介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

16日の出来事-その3(葬儀社手配から帰宅まで)

2012-11-06 09:39:14 | 日記

 葬儀社の電話番号を調べるために1階に降りるエレベーターの中で、従兄が「おばさんの前では聞けなかったけれど、『切り刻む』って話しだったよね」と確認を求めてきた。直ぐには理解できなかったけれど、「某国立大学医学部への献体」の事だと気付いたので、『叔母さん達の了解も取れていないから、このまま普通に火葬する事にする』[注1]と返答。

 1階に到着したら・・・エレベータの後ろのドアが開いてしまい、従兄と2名で軽いパニック。階数のボタンを良く見たら「前方用」と「後方用」の2列があったので、何気なく「後方用」1階ボタンを押したのだと思う。一旦、エレベータを2階まで上げて、改めて「前方用」1階ボタンを押して、無事1階に到着。
 指定場所に行き、従兄が自宅で留守番している長女に「おじいちゃんの時に使った葬儀社の電話番号を調べて」と携帯で依頼。携帯を切ってから数分待っていると「多分、時間が掛かると思うから、ここにある電話帳で調べてみたら」と言って、私にタウンページを渡すので・・・調べてみたら・・・当たり前ですが載っていたので、直ぐに公衆電話からTEL。
 今振り返ると、少なからずショックを受けていたためなのか?この時にどんなやり取りをしたのか良くは覚えておりません。ですので、実際のやり取りとは異なっているかもしれませんが・・・
  私「すいません、父が死んだので葬式等をお願いします」
 葬儀社(以降「S社」)「それはご愁傷様でした。」
  私 「何から話せばよいですか?」
 S社「かしこまりました。幾つかご質問させてください。」
   「先ず、亡くなられた方と、今お電話くださっている方のお名前を」
  私 「死亡したのは****。電話をしている私は****。」
 S社「次に、今お電話くださっている方と死亡なされた方とのご関係を教えてください」
  私 「死亡した者から見た場合であれば子供です。喪主予定者です。」
 S社「では、死亡なされた方の住所と電話番号をお教えください」
  私 「α宇宙域セクター001のテラ星系第3惑星。電話はカステラ1番電話は2番3時のおやつは食べませんです」(勿論、これは冗談で書いています)
 S社「ご遺体は今どこに安置されておりますか?」
  私 「病院です」
 S社「病院の名前を教えてください」
  私 「○○病院です」
 S社「葬儀を行うご希望のホールはどこですか」
  私 「××ホールか、△△ホールが良いのですが・・・出来れば、××ホールの方で」
 S社「ホールの予定を確認してみます。ご遺体は別のホールでもお預かりできますので・・・」
  S社「かしこまりました。今から50分後に病院へお伺いいたします。病棟の看護師の方に弊社の社名と50分後に到着する事をお伝えください」

 電話を切り、病棟へ上がるためにエレベーターに乗ると、二人して「ボタンに注意しないと」と言って、薄ら笑い。
 看護師に葬儀社の手配ができた事を伝えると、看護師の方も霊安室へ移動でする準備が整ったとの事。但し、この病棟での夜間勤務をしている看護師はこの方1名だけなので、別の病棟(?)から1名来るまで待つことに。その間、看護師が「こちらに最初に上がって来た時間は9時30分過ぎですよね」というので、従兄に尋ねてみると「9時20分頃だろうとおもうよ」ということで、チョットした齟齬が発生。多分、日誌に書く都合があるのだろうと思い、『30分と言うことで構いませんよ』と決着をつける。

 留守番(?)してくれる方が来られたので、ストレッチャーに乗った遺体と共に私達4名と看護師、看護補助者(?)の計6名(この場合7名と書くべき??)で1階の霊安室に移動。
 看護師と看護補助者の2名でストレッチャーから遺体を霊安室の遺体安置台へ移動。焼香をしてくれた後、「葬儀社の方が来られたら、内線427番に連絡ください。あと、この書類は死亡届けを出すときに必要な物ですから、葬儀社の方に渡してください」と看護師からの説明。その後、看護師と看護補助者の2名は病棟へ。
 残された4名は葬儀社待ち。従兄の嫁が母の横に座って慰めているけれど、母が何やら別のことをモゴモゴ言っており、従兄も何やら私に話しかけてきたが、どちらの話しも聞き取れない。
 意味不明の呟きなどの事は端折って・・・従兄が「町内等で誰に声を掛けるの?近所付き合いとか親戚付き合いしている家を教えて」と母に尋ねると10件挙がって来た。私がメモを取って従兄へ渡す。
 当たり前のことですが、霊安室は寒い。だから、結果として一人ずつトイレに行く事となったのですが、最後になった私がトイレから出ると車のライトらしき物が横切ったので『葬儀社が到着したのかな?』と思い、急いで霊安室へ。

 案の定、葬儀社の方が2名来られていた。
 内線で呼び出した看護師が、葬儀社の方と何やら事務的なやり取り。それが済むと、葬儀社の方が「ご遺体は、ご自宅と弊社ホールのどちらへ」と尋ねてきたので、迷わず『そちらのホールで預かってください』[注2]と即答。
 で、当初は「私が葬儀社が用意した寝台車に同乗してホールへ向かい、父をホールに預けたら葬儀社の車で自宅へ」「残りの3名は従兄の嫁が運転する車で帰宅」という事でしたが、葬儀社の方が「寝台車には2名乗れますから、お母様もご一緒ホールまで来られて、そのままご自宅へお送りいたしますよ」というので私と母の2名が寝台車に乗車する事に。乗車後に「先に自宅(近く)まで行き、お父様だけをホールへ」という事になり、図らずも父は自宅近く(数メートル手前)まで戻ることが出来た。
 従兄達も直ぐ後から到着(寝台車を駐車した場所は従兄宅の農作業小屋前のスペース)し、留守番をしていた従兄の長女を含めた5名で父とのしばしの別れを惜しむ。
 葬儀の仔細は翌日の午前8時30分から行うことにして、寝台車はホールへ。

やっと16日のことが書き終わりました。



[注1]
 約25年ほど前に、今は亡き伯父(母の一番上の兄)が「俺が死んだら・・・」と献体の申し込みを行いました。そのことを聞いた母が、勝手に夫婦で献体の申し込みをしてしまいました。
[注2]
 本当は家に帰してあげたかったけれど・・・常々、「介護ベッドや酸素の機械があるから、お父さんが(生死に関係なく)家に帰って来ても寝る所が無い」と母はこぼしており・・・まあ~他人にとやかく言われたくないこちらの都合というものがあるんですよ。