介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

10/17の出来事-その2(午後編)

2012-11-13 08:25:39 | 日記
では、17日の午後の出来事。

昼前に到着した母方の叔母(以降、仮称「松江オバ」)が途中で買ってきてくれた「海苔巻き」等で軽い昼食を済ませる。


◎午後1時頃
 父方の叔母2名(適当な仮称が浮かばないので、仮に「一之瀬」「双海」)が弔問を兼ねて我が家へ来てくれた。
 私達親子はどちらかと言うと父方の親族の受けはよくなかった【注1】ので、何やかにやを言われるのでは無いかと覚悟していたら、寧ろ「結婚してからは家族に負担をかけて、いい兄貴で無かったけれど、最後まで面倒見てくれて・・・ご苦労様。」と言って労ってくれたので、拍子抜けした。
 私からの説明を一通り聞き終わると父方の叔母達は、「供物・生花」の申込用紙に印刷された罫線を無視して勝手に記入を開始し、叔母達4名のみ(一之瀬、双海、三ツ和、吉野)が参列する旨を言い残して我が家を後にする。
 愚痴っていいですか?焼香に来る程度の事はできそうな物なのに、父の血筋の甥姪がホボ欠席って何??もしかして・・・「同じ市内に住んでいても、親や兄弟が出席していれば、オジ・オバの葬式には一切顔を出さなくても良い」ってのが、世間の常識なんですか?


◎午後2時頃
 母方の従兄(以降、仮称「茂兄さん」)が未だ来ない。
 現時点での懸案事項は2つ
  1 通夜及び告別式で受付をやってくれる人を見つける。
  2 信金へ行って定期を解約するか、最寄り駅まで出て
   「当座のお金」【注2】を引き出す。
 1番の方は、松江オバが「茂ニイの所の長男が家で暇しているから(プーでは有りません。今年は通年講座を持っていない大学の非常勤講師)、茂ニイが来たらお願いしてみよう。うちの幸太郎も出させるから。」といって、ある程度解決しそう。
 一方、2番の方は、その茂兄さんが来ないので、私が「出るに出られず」状態。最悪は、通夜当日にチョット寄り道して「当座のお金」を引き出せば何とかなる。


◎午後2時30分頃
 未だ茂兄さんが来ないので、松江オバが確認の為に電話を入れると、まもなく家を出る予定だった。
 茂兄が来るまでの間に、「茂ニイが来たら一応、相談するけれど、文句は私が引き受けるから」と言って、松江オバが誰の名前で「供物・生花」を出すのかをあらかた決めてしまう。
 こりゃ~銀行にいけないわ。それになんだか眠くなってきた。


◎午後3時頃
 茂兄とその嫁さんが到着し、松江オバが決めた内容を茂兄さんに説明する。
 その途中で会社から「そろそろ、社内書類を書いてfaxしたいので、葬儀の予定等を教えて」と電話が入った。何時もは私がその役目を負っていたから、項目を問われる前に「死亡した者の氏名及び年齢」「従業員との関係」「通夜及び告別式の時刻」「通夜お詫び告別式を執り行う場所の住所・名称・電話番号」を通知し、足りない項目があるかどうかを逆に問う。
 電話を切ると、松江オバが決めた内容よりも多くの「供物・生花」を出すことで決定していた。
 どういう話の流れでそうなったのか思い出せませんが、茂兄の乗ってきた車で父の荷物を受け取りに施設へ行くことに。先方の都合もあるので、先ずは電話を入れてみると、何時でもokとの事。施設へに到着すると「ただ今、事務手続きの書類を持って係りの者が参ります」と言われてしまい、どうしようかと思っていると事務室の奥から理事長(町内の人間)が出て来られ、何度目か判らない父の死亡の経緯を改めて説明。途中で梶さんが来られて、横で傍聴。こちらからの話が一通り終わると、梶さんの案内でオープンテーブルへ移動。係りの人とは「梶さん」の事だった。
 「梶さん」から渡された書類は、「16日付で入所契約を解消する」と言う書類と、「身の回りの物は全て返却を受けました」と言う書類の2種類。書類を書き終わる頃に、大きなダンボール(1辺45センチ程度)2箱が台車に載って到着。恥ずかしながら、午前中寄った時点では、まさかこんな大荷物だとは思って居なかった【注3】ので『後で自転車に乗って取りに来れば良いや』と考えており、それを実行したら大変な目にあっていたでしょう。茂兄さんも「車で来て良かっただろう」と言っておりました。
 施設から戻り、先ほど決めた「供物・生花」の内容を依頼用紙に記入し始めたけれど、一人だけ正しい漢字が判らない(母から見て兄嫁。その兄は既に物故)。その漢字を知っている人間は、この時間では会社で仕事中なので、茂兄さんが夜になったら聞いておいてくれる事に。
 因みに、この「供物・生花」を誰が出したのかという事で、後々、父方の叔母達から文句が出ましたね。


◎午後4時
 そろそろ、松江オバも茂兄さん達も帰るという段になって、私以外の者は大事な事を忘れている。そう、受付に立ってくれる人間の手配です。私が母と松江オバにそれとなく小声で話を振ったのですが、自分達のお喋りに気をとられており、私の話しは頷くだけ。
 翌日になってから松江オバが大騒ぎをしてどうにかなるのだけど・・・その場を仕切ってくれている親族が居ると心強いけれど、何かと言い出しにくいのも難点かな~


◎午後5時
 ひと段落が着き、早目の夕食。
 母に「結局、町会の人は来なかったね。明日は、お金を下ろさなければならないから・・・午後一番に家を出ないとダメでしょう」と皮肉を含めてダメ押しをする。


◎午後9時ごろだったかな~
 母の事が心配だったので、昨日に引き続き、私も母屋で寝る事に。


◎午後11時だよ!
 突然の電話で飛び起きる。
 『こんな非常識な時間に、どこのどいつが・・・』(我が家では午後8時以降の電話は控える。午後10時以降は非常識と考えて余程でなければこちらからは電話を掛けない。)と思い、寝ぼけたまま電話に出る。
 最初は寝ぼけていたので誰だかわからなかったけれど、電話を掛けてきたのは、日ごろから用件を一方的に話す従姉。用件は、漢字が判らなかった兄嫁(掛けてきた従姉から見れば実の母)の件での電話だった。ご丁寧にも「母の名前はナギサで、漢字は『草冠にキジ』でナギ、『人偏に左』でサ。キジは「ケンケン」と鳴く鳥のキジだから、偏が「弓矢の矢」よ。あと、私の名前は・・・で、偏は・・・になっていて、歴史上の人物の・・・と同じ時(知っております。漢字もね)。それと、生花だけど、私と妹の連名でお願い。妹の名前は・・・(知っております。漢字もね)」と間違いようの無い説明。
 一通り漢字の説明が終わると「もしかして寝ていた?ごめんね。」と来たもんだ。はい、ぐっすり寝ていましたよ。


【注1】
 別に、父方の親族が行う葬儀等に対して「あなた達の遣っていることは可笑しいからこうしなさい」見たいな意味で言ったことは無いのですが・・・どうも行き違いがあったようで・・・例えば母が「お婆ちゃん(叔母達の母親)の法要に塔婆を出しますよね」と叔母達に相談したら、「兄さん(叔母と父の兄)、○○の所が言うから顔を立てて塔婆を出すことにしてあげるわよ。」と今は亡き伯父に言ったために、伯父は「嫌々出す塔婆なんかいらない」と癇癪を起こして、親戚内で険悪な状態が数年続きました。
 母は伯父に対して経緯を話し、そのときには我が家からは塔婆を出してもらい、その後は、母の方から叔母達に事前相談をすることは止めました。

【注2】
 先日、計算書と一緒に葬儀社の方が置いていった諸経費の説明メモによれば、お通夜及び告別式で支払う「当座のお金」は10万程度で足りる予定
 大凡の内訳は
  互助会入会金 50,000円
  火葬代     4,000円
  喪主が出す「供物・生花」代 4万円程度(選択した内容により異なる)

【注3】
 過去にも書いていますので、覚えている方も居ると思いますが、この特養施設は父が入所した3番目の施設。ですので、これまでに2回移動したわけですが、そのどちらの時にも私がリュックサックを背負い、大きな袋を1つ肩に掛けて荷物を持ち出しておりました。
 その経験が『自転車で・・・』と思わせたわけですが・・・今考えると、特養に入所してからは、季節ごとの衣類の入れ替えは行いましたが、自宅への持ち帰りは行っておりませんでしたので、「合物」「夏物」「冬物」が一遍に返却された訳ですね。あとでダンボールはこの中を整理したら、入所中に購入した雑貨も入っておりました。