来たのだからと考え直し、胴長をはいて海に入った。
岩にはモンバがついていたが、腰をかがめながら深みに入って行くと、時より押し寄せる大きな波が胴長に入りそうになる。
「こりゃー だめだ!」
しかたなく、水際の石についたモンバを少し採った。
私が家に帰ると、妻は台所で洗い物をしていた。
「今日は波があって、だめだったわぁー」
と、流し台に、ビニル袋に入れたモンバを置いた。
「これだとれりゃー 十分だがん」
妻はモンバを洗いはじめた。
「おとうさん、今日のモンバは砂がいっぱいまざっちょうなー」
と、ぶつぶつ言いながら洗っていた。
夕食になって、私がテーブルに着くと、ささやかな食卓に、さっそくモンバも並んでいた。
「どんなー 食べられ―かいな?」
「まだ、私は食べちょらんけんわからんわ」
私は醤油づけしたモンバにはしをつけた。
「やっぱり、初物は美味いなー」
妻もモンバにはしをつけた。
「うまい。熱いご飯にのせて食べーと、何杯でもご飯が進むよなー」
と、ニコニコしながら言った。
やはり、自分で苦労して採った初物のモンバは、何ものにも代えがたい早春の香りであった。
夜中にふと目が覚めた。
時計を見ると午前三時十五分だった。
すぐに頭に浮かんだのが、イスラム国に拉致された後藤健二さんの生死の事だった。
新聞、テレビ等で連日報道され始めてかなりの日数がたつ。
彼の生死はいったいどうなるのだろうか?
無事に解放されるのか、それとも、ヨルダン、日本、ならびに支援各国政府の懸命な努力にもかかわらず、彼の存在はこの世から消滅され「無」になってしまうのか。
「無」とは、一体とういう状態の事なのだろうかと考え始めた。
無念・無能・夢想・無上・無情・無常・無想・無心・無届・無頓着・無敵・無動・無知・無恥・無茶・無尽蔵・無礼講、無い、「無」のつく言葉は、まだまだ多くある。
この「無」の意味するものは一体どういうことだろう?
「無」について考えた。
「・ないこと ・存在しないこと ・欠けていること ・いかなる有でもないこと
・万有を生み出し、万有の根源となるもの」
「無」は「無」であり、ほかの何物でもない、極限の「無」と言うことか?
「無」とは、水も空気も、文字も言葉も、人間の心も生命も、地球や宇宙の存在も、「無い」状態なのか?
こんなことすら考えることのできない状態が「無」かも知れない。
「無」すなわち「無」すらない状態なのかも?
こんな、馬鹿げたことを考えているうちに朝を迎えてしまった。
「お父さん、御飯ですよー」妻の声がする。
今日も未知の時間「無」の一秒から一日が始まる。
後藤健二さんが無事で解放されますよう。
青空が広がり、すいこまれそうな空の下で行われた、みなさんにとっては初めての小学校の相撲大会。
ぼくも行司として、みなさんといっしょに土俵に立たせていただきました。
見合って。
いち、に、さん。
はっけよい、のこった、のこった。
はっけよい、のこった、のこった。
東、○○山の勝。
みなさんの、無心の立ち合い、一生懸命に相手を土俵際に押す姿、土俵際で必死に踏ん張る姿、みんなの一番一番の相撲に、ぼくは感動を受け元気をもらったような気がします。
そして、小学生のわんぱくだったころ、いっしょに遊んだ友達や先生のことを懐かしく思い出して、子供のころに帰ったようなすがすがしい気持ちになりました。
相撲にはどうしても、勝つ人、負ける人ができます。
勝った人は、勝った喜びで楽しい思い、負けた人は、負けた悔しさでほろ苦い思いが、心にきざまれたのではないかと思います。
でも、お父さんやお母さんは、必死になって、力いっぱい相撲をとった、成長したみなさんの姿に目を細め、感動の眼差しで見守っていてくれたに違いありません。
みなさんは、これから一年生から二年生へ、二年生から三年生・・・・・・そして、中学、高校大、大学へと進み大人になっていくでしょう。
しかし、今の先生、友達と一緒にいられるのは今しかありません。
先生、友達との出会いを大切にして、一人でも多くの仲間を作り、健康で、明るく、楽しく、夢の持てる一年二組にするようみんなで頑張って下さい。
ぼくもみんなが元気で、優しく、たくましく成長するのを楽しみに見守っています。
平成二十五年九月二十六日
一年二組 行司役のおじさんより