食事中の会話は楽しいものだけど、
つい話に夢中になってしまい、食べることがおろそかになってしまう次男と三男。
「お前ら、何をしゃべっとるんや」
私がそう言うと、
「あの、何の話かっていうと…」
と会話の内容を説明しはじめた三男。
いやいや、そうじゃなくて、
何を会話しているのか知りたかったわけではなくて、
しゃべってる場合かよ、話ばっかりしてないでちゃんと食べろよ、って意味でしょ、
お前ら、日本語もっと勉強せーよ。
そういうと、なるほどーっ、と妙に感心している次男。
言葉というのは文字面には直接表現されない真意があるものです。
友人の中に逃げなかったバカがいる。
そう発言した人の真意は、
逃げなかったことを愚かな行為だと言いたかったのでないだろう、と私は思います。
ましてや逃げなかった人たちが悪いのだ、という意味ではないだろうと。
たぶん、それが友人のことだから、
親しみと惜別の情を込めて、バカ、と表現してしまったのだと。
日本人なら、それくらいの言葉の真意をわかってあげてもいいと思うのだけど。
大臣だから言葉に気をつけないといけない、それは当然とは思いますが。
バカという言葉は、確かに聞きようによっては不快と感じるものだけど、
この人の真意は被災者をバカにしているわけではないですよって、
言葉をお仕事の道具にされているマスコミさんの1社でもいいから、
言ってあげてもいいと思うのだけど。
(そんな解説そのものが野暮な気もしますが)
あげ足をとられるような言葉の使い方がまずいのか、
言葉狩りのような解釈ばかり先立つのが今の日本人なのか、
日本の国語観、道徳観はそんなレベルでいいのだろうかと思います。
言葉の在り様、どんな言葉を交わしあい、どんな気持ちを交し合うかは、
その国の未来の在り様に、とても大きな影響があるように思えるのですが。
言葉をそのままの状態で受け取る人と、その真意を感じる人と
その差は大きいと思います。
愛情の裏返しである言葉を誰か感じ取って、手を挙げるマスコミはいないのかと思いました。 長いものに巻かれているという事もあるのでしょうかね~
いつもありがとうございます。
被災したとき日本人はその姿がずはらしいと絶賛もされたはずですが、一方でこれも現実かと残念な気持ちになります。
長いものに巻かれている、ということに加えて、本来の使命を忘れているか、そもそも持っていない人がその仕事を担っているということではないでしょうか。