だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

11月8日(火)立冬に思う

2011年11月08日 | 日記
本来は母校への出講なのですが、本務校の校務とともに以前から出張、学生引率の予定があり、
母校へは赴かず、遠路小田原へ出向きました。

立冬を迎え、いくぶん気温が下がってきたため、コートこそ着込みませんでしたが、厚手の上着を羽織ったのはほぼ一年ぶり。
途中でOGの田原さんが合流しましたが、彼女の地元・川越はもうすでに「寒い」という言葉が似合うようで、3時間かけて集合したとのことです。
また、3年のゼミ長鞠子くんは昨夜から発熱のため欠席。

さて、目的地のひとつは『伊勢物語』の資料を中心に蒐集されている鉄心斎文庫伊勢物語文華館
たまたま、母校でも、また本務校でも扱っている作品なので、引率をした次第なのです。
場所は小田急線「富水(とみず)」より徒歩。

この鉄心斎文庫にはいまから10年ほど前に、父・武司とともに訪れて以来です。
すでに父はパーキンソン病にかかっていたため、最寄駅の往復がずいぶん難儀だった父を思い出します。
先日、喜寿を迎えた父は、玄関に車椅子を置くようになりましたので、もうこられないかなぁと思いながら向かいました。

今回は「伊勢物語かるた」が全209首分、418枚の読み札・取り札、
他には、伝二条為氏筆・伝京極為兼筆などの写本も展示されていました。
小さな札ながら、散らし書きで書かれており、どこから読むのか迷う学生に、その読み方を伝えてみたり、
そもそも変体仮名の字母(仮名の元となった漢字ですね。たとえば、は→波、な→奈など)の話を、ワタシのできうる範囲でいたしました。

そんな中、ふと、見覚えのある方が入っておいでになりました。
われわれや国文学関連の研究者ならば皆が知る、さらに、ゼミや演習の発表の際には、
そこに通うことをなかば義務としていて、ゼミの学生たちにもお世話になっている、国文学研究資料館。
そこの今西祐一郎館長でした。

早速、お声掛けをし、ご挨拶。
先日、資料館の展観にも学生たちを引率していたので、いろいろとお話をさせていただき、たいへん有意義でした。

さて、そんな中、パンフレットに目をやると、
「さて、名残りおしいのですが、今回で文華館を閉じることになりました」との一文が目に飛び込んできました。
すでに館長の芦澤美佐子氏がご高齢であることが原因とのこと。
思わず、失礼を承知で、これらの資料は今後は???とうかがったら、
特別に申請をすれば可能となりそうなお返事ではありましたが、いやはや、引率した学生たちにはよかったなぁというのがホンネです。

昼食は小田原まで出向き、海産物系を。
そしてせっかくここまできたのなら、と近くの小田原城で菊花展をみることとしました。

今、マスコミには電子書籍サービスをあのアマゾンが準備をしているという報道があります。
本の値段をどこがどうやって決めるの? ということで、既存のルールが適応できないということが問題のひとつとしてあがっています。
本を読む行為とは、そこに書き手の思いを汲むことに他なりません。
また、じしんの思いと照らし合わせることでもあります。

「手書き」の原典、書写本などを見ると、本を読むこと以前に、本がこの世に生まれることを、もっと敬わなければいけないな、と思ってしまいます。
そういうことが、人のナマのことばの重さを感じることにもつながるように思います。
ラジオをやっていたものからすれば、やや矛盾するかもしれませんが、
たしかに電子媒体から発せられる文字やコトバもまた必要でしょうが、
ナマにまさるものはないのかな、と思いました。
それは、小田原城周囲での発掘作業を見てもそうでした。
現在、発掘中だった本丸周辺ですが、ショベルカーとともに最後の部分は人が手で土を掘り起こしているわけです。

最先端を知るとともに、始発・基盤となる根の部分をしっかりと理解していないとならないように思いました。
まぁ、そうはいっても、人のナマの言葉に左右されて、ご機嫌ナナメになっちゃうこともありますけど。



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