わが家には、子供たちの友達がよく遊びに来ます。
その遊び方は季節によってさまざまですが、
クリスマス、お正月を経たこの時期の風景はというと…
同じ方向を向いて、各自ゲーム中。
各々が新たに手に入れたゲームソフトをもって集まっているようです。
うちの子供たちにはゲーム機は買い与えていませんので(パソコンは比較的自由に使わせていますが)、友達が持ってきてくれるのが絶好の機会のようで。
なんか釈然としませんが、こんなものなのでしょうか。
ただし、お互い無言ということはなく、ゲームしながら会話は交わしているみたいです。
私もクリスマスや誕生日前の時期には近くのトイザらスなどに足を運びますが、
実際ゲームソフト以外のおもちゃでめぼしい打ち出しがあったり、
欲しいなあ、買ってあげたいなあ、と思うものがないようにも感じます。
コンピューター技術の発達によって、さまざまなエンターテイメントが高度化してしまい、
なかなか素朴な遊びに満足できなくなってしまったのは、
何も子供たちに限らず大人が本を読まずに
映像メディアに走ってしまうのと大差ないのでしょう。
ラクで楽しい、それに慣れてしまったら、
能動的な遊戯に向かうストイックさを自ら持ち得る健全さ、たくましさを失わないようにするのはまたなかなか難しいことでもあります。
しかし、、、携帯ゲーム機、ネトゲなどは、パチンコに変わる新たな亡国ツールのような気がしてしまうのは私だけでしょうか。
エンターテイメント、アミューズメントに溺れず、人としての本義を忘れずに生きながら、
生活のうるおいとして楽しみながらこういうものとおつきあいしていきたいものです。
ありがとうございます。
ゲーム機のように受動的である事を肯定したアイテムのはんらんにより、子ども達にある種不幸な環境が与えられていることには、私も心配をしています。
私の子ども達には「うちは、ゲームを買うほど余裕の無い、貧乏な家だから・・・」といって、買い与えていません。
ですが、世の中の保護者の多くは、「子守」代わりに与えています。ゲーム愛好者は、自己完結社会を構築しようと欲すれば、簡単に構築できたしまうため、社会適応自助努力を閉ざしても成長できます。実はそこに危険性がはらんでいると考えています。
ですが、YUTAKAさまの能動的に取り組むことの大変さを私は見落としていました。
私の場合、取り組むこと、挑戦することに楽しみがありましたので、ストイックとは考えていなかったことになります。勉強になりました。感謝!