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>最後の挑戦」Qちゃん、北京への夢散る

2008年03月10日 05時10分42秒 | 社会
うーん、残念!! でも一度は夢を最高の形でかなえられたのですから幸せな方ですね・・。

>以下抜粋

>最後の挑戦」Qちゃん、北京への夢散る

レース後、笑顔で引き揚げる高橋尚子選手(9日、名古屋市の瑞穂公園陸上競技場で) 「最後の挑戦」と宣言していた五輪への夢は実らなかった。

 再起をかけた9日の名古屋国際女子マラソンでよもやの失速、アテネに続き北京五輪の代表切符も逃したシドニーの金メダリスト高橋尚子選手(35)。レース後には、7か月前に右ひざの手術を受けたことを初めて明かした。先頭集団から大きく遅れながらも、沿道の大声援に背中を押されてゴールにたどり着き、「これが今の実力。北京では(選ばれる)3選手の応援に回ります」とQちゃんスマイルを見せた。

 沿道を埋めた観客からどよめきが起きた。スタート早々の9キロ手前。高橋選手が、重たい足どりでずるずると後退する。視線を足元に落とし、先頭集団を追いかける余裕はない。

 10キロ手前で声援を送っていた父の良明さん(66)も「顔色が悪く、調子が良くないようだ」と高橋選手の異変を感じとった。30キロ付近でトイレに寄るハプニングもあって、良明さんが車で先回りした32キロ地点では、先頭との差が約10分に開いていた。「尚子あきらめるな」。必死に走り続ける娘に声を張り上げた。

 レース後、高橋選手は本調子でなかった理由を聞かれると、「実は」と言った後、ひと呼吸置いてこう切り出した。「昨年8月、(米国の)ボルダーで右ひざの半月板の手術をしました」

 米国での合宿中に、5年ほど前から苦しめられてきた持病が悪化。不安はあったが、手術をしなければ練習を続けられない。「挑戦せずに北京への道をあきらめるわけにはいかない」と、決断したという。

 松葉づえで立つことからリハビリ生活を始め、満足な練習ができるようになったのは今年に入ってから。「あきらめちゃだめと、何十回、何百回、何千回と繰り返した」と振り返った。

 シドニー五輪で金メダル、1年後には世界最高記録を更新した。しかし、その後はアテネ五輪のスタートラインにすら立てず、右足首を骨折するなど苦難が続く。2005年5月に小出義雄監督(68)の元を離れて、「チームQ」を発足させる。「言われたことを何も考えずに実践するだけだった」という生活との決別。練習の手応えやレースの勝算を聞かれるたびに、「それを一番知りたいのは私自身」と語り、時折、不安ものぞかせていた。

 不安が現実になったレースで、高橋選手に42・195キロを完走させたのは、沿道の「Qちゃんがんばれ」という励ましだった。ゴールの瑞穂公園陸上競技場。トップから18分遅れで姿を見せても、優勝ランナーを迎えるような大きな拍手がわき起こり、「お疲れさま」と声が飛んだ。

 「あきらめなければ夢はかなうというメッセージを伝えるには優勝しかない」と言い切って、臨んだレースだった。不本意な結果に、ゴールするとすぐにサングラスを外して、満員のメーンスタンドにぺこりと一礼。「皆さんから『あきらめちゃいけない』と(いう気持ちを)私がもらった」と話した。スタンドで見守った高校時代の恩師・中沢正仁さん(40)は教え子の姿に「心に残るいい走りだった」と涙をぬぐっていた。

 記者会見で、今後について聞かれ、「まだまだやりたいことがある。まだ陸上競技を続けたい」と走ることへのこだわりを見せた高橋選手。「温かい声援に支えられ、気持ちよく走った。マラソン選手で本当に良かった」。最後の五輪挑戦を笑顔で締めくくった。

(2008年3月10日01時40分 読売新聞)