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絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

二胡の上達法?

2013年02月28日 01時20分50秒 | Weblog
ときどき私もせこいことを考え、「上達のコツ」とか「二胡が上手くなる練習方法」とか
検索する。そしてやっぱり、そんなのあるわけないか、と思う。

二胡も今ではかなりな人口があるようだけど、それでもどんなのか実物見たことないという人が
結構いることも確かだ。まあ、一絃琴ほどひどくないけど・・・

ほとんどの人は趣味で習っているだけだけど、
中には趣味が高じて?職業にしちゃった人もいるかもしれない。

趣味と職業、なにが違う?
演奏して、あるいは教えて金銭の授受があればプロなのか?

二胡の演奏の動画を見まくっている日々・・・
いろんなプロ?がアップし、いろんな素人さんも勉強のために?動画をアップしている。
あれ?音が聞こえないぞ、みたいなのから、中国の国家一級演奏家までさまざま・・・

まあ、プロでも素人でもどっちでもいいけど
最後はその人の演奏が好きかどうか、その演奏家(の人間性)が好きかどうか、
という話になってくる(私の場合)。

不思議なのは、何をどう演奏しても、そのとき演奏家が何を考えて弾いているのかが
伝わってきてしまう、ということ。
あれ、なんでなんでしょうね?ほんとうに不思議です。

無心に、一心に演奏していると、それがたとえ一流の技術でなくても
観客に伝わるものがあるのですね~
それも不思議です。
上手、下手じゃないんじゃないかと、思ったりするときがあります。


話は戻りますが、「上達法」に加えて「よい先生とはどんな先生か」の記事も
ときどき見かけます。
上達のコツ、というのは、勉強のコツ云々と同じです。
つまり、それを言葉や動画で見せてみたところで、時間短縮にはならないと
私は思います。
なーんだ、そうだったのか!・・・から、それを取得するまでは
どうやればいいのだろう?と悩み、試行錯誤して取得するのと
変わらない練習量が必要なのではないでしょうか。

つまり、手っ取り早い練習法なんてないと思います。
音が良くならない、音が定まらない、弓が安定しない、などなど
すべて単なる練習量の不足に過ぎないんです。

ああでもない、こうでもない、あれこれ悩む試行錯誤の時間は決して無駄ではない。
手っ取り早くできてしまうより、のちのち色んな音色の違いを出してみたくなったとき
それはきっと役に立ってくると(一絃琴の経験から)思うのでした。

ふとみると・・・

2013年02月28日 00時42分51秒 | Weblog
自分のブログの左端をふとみると、ずいぶん昔からやっているのだった。。。
そうだ、一絃琴のことを書いておきたくて、ブログを始めたのだった。。。
2005年12月。わ~知らぬ間に7年もの月日が経ったよ。
どういうこと?(どーもこーもあらへん)
あの頃私は若かった!?まだ・・・

いまじゃ、韓国語やら中国の二胡の話に変幻。
一絃琴はいまどうしてるかって?
仏間の片隅にいますよ。ひっそりと。
その横には、かつてハワイ旅行の際、探しまくって買ったウクレレもいたりして・・・。
(なんのこっちゃわからないです)
もう何者にもなれはしない、ただのひとのまま消えていく。

今日のあさイチで、自殺のことを放送していた。
人間だけが自殺する動物らしいが、慌てなくても生ある者すべて、必ず死ねる。
むしろ、死ぬのが決まっているのに、けなげに生きる人間てすごい、とも思う。
明日も今日の日と同じと思える、その鈍感さに脱帽する。
大災害でなくても、家族を失って慟哭の日々を送らねばならない人は少なからずいる。
(自分もその一人だが)
果たして彼らが救われる日は来るのだろうか?
寄せては返す波のように、絶望と希望の間を行ったり来たりして、時は過ぎていく。